ひらけゴマ・ひびけゴマ

ひらがなにほんごで、あたらしいせかいを、つくって、あそぶ

豊かで楽しい世界への道を見つけてくれないかなあ

2013-10-31 | ひらがなにほんごで・たからさがし
ぼくもそうだけど、人間の男というのは、狭い一本道しか見えないんだねえ。自分が走っている一本道を、前に行くか、後ろに下がるか、それしか見えてない。まるで一次元に住む動物だ。

ソビエト崩壊のとき、家庭菜園を始めたりと、テキパキ動いたのは女子供で、男たちは、特に教育を受けちゃった男たちは、まるで役立たずで、暗い顔をして、愚痴を言ってるばかりだったという。

人間の男は、みんなそうなんだ。いよいよダメだとなっても、今までのやり方しか、見えないし、思いつかない。前後だけじゃなくて、左右も、上下もあるのが三次元なのに、やっぱり、男は一次元動物だ。

洗脳によって、一次元に押し込められてる、という面が大きいとは思うけど、本質的に、男というのは、一本道を走るようにできているのだと思う。そしてだれが先頭を走るか、その反対に、だれが、もっとも気の利いた愚痴をいうか、なんていう世界に生きてるみたいだ。

しかし、男だって、その気になれば、左右にも、上下にも、別の道があることは、理解できる。そしていったん理解し、その気になれば、新しい方向に頑張って走りだせるのだ。

女子供(の愛)が、男をその気にさせ、走らせる、それが世界を救う …
… これが絶対の真実なんだよね。いまこそ、女子供の出番。男たちを新しい道へと乗り換えさせるときなんだよ。

だから、この際、女性の方々、お子様方にお願いしたいのは、自分たちにその力があることを、じつはちゃんと知っているのだから、いまこそ、十分に使ってほしいということ。

そして、さらにお願いしたいのは、これが肝腎なんだけど、右へ行こうとする男も、左に行こうとする男も、同時に愛してほしいということ。そうすることで、男たちに、前後、上下、どの道を進んでもいいのだと思わせてやっていただきたいのだ。

男が一つの方向にしか走れないとしても、それぞれが別の方向に走って、お互いに情報交換すれば、三次元の世界が出現するわけだからね。五次元だって同じで、皆がそれぞれの方向を走ることで、実現されるように思う。

結局、ぼくのいいたいのは、スピリチュアリズム、アセンションの方向に、もっとたくさんの男たちが走って欲しいという願いなんだよね。

例えば、次のような一文を読むと、強く、強く、そう願いたくなる。これも、典型的な男の作文じゃなかろうか。

もっと別の、豊かで楽しい世界へ進む道を見つけてくれないかなあ。

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最後にはっきり申し上げるが、電脳空間で情報発信を続けて来られた方々は閉鎖時期を検討すべきである。
これから皆様方には、アクセスを断ち、無知を偽装し、言語を慎み、沈黙に徹し、連帯を拒絶し、不信を貫き、大衆と同化し、地下に潜伏し、暗闇に息を潜め、乱反射する衝動を抑制しつつ、生存という課題のただ一点にエネルギーを照射して頂きたいのだ。
http://blog.ap.teacup.com/jiritu/3137.html?ap_protect=kbhnwxrkerc からの孫引き
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子どもの心で、陽気に

2013-10-30 | ひらがなにほんごで・たからさがし
「ハートの贈りもの」さんの記事「資金切れでいよいよ追い詰められた闇の勢力、11月にメガイベントを画策か」を読んで)


いよいよ人類開放の具体的動きが見えてきた。興奮する心をおさえ、腹を据える時。と言いたくなるけど、そんなことより、祝い酒でも飲んで、陽気にしていたほうがよさそうだ。

超少食の最初の日だけど、特別枠として、ケーキとコーヒーでお祝いをしたくなる。まあしかし、せっかく超少食を思い立ったんだから、コーヒーだけにしておこうか、なんて、つまらぬことを考えてる。

とにかく、陽気になっていたい。心配するようなことは何もない。歌でも歌えれば歌いたい、踊りができれば踊りたい。昔の日本人だったら、歌を詠んだんだろうなあ。

これからは、喜びが続く。ずっと続くのだ。仲間と共同で、何かを達成する喜び。科学、技術、哲学、芸術、冒険、その他あらゆる活動からくる喜び。

当面は、息もつけぬような、めまぐるしい変化に追われるだろう。誰にもすべて、2~3人のサポート役がついた、個別の支援プログラムが用意されているという。

基本は、眠っているDNAのスイッチを入れることなんだろう。すべてを知っていて、すべてを見通す能力を、どれだけ取り戻せるか。

今までの人類だって、子供のころは、その能力の片鱗は存在する。インディゴ・チルドレンなどと言われる子どもたちは、その能力がめざましいようだ。

誰もが子どものころに持っていた能力を取り戻し、さらに進めることになると思うけど、それは、子どものような柔軟な、のびやかな心を取り戻すことから始まるはずだ。そうすれば、DNAのスイッチが入りやすくなるのだと思う。

その予行練習のつもりで、今から、大いに陽気に過ごしているのがいい。四苦八苦の人生は、もう卒業したことだし、陽気一本槍でいいのじゃなかろうか。

やるべきことがあるとすれば、今まで身につけてきた理性、知性と、陽気であることとを、うまくつなげること。

例えば、福島の放射能汚染。これを大人の理性、知性で徹底的に考えたとき、不思議なこと、納得出来ないことが多すぎるはずだ。今まで教えられてきた理性、知性の範囲に留まって、そこで思考を停止したまま、いたずらに、限界付きの理性を振り回すことになっていないか。

今までに教えられたことから離れ、本当に柔軟になって、あらためて自分の理性、知性を徹底して推し進める必要がある。

そうすれば当然、スピリチュアリズムにも、アセンションにも考えが及ぶ。そして、陽気にしていることの大切さに思いが及ぶ。

たぶん、これが、我々一人一人に用意されているという、支援プログラムの重要テーマになっているはずだ。奥の深いテーマだ。ボクも大いに学びたいものだと、すごい楽しみなのだ。




少食、そして超少食

2013-10-29 | ひらがなにほんごで・たからさがし
少食、そして超少食をためしてみるのは面白そうだ。ちょうど去年の今頃から、ぼくの少食は始まっている。以前と比べると、腹八分から腹七分くらいが、一年続いてきた。べつに頑張って努力したわけではない。ふと思いついて、その気になったら、ごく自然にそうなってしまった。そしていま、もう一段と少食を進めてみたくなっている。食べ過ぎのような感じがして、もっと減らしたら気持ちがいいだろうと、最近、何度も思うのだ。

安保徹さんの、超小食を勧める本の抜書を読ませてもらった。老廃しふつうは排泄される腸管細胞を、マクロファージが人間が吸収できる栄養に変換してくれるという。さらに、腸内細菌の死骸なども、栄養に変えてくれるのだろうという。

面白そうだ。超小食への挑戦をはじめてみよう。腹が減って苦痛を感じるようだったら、もとに戻せばいい。コメと小麦で一合、味噌汁をたっぷり、ということで、味噌汁のカロリーを合わせ、一日コメに換算して一合半ほどがとりあえずの目処になるだろう。

こんなことをしながら、人類の異次元への移動で、すべては変わる、想像もできない巨大な変化だ、ということを、身近なところから少しずつ体験して、異次元への変化を受け入れる練習をしているのが、おもしろいと思う。

そして、別の人の記事だけど、体温が高い時と、空腹時は免疫力が高くなる、という記事が面白かった。
http://kenko-syoku-i.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-fb41.html

DNAが肉体となったヒトの動き

2013-10-29 | ひらがなにほんごで・たからさがし


米中は共倒れし、その後にロシアの三日天下
そして、最終的に日本の時代となる
という予言を、王仁三郎がしたという

その予言は、宇宙の意志を伝えているのだろう

拝金主義、覇権主義からの開放
暴力と残忍の、邪悪な精神からの開放

そして、邪気のない愛と冒険の世界へ
火のように燃える、イノチの活動の世界へ
縄文がよみがえったような世界

日本の時代とは、縄文世界の拡大再生
悟った人のような、芸術家のような、冒険家のような
そんな人たちの住む世界
そうにちがいない

それをどうやって引き寄せるのか
ヒトのDNAは、想像もつかぬほど驚異的だという
宇宙のイノチの活動すべてが、書き込まれているという
だからヒトは、何でもわかっている、知っている
無為自然になれば、無邪気になれば、DNAとつながる

悟った人のように、芸術家のように、冒険家のように
生きようと、思えば、願えば、DNAとつながる
火のように燃える、イノチの活動が胸のうちによみがえる
それが縄文世界、愛と冒険の物語の世界

努力は関係ない、正しくあろうとすることも関係ない
そうすれば、邪悪とも関係がなくなる

米中の共倒れ、ロシアの三日天下を経て、日本の時代へ
やっぱり、それが宇宙の意志なんだ
その意志を実現させるのが、DNAが肉体となったヒトの動き





冒険のスタートだ

2013-10-27 | ひらがなにほんごで・たからさがし
空海は金星人だと書いてある本があったけど、それもあり得るかもしれない、なんて、最近は平常心で思える。

以前はうぶだった。聖徳太子はペルシャから来た人だという研究書を読んだときも、まさかそんな、という思いで完全な消化不良を起こしていた。今から思えばなつかしい。

宇宙人の存在についても、いまは平常心で受け止められるようになったけど、まさか、という思いを乗り越えるには、ずいぶんと時間がかかった。

それには現実感覚の崩壊を受け入れなければならないから、と言えば大げさに聞こえるけど、それがどれだけ困難かを思えば、どんなに大げさに言っても、言い過ぎにはならないだろう。

だけど、じつをいえば、この現実感覚の崩壊は、宇宙人などの話とは関係なしに、始まっていた。それは、現実そのものが崩壊していることを、まざまざと見せつけられているから。

世界の現実がどれほどひどい姿を晒しているか、それに対する、ハートで感じる失望、怒りが、現実感覚を投げ捨てざるを得なくさせたんだろう。

世界の現実が崩壊していても、アタマのなかにある現実感覚は、最後まで崩壊しようとしない。残念ながら、洗脳されてるんだ。アタマは最後の最後まで、洗脳された現実感覚にしがみついてる。

だけど、ハートは分かってるので、ついにハートが出てきて、アタマがハマりこんでる現実感覚という幻想を打ち砕き、投げ捨てた、ということなんだと思う。

現実感覚という洗脳が解け始めれば、宇宙人の存在についても、拒否感、嫌悪感は軽くなる。

そして、このおぞましき現実を招いたのが、宇宙を股にかけて存在するレプティリアンによる、人類奴隷化の陰謀なのだ、という話も、ひとつの説明として、比較的冷静に受け止めることができるようになった。というのが、ぼくのたどってきた体験なんだ。

そして今や、人類開放、地球の再生に向け、宇宙全体が協力して着実に取り組んでいる、という話を、つい最近の世界の動き、太陽系や銀河系全体の変化を伝えるネット情報とあわせて、大きな期待をもって読むことができてる。

ということで、空海が金星から来た人だった、という話だって、アタマから否定しなくても心の平安は乱れないし、その反対に、今の地球にも、すばらしい働きかけがあるという話と重なって、喜ばしく受け止められる。

そして今思うのは、子どもの時から感じ続けてきた、こんなはずじゃない、こんな現実は本当じゃない、嘘に決まってる、という感覚のこと。そして、大人になってこの現実との関わりが強まるにつれて生じた徒労感のこと。

あらためて思うけど、本当にご苦労さんだった。疲れたよ。だけどそれももう終わる。新しい出発だ。

晴れ晴れとした気持ちで、思う存分、広い宇宙で冒険をスタートさせる時だ。


怒りから、任せることへ

2013-10-26 | ひらがなにほんごで・たからさがし
きのうの怒りの感情はこれだったかなと、思い当たることがある。夜中に、一瞬の短い夢を見たのだ。鮮明な、ハッキリと記憶に残る夢だった。

小学校3~4年くらいの男の子が、お家に帰りたい、宿題をしたい、とボクに訴えるのだ。ボクは申し訳ない気持ちで圧倒されながら、ただ男の子のそばに寄り、そっと、何度も頭を撫でてやることしかできない。

そんな夢だった。その申し訳ない気持ちが、怒りとなって出てきたのだろう。すべてを打ち破って、その子の願いを叶えなければならないのだ。目が覚めてから吹き上げてきた怒りは、すべてを打ち破る行動をうながすものだったのではないか。

お家に帰りたいとは、なんなのか。宿題をやりたいとは、なんなのか … 本来の自分の居場所に戻り、本来のやるべきことをやる … それに対して、今は一体何をやっているのか。どうすれば突破できるのか。

たしかに、安請け合いのできることではない。しかし、現在の自分のすべてを打ち捨て、打ち破り、ハッキリとここですべてを切り替える決意が必要なのだ。

… と思ったんだけど、どうも、方向がちがうようだ。

きのう読んだ、アイシャ・ノースのチャネリングメッセージで、次のようなことを言っている。大人となった自分が、たとえ、身につけた思考体系、多くのしがらみでがんじがらめになっていても、心のなかには、生まれたままの、純粋な自分 … 子ども心が存在する。その子ども心を、大人の自分とは別にして、解放することができる。この数日の変化で、地球を取り巻く波動が、子供心を自由にのびのびと働かせることを可能にしている、そして、子供心がまったく新しい状況を引き寄せ、それを大人の自分にもたらすことができる時がやってきている。

ということは、夢のなかに出てきた子どもを、オレと切り離して解放する時が来ている、ということになる。自分の中に大切に仕舞いこんでいた子供心を自立させる時。子供心の出番。

たしかに、そうなのだろう。じつは、夢のなかの子どもは、助けを求めていたのではなく、開放を求めていたのだ。

そしてさらに考えてみれば、自分のすべてを打ち破り突破しなければならない、という状況は、数日前に抜け出たんだ。肩に力を入れ、怒りや恐れの感情を秘めながら必死で頑張る、そんなときは終わった。なんと素晴らしいニュースではないか。

夢はそれを告げに来てくれたんだろう。ところが、自分の力で、自分を開放しなければならない、しかしその努力はまだまだ不十分、という思いがあったから、あとになって、怒りの感情が吹き出したんだ。 … 長いことご苦労さんでした。もういいよ、終わったんだよ。そういうことなんだ。

新しい世界に入ったのだ。本来の自分である、自分の中の子供心を信じて、任せる時。自分ですべての責任を引き受けようとせず、肩の力を抜くこと。それはすべての人の子供心を信じることに通じる。そして、地球の波動をそこまで高めるのに力を貸してくれている大いなる存在を信じることに通じる。そして、すべてが良くなる。誰もがハッピー、すべてがOK。


消えてしまった怒りを、取り戻そう

2013-10-25 | ひらがなにほんごで・たからさがし
このところの不摂生がたたったのだろう、今朝は起き抜けから気分が良くない。怒りの感情が身体の真ん中にドッカリと居座ってる感じだ。でも、これはいいことなんだという感じも、同時に強くあって、この怒りは、何かの限界を突破しようとする、前向きの衝動なんだという気がしていた。

だから、気分が悪いから沈み込むのではなく、逆に、怒りのエネルギーを思い切って開放したら、なにか面白いことが見えてくるかもしれない、なんて思いながら、そうなんだよ、縮こまってないで、エネルギーを思い切り解放すべきだ、オレはそうするぞ、なんてコーヒーを飲みながら気合を入れてたんだよね。

だけど、うまくいかないもので、そう思っているうちに、怒りのエネルギーがどこかへ行ってしまった。残るのは、重苦しい、体調不良の感じと、エネルギーの枯渇感ばかり。ふてくされて朝から昼寝をするしかない状態だった。

長い昼寝から起きてきて、音楽を聴き始めた。そうしたら、以前から気になっていたんだけど、スピーカーからの雑音がやけに気に障る。いままで我慢してきたけど、いよいよ買い換えるかと、価格コムのサイトを調べ、いろいろと品定めをして楽しんだ。こんなことをしていると、体調の悪いのも忘れてしまう。そして、ユーザーの書き込みを読んでいるうち、パソコンとスピーカーをつなぐケーブルが、雑音発生の原因になっていることが多いことを教えられた。そして、別の人の書き込みで、スピーカー側のボリュームをできるだけ絞り、パソコン側のボリュームはできるだけ大きくすると良いと言っているのを思いだした。なるほどそうなのかと、試してみたら、雑音が消えてしまった。いやーありがたい。ケーブルが問題だったんだ。というわけで、音楽が気分よく耳に入ってくる。うれしいねえ。

そして、さらに嬉しいことが。アイシャ・ノースのチャネル記事が、われわれの肉体的、精神的な状況について、じつに納得できる説明をしてくれている。クールで理性的であると同時に、ハートに響き、腹で納得できる説明を、短い言葉で言い尽くしてるんだね。こういう、すばらしいメッセージに接することができるなんて、すごいよね。こんなメッセージが届くようになっているんだから、いよいよ本物だ。すべてがうまくいく。誰もがハッピー。そんな世界は本当に始まるんだ。ありがたい。

というわけで、すっかり元気を取り戻した。だけど、朝の怒りの感情、消えてしまったけど、思い出したほうがよさそうだ。オレがハマり込んでいる限界を突破するために必要なんだ。お行儀よく縮こまっていたら突破できない限界。それを引きずり出して、投げ捨てる。いよいよその時が来てるんだ。消えてしまった怒りを取り戻そう。おもしろくなるぞ。

新たに、愛と冒険の物語の始まり

2013-10-24 | ひらがなにほんごで・たからさがし
最近は、発狂している人がドンドン増えてると、飯山さんが書いている。そんな見方からすれば、オレも発狂しちゃった一人に見えるだろうなあ、と思った。ちょっと気になる。そこで、以下のようなことを、とりあえず考えてみた。

… …

子ども向けの物語も、大人向けの物語も、すべては、愛と冒険がメインテーマなんだろう。

たとえ、諸行無常の響きありという、祇園精舎の鐘の声が鳴り響いていたって、愛と冒険のロマンを求めつづけるのが人情というものだ。(小説の永遠のベストセラー・テーマだよね)

愛と冒険には、当然、エゴの欲望がピッタリと張り付いている。子ども向けのおとぎ話だって、ちゃっかりとエゴの欲望が同居している。勇敢な若者は美しいお姫様と結婚して、幸せに暮らしました、めでたしめでたし、なんてね。

大人向けの物語になると、露骨に、エゴの欲望がむき出しになってくる。だけど、エゴがあまりにむき出しになると、ロマンが消えてしまうから、エゴとロマンのバランスの取り方が物語作者の工夫のしどころだったんだろう。

しかし今や現実世界は、エゴのむき出しがあまりにも露骨だ。物語も、もう成立しないくらいに、ロマンが死んじゃっている。これも暗黒の支配者による洗脳の結果なんだけど、いくらなんでもやりすぎだ。ロマンを求め続けるのが人情なんだから、ロマンを殺し、そして物語を殺しちゃったら、人情を敵に回す。これが暗黒の支配者の大失敗。ロマンの物語を求める人情を軽く見た傲慢さが命取り。洗脳に対する人類の大反乱が始まってしまったのだ。

そしていま、どうなっているか。今や完成の域を迎えたと言われるアセンション。エゴを肥大化させた洗脳の解除が進み、同時に、エゴの欲望が慎みを取り戻しつつある。 … これが、アセンションの肝腎なところなんだと思う。

洗脳とはなんだったのか。支配の枠組みに人間を閉じ込めること。今までの宗教や科学を支配の枠組みとして、それで説明していること、説明できること以外は、一切をタブーとすること。タブーを犯すものは、犯罪者、キチガイとして弾圧すること。

もう一つの枠組みは、恐怖感とエゴの肥大化。支配の中で生きていくためには、与えられた枠組みの中で、正しく、賢く振る舞わらなければ生き残れない、という恐怖感をあおりたてること。そして同時に、エゴの欲望をあおりたてること。

その結果が、ロマンと物語の死亡。そして現在に至って、人類の反乱。洗脳解除。 … すなわち、いままでの宗教、科学の支配の枠組みからの脱出が始まっているのだ。

残念ながら、今までの成功者であったり、オピニオンリーダーであったりする、努力して正しく賢く振る舞ってきた人たちは、脱出の必要性を感じれば感じるほど、逆に古い枠組みにしがみつき、反発を示すことが多い。その反発の声が、あちこちから聞こえる。しかし、そんな人達も、そのうちに自分のハートの声に従い、脱出を始めることになるだろう。

脱出するというのは、真実を、色眼鏡を外して、まっすぐに見ること。自分のハートの声に従って、右脳を働かせて、真実を見ようとすること。そして、エゴの欲望を抑えた、一人ひとりの愛と冒険が、新しい世界を作りだす。

縄文世界が、こんな世界だったのではないだろうか。一人ひとりが、自由に、のびのびと、イノチを楽しむ世界。トンネルを出たら雪国だったみたいに、洗脳を出たら、新しい縄文世界だった、ということになると思う。未来の話ではなくて、今、10パーセント洗脳を抜ければ、即座に、新世界に10パーセント足を入れることになる。80パーセント抜ければ、80パーセントの新世界に住むことになるのだろうと思う。

今までのような宗教はなくなるだろう。いままでのような科学は、全面改装オープン。愛と冒険の物語小説のたぐいは、さて、どうなるだろうか。

なんでもいいから、ご自由にどうぞ

2013-10-23 | ひらがなにほんごで・たからさがし
努力して、何かを学ぶのが、天才のやることではない
天才は、宇宙の叡智、データベースとつながっているから
すべてをわかっている、すべてを知っていることと同じ
だから、努力して学ぶのではなく、夢中で創造する

