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なぜ、カンボジアの村の子どもは、きらきら目が輝いていたのか?

2024-09-04 06:02:41 | 日記

先日、カンボジアの村の2つの小学校を訪れた。
いずれもカンボジア第2の都市「シェムリアップ」から1時間ほど車を走らせたところにある。
ただ、小学校といってもいずれも建設中の校舎であり教室は犬でもニワトリでも入れるような建物である。
最初の学校を訪れた。
休み時間のようだ。
塀越しに子どもたちが顔をのぞかせている。
皆めがきらきら輝き、笑顔だ。
思わず今回同行した女子大生が叫ぶ。
「かわいい!」
初めて対面した異国の子どもたちだ。
女子大生の言葉を借りなくても私も言葉にこそ出なかったが、あまりのたくさんの自然な姿の笑顔に囲まれ、涙が出そうになった。
この感動はどこから出るのだろう?

文部科学省によると日本の子どもは、「ウエルビーイング」が低いという。
「ウエルビーイング」とは、最近、文部科学省が使っている言葉で、
「身体的・精神的・社会的に良い状態であること、短期的な目の前の幸福のみならず生きがいとか人生の意義のような将来にわたる持続的な幸福の概念」
だという。
他にも「自己有用感とか成長意欲、人生に意義や目的を感じている、は低い。全体としてあなたは自分の生活に満足しているかの質問に対して日本は最下位の回答になっている。」という。(以上、全国連合退職校長会会報第232号より)
今回、通訳してくれたカンボジアの方と話した。
現地で、3人の子育てをしている現役の父親だ。
日本の子どもが自殺したりひきこもったりしているということに驚いていた。
カンボジアでは考えられないからだ。
とはいえ、通学率にかんしていえば、カンボジアの小学生は9割を超えるが、中学生にいたっては5割ほどである。
これは、中学生になると仕事をするためだ。

訪れた村の2つの小学校はどちらも2部制だった。
つまり、11時まで勉強した子どもは自宅に帰り、午後1時からは別の子どもたちが学校にやってくる。
肥満児やメガネを欠けている子はいない(もしかすると視力の弱い子はいるかもしれないが)。
皆、動きが敏捷で走るのも速い。
同行した元高校球児二人の大学生もその敏捷さに驚いていた。
ところで、学校にいない半日の時間は、家の仕事であったり遊びであったりするという。
現に、世界遺産であるアンコールワットを訪れた時、歩いている途中、一人の小学生の女の子が何やら片言の日本語でおみやげを売りにきた。
小さな船で湖上クルージングしたときには、船主の子どもだろうか、私たち日本人一人一人に近づき、肩もみをしてきた。
チップをもらうためだ。
一方では、船が岸に近づけばロープを岸に投げてはつないでいた。
聞けば小学4年生だという。
クルージングの途中寄った湖上に浮かぶ店では、小学生と思しき男の子が、欧米人を相手に小さなワニやヘビを手に持ち、見せている。

2つ目の小学校を訪れ、村の一軒の住宅を訪れた。
在校生のお宅だ。
住宅は、学校から歩いて10分ほどのところにあった。
そこまでは、授業が終わったばかりのたくさんの子どもたちが一斉に付いてきた。
同行したメンバーは皆10代から20代と若くすぐに子どもと打ち解け手をつないだり肩車したりしながら住宅まで歩く。
住宅に着いた。
住宅と言っても暑さを避けるため高床式の小さな家だ。
ここに家族数名が暮らしている。
このお宅には、52歳の祖母がいた。
通訳を通して聴いてみた。
「生活で困っていることは何か?」
病気になった時とお金がないことだと話す。
村には電気こそ通ったが、水道設備はない。
井戸水だけだ。
テレビも冷蔵庫や洗濯機もない。
外気温は、1年中ほぼ30度を超す。
この日も35度。
どんな病気にかかるともわからない。
万が一病気になれば、街の病院までは30キロほど。
交通手段とて車はなくバイクだけだ。
カンボジアは必ずしも医療体制が整っているわけではない。
場合によっては、しっかりした医療施設となるとお隣の国タイまで行かなければならないという。
貧困の問題も深刻だ。
買い物をするにも街まで遠い。
自宅で米や野菜を作らねばならない。
いわば自給自足の生活だ。
働く場所もない。
こうした環境の中で子どもは育っている。
訪問している間にもたくさんの子どもたちがついてきた。
そろそろ帰る時間だ。
住宅の近くまで私たちを載せるマイクロバスが来ていた。
同行者らと共にバスに乗り込んだ。
バスが動き始めた。
するとどうだろう。
子どもたちが次々とバスを追いかけてくるではないか。
バスが走る道路は舗装されていない。
その中を子どもたちが走って追いかけてくる。
中にははだしの子もいる。
自転車に乗った子は後ろの席に他の子どもを乗せ、手を振ってくる。
出会った時から別れる時まで子どもたちは目がきらきら輝いている。
もう二度と会えない子どもたちだろう、それだけにいっそう別れがつらい。
いつまでも追いかけてくる子どもたちは、その走る姿と同様にまっすぐな視線だ。
ただ、いつまでも追いかけ手を振る子どもたちに幸せになってくれと願わずにはいられなかった。
とうとう村の子どもたちと離れてしまった。
それでも私の脳裏からは、きらきらした子どもたちの目の輝きがいつまでも離れなかった。


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