ひらけゴマ・ひびけゴマ

ひらがなにほんごで、あたらしいせかいを、つくって、あそぶ

別次元との共鳴を、拒否したり、育てたり、それがおとなのやること

2014-01-30 | ひらがなにほんごで・たからさがし


なんだか、できすぎた話だなあ、と思うことで
悪い波動を、無害化できる
そんな気がした

ローマ法王が、二人の子どもたちと一緒に
まっ白い鳩を空に放ったら
即座に、いかにも怪しげな、まっ黒い鳥が
鳩に襲いかかり、殺してしまった、という

襲いかかっている場面の写真が
いかにも、まがまがしい
ホラー映画そのものなんだ
カラスだというのだけど
カラスにはとても見えない
まるで悪魔の姿だ
この写真のような、残虐非道な場面は
まさに、悪魔主義者の大好物なんだろう
彼らの願いのこもった、できすぎの写真だよ

人間の五感に映ずるのは
別次元から来る波動と共鳴して生じた
自分の意識の中の波動、なんだよね

だから、ボクがこの写真から感じた
ホラー映画のようなイメージは
別次元から来る、悪魔的な波動と
共鳴してできた
ボクの意識の中の イメージなんだ

別次元から来る波動が強いと
強制的に、ある程度の共鳴が起こってしまう
ということなんだと、思う
だけど、どの程度の共鳴をするかは
ボクが、主導権を持っているはずなんだ
だから
なんだか、できすぎた話だなあ、と思うことで
イヤな波動との共鳴を
自分の意志で、拒否できるんだ

目に見えるものは、どんなものでも
疑いようもない、真実
だから、それを拒否できるなんてことは
あり得ない
というのが、今までの教えだったんだ
でも、そんなことは、ないんだよね
人間に主導権を持たれたら困る
支配者の言い分なんだ

そして、逆に
人間の主導権を発揮して
共鳴を
自分の好む方向で
積極的に起こし、大きくすることもできそうだ

ボクの場合、鳥の例で言えば
原風景みたいにして、思い浮かべるのは
夏の朝、海岸の公園で
小鳥たちの、多様なさえずりの大合唱と
木々の緑を通して、多様にきらめく太陽の光と
そして、数人の幼児たちが
早朝にもかかわらず、砂場で
小鳥たちのさえずりと聞き間違えるほどの
軽やかな声を出しながら、遊んでいる姿

色とりどりの、音と、光が、ひとつになって
明るく、暖かく、そしてさわやかに
満ちあふれている情景
ボクにとって、宝物のように貴重な情景なんだ

この世のものとは思えないような
あまりにも豊かで、あまりにも明るく
本当に、別次元のような、情景なんだ

あまりにも美しいので
おとなになったボクには
縁遠いような気がして
ジャマしちゃいけないような気がして
遠くから、チラッと、思い出すだけ
そんな感じなんだ

だけど、今思うのは
そんな情景と
積極的に、共鳴しても、いいのじゃないか
自分の意志で
そんなふうに思う
おとなになった人間としての、意志を持って
積極的に近づいていこうとする意志を持って

その意志が、ボクの、これからの
セカイ物語を作る
最近は、そんな気がするんだ

というようなわけで
別次元からやってくるような波動との共鳴を
拒否したり、積極的に育てたり
そんなことをやるのが
おとなになった人間のやること
それが、自分の、セカイ物語を作ること
そんな気がするんだ


ほんものと共鳴して得らる、進化した、幻想 v2 (バージョン ツー)

2014-01-27 | ひらがなにほんごで・たからさがし

空想を楽しむのが
ボクの いちばんの遊びみたいだ
きょうの空想は、共鳴セカイ論
要するに
自分の幻想世界の外にある
ほんものとの共鳴
それが、自分のセカイ物語にイノチを与える
という、じつに、大発見
(例によって、おおげさに)

2日前
空想だけじゃ、面白くない
実際に、体験をしたい
エンジェルさん、助けてくれえー
という悲鳴を上げちゃったんだけど

(1)宇宙の叡智、エネルギーをもらうこと
(2)他者との共鳴に、喜びを感じること
(3)エンジェルの支援を、実感すること
これらを、体験できるよう、助けてくれえー
ということだった

人間は、誰もが
それぞれのセカイ物語の、創造主なんだけど
じつは、けっして、孤独じゃない
他者の魂、天使、宇宙の叡智・エネルギーが
まわりを取り巻いている

だけど、これらの存在は、我々の五感では
感じ取れず、空想するしかない
五感で感じるのは、他者も、天使も、宇宙も
すべては幻想、空想の産物なんだ
ほんものをつかむことは、できない
そもそも、我々のセカイ物語は
すべてが幻想なんだ

だけど、バカにできないのは
それぞれのセカイ物語は、宇宙が見ていて
宇宙の新たな財産として、記録される
宇宙は、我々の作り出す幻想を、欲してる
だから、幻想、空想も、バカに出来ない
人間のやることは、これしか無い、といって
悲観して悲鳴を上げることは、なかったのだ

考えてみれば
五感で感じ取れなくても、第六感がある
他者の魂、天使、宇宙の叡智・エネルギーと
第六感で感じ取り、共鳴できる

夜空の星を見て
五感では感じられない、何かを感じたら
それは、宇宙の本質を、感じたんだ
恋人から、五感を超える何かを感じたら
それは、恋人の本質(魂)を感じたんだ

この、第六感が、詩や、和歌になる
第六感を磨いて、本質、ほんものと共鳴する
これが、日本で、情緒と言われるものだろう

五感だけをたよりに進行してきたのが
今までの、ボクの、セカイ物語
そして、ついに
五感を元にした空想じゃ、もうダメだと
悲鳴をあげたのだった

今になって考えてみれば、その悲鳴は
第六感、情緒をはたらかせて
ほんものからやってくる波動を感じ取り
共鳴したい
という悲鳴だったのだろう

五感だけを元にした
今までどおりの幻想じゃなくて
第六感、情緒をはたらかせ
ほんものと共鳴して得らる、進化した幻想
幻想 v2 (バージョン ツー)
が欲しかったんだね

今までの西欧型の文明は
自分の五感のなかに閉じこもり
その自分の思いだけで、突進してきた
しかし、それはもう限界
すべてが、崩壊を始めている

これからは
セカイ物語を、五感のなかに閉じ込めず
第六感、情緒による、広がりを
幻想 v2 として
実現することになるはずなのだ
ほんものとの共鳴のなかで
それは出現する

というわけで
そのあたりを空想してみたくなった
名づけて、共鳴セカイ論

ほんものは、つかみ取れない
共鳴できるだけ
共鳴は
この瞬間、この場所で、一瞬だけ生じるもの
保存も、所有もできず、常に流れ去るもの
だから、幻想 v2 は
常に流れを追いかけ、感じ続けることで
維持される

それは、諸行無常の、幻想のなかに
イノチの流れを流し込む
詩人、うた詠みのような、はたらきを
セカイ物語の、それぞれの創造主が
おこなうことを意味する

すべてを崩壊させつづける
諸行無常の、エントロピーの流れを
常に新たなイノチを発生させつづける
イノチの流れへと、転換すること

セカイ創造主としての、我々は
自分の幻想セカイの隅々までを
自分の思いで統一しようとせず
自分の思いの外にある、ほんものとの
共鳴に、よろこびを見出すことへ
意識を転換することになる
これこそ、縄文の復活、よみがえり

というような感じで
共鳴セカイ論の空想を続けるのは
面白そうだ
ボチボチと、やってみようか

ところで、いま
自動車をやめて、自転車にして
サイクリングを楽しもう
なんて思ってるんだけど
周囲と、ていねいに向き合うことになって
ほんものとの共鳴に、つながりそうだよね
楽しみなんだなあ



恥ずかしながら、助けてくれえーって、言いたい

2014-01-25 | ひらがなにほんごで・たからさがし

世の中に、目玉マークが
これみよがしに、あふれているけど
その理由は、想像がつく

すべてを見通す目は
紙幣の上や、企業のロゴマークなどとして
人間の外側にあるんだ
人間の内側にあるんじゃないんだ、と
人間を洗脳しようとしているんだろう、とね

だけど、今となっては、逆効果だよ
やり過ぎるから、逆に、怪しまれて
ウラを読まれてしまう

本来、人間のなかに
すべてを見通す目があることを
隠すためなんだ、って、思うよ

旧支配勢力が、必死なればなるほど
すべてを見通す目、というものの重要性を
われわれに教えてしまう
そして、それが、本来、人間のものだった
ということも、教えてしまう

たぶん、そういうことなんだと、思う
そして、次に思うのは、すべてを見通す、とは
いったい、なんのことか
すべてとは、なんのことか、ということ

旧支配勢力にとって、知られては困ること
それを想像すると、たぶん

(1) 一人ひとりが、それぞれのセカイの創造主であり、宇宙から、無制限に、叡智とエネルギーを引き出せる
(2) それぞれのセカイは、独立して存在するけど、互いに、共鳴しあうことで、より豊かなセカイへと進むことができる
(3) エンジェルが存在し、宇宙の叡智、エネルギーをもたらす媒介をする。そして、セカイとセカイが共鳴する媒介をする

というように、思うことで
我々は、すべてを見通すことができる
そして
それぞれのセカイ物語を進めることができる
これが、宇宙のすべての、すべてなんだ
そんな気がする

… …

いつものボクだったら
このような空想を楽しんでは
ごきげんだったはずなんだけど
きょうは、ちょっと様子が違う

オレは、こんな空想を重ねても
本当には、体験していない
空想を、アタマのなかでこね上げ
楽しんでいるだけ
楽しむのは、いいことだけど
でも、もう一歩、進みたい

本当に宇宙から叡智とエネルギーをもらい
ほんとうに他者と共鳴し
ほんとうにエンジェルと接する
そんなことを、本当に体験したい

ありがたいことに
体験のにおいをかぐ程度のことは
なんとなく、始まっているように思う
だけど、なんとなくの、匂いだけじゃなくて
本物にかぶりつきたい、という感じなんだ

今までは、祈り、というと
セカイ物語の作者としての意志を
宇宙に伝えることだ、などと
思ってきたけど
きょうは、それに加えて
助けてくれえー
いつまでも、アタマの中の空想じゃダメだ
本物の体験をさせてくれえー
こんな時は、エンジェルにお願いするんだろう
エンジェルさん、よろしく頼みますよう
なんて、祈りたくなっている

自分が、セカイ物語の創造主だとしても
この自分を世話してくれる存在が
どこかに、居て欲しいんだよね
そして、助けてくれえー、なんて言いたくなる

(匿名のブログだから、恥ずかしながら、こんなことも、書けるんだよね)

リラックスして、巨大な変化を見通す目玉を、取り戻す

2014-01-23 | ひらがなにほんごで・たからさがし


きのうは、悪い癖が出てしまったようだ
緊張感が高まって、まるで戦闘態勢
目が回るような、巨大な変化を意識して
アタマが過剰反応してた

圧倒的な変化を前にした時は
逆に、リラックスが、必要なんだよね
リラックスしてこそ
巨大な変化を、見通す目が持てるし
情緒、感情、思考が、なめらかに回転する

そのためには
武道とか、茶道の心得をイメージしながら
自分の、ふだんの姿を
それらしく、保つことを、心がける
その積み重ねしか無いんだろうなあ
などと、朝起きて、タバコを吸いながら
思ってる

そういえば、何かの物語で
盗まれてしまった、自分の目玉を取り戻す
というようなのが、あったような気がするけど
すべてを見通す目を、取り戻すことは
この圧倒的な変化、巨大な変化を前にして
絶対に必要なんだよね

ピラミッドの上や、企業のロゴマークの
目玉に監視されるんじゃなく
反対に、その目玉を、自分の中に取り込む
これこそが、正常な人間の姿
盗まれた目玉を、取り戻せ
世の中にあふれる、目玉マークを見るたびに
あれはニセモノ、本物はオレの中にあるはず
そう思うことにしよう、ウラをかいて

ところで
武道や茶道を、自分なりにイメージしながら
自分の日常を作っていく
それが基本なんだと思うけど
それを忘れないために
肉体的な所作として、定式化し繰り返すことを
やってみたくなる

佐々木小次郎が使っていたという木刀の
寸法が残っていたようで、複製ができている
幸い、複製のひとつをボクは持っている
それを使って、木刀の素振りを、日常とする
武道や茶道の心得をイメージしながら
うん、そうしよう

佐々木小次郎は、神道の人で
木刀をふるう姿は、神が乗り移った
神の舞、そのものだったという
宮本武蔵は、佐々木小次郎との戦いのあと
キッパリと剣を捨ててしまい
だるまの絵を書いたりしていたようだ
佐々木小次郎の剣と接して
想像を絶する衝撃を受けたらしい
実際には、宮本武蔵は、負けていた
という話もあるんだ

そんなことも思いながら
木刀の素振りを、日常としよう

よし、これでいい、これで、新しい世界が始まる

2014-01-21 | ひらがなにほんごで・たからさがし

簡素生活について
細かなことを、具体的に考えて
ここ数日、楽しんできた

太陽電池、ロケットストーブ、カセットガス
少食、野草、庭先に柿、栗
ビニルハウスを、サンルームとする
自転車にする
など、誰にでもできることを、本当にやれば
カネをほとんどかけず、たとえ氷河期がきても
誰もが、ほんとうに、やっていける
という、確信に至った

物質的な問題、カネの問題は
じつは、問題ではないのだ
誰もができることを、今、本当にやってみよう
そんな気持ちがつのる

残る問題は、ネットとの、つきあい方
どうしても、古い思考が、流れこんでくる
困るのは、新しいことを言いながら
肝腎のポイントが、古い思考のまま
という記事
そんな記事を読むと、すごく疲れる
そして、落ち着かなくなってくる
しかし、それでも、だんだんと
ネット記事の、捨て方も、わかってくるだろう
これがわかれば、簡素生活が楽しめる
などと、思う

そうすれば
たっぷりとした時間が、オレのものだ
落ち着かなくなることもない
そして
時間を意識しなくなる
時間は意味がなくなる
時間に追われることは、もうない
無駄なく、何でもテキパキと処理しなければ
という強迫観念に、おさらばできる

こうして、カネと時間、という
人間を縛り付けてきた、マトリックスの
がんじがらめの、網の目から、開放される
ついに、マトリックスを突破できるんだ
これこそが、簡素生活の、完成だぞ
なんて、思う

だけど実は、これは
完成じゃなく、出発点なんだ
オレの、セカイ物語のスタートなんだ
さて、どこへ向かって、第一歩を踏み出すか

まずは、自分の気持に正直に、ということで
いままで、表面的には、避けてきたことを
正直に認める時が来たんだと
思うことにしよう

祈りたい
いろいろな人の祈りの心と、共鳴したい
そして、宇宙に、人間としての意思を伝えたい
そんな気持ちが、噴きだす時があるんだ
この気持を、どう処理していいかわからなくて
いままで、見ないようにしてきたんだけどね

祈りたい、なんて言うと
どこか、よそよそしい感じがするんだけど
じつは、この、祈りたいという気持ちが
セカイ物語を進行させるんだ
ということに気がついた
ありがたい
これで、祈りたい、という気持ちに
正面から向き合える

いろいろな人の、愛と冒険
いろいろな人の、心からの願い
それを感じながら、ハラハラ・ドキドキ
そして、ボクもいっしょになって、祈り願う

いろいろな人の動きは
すべて、オレの意識の中の出来事
オレの創作品、オレのセカイ物語
オレの祈り、願いが
物語を進行させるのだ

宇宙の叡智や、エネルギーをもらいながら
物語は進行する
だから、オレの祈り、願いを
宇宙に伝える必要があるのだ

いままで、せわしなく、ガサガサと生きてきた
これからは、身近な細部を、ていねいに
そして、黙想の、たっぷりとした時間を楽しむ
そうしながら、祈り、願う
それが、セカイ物語の作者としての
オレの姿

よし、これでいい
これで、新しい世界が始まる
ありがたい
今日も、いい日だ

そんな自分を、バカみたいだと思わず
遠慮なく、ドンドンやればいいんだ
そう、本気で思えるのも、ありがたい
こうなったら、やるっきゃないよね


捨てれば、イノチは流れ、宇宙とつながる

2014-01-17 | ひらがなにほんごで・たからさがし

いよいよ、簡素生活をスタートさせる
ということで、いろいろな思いが
湧き上がってくる
その思いを、書いておきたいのだけど
なかなか、うまく整理できない
だけど、とにかく、書いてみた

… …

溜め込んだ、いろいろのものを捨て
いろいろの思いも捨て
ハダカになり、サッパリとして
新しい世界に、入っていくとしよう
そこでは
いったい どんな生き方が、始まるのだろう

かなりの 積極的な生き方に なるのじゃないか
すべてを捨て、ハダカになる、ということは
宇宙と、直接に、向き合うことになる
そして、イノチが いきいきと働くことになる

諸行無常というのは
溜め込んだものや、思いは、むなしいものだ
だから、人生も、むなしいものだ
ということを、言っているんだと思うけど
だけど、そうじゃないんだ
捨てないから、むなしいんだ
捨てて、ハダカになれば
イノチは輝きだし、積極的な人生が始まる

縄文の人たちは、ものを溜め込まなかった
その日暮らしの、狩猟採集
宇宙の流れの中に
自分のイノチを溶けこませ、一緒に流れる
だから、いきいきと、楽しい暮らしだった
そうなんだと思う

宇宙の流れに溶け込み、いっしょに流れる
それが、縄文のよみがえり
新しい世界の、始まりなんだ

そこでは、過去も、未来も、意味を失う
今、この時の、宇宙の流れとの、シンクロ
今、この時の、シンクロのなかに
自分のイノチの流れを、ひろげていく
そして、イノチは、それぞれに輝く

ハダカになる、ということは
自分のイノチを、宇宙に広げていくこと
自我の枠を超えて、イノチを広げること
これが、日本人の、情緒というもの
そうなんだと思う

そこで思い当たるのが、祈り、ということ
自分のイノチの思いを、宇宙に伝え
宇宙の流れに、シンクロを求める
それが、祈りなのじゃないか
そして、祈りは
自我の枠を超えて、宇宙へと
イノチを広げていく

子どもたちの姿から見えるのは
自我を超え、宇宙とつながる、イノチの流れ
そこに、祈りのコトバはないけど
子どもたちのイノチを迎え入れ
宇宙の流れをシンクロさせていこうとする
宇宙の意思、祝福が見て取れる
だから
子どもたちの姿が、まぶしく見えるのだ

大人になれば
自分のイノチの流れ、イノチの思いを
宇宙に対し、祈り、伝えることで
宇宙とのつながりを求め
シンクロを求めるようになる
祈ることで、宇宙に、一石を投じるのだ

たとえ、祈りのコトバはなくても
イノチの流れは、おのずと
宇宙に、祈りの一石を投じる
人の姿がまぶしく、美しく見えるのは
イノチの流れが、宇宙に広がっていくのを
見て取れるからなのだ

その美しさこそ
新しい世界をひらく
イノチのパワーなのだ

多くの人たちの、イノチのパワーが
宇宙の流れを作り
そして、その諸行無常の
留まることのない流れの中で
多くの人たちのイノチの輝きが
それぞれにきらめく

新しいセカイ物語が、いよいよ、始まる


少食に続いて、簡素生活をスタートできそうだ

2014-01-16 | ひらがなにほんごで・たからさがし

少食をはじめて、一年と数ヶ月たった
食べる量を、もう少し減らせると思うけど
このままの現状を続けることにして
いよいよ、本命の、究極の簡素生活に
本腰を入れて取り組むチャンスが巡ってきそうだ

茶道や、武道と同じような美意識を目
指すことになるけど
この美意識は、日本独特のもので
しかも、世界の人に通じる
縄文から引き継がれてきたものだと思う

現在の日本は、この縄文の上に
インド、中国、そして欧米の影響が
かぶさっているんだけど
その一番下にある、縄文の美意識を
簡素生活のなかで
自分の体験として、味わってみたいんだ

小さな庵に住んで、イモや野菜を作り、ブログを書く
というのが、外見上の、簡素生活だけど
めざすは
自分の情緒、感情、思考を、清らかにすること
イノチの輝きを、そこに見つけること

いろいろなものを、捨てる
溜め込んだ本やメモ類も、捨てる
頭のなかの、いろいろの思いも、捨てる
そして
情緒、感情、思考の活動舞台として
空っぽの、ゼロになった、自由空間を与える

ゼロは、日本語では、レイ、という
レイは、霊(スピリット)と通じている
ゼロであり、スピリットである、自由空間
その空間で、情緒、感情、思考をめぐらす
というのが、ボクの目指す、簡素生活なのだ
そのなかで
縄文の、イノチの輝きに、触れることができれば
めでたし、めでたし、となる

そして、同時に
いろいろな人達のなかにある
祈りや、願いを感じ取って
ボクもいっしょになって、祈り、願いたい
という気持ちが、強い
自分の心を空っぽにすることで
いろいろな人達の祈り、願いと、ひとつになれる
そうして、ともに、新しい世界へ、進んでいける
そんな感じがして
自分の情緒、感情、思考を
この、祈り、願いで満たせれば
ほんとうにありがたいと思う

遠からず、宇宙との遭遇、宇宙への帰還が
始まるだろう
それまでのあいだ、簡素生活の中で
いろいろな人達の祈り、願いとひとつになって
ともに、宇宙を目指せれば、最高だよね

常に変動して、留まることがない、諸行無常
それが宇宙の姿だと思うけど
その諸行無常の宇宙では
過去も、未来も、むなしい
今現在の、イノチの輝き
そこにこそ、美が生じる

これが、茶道や、武道に流れている
縄文的な美意識なんだと思う
そして、この美意識を共有しながら
宇宙との遭遇、宇宙への帰還を
迎えるまでのあいだ、すごしたいと思うんだ
小さな庵に住んで、イモや野菜を作り、ブログを書く
そして、祈りや願いを、いろいろの人と共有しながら

いよいよ、それが始められそうで
本当に嬉しい
ボクが、どこか遠くへ行きたいと
思っていたのは、この事だったんだな


ひょっとして、やり過ぎシナリオが進行中か

2014-01-14 | ひらがなにほんごで・たからさがし

ハイパーインフレも、戦争と同じで
人為的に起こすものなんだろう
だけど、戦争を
どうしても起こせなかったように
ハイパーインフレを
起こすに起こせない、という事情も
生じるはずだ

安部総理が、オバマに
総額五十兆円を、十回に分けて
支払うことにしている、という話は
どんな動きにつながっているのか
そのうちに、わかってくると思う

五十兆円というカネも、単なる数字で
コンピュータに数字を打ち込むだけ
その権限を持っていれば、いいのだ
その権限をめぐる
世界全体の、大きな動きが
だんだんと、見えてくるだろう

だけど
単なる数字のカネは、何の意味もない
ということが、バレてしまえば
そんな権限の価値は、ゼロなんだ

単なる数字が、世界にばらまかれ
それが、日本企業の買収につかわれる
そして、企業は、日本人から離れる
日本人から離れた企業は、活力を失う
そして、外人が知るのは
企業を買収しても、意味が無い
日本人を、買収しなければダメだ

だけど、買収されカネでこきつかわれたら
日本人らしい活力は、発揮されない
そして、外人が知るのは
日本人を買収してもダメだ
日本人の心を買収しなければ

だけど、そんなことは、できないんだよね
結局、単なる数字のカネは
単なる、数字にすぎない
それ以上にはなれない

ということで
安部総理とオバマの五十兆円の話は
コンピュータに数字を打ち込む権限を
吹き飛ばし
さらに
オカネの価値をゼロに持っていき
世界を大変革させる
という、シナリオに従っているんだ
そんな感じがしてしまう

というのは、シリア空爆を防ぐため
オバマがどんな戦略を使ったか
やり過ぎを派手に演出することだった

だから、五十兆円の話も
こんなことを続けたら、元も子もないと
拝金主義者たちに、思い知らせる
やり過ぎの演出に
結果的にはなるんじゃないか

ボクの妄想を、さらに続けると
安部総理の、好戦姿勢も
ひょっとすると、やり過ぎ演出?
世の中の騒ぎを大きくすることで
日本人の目を覚ますことで
結果的に、戦争の目をつぶす

ということで、今日も
自分の実現させたいことを
妄想し、信じる
ということを
試しに、やってみているのだ

この目で現実を確認したら、信じられる
というのはウソで、本当は、逆で
信じたものが、目に見える現実となる
と言われる
これが正しいかどうか
おおいに妄想し、おおいに信じる
その結果の現実と、突き合わせる
そんなことを
試しに、やってみているのだ

半分くらいの、本気で始めるんだけど
100パーセント信じられるくらいの
妄想を練り上げることが
できるかどうか
それが、勝負のしどころなんだと思う


戦争は起こらない、そして地球劇場は、第二幕へ

2014-01-13 | ひらがなにほんごで・たからさがし

戦争は、起こらない、もう大丈夫
そんな気がして、すごく満足だ
満足、というのも、変な言い方だけど
戦争だけじゃなくて
世の中の、すべての動きが
ハッキリと、いい方向に動いている
ボクがあれこれ心配しなくても
もう大丈夫、本当にありがたい
そんな感じで、ボクの心は満ち足りて
満足、というコトバが
ぴったりなんだ

南京虐殺、従軍慰安婦の宣伝が
まったくのデマ、インチキなんだ
ということが、広く語られ始めたのも
うれしいことだ

日米中韓をつうじた支配勢力が
いままで、やりたい放題だった
その、やりたい放題の
一つ一つにハラが立つだけじゃなく
支配勢力がのさばっていること自体が
その悪意の醜さが
その悪意に迎合して
甘い汁を吸おうとする、人間の醜さが
ぼくの心を
たまらなく、乱し続けてきたんだ

それらが、すべて、消えてなくなる
すべてが、これからは、良くなる
そう思えることが、本当にありがたい
どんな心配とも、どんな怒りとも
もう、おさらばだ

ということで
地球劇場の、ここ数千年の
第一幕は終わり
そして、いよいよ、我々は
第二幕へと、進むのだ

人間の自由意志がひらく物語
それが、第二幕だ

その前に、みんな、ゆっくりと
今までの疲れを、解きほぐそう
お疲れさん
ほんとうに、お疲れさんでした
みんなで、ビールでも飲みに行こう

そうして、いままで無視されてきた
自分の自由意志を
ゆっくりと、取り戻す
そうして、新しい物語のイメージを
自分の中で、ふくらませる

自由意志とは
自分のイノチを輝かせ
DNAに書き込まれている本能を
開放してやることだ

DNAは、その時を待っている
人間の自由意志によって
オープンされる日を
待っているのだ

岩戸開きとは、ひょっとすると
自分の中にある
DNAの能力をひらくことなのか
とにかく
地球劇場の第二幕は
自由意志、イノチの輝き、DNAが
繰り広げる
愛と冒険の物語
そういうことに、しようではないか

そんな話を、いま、この時に
ビールでも飲みながら、話したいね

神のラッパを聞いて、情緒の出番を思う

2014-01-12 | ひらがなにほんごで・たからさがし


金管楽器とティンパニーを
最大限に鳴り響かせた
ブルックナーの交響曲八番を聞いて
その強烈な激しさを味わってくれと
ロケット氏が書いていた

この激しさは
神の激しさなんだろう
そして、人々はただただ恐れ、逃げ惑い
あるいは、神の前に、ひれ伏すばかり
そんな感じだ

だけど同時に、ボクはこれを聴きながら
神の激しさに接したときに出現する
人間の心の強さ、激しさを思った
そして、これからは
神に代わって、人間の出番なんだ
そんな気がした

神の激しさの前で
心は、かえって静まり
静かさの中に
人間の、強さ、激しさが出現する

こんなふうに思うのは
ボクが日本人だからかもしれない
ふつう、日本人はおとなしいと
言われるけど
けっしてそうじゃなく
神の激しさを見たあとでは
日本人の、静かな激しさが
表面に、出てくるんじゃないか

ふだんは
松尾芭蕉の旅姿、山伏の姿などとして
日本人的な激しさが、静かに現れる
そして、万葉集などの中では
人への恋や、天地自然への思いが
静かな激しさとして現れる

そして、その激しさは
必要なときには
ブルックナーの曲のような激しさに
人間として立ち向かう
強さとして、出現するはずだ

神風特攻隊とか、大地震のときなどの
日本人の静かな強さが
世界に驚異を与えたけど
これからは、そんな時だけじゃなく
ブルックナーの曲のような
神のラッパが激しく鳴り響いたあと
その激しさを、自分の激しさと共鳴させ
そして、静かに、心を落ち着け
新しいセカイ物語の創造に向かわせる
そうでなければならない
そうなるはずだ、と思う

人間の出番だ、と感じたのは
次のようなことだと思う

今までは、神の名で
セカイ物語を語ってきた
人間は、神に支配されるものだった
ラッパの音の激しさは
支配に甘んじ、居直り
支配のおこぼれに群がろうとする
人間の醜さへの怒りなのだ

本来の人間の美しさは
強く激しく、そして静かに
人を思い、天地自然を思う心にある
西郷隆盛の好んだ言葉
敬天愛人
この言葉に含まれる
強さ、激しさを
我がものとしようとする
人間の美しさこそ
これからの出番なのだ

日本人には
主体性がない
長いものに、すぐにまかれたがる
先を見通し現状を突破する気力もない
その他、いくらでも、悪口がある
それらは、弥生以降、特に明治以降
押し付けられ、洗脳された
うわべの姿だ
心の底に存在する
激しく、強いもの
その出番が来ているのだ

情緒、感情、思考
この三つを、静かに、激しく、強く
はたらかせる時だ
とくに、情緒は
我々の心を、宇宙へと広げ
それが逆に
我々の心の自立、主体性をうながし
人間としての、強さ、激しさを育てる
日本人の情緒とは、そういうものだ

ということで、あれこれ、冗長に
言葉を連ねてしまった
こんなことでは、ちっとも美しくない
松尾芭蕉の旅姿
山伏が山道を一人歩く姿を
イメージしながら
人間としての美しさを
静かに、思うのが、いいようだ


四苦八苦を抜けると、天才を楽しむセカイだった

2014-01-10 | ひらがなにほんごで・たからさがし

天才ピアニスト、辻井伸行
まだ二十代の、盲目の人だ
YouTubeで、たくさんの動画をみたけど
その内のひとつ
オーケストラ指揮者との、リハーサル
そこでの、彼の楽しそうな様子が
特別に素晴らしかった

楽しさに浸りきっている様子と
天才を、遺憾なく発揮している様子と
その二つが、いっしょになって
ボクも、それを見ていて
晴れ晴れと、気持ちが良かった

別の指揮者が言っていたけど
彼のピアノ演奏には、女神が付いている
ハッキリと、それを感じる
ということだった

神と通じる遺伝子があって
彼の場合、音楽の女神と通じる遺伝子が
スイッチ・オンになっているんだろう
いかにも楽しそうな様子は
女神の存在を思わせるに、充分だ

人類のDNA組み換えが、進行中らしい
若い人の中には、生まれながらに
新しいタイプのDNAを持っている人が
増えているらしい

いろいろな分野で、まずは若い人から
ビックリするような天才を発揮する人が
これから増えてくるのだろう
そう思うと、本当に愉快だ

今までは、四苦八苦が人生の常
なんて言って、誰もが、苦しみの人生を
送ってきたんだけど
これからは、神とつながって
天才を楽しむのが
すべての人の、人生になるんじゃないか
なんておもうと、本当に愉快だ

逆に、チャネリング記事では
今までの地球で
ビックリするほどの、苦しみの人生を
耐え忍んできたことこそ
宇宙の同胞たちからは
驚異と、賞賛の目で見られている
と言っている

こんなに、とんでもない苦しみを
体験してきたのは
宇宙ひろしといえども
この地球人類が、ダントツだという

宇宙のすべての世界では
神とつながった天才を発揮して
楽しい人生を送るのが、普通なら
あえて、この地球の困難に挑んで
苦しみと、悲しみのなかに
美しさを
なんとか表現しようとしてきた
我々地球人の姿は
たしかに、驚異と賞賛に
値するのかもしれない