本当は、人間は誰もが天才、それが本来の人間の姿なのだ
古い世界が終わって、誰もが天才になるんだ
いままでは、特殊なケースにだけ、天才は発揮された
特殊なケースとは、何かの制限が外れた時
今までは、制限から逃れているのは、キチガイか天才
たしかに、キチガイと天才は紙一重なのだ
そして、悟りを得た人も、彼らの仲間だろう
創造的であるかどうか
世のため人のためになるかどうか
そんなものさしは、彼らは気にしない
本来の人間の姿になっているだけ

「狂いのすすめ」という本があったけど
天才のすすめ、悟りのすすめと言ってもいいのじゃないか
努力して学ぶ、なんていうことは、ぜんぜん必要ない
肝腎な点は、制限から抜け出ていること
制限から抜け出れば、風の吹くまま、気の向くまま
いっそ、風になってしまってもいい
それは、本来の人間になる、ということだね

それぞれの趣味によって、
キチガイでも、覚者でも、天才でも、なんでもいい
ご自由にどうぞ
でも、天才というのが、もっとも一般的な表現だろうなあ
夢中で、好きなことをすればいいのだ
宇宙はそれを見ていて
ちゃっかりと、データベースに加えてしまう
データベースを膨らますのが、楽しみらしい
まあそれも許してあげよう、ご自由にどうぞ

宇宙創造は美学だぁ

2013-10-22 | ひらがなにほんごで・たからさがし
温故知新じゃないんだ、書を捨て、しがらみを捨て
地上のものすべてを捨て、すべてをゼロにすることで
新しい宇宙を、自分の手で出現させるのだ

その覚悟があって、静かに座れば
無限の豊穣とつながり、パワーがみなぎる
そして、新しい宇宙が出現する

ゼロとなるいさぎよさが、
たくましく燃え上がる生命のエネルギーを生みだす
それが宇宙創造の美学、縄文世界の美学
温故知新というなら、縄文の美学までもどりたい

しかし、オレも修行が足らないなあ
美学だ、縄文だ、などと、コトバを並べ立てるのはダメだ
既存のコトバも捨てなくちゃ
そしてゼロから、自分の内部から、コトバを生み出す
それが、自分の宇宙を出現させる
… なんて、まだ書いている
… コトバを連ねないと不安なんだ
… 最後に一言だけ叫ぼう … 宇宙創造は美学だぁ

新たな世界を開く

2013-10-21 | ひらがなにほんごで・たからさがし
ここまでくれば、大丈夫、すべては、おのずと実現する
いまは、静かに座っているのがいい
そうして、すべてを生み出す宇宙の意識とつながるのがいい

いままでは、つながりは切られていたのだ
静かに座って、スイッチを入れよう
創造のエネルギーが自分の中で動きだし
古い世界を終わらせ
新しい世界を自分の周囲に作りだすだろう
だから、いまは、静かに座っているのがいい

すべてを与えてくれる宇宙の意識とつながり
喜びと開放のなかで、あらたな冒険と創造が始まる
真理を求め、芸術を求め、科学技術を求めて、
どんな冒険と創造を、一人ひとりが担うことになるのだろうか

それぞれの願いと学びが
宇宙の意識とのつながりの中で
おのずと実現されていくのだろう
そうして、喜びと開放の世界は現実化していくのだろう

原生林からのメッセージがあったのかな

2013-10-20 | ひらがなにほんごで・たからさがし


きのう、近くにある原生林を訪ねてきた。ほとんど20年ぶりだったけど、当時のたたずまいと変わることなく、周囲の清浄な空気とともに、原生林は深く静かに存在していた。

うっそうと茂る森のなかは、人の姿はなく静かだった。せせらぎの音だけが聞こえる。せせらぎに沿って生い茂る小さな木々の色とりどりの姿が、生命の輝く、明るい空間を作っている。

静かな賑やかさというのだろうか、まるで、木々の妖精と、せせらぎの妖精が無数に集まって、静かな賑やかさで軽やかに動きまわり遊んでいるようなイメージを一瞬受けた。

それにしても静かだ。せせらぎの音だけが聞こえる。アルファ波に満たされた空間がここにあるのだろう。静かな空間と、永遠の時間。あるいは、時間は消えてなくなっているのか。

