つれづれなるままに弁護士(ネクスト法律事務所)

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摂ちゃんのこと(13)

2018-06-05 15:44:46 | 摂子の乳がん

結局、摂ちゃんの腸管穿孔の原因はよくわからなかった。

少なからずがんがその原因だったのかもしれないし、がんとは全然別の何かだったのかもしれない。

生前、親父が住んでいた私の実家は既に手放してしまっているので摂ちゃんの身体を運ぶ先は葬儀会社しかない。

親父の葬式の時もさんざん助けてもらった「TEAR(ティア)新瀬戸」に病院から電話を入れた。

TEAR新瀬戸のスタッフが摂ちゃんの身体を引き取りに来てくれたのは午前4時を少し回った頃だった。

 

あまりに急すぎて自分が泊まるホテルの手配もしていなかったことに今更ながら気づき、TEAR新瀬戸の親族控室で摂ちゃんと一緒に休ませてもらう。

摂ちゃんの鼻からは血が流れ続けていた。

夜が明けるまでずっとティッシュペーパーで拭い続けた。

もう、痛みも苦しみもない世界に旅立ったのだとは思うけれど、亡くなった後も血を流し続ける姿を見るのは嫌だ。

私の我儘(わがまま)だ。

 

TEAR新瀬戸のK支配人は相変わらず商売感覚抜きで葬儀を取り仕切ってくれる。

私が豊田市役所に死亡届を出しに行っている間に、摂ちゃんがずっと暮らしていた小原寮に「摂子さんの生前の生活の様子」をわざわざインタビューしに行ってくれていた。

片道車で1時間弱の道のりである。インタビューして帰ってくれば半日、下手したら丸1日吹っ飛ぶだろう。

「告別式で司会者が一言二言、生前の摂ちゃんの暮らしぶりに触れる」という、ただそれだけのために、だ。

ありがたくて涙が出た。

 

一部の親戚は、私が摂ちゃんの乳がんの再発を「隠して」いた、摂ちゃんの訃報が「(私からではなく)自分より遠縁の親戚から入った」と立腹し、通夜にも告別式にも顔を出してくれなかった。

いろんな考えの人がいるから、私なりの摂ちゃんとの関わり方、看病の仕方を否定されても仕方ないことなのかも知れぬ。

でも、小原寮の現スタッフさん、もう、小原寮を辞めてしまったかつてのスタッフさん、摂ちゃんと仲の良かった小原寮の入寮者の人たちはたくさん、摂ちゃんとの最後のお別れに来てくれた。

とびきり素敵なお葬式だった。

(↑ K支配人が作ってくれた葬儀場の入り口に飾った写真)

 

摂ちゃんと同じく知的障害を持っている入寮者の人たちは、納棺師さんに綺麗に死化粧(しにげしょう)をしてもらった摂ちゃんを見て声をあげて泣いてくれた。

あぁ、人間は悲しいときにはこうやって慟哭すればいいんだ、と教えられた。

 

死んだ後も鼻血が止まらなくて、生前は化粧なんてしたことのなかった摂ちゃんのために、K支配人はわざわざメイク(死化粧)の上手い納棺師の方を手配してくれた。

お袋が死んだときも、親父が死んだときも、

「寿命が尽きた後の身体は単なる『物』だ。

魂とか霊魂とかいうものが存在しようとしまいと、遺体自体はただの『物』だ。

なのに、なんで、人は大げさにただの『物』に接するんだろ」

と思っていたけれど、摂ちゃんの身体を丁寧に丁寧に洗い清めて、指先にまで気を配りながら真っ白な死装束に摂ちゃんを着替えさせてくれて、接吻せんばかりに摂ちゃんの顔に自分の顔を寄せて死化粧を施してくれている納棺師の方の美し過ぎる所作(しょさ)を見ていてやっと理解した。

遺体はただの物だけど、それは摂ちゃんが49年間使い続けてきた「摂ちゃんが生きるための大切な道具」だ。

ずっと使い続けてきた愛着のこもった道具を手放すとき、それを躊躇なくゴミ箱に放り込んで平気な人はいないだろう。

それは、職人が使い続けてきた道具を最後に感謝と惜別の情を込めて神社や寺に奉納することに通じるのかもしれない。

使い切った「身体」に感謝と惜別の情を込めてお別れしてあげられるのは、亡くなった本人ではなく遺族しかいない。

あぁ、お葬式というのは一生懸命生きて死んでいった故人とその身体に対する最後のリスペクトの場なんだなぁ・・・という、どうでもいいようなことを、どんどん綺麗になっていく摂ちゃんの身体を見ながらぼんやりと考えていた。