そう思えば
悲しみの星、といわれるらしい
この地球での人生
ボク自身の、苦しみと悲しみの人生も
いとおしく感じることが、できそうだ

だけど、それも、終わりだ
これからは、ボクも
何らかの天才を発揮して
楽しくすごすことになるらしい
それには
自分の気分を切り替えることが必要と
口を酸っぱくして、チャネリング記事が
言っている

天才ピアニストの
楽しそうな、そして、驚異的な天才ぶりを
見ながら、ボクも、
楽しく、気持よく、気分を切り替える
時がきたのかもしれない

右脳、左脳、ハート、ハラを総動員して

2014-01-07 | ひらがなにほんごで・たからさがし

ネコって、本当に、猫背なんだよね
ネコを長いこと飼っていたので
日常的に見ていたはずなんだけど
あるとき
ネコって、本当に、猫背なんだなあと
突然、気がついて
ネコの姿をしげしげと眺め
お前、猫背だなあ
なんて言いながら
感動しちゃったことがある

感動などと、例によって
大げさな言い方だけど
でも、やっぱり、感動したんだ
感動の中身をズバリととらえて
俳句を読んだりするのは
こんな時なんだろうね

何かに感動する
感動の本質に気づく
その本質を味わい、受け入れる
それが、俳句や歌になる
そして、それが、生きる歓びに通じる
という具合に、うまく行けば
めでたし、めでたし、なんだよね

逆に言えば
俳句や歌を作る時みたいな感覚で
世界を見ることで
本質につながる、何かの発見
その本質を探り出し、受け入れる
という精神活動に、つながりそうだ

それは
本質をズバリと見抜く練習であり
本質を受け入れ、味わう練習なんだと
言っていいのだと思う

本質というのは
魂の世界とつながっているわけだから
俳句や歌をつくることは
本気でやれば
魂の世界と通じる行為なんだ

だから、この世はすべて幻想
なんていうことも
俳句や歌をつくる感覚になれば
すんなりと、当然のごとく
なんの不思議もなく
受け入れられるのじゃないか

俳句や歌みたいなものじゃダメだ
左脳で、科学的、論理的に
理解し納得しなきゃダメだ
なんて思ってると
いつまでたっても、古い常識から
抜けられず、悩んでしまう

科学的に、論理的に、左脳で
それ以外は、認めない
なんていうのは
王様は裸だ、と言わせないための
用意周到に張り巡らされた
詭弁、インチキ
大規模な洗脳なんだ

人間が物事を理解し納得するのは
左脳だけじゃなくて
右脳でも、ハートでも、ハラでも
やっている
ハラ、というのは日本人独特だけど
その重要性は、日本人は知っている

科学的、論理的と言っても
数学や、物理や、技術開発だって
右脳、ハート、ハラを
総動員してやってるんだ
むしろ、本当を言えば
左脳以外のほうが、優先されている
左脳だけの活動に
閉じ込めようとすれば
薄っぺらなものしかできないのは
だれでも知っている

ということで
右脳、左脳、ハート、ハラ
もっとあるかも知れないけど
それらを総動員することで
自然体で、すんなりと
新しいセカイ物語を始めたいよね
左脳だけでガチガチになって
苦しまずにね

情緒をやしなう、俳句じゃなくて、ブログの書き方を

2014-01-06 | ひらがなにほんごで・たからさがし


今のような
宇宙との遭遇、宇宙への帰還を
身近に感じるような
強烈な変化のときには
自分をシッカリ保って
情緒、感情、思考の三つを
バランスよく働かせて
自分がイキイキと活性化していることが
重要だと思うんだ

特に、情緒が、大切だと思う
今の時代、感情、思考ばかりが肥大して
ひどく不安定になってるんだよね

昔の人は、歌を読んだりすることで
情緒を味わったり、情緒を育てたり
していたのだと思う
今は、歌を詠むかわりに
ブログ書きが、皆のものになってるけど
やっぱり、感情、思考ばかりになって
情緒は、お呼びでないのが残念

情緒の能力を
取り戻したいわけだけど
練習が必要だよね
昔の人が、歌を読んだときのように
直感的なインスピレーションを
情緒として、感じ取り、言葉で表現する
そんな練習をしよう

というわけで
俳句、川柳、狂歌みたいなものを
趣味にできれば、なんて思うけど
どうも、一歩が踏み出せない
詩を書く、というのも、そうなんだ
なにか別に、方法がないものだろうか

そんなブログの書き方があれば
一番いいんだけど
どっかにあれば、真似してみたい
チャネル記事の中には
何か、ありそうな気もするし
なさそうな気もするし

ところで
情緒とは
もののあわれ、と言うか
人情、天地自然と、自分とを
ひとつに溶け合わせていくときの
広がりに対する
美的、精神的な、よろこびなんだと思う

そして、その広がりのなかに
さらに自分を埋め込んでいこうとする
積極的なものなんだと思う

同時に、情緒は
宇宙との遭遇、宇宙への帰還
という、強烈な変化を
自分のなかに、引き受けさせるんだけど
たとえば、俳句を詠んでいるうちに
ひとりでにそうなる、というような
リラックスしたものだと思う

