ひらけゴマ・ひびけゴマ

ひらがなにほんごで、あたらしいせかいを、つくって、あそぶ

いじげんと あそびごころで おつきあい

2014-06-30 | ひらがなにほんごで・たからさがし




(いじげんと あそびごころで おつきあい)
きょうの さいくりんぐ
あさ 6じ すぎに でて ゆうがた 5じ
まえに もどった
その 10じかん はん の うち
とちゅうの おんせんに はいった じかん
などを のぞくと 8じかん
じてんしゃを こいで いた ことになる
おうふく 80きろ ほど だろう

こんかいは のぼりざかが きつかった
ぴらみっど やま に むかう
とうげを こえた むこうがわに でかけたので
さいくりんぐの さいしょに とおげ ごえ
そして さいごに また とおげ ごえ が
あって それが たいへんだった

かえりの とおげごえ で じてんしゃを
とめ あせを ふいていたら うしろから
じてんしゃを こぐような おとが やってくる
と おもった とたん
ふりかえって みるよりも はやく
こんにちは と こえを かけられた
しょうねんが ふつうの ままちゃりの ような
じてんしゃを いきおいよく こぎながら
すごい はやさで とおりすぎようと する
おもわず おお げんきだねえ と こえが でた
しょうねんは ちょっと とくいそうにして
そして なおさら いきおいよく
じてんしゃを こぎながら
はい と こたえた
そして いいあせ かいてください
とか なんとか いって あっというまに
みえなくなった

でも なにか へんだ
きつねに つままれたような かんじだ
この さきには みんかは ないはず
だけど あるんだろうなあ
あの しょうねんは どんな かぞくと
どんな いえに すんで いるのだろう

でも いま おもいかえしても
やはり ふしぎだ
たびびとが たぬきか きつねに ばかされる
という はなしが よく あるけど
ばしょとしては あそこは にんげん よりも
たぬきや きつねの しゅつぼつ するに
ふさわしい ところ
ひょっとすると ひょっとするなあ
なんて おもうと たのしくなる

じつは この さいくりんぐ の あいだ
ずっと おもって いたのは
じげんを こえた いじげん へと
じぶんの いしきをを ひろげよう
もう そのときは きている
そうして あたらしい せかいものがたりを
いめーじしていこう ということ

じてんしゃに のって ながめる
3じげん せかいの すがたが
なにか えに かいた ような というか
かげが うすい というか
あまりに しずまりかえって
いきいきとした いのちの はたらきが
みえない というか
そんな かんじ なんだ

いままでの せかいは おわって
いよいよ べつの じげん いじげんの
げんじつが あらわれ はじめる ときが
きているのか なんて おもう

いじげん なんていうと おどろおどろしい
いんしょうが あるけど
でも さいきんは そうでもないのだろう
たとえば にちぎんが じぶんたちの
やろうと していることを いじげん かんわ
などと いったり している

いまや ふるい じげんの わくの なかに
いたのでは もんだいは かいけつ しない
おもいきって じげんの わくを
とびこえるような じゃんぷが ひつようだ
というような めっせーじが
いじげん かんわ という ことばに
こめられ それを しゃかいが うけとめている
という ことなんだと おもう

いよいよ おれも いじげんとの
おつきあいを はじめなくちゃ ならない
べつに それは ふしぎでも なんでもなく
あたりまえの にちじょうてきな
こと として はじまるのだろう
そして じぶんの いしきが ひろがり
あたらしい せかいが みえてくる

さいくりんぐも その きっかけに
なるのだと おもう
そこで もんだいは おれを おいこして
きえていった しょうねんの こと
ぴらみっど やまへ さしかかる ばしょ
だったし そして いいあせ かいてください
という ことばも みょうに おとなびていたし
あの しょうねんは いじげんから あらわれた?
まあ とにかく いじげん なんていう ものとは
あそびごころで おもしろ おかしく きがるに
おつきあいさせて もらうのが いいのだろう
そうして いのちの かがやきを とりもどし
あらたな せかいものがたりを はじめるのだ


すたみなの きれた いちにち

2014-06-29 | ひらがなにほんごで・たからさがし



(すたみなの きれた いちにち)
ときどき あるんだけど あるひ とつぜん
すたみなぎれで ぐったり して しまう
きょうが そうなんだ
いちにちじゅう ぐったりしてる
なにか かんがえようと しても
おなじ ところを どうどうめぐり するばかり

この とおかほど うごきが はげしすぎた
だから すたみなが きれても むりは ない
とは おもっても いままでの わるい くせで
なにかで はげしく うごいて いると
あんしん していられるけど
きょう みたいな すたみなぎれで
うごきが とまると ふあんに なって しまう

ほんとうは こんな とき こそ
しずかな やすらぎに つつまれ
みちたりた きもちで いる ことが
たいせつ なんだ
みちたりた きもちで いれば
すたみなも もどる わけだし

それに きがついた だけでも
よかったじゃないか と
なかなか げんきが もどらない
じぶんを なぐさめている ところなんだ

たしかに もう とっぱ したんだ
あたらしい せかいが はっきりと うごきだしている
それを おもうだけで やすらかな みちたりた
きもちで いることが できるはずなんだ
せかいは かわったんだ いままでとは ちがうんだ
あんしん していい だきしめても いい
せかいを だきしめるんだ
いのりは すでに かなえられたんだ
たしかに そうなんだ げんきを だそう



つくえが すっきりして じょうもんの かがやきを おもう

2014-06-28 | ひらがなにほんごで・たからさがし





(つくえが すっきりして じょうもんの かがやきを おもう)
きのうは まんねんひつを とっかえ
ひっかえ しながら たくさんの
めもがきを した

まんねんひつの なかで いちばん いいと
おもうのは やはり いぜんから おもって
いた とおりの
ふでぺん たっちの 500えん くらいで
かえる やすい もの

もんぶらん ぱーかー しぇーふぁー
どれも かきごこちは いいんだけど
やはり へいぼん なんだ
それに くらべると ふでぺん たっちの
ものは せーらー まんねんひつ が
つくった けっさくだと おもうけど
しばらく つかってみると ぐんをぬいた
すばらしさに びっくり させられる

がいこくでも ひょうばんに なっている
らしいので ろーまじも きもちよく
かけるのだろう

その まんねんひつは やすいだけあって
みためが ひんじゃく そして
てに もった かんじも よくない
そこで この なかみを とりだし
いぜんに あいよう していた
しぇーふぁー の
ぎん(すたーりんぐ しるばー)の
どうたいに はめこんで つかっている
こうして
かきごこちは さいこう
てに もった かんじも さいこう
そして みためも さいこう
という まんねんひつが できあがっている

ぱそこん には かてなくて いままで
つかわなく なって いたんだけど
いま それが よみがえった
という わけだね

これからは こころ たのしく
あいようの まんねんひつを てに もって
めもがき ざんまいが できるんだと
ほんとうに うきうきしてくる

うきうき ついでに つくえの うえを
すっかり かたづけた
つくえは じぶんで つくった
たたみ いちまいぶんの おおきさの
ものなんだけど いままで まるで
ものおきで いろいろな ものが
やまのように つみあげられていた
いまは つくえの うえに みえるのは
ぱそこんと ぺっとの しゃしん そして
こーひーかっぷを おく こーすたー だけ
かくしゅの けーぶる は
ぱそこんの うしろに かくしてしまった

そして まんねんひつと あかえんぴつと
めもようし だけを つくえの うえに
おいて めもがきを するのだ

めもがきには にしゅるい あって
ひとつは ひらがなで かいた ぶんしょう
もうひとつは すけっち ふうの めも
これからは めもがき といったら
ぜんしゃを
こうしゃは めも すけっち
という ことに しよう

つくえの うえに なにも おかず
すっきりさせたら きもちいいだろうなあ
なんて ずっと おもって きたんだけど
それが ついに じつげん したんだ

つくえが ひろびろ してくると
せすじを のばして すっきりとした
しせいで いたくなる
ついでに きぶんも すっきり
あたまの なかも すっきり
なんて ことに なるかもしれない

じつを いえば こどもの ころから
このような いめーじに あこがれを
かんじていたんだ
えどじだいか もっと まえの
ふうりゅうじん の すたいる なんだろう
のうみん ちょうみん にも
ふうりゅうじん として いきるひとは
たくさん いたようだ

だれにも いぞん しない
すっきりと せすじを のばした
ひとりの にんげん
ひとりの たましい としての
さわやかな いきかた

そんな いめーじ なんだけど
どうも その うらがわには
こっか けんりょく との
きんちょう かんけいが あるみたいなんだ

きんちょう かんけいの なかでの
さわやかな みの ふるまい
それが ぼくの ふうりゅうじん いめーじ と
かさなっている

だけど その いめーじ どおりではない
すこし ちがう ほうこうに これからの
せかいは うごいて いくように おもう

これからは じょうもんじだいの ような
おおらかな いのちの かがやきが
あふれる せかいに なるのだろう
たいようの かがやきと ともに いきる
ひとびとの せかいだ

だれもが よろこびに あふれ
いのちに あふれ
てんち しぜんと ちょくせつに つながる

という いめーじと
なにもない つくえの まえに
すっきりと せすじを のばして すわる
という いめーじの あいだには
きょりが ありそうだ

いのちと たいようの かがやき
そして
にんげんの せすじを のばした こころざし
この ふたつを むすびあわせること
それが あたらしい せかいを もたらす
という こと なのだろうか

だんせい げんりと じょせい げんり
だいのう の うのう と さのう
あるいは
しゅりょうさいしゅう みんぞくの いきかたと
のうこうぼくちく みんぞくの いきかた

そのた もろもろの ちがいを どのように
くみあわせ あたらしい せかいを
いめーじ していくのか
…というようなことが これからの てーま
なんだろうね




じぶんの なかの こだい れきし ろまん

2014-06-27 | ひらがなにほんごで・たからさがし



(じぶんの なかの こだい れきし ろまん)
きょうの じてんしゃは
あさめしまえの 1じかんで
いつもの とおげを こえて むこうがわの
ふもと ちかくまで いってきた

そこには ふるい じだいの ぴらみっど
だと いわれる いかにも それらしい
きれいな かたちをした やまが あって
いちど のぼった ことが ある
ちょうじょうにも こうようじゅ が
はえていて ざんねんながら みはらしは
よくない

ぴらみっど など うちゅうと つながった
こだいの れきし ろまんが せかいじゅう
あちこちで めをさまし よみがえりつつ
ある みたいだけど
あさめしまえに いって かえって
これるような ちかくでも
うちゅうと つながった なにかが
よみがえりつつ あるのかもしれない
なんて おもえば わくわく してしまう

この 2000 ねん しゅうきょうと
かがくの ふたつの おおきな ちからが
にんげんと うちゅうの つながりを
いとてきに かくして きたんだと おもう

おれも そのなかで すっかり きょういく
されちゃって いるんだ
だけど ふしぎな もので
こだいの れきし ろまん というような
はなしの なかだと うちゅうとの
むすびつきを わりと ていこうなく
うけいれられる
おれの なかにも こだいの きおくと
ひびきあう なにかが
のこっているから なんだろうと おもう

いまや だれもが
あせんしょん に ともなって
うちゅうとの つながり
べつじげんの せかいとの つながり
などを うけいれざるを えなく なっている

あたらしい げんじつに むかって
えいやっ と とびこえなければ いけない
ときを むかえたんだ
だけど そうだと わかっても
とびこえる というのは かんたんじゃない

そんな ときに せかいじゅうで
こだいの れきしの ろまんが よみがえり
はじめているのは
ひとり ひとりに うめこまれている
きおくを しげきし おもいださせ
あたらしい げんじつとは じつは
こころの なかの ふるさとの ことなんだ
いまの へんかは
ふるさとの ほんらいの にんげん せかいを
とりもどす へんか なのだ
ということを われわれに つたえるため
なんだろう そうに ちがいない

という ことならば
あちこちで おもてに でてきている
こだい の ろまんに じぶんの こころが
わくわく するような はんのうを
するときは ちょっと こしを おちつけ
つきあって みるのが いいのだろう
それは けっきょく じぶんの なかの
きおくを とりもどす ことに なる
そして うちゅうと つながる ことになる



まんねんひつで めもがき

2014-06-26 | ひらがなにほんごで・たからさがし



(まんねんひつで めもがき)
ひらがなにほんごの れんしゅうで
あいかわらず たくさんの ひらがな
ぶんしょうを めもがき している

いままでは ぱそこんで かいていたけど
きょうからは まんねんひつで やることにした
だいがく のーとに えんぴつで
かきこむのも おもしろいけど こんかいは
まんねんひつで やりたい

