
煙中(えんなか)ってご存知ですか?能登地方では民家の囲炉裏(いろり)のことをこう呼ぶのだそうです。昔はどの家にもこの煙中があり、その周りには常に人が集まっていました。煙中(囲炉裏)の周りは暖かいし、明るいし・・・人が集まる場だったのですね。でも、現代の住宅では暖房や照明はそれぞれの機器がありますから、煙中(囲炉裏)そのものがなくなってきています。
煙中(えんなか)
「その煙中をもう一度見直そう。そして人の集(つど)う場にしよう」という活動を始めた人たちがいます。その仕掛け人は三沖幾久治さん。三沖さんは羽咋郡志賀町出身で現在金沢にお住まいの方ですが、ふるさとの能登が深刻な過疎化でどんどん元気がなくなっている状況に、「なんとか能登を元気にしたい!」と実家の旧家を開放。人の集まる場にするためのいろんな企画を仕掛けている人です。
三沖さんとは、私が参加しているKCG(金沢コンサルティンググループ)の勉強会でご一緒したのがご縁で、今回のイベントに声をかけていただきました。当日はKCG会長の石井さんや杉原さん(いずれも中小企業診断士)、そして金沢商工会議所の飯田さんとご一緒させていただき、杉原さん運転の車で一路志賀町の三沖さんのご実家へ!・・・と簡単にはいかず、途中で迷子に。道を尋ねようと思っても、なかなか道に人は歩いていないし、目印になる建物もない・・・さすが能登の奥深さ(?)を実感したドライブでした。
ご実家の周囲は草深い、のどかな風景です
三沖さん(中央)は、私たちを温かく迎えてくださいました
三沖さんのご実家の建物は、築60年。普段は金沢でお仕事をされていて、週末ごとに草刈りや家の手入れに金沢から戻ってきておられるとのこと。大きな家ですから、周囲の草刈りや雨どいに積もった落ち葉の始末だけでも、大変な作業です。でも、それをこまめにやっておかないと、家はすぐに傷んでしまうとか。家やふるさとに対する愛情がなければできない仕事ですね。
大きな建物は築60年。どっしりとした造りです。
この日、家の内部は各部屋の仕切りのふすまが取り払われ、広々としていました。昔は隣近所や親戚が年中行事や法事などで集まることも多く、すぐに仕切りを外せるような作りになっていたのですね。でも最近の新しい住宅では、こうした煙中やふすまでの仕切りはすっかり見なくなりました。基本は壁で仕切られた個室。人が集まるとすればリビングダイニングですが、それでも昔に比べれば、人が集まることは少なくなっています。日本人の生活スタイルが変わったためでしょうか。隣近所や親戚だけでなく、そもそも家族が一家団欒をしている風景も珍しくなったような気がします。
中では特設ステージの準備中でした
この煙中交流会の目的の一つは「空家の活用」ですが、仕掛け人の三沖さんが一番の目的にしているのは「金沢と能登の人の交流」。福井県や富山県の人たちは意外と能登を訪れてくれるのだそうですが、県都金沢の人たちは能登に関心が薄いのか、あまりやってきてくれないそうです。実際、加賀市に住んでいる私も、とくに何か用事がない限り能登を訪ねることはありません。
一方で、三沖さんによれば能登の人たちも自分たちの殻に閉じこもりがちだとか。その殻を打ち破るためにも金沢の人たちに能登を訪ねてもらい、地元・能登の人たちと交流を深めてもらうことによって、お互いが学びあい、刺激を受けあう関係を作りたいのだとおっしゃっていました。
三沖さんの友人の上野さん(左)は富山県の人。趣味の車を通じて三沖さんと知り合い、今回はご自慢のクラッシックカーに乗って来訪です。
煙中交流会代表のお二人。左は林一夫さん
林さんは地元・志賀町の町会議員さんです
KCG会長の石井さんは、中小企業診断士として能登との交流を応援したいとご挨拶
左から、飯田さん、平野、杉原さん
さて、いよいよ交流会の始まりです。最初のステージはシンガーソングライターの水上さん。水上さんは旧中島町(現・七尾市)役場の元職員で、地元を愛するミュージシャンです。この日は自作の「中島菜の歌」も披露してくれました。
水上さんは能登を愛するシンガーソングライター
そのころ、屋外では富来八幡太鼓保存会の皆さんが到着。出番の準備にかかっていました。
さあ、保存会の皆さんの準備ができたようです。
熱気あふれる演奏をしてくださった富来八幡太鼓保存会の皆さん
金沢からは、近江町市場で働きながらミュージシャンとしての活動を続けている「かっちゃん」が応援に・・・かっちゃんは、近江町市場内の鮮魚店で魚をさばきながら歌い続けているブルースマン。今回も「近江町ブルース」や「近江町市場で朝早くから働く唄」を熱唱してくれました。
熱唱する「かっちゃん」
屋内はあふれるほどの人で、こちらも熱気で一杯です
会場にはどんな関係の人なのかわからない皆さんが大勢やってきて、それこそワイワイガヤガヤ。聞けば、そのまま朝まで雑魚寝する人も多いとか!近所の子供たちものぞきに来ていましたが、仕掛け人の三沖さんは、その子どもたちに優しいまなざしを注いていました。きっと、彼らの笑顔のなかに、能登の未来の姿が見える思いだったのかもしれません。
こうして能登の夜は更けていき、私たちは一足お先に失礼しました。金沢へ戻る車の中で、4人ともなぜか心が弾む思いがしたのは、三沖さんをはじめ、能登・志賀町の皆さんのエネルギーが伝わってきたからでしょう。
三沖さん、皆さん。素晴らしい時間を共有させていただき、ありがとうございました。
追伸:
今回のブログのために、石井さんからも写真を提供していただきました。ありがとうございました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます