【嘉門にて】
O氏の代理人弁護士のKさんに対する反対尋問の結果はもはや書くまでもないだろう。
嘘で塗り固めた主張を暴かれ、傍目にも哀れなほど動揺し、禁止されている誘導尋問をKさんに対して繰り返し、そのたびに私から異議を出され、遂に、
「私だって、先ほどの先生の尋問には異議を出そうと思っていたのに我慢したんだ! そんなに異議ばかり出さないでもらいたい!」
と意味不明の逆切れをするという醜態まで演じてくれた。
仰るとおり。
私のKさんに対する主尋問は原則として禁止されている誘導尋問の山だった。
で? それが何か?
卑しくも弁護士として依頼者の全利益を背負って法廷に立っているなら、必要な異議はその場で間髪入れずに出すべきだ。たとえ、相手の弁護士に嫌がられようと、裁判官に呆れられようと、だ。
顔面を蒼白にして、口をぽかんと開けて、次々に暴かれる自分たちの嘘に動揺しているうちに異議すら出し損ねたあなたが、
「自分も異議を出すのを我慢したんだから、お前も少しは遠慮しろ。」
とは。
どの口が言うんだ?
当事者尋問を終え、親父の行きつけの居酒屋「嘉文」で、親父とKさんと私の3人で祝杯をあげた。
Kさんの慰労会である。
この日の親父の日記には、
「利文の裁判を傍聴。終わった後、嘉文で飲む」
とだけある。
この日の親父は上機嫌でよく喋った。
「ワシは裁判のことはよお分らんが、Kさんのことはよお分かったわ。
失礼やが、あんたはどう見ても大それた悪さのできる人じゃないわ。
わっはっはっ。」
と名古屋弁でKさんを励ましていた。
親父。それ、あんまりフォローになってない。
この日から親父もKさんのことが大好きになった。
その後、私の知らないうちに、沖縄にKさんを訪ねて行ったりしていたらしい。しかも女性連れで。
後日、Kさんが「先生。お父様が女性の方とウチの実家を訪ねて来てくれました」と私に密告してきたことにより発覚した。
さすがに俺の血を引いてるだけあって、老いてなお盛んだな、親父。
こうして、Kさんの家族と私の家族は、親子孫3代の家族ぐるみの付き合いになった。
「嘉文」を出て親父と別れ、私とKさんは2次会に繰り出した。
今夜はKさんは私の名古屋の常宿であるリッチモンドホテル名古屋納谷橋に私と二人で泊まり、明日の朝、沖縄に帰る。
ホテル近くの繁華街で、「南風原」(はえばる)という名のスナックを見つけた。
「南風原」は沖縄の地名だ。しかも、Kさんのご両親が住んでおられるご実家がある土地だ。
おお!! これは幸先がいい。Kさん、この店にしよう!
私が店のドアを開けると、かなり年季の入ったママ(と呼ぶのも憚(はばか)られるようなご老婦)がカウンターの中に一人。他に女の子はおらず、客もいない。
立ち尽くすKさんと私。
おお!? これは幸先が・・・
大丈夫だ、Kさん。
たとえ、横に座って水割りを作ってくれる若い女の子がいなくても、今日の法廷でも、今も、いつだって私はKさんの横にいるじゃないか。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
【和解決裂】
当事者尋問が終わって1か月後。
裁判所から打診された和解案を受け入れるかどうか、あるいは別の和解条件について話し合う和解期日。
今回、私は電話会議ではなく裁判所に出頭した。
交通費が痛いけれど、電話では裁判官や相手方の微妙なニュアンスが伝わってこないし、こちらの気持ちも伝えにくいのでやむを得ない。Kさんにも了解してもらった。
裁判所が提示した和解案は、
「原告O氏は、被告Kさんに対するすべての請求とKさんの自宅に対する仮差押えを取り下げる」
という内容。
当然だ。
しかし、O氏側はこの裁判所の和解案を拒否。
私からは、
「裁判所からご提示頂いた和解案では足りない。
今回のKさんに対する訴訟は、訴権の濫用(※憲法で認められている『裁判を受ける権利』を濫用してKさんの財産を掠(かす)め取ろうとした、ということ)ともいえる悪質な事案だ。
Kさんに対する請求の全面放棄と自宅の仮差押え取り下げに加えて、
少なくともKさんが私に払った、あるいは今後払わなければならない弁護士費用も全額O氏が負担する
という内容なら和解に応じてもよい。」
と回答。
冗談ではなく本気だった。
どうせ和解交渉が決裂して判決に進んでも、もはやKさんが負ける確率は0だ。
そうであるなら、Kさんの代理人であり友達でもある私がやるべきことは、判決以上の和解を勝ち取ってあげることだけだ。
この私の提案にO氏の代理人弁護士がブチ切れる。
「ふざけとったらあかんて! Oさんは5000万円以上も騙し取られとるんだわ!