いんくの すいこみが ちょうど よい
かみを A5の おおきさにして
ちいさめの ひらがな もじを どんどん
かいていくのは すごく きもちが いい
おともなく するすると かけるんだ
そして いんくの いろも うすずみいろに
ちかい とても きにいったやつが あって
それが しろい かみに ひらがなもじ と
なって すがたを あらわしてくるのが
いい かんじ なんだなあ

(ただし かみを ひだりてで おさえるとき
ての あぶらが かみに くっついて
いんくを はじくように なってしまうので
そうならない くふうが ひつようだけどね)

というような たのしみも さることながら
もっと もっと おおきな たのしみは
かきはじめると おもいがけないような
ことが おもい うかぶ ことが おおい
という ことなんだ

じぶんの ないめん との たいわ
というより じぶんの はんいを こえた
もっと おおきな せかいと つながった
ような おどろき

その おどろきが ほしくて まいにち
めもがきを つづけているんだと おもう
ひらがなにほんごの れんしゅうの
ごほうび みたいな ものだよね

べつに ひらがなにほんご じゃなくても
いいんだろうけど ひょっとすると
ひらがなにほんご の りずむ というか
はどうが うちゅうと つながる ような
いんすぴれーしょんを もたらしやすい
なんていう ことが あるのか どうか
いろいろと やって ためして みたくなる

まあ あわてず ゆっくり やろう
とにかく ひたすら めもがき
ただ ただ めもがき
すべては みちびかれる
という ことで やっていくとしよう

はなしは かわるけど
くえんさん と じゅうそう の こと
けんこう に いい というので
いぜんから いろいろ りよう してきたけど
きょう あたらしい ことを やってみた
くえんさんを とかした みずと
じゅうそうを とかした みずを
つくっておいて のむときに まぜて のむ

くえんさんの みずだけだと すっぱくて
のみにくいので すこし じゅうそうを
くわえる わけだけど じゅうそうと
くえんさんが はんのうして たんさんがすに
なり さんみの きいた たんさんすいが
できあがる
これが なかなか うまい
この なつの あいだじゅう たのしめそうだ


ふうりゅう こそ これからの ちてき かつどうだあ

2014-06-25 | ひらがなにほんごで・たからさがし



ごく さいきんの ろーま ほうおうの
たてつづけの はつげんは ものすごい

よくない しすてむを いじ しようとする
ふるい せだいの ひとびとを
われわれは すべて はいじょ している

とか

あくまを すうはいしている ものたちを
はもんにする

とかの はつげんは いままでの せかいを
しはい してきた せいりょくと
ばちかんは てを きる
そして あらたな せかいへの へんかを
ばちかんは うけいれた
ということを せかいに しらせる
はっきりとした ことばだ

ろーま ほうおうの ひとがらを
かんじさせる にんそうが
まえの ほうおうと がらりと 180ど
へんか した ことと あわせ
ことばと にんそうの りょうほうで
ぱちかんは あらたな めっせーじを
だしはじめて いるのだ

この ほうおうの あたらしい にんそうと
あたらしい ことばを どう うけとめるか

うらを みせ おもてを みせて
ちる もみじ

だったっけ そんな うたが あったよね
ここで いっているのは
うらや おもてを みている よりも
ちっていく という ことを みるのが
ふうりゅうで おもしろい という こと

ばちかん にも うらや おもて が
あるだろうけど つぎに むけて いま
もみじが はを おとし はじめている
その へんかを ひきおこしている
もともとの おおきな ちから ながれを
みることこそが たいせつ なんだ

もみじが まうのを みて
うちゅうの おおきな へんかを しること

ぶっしつとして ひょうめんに みえている
ものの ほんしつを みること

これを ふうりゅうな ちてき かつどう
と いって みたく なる
にほんじんが おおむかしから
うたを よんで きたのは
この ちてき かつどうを やっていたんだ

ぶんぶ りょうどう と いうけど
かたな だけでは だめなんだ
ふうりゅうに うたを よむ ことで
おたがいの ほんしつを りかい しあう
つたえ あう

ほんしつが わかって しまえば
それで おしまい
うちゅうの ながれに そって
つぎの だんかいに すすめば いいだけ
なにも あらそう ひつようなど ない

ということで にほんの ふうりゅうを
せかいに みせてやろう
それこそが われわれの やくわり

さいくりんぐ も おくが ふかいんだぞ

2014-06-24 | ひらがなにほんごで・たからさがし



(さいくりんぐ も おくが ふかいんだぞ)
24にち きゅうに おもいたって
さいくりんぐを してきた
おうふく 50きろ
ひょうこうの ちがいは 360めーとる
おもに くだりと なる ゆき は 2じかん
おもに のぼりと なる かえり は 3じかん