なんて思っていたら、落ち着かなくなってきた。こんな空間と時間には、慣れていないのだ。もっと手順を踏まないと、うまく入っていけないのだろう。心残りではあるけど、ほんの短時間いただけで、背中を向け元の道を引き返した。

また来よう。いつ来ても受け入れてくれるだろう。永遠に存在する空間と時間がここにあるのだ。たとえ世界が崩壊しても、うわべが崩壊するだけなんだ。奥にある本質的なものは、いつでも存在し、だれをも受け入れてくれるはずだ、なんて思いながら。

しかし考えてみれば、原生林だけではないと思う。人間の心、人間の魂、霊的存在としての人間も、原生林と同じように、素晴らしい永遠の時間空間とつながっているのだと思う。

森のなかの多様な生命が、常に変転を続けているのは、人間世界の諸行無常と同じなのだ。そして、無数の妖精が森のなかで活動しているのと同じように、人間の霊性の中でも、美しき輝きが無数の妖精のように活動しているのだ。

人間の中の妖精の輝きも、諸行無常の動きのなかにちょっとずつ顔を出してくる。その輝きを見つけることが、森の妖精を見つけたときと同様の、永遠の空間、時間を感じ取る喜びを与えてくれるのではないだろうか。

ということで、これからは、諸行無常を、苦しみとして捉えるのではなく、光り輝く妖精が動き回る舞台なのだと思うことにするのがいいだろう。

… 今ふと気がついたけど、森の静けさの中で落ち着かなさを感じたのは、人間の心を離れて、森のことだけを思っちゃダメだよ、自分の内面を大切に、というメッセージを森が与えてくれたからなのかもしれない。









森に行く。門前の小僧のつもりになって。

2013-10-18 | ひらがなにほんごで・たからさがし
あした、雨がふらなければ、近くにある原生林とそこを流れる小川を訪ねることにした。周辺は人工的な手が入り、管理が進んでいるような気がする。しかし、たとえそうでも、森と川の生命力は、地球の五次元への上昇に合わせ、本来の勢いを盛り返しているのじゃないかと、期待をしている。

問題は、ぼくの方が、自然の生命力の復活を感じ取る能力があるかどうかだ。これはかなりあやしい。しかしその能力もだんだんと復活してくるだろう。それを期待して、なんでも楽観的、前向きになって、とにかく行動するのがいいだろう。というわけで、近くの森と川を訪ねてみようと思うわけなんだ。

つぎの様なことを考えるからなのだ。

今までの地上世界が、どれほどの悲惨な、暗黒の世界であったかが、次々と知らされ始めている。通常の人間の神経では、とても信じられないし、とても耐えられないような話しだ。だけど、こんな話が、だんだんと真実味を増してきている。これには本当に参る。ものすごいストレスだ。こんな暗黒の世界を一刻も早く終わらせ、新しい世界を誕生させなければならないと、誰しも思うはずだ。

幸いなことに、多くの人たちが真実を知って、意識と行動を変え始めている。ネットを通じて、その流れは広がり、大きくなる一方だ。一人ひとりの心のなかに眠っていた、宇宙の真理とつながる叡智が復活してきているのにちがいない。この復活こそが、暗黒を終わらせ、新しい世界を開くのだと思う。

一人ひとりの中にある叡智を復活させるスイッチが入ったのだ。百匹のサル現象で、今や人類全体の集合意識にスイッチが入ったと言っていいのだろう。 … そしてさらに、人類だけではなく、地球上のあらゆる生命が一体となった集合意識にもスイッチが入って、地球全体、更に大きくいえば、宇宙全体としての集合意識が、地球復活に向けて、叡智を結集し始めている、 … そう思うことにしよう。

というわけで、スイッチは入ったので、宇宙の叡智とつながろうと思えば、つながるのだ。森にいけば、森を通じて宇宙の叡智とつながる。川にいけば、川を通じて宇宙の叡智とつながる。 … そのはずだよね。だから森に行ってみようと思うわけなのだ。

馬に念仏という例えもあるけど、門前の小僧習わぬ経を読む、という話もあるから、こちらを採用して、スイッチが入って叡智が聞こえるのだから、そのうち、叡智はちゃんと使えるようになる、 … と思うことに決めたんだ。