その上、弁護士費用を何百万も払えって、ほんなたわけた和解案があるか!」(名古屋弁)
先生、法律家にあるまじき言葉遣いですな。
いや、名古屋弁が、というんじゃなくて。
というわけで、和解交渉は無事、決裂した。
判決の言い渡し期日は3週間後の3月31日である。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
【判決】
平成21年3月31日。
判決言い渡しの日。
私はもう、裁判所には出頭しなかった。
そもそも民事裁判では当事者双方が裁判所に出頭しなくても判決の言い渡しはできることになっている。
出頭はしなかったが、その日の夕方、裁判所の担当書記官に電話をして、判決主文(「原告の請求を棄却する」とか「被告は原告に5124万5960円を支払え」という部分)だけを教えてもらった。
私が自宅に帰ったのは夜7時過ぎだった。
缶ビールを持って少しまだ肌寒い南向きのベランダに出て、携帯でKさんに電話した。
ガラケーの向こう、遠く那覇でもKさんが私に指示されて缶ビール(※そりゃあ、やっぱりオリオンビール)を持って待っていた。
「おめでとう、Kさん。全面勝訴だったね。」
東京と那覇とで、乾杯した。
これで話はおしまいである。
いや、正確には、O氏との裁判はまだまだ終わらなかった。
O氏が判決を不服として控訴してきたからだ。
控訴審の判決は翌年、平成22年1月20日。
控訴審でも圧勝した。
控訴審で敗れたO氏は更に上告受理の申し立てをしてきた。
申立ては当然、却下。
更にその後、O氏は、
「Kさんが社長を務めていたWTK社は、T社長の詐欺行為に『WTK社の会議室を提供する』という方法で協力していた。
そのWTK社の社長を務めていたKさんには責任がある。
だからKさんはO氏に5124万5960円払え」
と言い出し、今度は那覇地方裁判所に訴訟を起こした。
この裁判でも(Kさんと私は)圧勝。
O氏は名古屋で起こした裁判と同じく、控訴し、上告受理の申し立てまでしたが、福岡高裁那覇支部も最高裁もO氏の主張を認めなかった。
私の「裁判無敗記録」と、Kさんとの友情は今もまだ継続中である。
Kさんの心をこじ開け、私とKさんの父上を動かしてくれたKNちゃんは、その後、琉球大学に進み、今は結婚してご主人と関東の某県に住んでいる。
彼女は今年11月には母になる。
もし、あの時、KNちゃんがメールを私に送ってくれなかったら。
もし、あの時、私がKNちゃんのメールを読んでも動かなかったら。
もし、あの時、KさんやKさんの父上がKNちゃんの心に寄り添わなかったら。
もし、あの時、JALがKさんの搭乗記録を社内ルールどおり廃棄してしまっていたら。
そして。
もし、あの時、Kさんの裁判を担当した裁判官たちのたった一人でも、いい加減な審理をしていたら。
たくさんの偶然と、いくつかの僥倖(ぎょうこう)と、そして、KNちゃんの勇気は、11月に生まれてくるKNちゃんの子どもにつながっていく。
「私たちは星を動かすようなもんだ
星なんて宇宙の中で決められた場所で光ってんだろう
人の一生だってそうさ・・・ちゃんと運命にしたがって
生まれて死んでいくんだ
もし人の命を救ってその人の人生をかえたなら
もしかしたら歴史だって変わるかもしれないだろう?」
とブラック・ジャックは言った。
医者ほどではないけれど、われわれ弁護士もそうだ。
誰かと関わることで、誰かと一生懸命関わることで、その人の人生を少しだけいい方向に変えてあげられるかもしれない。
法教育授業の一環で中学校や高校に伺うと、しばしば、生徒から、
「弁護士になって良かったと思う事件はありましたか?」
と質問を受ける。
もちろん、あるよ。
次が待ち遠しくてたまりません!!
本日、マッサージ行こうとしたら予約でいっぱいでした(泣)
LINE検索したところ登録されていないか検索できませんと表示されました。(涙)