ひらけゴマ・ひびけゴマ

ひらがなにほんごで、あたらしいせかいを、つくって、あそぶ

にんげんの やくわり

2014-05-31 | ひらがなにほんごで・たからさがし


(にんげんの やくわり)

あしゅたーるが 3じげん まいんどは
5じげんの ことは まったく りかい
できないと はっきりと きりすてて いる
この はっきりとした たいどが いい

おれの まいんどは 3じげんの なかで
3じげんを ひてい しながら
それに かわるものを
3じげんの やりかたで もとめようと
したために まどい くるしんできたんだ

かわい はやお の いう ちゅうくう
と つながって いるのかも しれない

まずは あしゅたーる みたいに
3じげんを きりすて すっきりした
たちばに たつのが いいのだろう

5じげんに ふさわしい まいんどを
あらたに つくりだす
ものを おもい かんがえようとする
まいんどを 5じげんに みちびく
それは にんげん としての はたらき
これからの にんげんの やるべきこと

あらい しんすけ が にほんじんの
そうぞうせい は きりすと いしき から
くるものだ と うえだ まこと から
おしえられた と いっている

この にほんじんの そうぞうせい に
これからは 5じげん まいんどを つくる
ことが おおいなる もくひょうに なる
のだろう

きりすと いしき が きほんだ とは
どういう ことか
きりすと いしきは じょうもん に
るーつ が つながって いたり して
せき てつお の いう
かみ と にんげん の やくわりを
ここ に つなげて みると おもしろい

3じげん まいんどを きりすてる
おもいきりの よさ
そして
あらたに 5じげん まいんどを つくる
にんげんの そうぞうせいが
にほんじんに もとめられて いるんだろう

じょうちょ かんじょう しこう
という にんげんの かつどうを
うまく くみあわせて 5じげんまいんどを
つくりだす
これが にほんじんの やくわり そして
ひらがなにほんご の でばん なんだ

じょうちょ かんじょう しこう の
かんけいを ぐー ちょき ぱー りろん
などと おもしろはんぶんに かんがえた
ことが あるけど
ぐー ちょき ぱー すなわち
しこう かんじょう じょうちょ
の みっつ が うまく くみあわさって
あらたな ものを うみだす

なんていうことを おもい ながら
この ものすごい せかいの へんかの
なかを たのしく やっていきたいものだ
にんげん として いまの このよに
いきている ことの おもしろさが
ここに あるんじゃないだろうか


知性をひろげるゲーム

2014-05-06 | ひらがなにほんごで・たからさがし


知性をひろげるゲーム

おおきな へんかが とうぜんの ごとくに
たんたんと すすんでいる
とうぜん すぎて だれもが さからえない
おおきな へんかだ

いまは あらたな せかい ものがたりを
だれもが おもい はじめる ときなのだ

にんげんの いしきは かわり
おおくの じょうほうが ながれだし
あらたな ものがたりを うみだそうとする
ながれは はじまっている

ものを おもい かんがえる
にんげんの ちせいが
あらたな せかい ものがたりを
おもい はじめる ときなのだ

いままで なれしたしんできた
かんがえの えんちょう の うえに
あらたな しはいの わくぐみを
さぐろうとする ひとたちも いるだろう
かれら なりの あらたな よそおいで
ふるい ものがたりを やきなおそうと
しているのだ

しかし それとは まったく べつの
せかい ものがたりに おもいを はせる
ことも できる

にんげんの ものをかんがえる ちせいが
どこまで ひろがりを もつのか
うちゅうの おおきな へんかの なかで
にんげんは どこまで ちせいを ひろげ
ちせいの ちからを のばしていくのか
これが しはいを こえる ものがたりを
もたらす われわれの げーむだ

げんきが でてきたぞ

2014-05-05 | ひらがなにほんごで・たからさがし



… げんきが でてきたぞ …

いままでの あくとくの ぶんめいは
それぞれの ひとの くるしみ かなしみ
そして ねがい いのり を
くいものと して ふとってきた

おおくの ひとを ぞんびに おいこむ
あくとくの ぶんめい だった

つぎつぎと この ぶんめいの てに おち
ぞんび のように なっていく
ひとびとの すがたを みせつけてきた

しかし それでも ひとりひとりの なかに
にんげんの たましいは いきのこっている

いきのこった にんげんの たましいは
この ぶんめいから みを まもるため
それぞれの くるしみ かなしみ
ねがい いのりを
こころの おくそこに しまいこんできた

そして いま ときが きた
いままでの あくとくの ぶんめいが
はっきりと くずれさりつつある

もちろん まだ うたがい おそれの
きもちを すてることは むずかしい
しかし ひそかに じゅんびを はじめる
ときだ

こころの おくそこに かくしてある
じぶんの たましい
じぶんの くるしみ かなしみ
ねがい いのりを
そっと とりだし ながめてみる ときだ

あくとくの ぶんめいが くずれさるとき
じぶんの こころの おくそこに
かくしてきた たからものは よみがえる

あくまの まほうが とけたとき
おひめさまが ふかい ねむりから
さめる ように

いま このとき われわれの やることは
たからものの うつくしい すがたを
わすれず
つねに おもい えがいて いること
そして
ついには よみがえり
おもてに でてくることを
ねがって いること

そして そのときが きたら じゅもんを
となえるといい

… ひらけごま ひびけごま

よみがえった たからものは
(よみがえった おひめさまは)
この じゅもんを となえることで
おもてに でてくる
そして せかいに ひかりが もどる
めでたし めでたし


ここで おもいだすのは
にほんの いわとびらきの おはなし
このほうが じゅもんを となえるだけの
はなしより おもしろく
げんきが でてきそうだ

じぶんたちの こころの おくふかくに
みを かくして しまった たからものに
でてきて もらう ために
そして ふたたび せかいを あかるく
てらして もらう ために
ひとびとは どうしていたか

・たからものが いきのびていることを
しっていたこと
・そして おもてに でてくることを
ねがっていたこと
・そして それを よびだすために
くらい なかでも げんきを だして
うたい おどり にぎやかに たのしく
していたこと
・そして ちからもちは ひらけかけた
とびらが もとに もどらないよう
それぞれに あしばを かためて いたこと

こんな はなしを おもいだすと
しぜんと げんきが でてくる

いわとびらきは にんげんの こころの
なかで これから ほんとうに
おこるのかもしれない

そして じぶんの なかに ほんとうの
たからものが いきのこっていることを
なによりも よろこびたくなる

じぶんだけじゃない すべてのひとの
こころの なかに いきのこっていて
それが しゅうごう いしきとなって
せかいを あかるく するはずだと おもう

(フリーの「はんなりフォント」を
使わさせて いただいています)


ざれうた

2014-05-04 | ひらがなにほんごで・たからさがし


ざれうた

かぜを たのしみ あめを たのしみ
なつの あつさには はだかになって
あせを ぬぐい
ふゆの さむさには こたつに じんどり
ちゃを すすり

ちきゅう じんるいの ぶんめいを おもい
うちゅう じんるいの ぶんめいを おもい
それぞれのひとの せかい ものがたりが
じゆうに かいほうされる みちを おもい

かぜとなった じぶんが てんしと かたる
すがたを おもい
あめとなった じぶんが だいちと かたる
すがたを おもう

そして あのよに たびだった じぶんが
うちゅうの かぜと なって
うちゅうに さわやかな ひびきを
もたらす すがたを おもう

そんな まいにちを めもがき しながら
ゆったりと すごしている
それが おれの のぞむ じんせい


(文字を画像にしたものは フリーの 「はんなり フォント」を 使わさせて いただいています)