「あなたも外交・安保でつまずくのか」。沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件をめぐる菅直人政権のあたふたぶりを目の当たりにし、鳩山由紀夫前首相が米軍普天間飛行場の移設問題で日米関係をぎくしゃくさせた迷走劇が頭をよぎり、デジャブ(既視感)にとらわれた。
思えば今年6月、丹羽宇一郎伊藤忠商事元社長が中国大使に起用された際、ある自民党幹部は、懸念を隠さなかった。中国の外交を統括する戴秉国(たいへいこく)国務委員(副首相級)とかねてより昵懇(じっこん)で知られる中国通である。
「中国のようなしたたかな国の大使に民間人を充てるなんて。民主党は、対中外交を甘く見ていないか」
そもそも平成20年5月、中国の胡錦涛(こきんとう)国家主席が当時の福田康夫首相と発表した「戦略的互恵関係」とは、経済分野でその効力を発揮するとされている。日中貿易などを通し、双方が互いにもうかれば、文字通り「互恵」になるだろう。これならば、丹羽氏の経歴からして、まさにうってつけの役回りということになる。
だが、そうだとすれば、外交・安保や歴史問題をめぐる国民感情などへの対応が相対的におろそかになる。くだんの自民党幹部の憂いもそこにあり、「一朝事あれば、民間人では荷が重いのではないか」と気をもんでいたわけだ。
不幸なことに、尖閣諸島沖で中国船が海上保安庁の巡視船に体当たりする事件が発生し、石垣海上保安部は公務執行妨害容疑で中国人船長を逮捕した。戴氏ら中国当局に呼び出された丹羽氏は「国内法に基づき粛々と対応する」とした日本側の方針をきちんと説明したものの、慣れない外交交渉にさぞ身を削る思いでぶつかったことだろう。
何も事件を受けた混乱の責任を丹羽氏に求めているのではない。東シナ海や南シナ海への進出に、強い意思を持つ中国の狙いは明確であるのに、その窓口に丹羽氏を充てた民主党の外交センスのなさこそが問題なのである。
それにも増して深刻なのは、菅政権に対中外交を水面下でころがせる人材がいないという、心もとない事情もあらわになったことだ。
日中関係筋によると、細野豪志前幹事長代理が「首相特使」として訪中したのは、前原誠司外相が細野氏に白羽の矢を立て、仙谷由人官房長官が正式に打診したという。細野氏は昨年12月、小沢一郎元幹事長を名誉団長に民主党国会議員143人が訪中した際、事務総長を務めており、「細野氏のパイプは小沢氏の人脈」(民主党関係者)とされる。
外交には相手があるので、ある一方の国が完勝を収めることはあり得ない。双方が譲れるところは譲って、なおかつ「自国の国益」にかなう実をどう手にするか、ひざ詰めでやって、この辺で折り合おうという着地点までもっていくのが外交力である。
レアアース(希土類)輸出規制など船長逮捕後の中国は、強硬姿勢一辺倒だった。その極めつけは、温家宝(おんかほう)首相が9月21日、船長の「即時無条件」釈放を要求したことと、建設会社「フジタ」社員の拘束ではないか。
結果的に日本は、そうした中国の出方を受けて24日には、勾留(こうりゅう)期限だった29日を待たず、那覇地検が船長の釈放を発表した。このとき菅政権に、膠着(こうちゃく)状態に陥っていた事態を打開する見通しはあったのか。少なくともある外務省幹部は「まったく展望が見えない」と嘆いていた。
衝突事件をめぐる日中外交ゲームでは、粛々と、冷静に対処してきたはずの日本は、いつのまにか中国ペースに引き込まれてしまった感がある。こうした日本側の対応がどう国際社会に受け取られるか、ありありと目に浮かぶ。「中国の圧力に屈した」とみられても仕方あるまい。ましてや、中国の強硬姿勢にビクついて、検察当局に政治圧力をかけた事実が発覚すれば、政権はもたないだろう。
「領土問題はない」としている日本の方針は色あせ、「領土問題がある」ことも「弱腰外交」と同様に、知らしめてしまった。
首相は1日の所信表明演説で、事件について、「(日中関係は)世界にとって重要な関係だ」としたうえで、「(中国に)適切な役割と言動を期待する」と、ありきたりな内容しか発信しなかった。
政府関係者にこのところの首相の様子を聞いてみた。その関係者曰(いわ)く、事件のことは「人ごと」みたいで、頭の中は臨時国会をどう乗り切るかでいっぱいなのではないか、とのこと。「何をか言わんや」と悲しくなるのである。
(MSN産経ニュース、http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101002/plc1010021139004-n1.htm)