つれづれなるままに弁護士(ネクスト法律事務所)

それは、普段なかなか聞けない、弁護士の本音の独り言

長距離ツーリングを夢見る若者へ

2022-07-29 12:26:19 | 晴れた日は仕事を休んで

ということで、8月3日から10日ほどかけて東北・北海道を巡るツーリングに旅立つぼくだ。

このブログがすっかり「ぼくのツーリング日記」と化してしまったからか、最近、「自分もオートバイに乗りたいです!」という(ぼくより)若い人から、オートバイやツーリングのあれこれについて尋ねられることが多くなった。

とてもいいことだと思う。

せっかくオートバイを手に入れたのに、マフラー改造して、タンクをド派手にペイントして、ハンドルを超チョッパーにして、地元の駅前を走り周ってるだけの毎日より、アルバイトで資金を貯めて、自分で0から計画を立てて、澱(よど)んだ日常から飛び出してみるほうが人生には遥かに有益だ。

昔は暴走族たちを見ても「うるせぇなぁ」くらいの感想しか抱かなかったけれど、最近は(以前に比べれば少なくなったとはいえ)愛車のオートバイを改造して、爆音を響かせて、猫の額のような地元の道をぐるぐるぐるぐる周って喜んでいる青少年君たちを見ると無性に切なくなってしまう。

この世で一番自由な乗り物を手に入れて、やりたかったのはそれか?

 

若くて金がないとはいえ、頑張って半年バイトすれば20万円くらいは貯められるだろう。

若いから時間とエネルギーだけは無限に有り余ってるだろう。

だったら、バイトで20万円貯めてツーリングに出かけた方がいい。

昨年秋の西日本横断ツーリングも(途中、優しい友人たちにご飯食べさせてもらったとはいえ)、ホテル代、食費、ガソリン代、高速代全部ひっくるめても20万円はかかっていない。15万円弱だっただろうか。12日間かけて日本の西半分をこの目と心に焼き付けて、大好きなオートバイで走り回って15万円だ。

今回の東北・北海道ツーリングも(今のところ)全10泊でホテル代は65,000円程度の予定だ。これにガソリン代、食費、高速代が加わってもトータルで20万円には絶対に届かないだろう。

昨年秋の西日本横断ツーリング。

確か宮崎駅前のAPAホテルに泊まっていた時だったと思う。

深夜真夜中。ホテルの外では地元の暴走族君たちが走り周る音が響き続けていた。

オートバイを手に入れたのに、まだ見たことのない広い世界に走り出してみるわけでもなく、週末の夜に地元の駅前通りをうぉんうぉんと爆音響かせて走り周るだけ日々。

何年かしたらオートバイも手放して、どっかの会社に就職して、毒にも薬にもならないサラリーマンになって、仕事帰りに週1回、駅前の居酒屋で上司や会社の愚痴をぐちゃぐちゃ言い合って、最後に、

「でも、まぁ、俺も若いときはけっこうブイブイ言わしたんだよなぁ」

と酎ハイ片手に遠い目をしてみたりする。

おーい、お前。そういうのをカッコ悪いっていうんだ。

 

今回の記事は、そういう「将来のカッコ悪いおやじ予備軍」ではない、今、この瞬間、オートバイで長距離ツーリングを夢見ている若者(いや、ぼくもまだまだ若いけどね)の参考のために書いた。なのでオートバイやツーリングに興味のない方には面白くもなんともないかもしれない。このブログを楽しみにしてくれている少数の奇特な読者の方、すみません。

さて、今回は、長距離ツーリングの持ち物編。

長距離ツーリングをより楽しく快適にするために、あるいは、旅先での不自由を少しでも回避するために、ぼくが長距離ツーリング(おおむね1週間以上)に持っていく物は以下のとおり。

もちろん、オートバイの旅に「正解」はない。100人ライダーがいれば100通りのツーリングの形があり、持ち物がある。

だから以下で紹介する持ち物一覧はぼくの備忘録のようなものなので、あくまでも「あるおっさんライダーの一意見」として参考にしてください。

って、誰がおっさんだ、誰が!(怒)

1)運転免許証

持っていかなきゃ免許証不携帯で罰金と減点だ。

2)財布・現金(10万円程度)