じつに 45ねんぶりの さいくりんぐ だ
さいきん じてんしゃに のりはじめて
まだ いっかげつが たっていない
この みじかい あいだに
あしが ふとくなった ように みえる
そう みえる だけかもしれない けれど
あしの いろつやが よくなって いきいきと
してきているのは たしかだ

この ようすだと えんきょりの
さいくりんぐも たのしめそうだ
45ねんかん ずっと こころの おくに
くすぶってきた さいくりんぐ
いよいよ じつげん するんだ

じてんしゃが てに はいって から
この いっかげつ
すぐ ちかくの くるまの あまり とおらない
のぼりざか の つづく ほそうどうろを
うんうん いいながら 30ぷん のぼり
とうげの みはらしの いいところで
いきぎれした こきゅうを ととのえ
みずを のみ あせを ぬぐって
いっきに さかみちを くだってくる
ということを くりかえしている

100すうじゅう めーとるを こえる
ひょうこう の ちがいは たいへんだけど
のぼりも くだりも それぞれに
きもちの いいものだ

しかし そんなことより
やりたいのは えんきょり さいくりんぐ
とおくへ のんびり でかけたいんだ
という わけで きょう きゅうに
おもいたって こてしらべの
さいくりんぐを やってみた わけなんだ

だけど まだ はんどる そうさが おぼつかない
はんどるを きるとき
はんどるの むきを かえる どうさと
じぶんの からだを かたむける どうさを
どうじに やらなくちゃ いけないんだけど
せまい ほどうを はしる ときなど
しょうがいぶつが やたら おおくて
なれないと それが むずかしい
そして さいくりんぐを たのしむ なんて
ふんいきじゃ なくなって しまう
ということを きょうの こてしらべ
さいくりんぐで つよく かんじた

だけど むかし のっていた
ままちゃり は もっと らくに
はんどる そうさが できていた はずだ
じてんしゃの しゅるいに よって
どこが どう ちがうのだろうか
そこで いろいろ しらべてみたら
なかなか おもしろいんだ
じてんしゃも おくが ふかい

とくに かんじるのは
めかにっくな こうぞうと
それを そうさする ひとの うごき
この ふたつが ひとすじなわでは
いかない おもしろさを つぎつぎと
うみだして いること

たとえば ごるふの ぼーるを うつ
というだけの ことに だって
たくさんの りろんが つぎつぎと
うみだされ おおくの ひとが うんちくを
かたむけ たのしんでいる みたいだ

ひとが あるいたり はしったり することだって
いまは りょうてを ふって やるのが
ふつう だけど
えどじだい より まえの にほんじんは
うでを ふらずに はしったり あるいたり
していた らしい
さむらいや にんじゃの やりかただよね

というわけで じてんしゃ という
めかにずむが くわわるんだから よけいに
じてんしゃの のりかたも
あとから あとから あらたな
りろん りくつを にんげんは
うみだし つづけ
おくが ふかいんだ なんて いっては
たのしみ つづけるんだろうなあ と おもう

にんげんが きょうみを もっている
かぎりは どんなことでも つぎつぎと
へんかし あらたな ことが うみだされ
いつまでも にんげんを たのしませてくれる
じんせい すべてが そうなんだろうね
おくのふかそうな はっけんは たえないんだ

それは ともかく じてんしゃで ゆっくり
とおくへ いきたいなあ
うちゅうと いのりの きもちで つながり
ひらがなにほんごの れんしゅうを つづけ
かぜの ふくままに さいくりんぐ
さいこうだなあ さいこうだ

(画像にした 文字の フォントは
フリーの「はんなりフォント」です)

こりゃあ どうしたって かきたく なる

2014-06-23 | ひらがなにほんごで・たからさがし




(こりゃあ どうしたって かきたく なる)
(1)
べつじげんに はいって いくような
おおきな へんかが はじまっている いま
じぶんの なかに なにかを ためこもうと
しても まったく いみが ない

ためこむのではなく みがるに なって
へんかの なかに とびこむ
そんな まいにちの じぶんの すがたを
たしかめるために ぶろぐを かきたい
なんて おもうのだ

