生前からお袋は、「自分が死んだら通夜も葬式もしなくていい。戒名もいらない。ただ大好きだった三河湾に散骨してくれ。」と言っていた。
なので、お袋が他界してかれこれ2ヶ月が経つが、いまだに通夜も葬式もしていない。今後もそのような予定はない。
戒名もないし、お墓も用意していない。
献体提供したお袋の遺体が遺骨となって戻ってくるのを待っているのみである。
お袋の訃報を聞きつけた何人かの方からは、こちらが恐縮してしまうくらい丁寧なお悔やみのお言葉と香典を頂いた。
香典については生前のお袋の意向を説明し、「通夜も葬儀もやらないのでお気持ちだけでけっこうです。」とお断りしていたのだが、それでも、「それはそれとして」(どれがどれ?)と、わざわざ香典を事務所に届けてくださったり、私の自宅宛に郵送してくださったりした方が何人かいらっしゃった。心苦しい限りである。
香典を頂いた以上、香典返しをお渡しするのが日本人としての礼節なのであろうが、適当にハンカチとかお香とか当たり障りのない品物をお渡しして、(通夜も葬儀も戒名も墓もない分)余ったお金を自分の懐に入れて良しとするのは私の矜持(きょうじ)に悖(もと)る。そもそもお袋の意向を知って、なお、香典をくださった方々は「香典返しは何かなぁ。」などとしみったれたことなど毛ほども考えまい。
ふむふむ。そんならいっそ、全額私の懐に・・・
いやいや、さすがにそれは仏罰必定。仏式の葬儀をしていないんだから天罰か神罰か。いずれにしろ罰を怖れる少年のように純真無垢な私だ(「へなちょこ」とも言う。)。
というわけで。
頂いた香典(+K女史が集めてくれた100円玉の山)は全額、ダルニー基金に奨学金として寄付させて頂くことと致しました。
「ダルニー基金」の意味が分からない方は、このブログの過去の記事を参照されたい。
ちなみに、このブログの記事をきっかけに井上仁さん(←実名でコメントを付けてくださっているので、ここでお名前を出しても問題あるまい。「10Antsの会」中部支部総長、落語鑑賞部会副部会長、映画鑑賞部会書記長でもある。いずれも今、任命。)をはじめ何人かの方がダルニー基金を通じて東南アジアのこどもたちに奨学金を送ってくださっている。なんとお礼を申し上げたらいいのか言葉が見つからない。
今回の奨学金の対象はミャンマーとカンボジアとタイの子どもたちだ。奨学金はいずれも中学3年間(ミャンマーは4年間)の彼(彼女)の学費に充てられることになる。
タイとミャンマーは7月頃、カンボジアは12月頃に、それぞれ奨学金を受け取ってくれている子どもの写真が私のもとに送られてくる。彼(彼女)らが中学を卒業するまで毎年、写真が届く。
送られてきた写真はカラーコピーして香典を頂いた方々に必ずお送りいたしまする故、今暫くの御猶予を賜りたい。これが私の香典返しである。
お袋は死して自らの体を献体として提供した。そのお袋のために頂いた香典もまた、お袋や私以外の誰かのために全額使い切るのが筋であろう。
みなさんのおかげで、ミャンマーとカンボジアとタイの子どもたちが、学費を心配することなく中学に入学できる。勉強し、友達を作り、笑い、ケンカして、世界を広げ、少しだけ大人になって、卒業できる。
不遇な小学校時代の自分を支えてくれた友人を私が忘れないように、彼(彼女)たちも一生、そのことを忘れないだろう。
ミャンマーとカンボジアとタイの子どもたちに代わって、香典という形で奨学金の原資を私に託してくださった全ての方にお礼を申し上げる。
ありがとうございました。
PS(私的伝言板):
K女史。100円玉集めてくれてサンクス!! 今度忘れずに持ってきてくれい!