なんて、言葉を連ねちゃったけど
情緒を言うなら、バシッと、一言で
決めなきゃダメなんだよね
松尾芭蕉の俳句みたいに
それが難しいから、困る

旅に出たり、瞑想、散歩、音楽
その他いろいろ、やるとしても、結局は
言葉で表現したい、というのが
ボクの、本能的な願い
そんな気がする

ということで
情緒、感情、思考を
バランスを良く働かせる
そんなブログの書き方が見つかると
いいんだけどなあ
というのが結論なのだ


宇宙との出会い、そして、情緒

2014-01-04 | ひらがなにほんごで・たからさがし


宇宙人との出会い、というような
強烈な変化を受け入れるときが
迫っているようだ

こんなときには
異質のものを受け入れ
同化し、調和し、平和共存してしまう
という能力が
決定的に重要だ

まさに、日本文明の出番なのだ
新しいものを受け入れ、消化し
調和と共存に持っていく
そんな経験と、能力は
世界が認めるように
日本文明がダントツのトップだ

しかし、それと同時に、この日本には
調和と共存ではなく、その反対に
外国の言い分ばかりをありがたがる
奴隷根性も、驚くほど、根を張っている

奴隷根性をもったままでは
とうてい、宇宙人との出会いに
耐えることはできない

宇宙人との出会いを、立派にやりこなし
そして、調和と共存をもたらすのは
独立自尊の人間なのだ

ということを、前置きにして
セカイ物語の、第一幕を、考えてみよう

今の流れで行くと
第一幕は、宇宙人との出会い、という線で
考えるのが、いいみたいだ

独立自尊の地球人類として
情緒、感情、思考を
どのように組み合わせ
宇宙人との出会いを迎えるか
ということが、テーマになるだろう

グーチョキパー理論で言えば
情緒は
受容、一体化、調和を担うのだけど
ある場面から
イノチの輝く、美しく、清らかな
波動を読み出し、その波動をひろげ
世界を包み込むことで
調和ある世界を生みだすことになる
これは、主体性がなければできない仕事だ

この情緒のはたらきこそ
日本文明の精髄だよね

宇宙人との出会いに臨むとき
この情緒と、思考、感情を
どのように、互いにサポートさせ
それぞれを働かせるかが
重要だろうけど
まずは、情緒のはたらきがなければ
話が始まらない

ということで
セカイ物語の作者たるボクも
情緒を働かせることを
身につけたくなってくる

やっぱり
松尾芭蕉の旅姿や
山伏の、ひとり山道を行く姿を
イメージしながら
宇宙へとひろがる情緒を
味わう練習をしたくなるなあ


セカイを創造する、グーチョキパー理論

2014-01-03 | ひらがなにほんごで・たからさがし


情緒が欠けたままでは
セカイ物語に乗り出せないと
おととい気がついた
だけど、情緒というのは
それに流されると、かなり危険だよね
今までの日本は、情緒の危険性、弱点を
嫌になるくらい
さらけ出してきたと思うんだ

その日暮らしで、見通しを持てない
自立心が弱く、空気に支配されっぱなし
などと、今まで
イヤになるほど語られてきた
これも、情緒に流れてしまう
弱点なんだろう

日本を支配しようとすれば
この弱点を、徹底して攻める
そして、この弱点を肥大化させ
そのなかに、日本人を閉じ込める
という、作戦を繰りひろげればよい
そして、日本人は
その作戦に、まんまと、ひっかかった
ということだったのじゃなかろうか

だけど、そんな物語は、もう終わりだ
新しい物語では、別の状況を設定しよう

そこで、思いついたのが
セカイ物語を創造する
グーチョキパー理論

情緒、感情、思考を
グーチョキパーの三つに例え
互いに協力させ
物語の進行係をさせるんだ
この三つの組み合わせの中で
日本人の情緒が
充分に、パワーを発揮する

じゃんけんの指の形と、強弱関係を
情緒、感情、思考にあてはめて
イメージしてみると、なかなか面白い

(感情、グー)
イノチのパワーをもたらす
(思考、チョキ)
道を切り開き、視野、見通しをもたらす
(情緒、パー)
周囲を包み込み、イノチの広がりをもたらす

この三つの、じゃんけん関係を
勝ち負けではなく
強い方から、弱い方に
パワーを与える、ということにする

たとえば、情緒について言えば

(情緒から、感情へ)
情緒から得られる(パー)
人情、天地自然を包み込み、一体化する
イノチのひろがりを
感情に充満する(グー)
イノチのパワーに
一体化させ、百万倍に増強する

(思考から、情緒へ)
思考によって得られる(チョキ)
道を切り開く、見通し
切り開かれ、スッキリとした開放感
自由な天地の広がりを
情緒に与え(パー)
情緒の視野のひろがりを、百万倍にする

などと考えてみると
情緒の弱点を補うのは
思考によって得られる
見通しと、開放感なのだ
ということになる

そして、思考について言えば
閉鎖的な思考に進むのか
開放的な思考に進むのか
というような、基本的な方向付け
そして、思考を進めるエネルギーを
感情のイノチのパワーから与えられる
ということになるだろう

というようなことで
情緒、感情、思考の三つを
互いに、どのように補い合わせるかが
セカイ物語を進めるうえで
肝腎なところだと思う

このグーチョキパー関係を
イメージしながら
この三つの組み合わせを
一人ひとりが実践することで
新しい世界を作ることに貢献する
それが、情緒を手札として持っている
日本人の役割なんだと思う

そして、さらに思うのは
古き良き、日本の遺伝子は
日本語に宿っているような気がする
セカイ物語も、まず、言葉ありき
言葉が、世界を作る
ということで、日本語で
情緒、感情、思考を
イキイキと、あますことなく、パワフルに
表現することが
セカイ物語を作っていく
実践活動のなかでも
もっとも重要な事なんだと思う

ネット記事などで
そんな日本語を読みたいものだ
ボクも、ムリしてもしょうがないので
ボチボチだけど、目標にはしている