つれづれなるままに弁護士(ネクスト法律事務所)

それは、普段なかなか聞けない、弁護士の本音の独り言

多摩市

2019-11-10 00:06:00 | 晴れた日は仕事を休んで
第36回は多摩市。

行ってきたのはここ↓


この写真だけでどこだか分かる人はかなりの多摩通か演劇通ですな。

ここは京王多摩センター駅前にある多摩市の複合文化施設、パルテノン多摩。
正面に見える建物がギリシャのパルテノン神殿を彷彿(ほうふつ)とさせることから名付けられたという。




今から31年前。
ちょこっと小劇場演劇界に足を突っ込んでいた頃。
当時、一緒に暮らしてた彼女(もまた、小劇場の劇団の女優だった)と、ここの野外特設劇場に芝居観に来たなぁ。
たしか夢の遊民社の「彗星の使者(すいせいのジークフリート)」だったか。

当時、野田秀樹さん率いる夢の遊民社は小劇場界の雄として飛ぶ鳥落とす勢いだった。
ただ、彼女と観た「彗星の使者」はあんまり面白くなかった(うわ、野田秀樹さん、すいません)。
目の前の芝居より、遠くの方で上がっている打ち上げ花火に見入っていた。
夢の遊民社の芝居は芸術性は高いんだろうけど、何が言いたいのか凡人の私にはよく分からなかった。

でも、世はバブル景気の真っ只中で、
「オレたち凡人には理解できないけど、その理解できないとこがゲージュツなんだよ」
の一言で人や金が簡単に動いてた時代だった。

世の中にはアブク銭が溢(あふ)れてて、猫も杓子(しゃくし)も持ってる金を株か不動産につぎ込んでた。
銀座のクラブのねーちゃんが株買って、お客さんとハワイ行って帰って来たら資産が倍に増えてたとか、タクシー会社の「表の」電話番号に電話してもいつも話し中で通じないから、確実にタクシーを呼べる「裏電話番号」が1件3万円で売り買いされてるとか、六本木のディスコ(古っ!)の年間VIP会員権が1000万円だとか、景気がいいというより、ノータリンでバカみたいな話が街中に溢れてた。

それからわずか2年後。
バブルがはじけて、まず株が紙屑になった。1990年10月1日のことだ。
暫くすると不動産も暴落しだした。地価が下げ止ったのは2005年。下落率は87%。1億円で買った土地が1300万円になった計算だ。
バブルの崩壊で1400兆円の資産が日本から消えたと言われてる。

けれど1988年当時はほとんどの日本人がこの意味不明な景気が永遠に続くと本気で信じてた。
「フリーター」なんて言葉が流行り始めて、「金のために仕事の奴隷になるんじゃなくて、やりたいことをやろう。生きたいように生きよう」みたいな風潮に若者たちが踊ってた。

結局、浮かれた世の中に踊らされることなく、自分のやりたいことに向かってコツコツと努力を続けた一部の人間以外の、「生きたいように生きる」とか「自分探しの旅に出る」とか訳の分からない呪文を唱えて現実逃避を続けていた奴らは10年後、20年後に強烈なしっぺ返しとツケを払うことになった。

どんなにマスコミが煽(あお)ろうと、どんなに証券会社や不動産屋が夢物語を語ろうと、
楽して一生生きていけるユートピアなんてあるわけない
という至極当たり前のことを、日本中が忘れていた。

あの日、夏の夜の蒸し暑さにうだりながら私が彼女と「彗星の使者」を観た野外特設会場も今は閑散としたただの広場だ。


パルテノン多摩がバブルの象徴だとは言わないけど、祭りの後の風景はたいていこんなもんだ。

ちなみにパルテノン多摩は多摩中央公園の中にある。


人間が浮かれようと沈もうと、景気が良かろうと悪かろうと、季節は巡り、雲は流れる。

あれから30年。
なんだか世界はまた悪い夢を見始めてるような気がする。
不動産価格が騰がり、確たる理由もないのに株価は高値を更新し続けてる。飴玉一つ買えない仮想通貨に100万の値がついて取引される。

登り続けて降りてこないこと。それを遭難という。

みんな今度こそ、遭難しないでおうちに帰ろうね。





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