ひらけゴマ・ひびけゴマ

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新たに、愛と冒険の物語の始まり

2013-10-24 | ひらがなにほんごで・たからさがし
最近は、発狂している人がドンドン増えてると、飯山さんが書いている。そんな見方からすれば、オレも発狂しちゃった一人に見えるだろうなあ、と思った。ちょっと気になる。そこで、以下のようなことを、とりあえず考えてみた。

… …

子ども向けの物語も、大人向けの物語も、すべては、愛と冒険がメインテーマなんだろう。

たとえ、諸行無常の響きありという、祇園精舎の鐘の声が鳴り響いていたって、愛と冒険のロマンを求めつづけるのが人情というものだ。(小説の永遠のベストセラー・テーマだよね)

愛と冒険には、当然、エゴの欲望がピッタリと張り付いている。子ども向けのおとぎ話だって、ちゃっかりとエゴの欲望が同居している。勇敢な若者は美しいお姫様と結婚して、幸せに暮らしました、めでたしめでたし、なんてね。

大人向けの物語になると、露骨に、エゴの欲望がむき出しになってくる。だけど、エゴがあまりにむき出しになると、ロマンが消えてしまうから、エゴとロマンのバランスの取り方が物語作者の工夫のしどころだったんだろう。

しかし今や現実世界は、エゴのむき出しがあまりにも露骨だ。物語も、もう成立しないくらいに、ロマンが死んじゃっている。これも暗黒の支配者による洗脳の結果なんだけど、いくらなんでもやりすぎだ。ロマンを求め続けるのが人情なんだから、ロマンを殺し、そして物語を殺しちゃったら、人情を敵に回す。これが暗黒の支配者の大失敗。ロマンの物語を求める人情を軽く見た傲慢さが命取り。洗脳に対する人類の大反乱が始まってしまったのだ。

そしていま、どうなっているか。今や完成の域を迎えたと言われるアセンション。エゴを肥大化させた洗脳の解除が進み、同時に、エゴの欲望が慎みを取り戻しつつある。 … これが、アセンションの肝腎なところなんだと思う。

洗脳とはなんだったのか。支配の枠組みに人間を閉じ込めること。今までの宗教や科学を支配の枠組みとして、それで説明していること、説明できること以外は、一切をタブーとすること。タブーを犯すものは、犯罪者、キチガイとして弾圧すること。

もう一つの枠組みは、恐怖感とエゴの肥大化。支配の中で生きていくためには、与えられた枠組みの中で、正しく、賢く振る舞わらなければ生き残れない、という恐怖感をあおりたてること。そして同時に、エゴの欲望をあおりたてること。

その結果が、ロマンと物語の死亡。そして現在に至って、人類の反乱。洗脳解除。 … すなわち、いままでの宗教、科学の支配の枠組みからの脱出が始まっているのだ。

残念ながら、今までの成功者であったり、オピニオンリーダーであったりする、努力して正しく賢く振る舞ってきた人たちは、脱出の必要性を感じれば感じるほど、逆に古い枠組みにしがみつき、反発を示すことが多い。その反発の声が、あちこちから聞こえる。しかし、そんな人達も、そのうちに自分のハートの声に従い、脱出を始めることになるだろう。

脱出するというのは、真実を、色眼鏡を外して、まっすぐに見ること。自分のハートの声に従って、右脳を働かせて、真実を見ようとすること。そして、エゴの欲望を抑えた、一人ひとりの愛と冒険が、新しい世界を作りだす。

縄文世界が、こんな世界だったのではないだろうか。一人ひとりが、自由に、のびのびと、イノチを楽しむ世界。トンネルを出たら雪国だったみたいに、洗脳を出たら、新しい縄文世界だった、ということになると思う。未来の話ではなくて、今、10パーセント洗脳を抜ければ、即座に、新世界に10パーセント足を入れることになる。80パーセント抜ければ、80パーセントの新世界に住むことになるのだろうと思う。

今までのような宗教はなくなるだろう。いままでのような科学は、全面改装オープン。愛と冒険の物語小説のたぐいは、さて、どうなるだろうか。

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