誰もが、新しい意識に溶け込んでいく

2013-10-17 | ひらがなにほんごで・たからさがし
飯山さんが、宇宙船団ハマッキーに期待し感謝する人たちを茶化しながら、自分のイノチを救うのは、自分自身が具体的行動をすることだけ、それしかないと繰り返している。既存社会の仕組みの中でのし上がった人らしく、宇宙の真実そして霊的真実への意識の脱皮ということがまったく念頭に無いようだ。あるいは、脱皮せざるをえないことを感じ取って不安を覚え、ムキになって否定しようとしているようにも見える。残念なことだ。本人も、苦しみが増すばかりだろう。

他人を説得することはできないし、そうすべきでもないのだから、オレはオレで自分自身の学びと心の平安を追求していくしかない。それが集合意識となって、少しずつ、古い意識にしがみついている人たちの心を暖めていくのを待つのみだ。

たとえ受け入れようとしない人たちでも、宇宙の真実、霊的真実が、気になって仕方なくなってくる。決して無視はできないような方向に、世界が急速に動いているのは確かだ。だから、気になって仕方がない人たちが、霊的真実に関心を示し始めるときが来る。その時に、オレ自身が学び身につけたことが、その人にとって役に立つのだ。その人はオレの身につけた波動を感じ取り、オレのすべてを一瞬にして知るだろう。その時に備えて、オレは修業を続けなければならないのだよ。

修行と言っても、楽しみを通じての修行だ。すべてがうまくいき、誰もがハッピー、そんな世界をイメージしながら、自分の心が喜び楽しむことをつづけることなのだ。そうしていれば、インスピレーションがドンドンやってきて、宇宙の真実、霊的真実は、ひとりでにわかり、だんだんと身についてくる。誰もがみんなそうなる、というのが、数多くのチャネル情報がくりかえし強調していることなんだ。いま現在、頑固に、古い意識にしがみつこうとしている人も、ある時に気がついて、宇宙の真実、霊的真実が受け入れられるようになるのだ。

魔法と戦う冒険が始まる

2013-10-17 | ひらがなにほんごで・たからさがし
冒険とは、たとえば
お城の奥深くに、閉じ込められ封印されている
お姫様を救い出すこと

無残にも、何者かによって、閉じ込められた
神聖で、美しく、熱き血潮を持つお姫様が
救い出されるのを、ずっと待っている

そしてある時、姫を救い出す、魔法と戦う冒険が始まる

… 昔からの、どこにもありそうな、物語

… …

子どもの時から、ずっといままで、
自分の中で、何かが苦しみの声をあげているような、
暗黒世界からの脱出口を、必死に求めているような、
かすかだけど力強い感覚が、つねに存在していたのではないか
そうだったのだろうなあと、今になって、わかった

そうだったのか、
青年期からのオレの盲滅法の突進は、今にして思えば
暗黒世界からの脱出口を作ろうとする、あがきだったのだ
多くの仲間が、どこかに存在することを期待しながらの、
そのつど跳ね返されながらの、猪突猛進

そしていま、あらたな学びを得た
三次元地球世界の、恐るべき暗黒の成り立ち、
そこに生きる人類の、恐るべき立場

そしていま、ハッキリとわかった
この世は魔法にかかっているのだということ
この魔法を解消するには
城の奥深くに、閉じ込められ封印されている
姫を救い出すことが必要なこと

姫の神聖で美しい生命力が、世界に希望をもたらす
そして、暗黒世界は終わり、新しい光の世界が始まるのだ
いまこそ、姫を救い出す冒険に乗り出さなければならない

ありがたいことに、神聖なる力が、強烈な光を注ぎはじめた
おかげで、この世を暗黒にしていた魔法の本体は
すでに退散したという
しかし、われわれの心は、まだ魔法にかかったままだ
かけられたままの魔法をなんとか自分の手で打ち破り
冒険に出なければならない

魔法の力は強力だ
恐怖感で、生命力を吸い取られ、身動きできなくなる
しかし、姫の神聖で美しい姿を心に思いつづけることで
恐怖に対抗できる
心にその姿を思えば、魔力は退散し、気力が満ちてくる
そうすれば、今こそ、日ごろ鍛えた理性の力が役にたつ
姫を思いつづけることと、理性の力を頼りに、
恐怖に打ち勝ち、冒険に出るのだ

… というような感じだけど、たぶんこんなことなんだと思う。
(魔法の存在が見えてきたいま、魔力は消え去るしかない。だけど、しばらくのあいだは、自分のなかに埋め込まれた魔法との戦いは、続くのだと思う)