初版が1968年(昭和43年)。
私がこの本を読んだのは、20歳あたりのころ。
本屋さんで、なにか雑誌を立ち読みをしていて、野坂昭如が直木賞を取った時の賞金を、借金返済に全部使ってしまったと書いていているのを読み、ふと好奇心が湧いて、その立ち読みの雑誌は買わず、かつて直木賞受賞作だったという『アメリカひじき 火垂るの墓』の文庫を買った。
それまでは、野坂昭如という作家にも作品にも、正直いって、まったく興味がなかった。
『アメリカひじき』も『火垂るの墓』も、その後、何十年経っても、ズシリと重く、その存在感は私の心のなかに、在り続けた。
両作品とも、言葉にならないほど、とてつもなく、切なく悲しい。
直木賞を受賞した作品にもかかわらず、世間への野坂の露出度に比べれば、地味な作品だった。
私は、野坂の露出の陰にあるその秘かな文学の感じが、好ましく思えたものだった。
それで、驚いたのは、アニメ『火垂るの墓』の突然の出現だった。
この『火垂るの墓』は、あの野坂の『火垂るの墓』かと、私の中では、信じられない思いがしていた。
ところで、アニメ『火垂るの墓』は、原作者である野坂に「私は、この映画を二度と観たくない」と言わしめたという。
それほど、悲しく辛いらしい。
文章と違って映像による媒体は、極めて具体的にダイレクトに迫ってくる。
というか、私は、アニメ『火垂るの墓』を、一度も観ていない。
観られない、という方が正確かも知れない。
嬉しいことや楽しいことには、心の器にマックスはないけれど、悲しみにはマックスがある。
映画『火垂るの墓』を否定しているのではない。
これは、特に大人が観るべきアニメだと思うのだが、私には、ちょっと無理だというだけの話しである。
昨日『サラの鍵』を、記していて、実は、野坂の『火垂るの墓』を思った。
『火垂るの墓』(新潮文庫)が、こういう表紙になって出版されているのを、今、知った。
野坂は、この表紙を知っているのかなぁ。
小説とアニメは、ちがうぜよ。
新潮文庫、あざといなぁ。
野坂も、高畑監督も、あちらへ逝ってしまったけれど。
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