ケセランパサラン読書記 ー私の本棚ー

◆『日の名残り』 カズオ・イシグロ 土屋政雄 訳 ハヤカワepi文庫



もう、ずっと昔、『日の名残り』を映画で視た。
先日、若い友人が、小説は映画とまた違って、チョー面白いから、絶対に読んでみて!と大推奨する。
それで、先週末に、本屋さんに行ったので、そうだ、読んで見ようと思い、『日の名残り』を買った。
かすかに、映画のラストシーンのアンソニー・ホプキンスと、エマ・トンプソンを思い出すぐらいで、内容の詳細は殆ど、忘れていた。

昨日の月曜日には読み終わってしまったほど、確かに、面白かった。
第一次世界大戦後のイギリス、貴族の館に仕える執事の物語である。
丁度、TVで『ダンウントン・アービー』という、やはり貴族の館物のドラマをやっていたので、具体的に執事のなんたるやがイメージできた。
しかし、この作者、カズオ・イシグロのすごいところは、まず史実にのっとており、史実上の人物も登場し、その上で、ダーリントンハウスという執事が仕えるフィクションの設定を作りだし、実在しないダーリントン卿が画策したことを、まるで史実のように描き切ってきることだ。これが、歴史小説、フィクションの醍醐味だと、私は思うのです。(塩野七生も、そういう作家だけれどもね)

この物語は、主人公スーティブンスが執事として、プロに徹する職業意識と人生観、その彼が忠誠心を以て仕えた館の主人のダーリントン卿が、英国人として、貴族として、正義であろうとし、力を注いだことが、すべて、実は人生に於いて、失敗だったと自覚せざる得ないという、なんとも悲劇的な小説なのである。
小説のエンディング、桟橋での、あの日が沈まんとする、あの虚しく哀しい描写が、なんとも堪える。

第一次世界大戦は、ドイツが敗戦国となり、ドイツはとてつもないほどの戦争責任を、欧米諸国に対して負う羽目になる。
それが、ヒットラーが力を持つ大きな原因になるのだが、ダーリントン卿は、戦争は、もう終わったのだ。敗戦国のドイツとも、友好的な関係を築くのが、イギリス貴族の誇りであり、在り方ではないか、つまり、イギリス政府の方向性ではないかと、イギリスはじめヨーロッパ諸国の貴族や政治家に説く。
これが、結局は、親ナチスと判断されてしまう。

このような社会の状況に在って、そして執事スティーブンスのプライベートな心裡、つまり、スティーブンスが、執事としてプロであろうとしたために、女中頭のミス・ケントンの、己自身への思いにまったく以て気付かずに、すれ違っていく様と、ダーリントン卿が貴族としての、在るべき生き方の追求が、社会からずれていく様は、まるでパラレルに進行していく。
なんと、まぁ、愚直すぎるほど愚直で、理想主義な主人と召使いだったかということ、なのだ。

それは、いわばかなり、ドラマティックな内容なのだけれど、カズオ・イシグロは、とても、もの静かに、おだやかに、且つ整然と語る。
その文学性に、私は驚いてしまう。

酔狂というか、私自身の凝り性のため、『日の名残り』独語、深夜、映画『日の名残り』DVDを視た。(なんと、たまたま、夫がDVDを所有していたのだ。)
内容はやはり、ちょっと違っていた。
本を読んだあとでは、映画は、ややロマンティック過ぎるというか、原作の視点とは、少々違うと気付く。
しかし、映画の、あのラストシーンのエマ・トンプソンは、なかなか泣かせる。
スティーブンスが、密かに読んでいた、ロマンティックな小説の如くかも知れないと思わせるが、映画というエンターティメントを慮ると、これはこれで、良いと云わざる得まい。

ただ、カズオ・イシグロの小説が、あまりにも深淵で過ぎるのだ。


ハヤカワepi文庫の、解説は、丸谷才一で、これもまた、素晴らしい文章だった。
丸谷才一は、土屋政雄の翻訳を、「見事なものだ」と、絶賛していた。

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