どこかとおくに たびにでた ときのように
みがるに なって
しゅういに ながれる かぜを かんじ
いのちの ながれを かんじながら
そのば そのば での じぶんの こころの
うごきを たしかめる そのために かく
たびの にっきの ような ぶろぐ

ぶろぐとして かいてしまったら
あとは わすれてしまえば いい

すべてを すてて みがるになって
へんかの ながれの なかで
ひらけごま ひびけごま なんていう
じゅもんを となえて いたら
おもしろい だろう

(2)
ぶろぐを かいていて なにが
たのしいか といえば
いんすぴれーしょんを もらえること

たびに でた ときのような
じぶんの しゅういを ながれる かぜや
いのちの ながれを かんじるられて
それに ともなう いろいろの まなびや
きづきが みえてくる

じぶんの かんかくが よくなったから
という よりは
ひらけごま ひびけごま の じゅもんに
こたえるかのように いんすぴれーしょんが
むこうから やってくる みたい なのが
なんといっても たのしい

いじげんへの たびが はじまっているのだ
てんしと どうぎょうににん
てんしと いっしょに たびを してるんだ
なんて くうそう すれば たのしさ
100ばい

まつお ばしょう せんの りきゅう が
じぶんの かんかくを みがき きたえながら
たどった みちの たのしみを われわれは
らくちんに あじあわせて もらえるのだ

だけど われわれは この ぶんめいの
だいきぼ ほうかいの なかで かれらには
とても そうぞう できないほどの
くるしみ かなしみ ぜつぼうを
たっぷりと たいけん させられてしまい
つかれはてて いるのだから
てんし からの いんすぴれーしょん でも
もらわなければ とても げんきに
いきては いられない
てんしと てんしの ことばを つたえて
くれる ひとたちに かんしゃ しよう

(3)
ひらがなにほんご から やってくる
いんすぴれーしょんも あるんだと おもう

こちらの いんすぴれーしょんは
いしきてきな どりょくが われわれに
ひつようだ

まつお ばしょう や せんの りきゅう の
ちてきな かつどう
よーろっぱ では はったつ しなかった
しゅるいの ちてき かつどう
… かいほうけい ちせい

これは ことばを きたえることから
はじまる
ひらがなにほんごの ぶんたいを
じぶんの からだの なかで かつどう させる
じぶんなりの ぶんたいが はたらき
じぶんなりの ちせいが はたらく
それが むしょく とうめいの うちゅうから
いろとりどりの にぎやかな ぶんめいを
ぷりずむのように ひきだしてくる

という わけで たくさんの ひとが
それぞれに ぶろぐを かいて
いろ とりどりの はなを さかせれば
おたがいに その いろとりどりの けしきを
ながめあって
だれもが はっぴー
すべてが おーけー の
せかいが みえてくる わけなのだ

ひらがなにほんごは いろとりどりの
はなを さかせる すばらしい はたけで
あることを じっさいに たねを まいて
たしかめて みたく なるのは
だれだって おなじ だよね
さあ たねを まこう
それぞれに はなを さかせよう

おもえば かなう ぜいたく

2014-06-22 | ひらがなにほんごで・たからさがし


(おもえば かなう ぜいたく)
きょう ひさしぶりに
まんねんひつで めも のーと づくりを
やってみた
ぺんさきや いんくを とりかえては
いろいろと ためすのが かつての
しゅみ だったんだ
きょうは 4しゅるいの まんねんひつを
ためして みたけど
それぞれの とくちょうを おもいだして
たのしく あそぶことが できた

ふでぺん たっちの まんねんひつが
めも のーと づくりの ときの
おきにいり だったんだけど
きょうも あらためて
こりゃあ なかなか いいなあ
なんて おもいながら めもを かいてみた

めもを かきながら おもったのは
それでも やっぱり
ぱそこんで ぶんしょうを かくのが
いちばん おもしろい
ぶろぐも きがるに まいにち かきたい
ということ

ふでぺん たっちの まんねんひつで
めも のーとを つくる たのしさを
あじわっているうちに みえてきたのが
じぶんの ほんとうの きもち
だったのだと おもう

ということで これからは まんねんひつで
めも のーとを つくっては たのしみ
そして ぱそこんで ぶんしょうを かいてはたのしむ
そんな ぜいたくを やってみるとしよう
おもえば かなう ぜいたくだね