10年以上も前に書いたものです。
「ボリビアのどこですか?」
今日、ボランティアでボリビアの方に日本語を教えるためにその方の家に行ってきた。簡単な自己紹介の後、
「ボリビアのどこですか」
と尋ねたところ、
「南アメリカにあります」
との答えが返ってきた。たぶん「の」と「は」を間違えたのだろう。助詞は外国の方にとって厄介なものの一つである。
さあ、授業の始まり。彼女は、スペイン語と片言の日本語しか分からない。しかし、そんなことは気にならない。というのは、以前、アメリカを旅行中、テキサスのエルパソでメキシコの方にコインランドリーの使い方を尋ねられた。彼女はスペイン語で質問し、私は英語で使い方を説明する。
「スィ、スィ」
と分かったように笑顔で答えてくれる。近くで見ていた夫に、
「今、何語で会話してたんだ」
と聞かれるほど、私たちの会話はまったく違和感などなかったようだ。同じ地球に住む人間同志、どうにかなるものである。
「ここは、日本の横浜です」
と言う文を私が言って、彼女にも繰り返し言ってもらう。言えるようになったところで、文の意味。「ここは」とジェスチァでこの場所を示し、次に日本の地図を紙に描いて横浜を指し示す。このように、そのものを指し示したり、ジェスチャをしたり、絵を描いたりしてこの「の」の使い方を説明する。そして、それが理解できたところで、初めの質問。こんどは、
「ボリビアのサンタクルーズです」
と、答えてくれた。
「ボリビアのどこですか?」
今日、ボランティアでボリビアの方に日本語を教えるためにその方の家に行ってきた。簡単な自己紹介の後、
「ボリビアのどこですか」
と尋ねたところ、
「南アメリカにあります」
との答えが返ってきた。たぶん「の」と「は」を間違えたのだろう。助詞は外国の方にとって厄介なものの一つである。
さあ、授業の始まり。彼女は、スペイン語と片言の日本語しか分からない。しかし、そんなことは気にならない。というのは、以前、アメリカを旅行中、テキサスのエルパソでメキシコの方にコインランドリーの使い方を尋ねられた。彼女はスペイン語で質問し、私は英語で使い方を説明する。
「スィ、スィ」
と分かったように笑顔で答えてくれる。近くで見ていた夫に、
「今、何語で会話してたんだ」
と聞かれるほど、私たちの会話はまったく違和感などなかったようだ。同じ地球に住む人間同志、どうにかなるものである。
「ここは、日本の横浜です」
と言う文を私が言って、彼女にも繰り返し言ってもらう。言えるようになったところで、文の意味。「ここは」とジェスチァでこの場所を示し、次に日本の地図を紙に描いて横浜を指し示す。このように、そのものを指し示したり、ジェスチャをしたり、絵を描いたりしてこの「の」の使い方を説明する。そして、それが理解できたところで、初めの質問。こんどは、
「ボリビアのサンタクルーズです」
と、答えてくれた。
ステキなコメントありがとうございます。
どこの国の人も個人的に付き合えばみんないい人たちなのに、それが国の単位になるとおかしくなってしまうのですね。
「そうだ、明日もきっといいことがある」
あ~、いいですね。