備忘代わりにアップしておこうかと。
「本とか読む暇あるんですか?」
とか、たまに聞かれるし。
「どんな本読むんですか? やっぱ判例時報とか判例タイムズとか?」
んなわきゃねーだろ。
どんだけ法律オタクなんだよ。
自慢じゃないが、ワタクシ、仕事で必要に迫られたとき以外、法律関係の本なんざ手に取りもしません。
で、今年1月に読んだ本は以下の7冊。
「項羽と劉邦」【上中下】(司馬遼太郎・新潮社)
「洞窟おじさん」(加村一馬・小学館)
「宇宙が始まる前には何があったのか?」(ローレンス・クラウス。青木薫訳・文藝春秋)
「坊ちゃん」(夏目漱石・電子書籍Galapagos)
「覚悟の磨き方・超訳吉田松陰」(池田孝将・サンクチュアリブックス)
「項羽と劉邦」「坊っちゃん」は再読、他は初読。
「洞窟おじさん」は面白かった。
「覚悟の磨き方」はさらっと。吉田松陰の人生訓的な言葉を集めただけの本。特に記憶に残るほどでもなく。
「宇宙が始まる前には何があったのか?」はさっぱり意味わからず。いやぁ、文系だからね、俺。というより理系科目のデキが圧倒的に悪かっただけなのだが。
7冊の中でも「坊ちゃん」は飛び抜けていい。
小学校6年生の時、親父が毎月買ってくれていた「少年少女世界の名作全集」で初めて読んで以来、再読した回数は優に20回を超えるんじゃないかと思う。
最後の一文、
「だから清の墓は小日向の養源寺にある。」
は圧巻。悲しいほどの透明感と切なさと優しさと。
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。」
という軽妙な書き出しと、わずか17文字の最後の一文との絶妙な対比。
故井上ひさしさんは、「日本語で一番美しい『だから』の用例」と評したそうだが、同感である。
名作というのは何度読んでも名作である。というより、読者のしつこい再読に時代を超えて耐え抜く力を備えた作品だけが「名作」と呼ばれるのに値するのだ。
再読に耐えないこのブログとは大違いですな。
切ないですな。
「坊っちゃん」の最後の一文とは別の意味で。
「だからネクスト法律事務所は四谷三丁目の警察署の横にある。」
どう、切ない?