志摩 ゆみのつづり方

以前は国際交流のボランティア一筋だったのですが、最近はスクエアダンスなるものにお熱を上げているmixのblogです。

「夢のヴェネツィア」

2006-01-28 01:24:09 | つづり方
 この文を書いたのはかなり前、たぶん11・2年前のことかしら?ここのところ、ちょっぴり感傷的になって、こんなの書いたの思い出したのでした。ヴェニスは英語名だったかしら?そうよね。ヴェネツィアの商人なんて言わないわね。

  「夢のヴェネツィア」

 かつて母といっしょに「旅愁」を観て以来、行きたかったヴェネツィア。
 今回は、2人の母に娘と私がお供をしての旅行だ。私たちのバスはスカルツィ橋を渡り、ヴェネツィア共和国に入る。そこからは唯一の交通手段である船での移動となる。
塩野七生さんの「海の都の物語」によれば、425年が、ヴェネツィア誕生の年。アドリア海に面したところに住んでいた人々が、アッティラに率いられたフン族の侵攻を逃れ、葦の干潟へ移り住んだのが始まりとか。その後、河口の三角州に杭を打って人工の島を造り、素晴しい近代国家を築き上げた。大小数10ある島の間は運河と呼ばれている。運河は島の道であり、下水道の役目も果たしている。この人工的に造られた小さな国が13世紀には世界を揺るがすほどに繁栄したそうだ。
 船は狭い運河に入り、前方にアーチ型のリアルト橋が見えて来ると、船着き場に接岸した。近くの小さなレストランでいか墨のスパゲッテイを美味しいワインと共に戴く。食後、ほろ酔い気分で狭い路地を幾筋か曲がると急に視界が開けた。
 キャサリン・ ヘップバーンがお茶を飲んでいたカフェのあるマルコ広場だ。私はもう夢中で、まるで芝居の主人公のように、スポットを浴びながら舞台、いや、広場の中央に歩いている。私の耳にはただ、ゲーテやカサノヴァが憩ったであろうカフェから流れてくるロマンティクなミュージックだけが聞こえてくる。
 広場の正面にはサン・マルコ教会、その隣がドゥカーレ宮殿、手前には高い鐘廊が見える。始めて来たところなのに、すべてのものが手にとるように分かる。この、夢の世界にいるような幸福感。いつの間に目は涙で潤んでいた。

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日程が分かったので載せておきます。

1995年10月3日 成田を出発
1995年10月4日 ミラノ
1995年10月5日 ベローナ、ベネツィア
1995年10月6日 サン・マリノ、フィレンツェ
1995年10月7日 フィレンツェ
1995年10月8日 ピサ、フィレンツェ
1995年10月9日 アッシジ、ローマ
1995年10月10日 ローマ
1995年10月11日 ローマ発成田
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