(いじげんと あそびごころで おつきあい)
きょうの さいくりんぐ
あさ 6じ すぎに でて ゆうがた 5じ
まえに もどった
その 10じかん はん の うち
とちゅうの おんせんに はいった じかん
などを のぞくと 8じかん
じてんしゃを こいで いた ことになる
おうふく 80きろ ほど だろう
こんかいは のぼりざかが きつかった
ぴらみっど やま に むかう
とうげを こえた むこうがわに でかけたので
さいくりんぐの さいしょに とおげ ごえ
そして さいごに また とおげ ごえ が
あって それが たいへんだった
かえりの とおげごえ で じてんしゃを
とめ あせを ふいていたら うしろから
じてんしゃを こぐような おとが やってくる
と おもった とたん
ふりかえって みるよりも はやく
こんにちは と こえを かけられた
しょうねんが ふつうの ままちゃりの ような
じてんしゃを いきおいよく こぎながら
すごい はやさで とおりすぎようと する
おもわず おお げんきだねえ と こえが でた
しょうねんは ちょっと とくいそうにして
そして なおさら いきおいよく
じてんしゃを こぎながら
はい と こたえた
そして いいあせ かいてください
とか なんとか いって あっというまに
みえなくなった
でも なにか へんだ
きつねに つままれたような かんじだ
この さきには みんかは ないはず
だけど あるんだろうなあ
あの しょうねんは どんな かぞくと
どんな いえに すんで いるのだろう
でも いま おもいかえしても
やはり ふしぎだ
たびびとが たぬきか きつねに ばかされる
という はなしが よく あるけど
ばしょとしては あそこは にんげん よりも
たぬきや きつねの しゅつぼつ するに
ふさわしい ところ
ひょっとすると ひょっとするなあ
なんて おもうと たのしくなる
じつは この さいくりんぐ の あいだ
ずっと おもって いたのは
じげんを こえた いじげん へと
じぶんの いしきをを ひろげよう
もう そのときは きている
そうして あたらしい せかいものがたりを
いめーじしていこう ということ
じてんしゃに のって ながめる
3じげん せかいの すがたが
なにか えに かいた ような というか
かげが うすい というか
あまりに しずまりかえって
いきいきとした いのちの はたらきが
みえない というか
そんな かんじ なんだ
いままでの せかいは おわって
いよいよ べつの じげん いじげんの
げんじつが あらわれ はじめる ときが
きているのか なんて おもう
いじげん なんていうと おどろおどろしい
いんしょうが あるけど
でも さいきんは そうでもないのだろう
たとえば にちぎんが じぶんたちの
やろうと していることを いじげん かんわ
などと いったり している
いまや ふるい じげんの わくの なかに
いたのでは もんだいは かいけつ しない
おもいきって じげんの わくを
とびこえるような じゃんぷが ひつようだ
というような めっせーじが
いじげん かんわ という ことばに
こめられ それを しゃかいが うけとめている
という ことなんだと おもう
いよいよ おれも いじげんとの
おつきあいを はじめなくちゃ ならない
べつに それは ふしぎでも なんでもなく
あたりまえの にちじょうてきな
こと として はじまるのだろう
そして じぶんの いしきが ひろがり
あたらしい せかいが みえてくる
さいくりんぐも その きっかけに
なるのだと おもう
そこで もんだいは おれを おいこして
きえていった しょうねんの こと
ぴらみっど やまへ さしかかる ばしょ
だったし そして いいあせ かいてください
という ことばも みょうに おとなびていたし
あの しょうねんは いじげんから あらわれた?
まあ とにかく いじげん なんていう ものとは
あそびごころで おもしろ おかしく きがるに
おつきあいさせて もらうのが いいのだろう
そうして いのちの かがやきを とりもどし
あらたな せかいものがたりを はじめるのだ