昨年秋の西日本横断ツーリングではほとんど現金を使う必要はなかったが、それでも万一に備えて幾ばくかの現金を持って行った方が安心だ。

財布ごと落とさないように要注意。ズボンの尻ポケットに無造作に突っ込んだ財布は走行中、高い確率で落ちると思っていい。

3)クレジットカード

一昔前と違って今ではコンビニ・ガソリンスタンド・ホテルはほぼ100%クレジットカードが使える。便利な世の中になった。まだ持っていないなら1枚は作って持っていた方がいい。おすすめはVISAのナンバーレス・カード。コンビニやマックでの使用時のポイント還元率が高いうえに年会費は無料だ。カードに会員番号が記載されていないから紛失時に悪用されるリスクも格段に少ない。クレジットカードの使用毎にメールで通知を受け取るように設定しておけば完璧だ。ぼくも1枚持っている。日常生活はこのカード1枚ですべて事足りている。

4)健康保険証

旅先でケガをしたり病気になったりすることもある。旅先で病院に飛び込む可能性があることを想定しておくべきだ。

5)スマートホンと充電ケーブルと予備バッテリー

今の時代、スマホがないと見知らぬ土地での行動の幅は100分の1くらいに狭まってしまう。

ホテルによっては部屋に充電ケーブルを置いていないところもあるので、スマホの充電ケーブルは持って行った方がいいし、ホテルに着く前にスマホの電池が切れてしまう場合も想定して予備バッテリーを一つは持って行ったほうがいい。

ちなみにツーリング先で仕事をしなければならなくなった場合でも、簡単な仕事やウェブ・ミーティングならスマホで十分。

昨年秋の西日本横断ツーリングにはノートパソコンを持って行ったのだが、結局、一度も使うことはなかった。ノートパソコンは嵩張って重いうえに盗難や破損等にも気を遣わなければならず本当に無駄な持ち物だった。

6)薬やサプリメント

普段服用している薬があるなら忘れずに。旅先での体調管理は最優先事項だ。

ぼくは気管支喘息の持病があるので、キュバールとセレベントという日々の吸入薬、それに喘息の発作が出た時に使うメプチンエアーという3種の吸入薬。あと、長時間バイクに乗っていると運動不足で便秘になりやすいので麻子仁丸というお通じをよくする漢方薬。ブーツの中の足は蒸れて水虫になりやすいので水虫薬も。

薬に加えて、普段飲んでいるサプリメントがあればそれも持っていく。いくら日常から飛び出すのだと言っても、普段している健康管理を放棄する必要はない。ぼくが持っていくのはビタミンCとアホエンのタブレット。

7)爪切り

1週間くらい旅をしていると当然、爪も伸びてくる。爪切りは宿泊先のホテルで借りられなくもないが、誰が使ったのか分からない、使い慣れてもいないホテルの爪切りより、普段自分が使っているものの方が遥かに安心で快適だ。

旅先で伸びた爪を何かに引っ掛けて剝いでしまった、なんてことのないようにしよう。

8)電動歯ブラシと歯磨き粉と充電器

歯ブラシも歯磨き粉もホテルにはアメニティとして常備されているけれど、ぼくは普段から愛用しているBROWNの電動歯ブラシがあるので歯磨き粉と一緒に持っていくことにしている。旅先で充電切れになったりしないよう充電器も忘れずに。

9)歯間ブラシ

だんだん歯茎が下がって歯間に食べ物が挟まるようになってきた。まだ若いはずなのに不思議だ。

普通の歯磨きだけでは歯間や歯と歯茎の間の小さなゴミは取り切れない。旅先のドラッグストアやコンビニでわざわざ買うくらいなら数本、持って行った方がいい。

10)コンクール

歯医者さんお薦めの、ぼくが愛用している口腔うがい薬。寝る前にこれを数滴垂らした水でうがいをすると、翌朝起きても口の中がネバネバしない。

11)イソジン

コンクールとは別のうがい薬。主にのど用。

オートバイで1日走ると気づかないうちに大量に排気ガスや埃を吸い込んでいる。食事の前やホテルに着いたらまずうがいを。

12)電動シェーバーと充電器とプレシェーブローション

旅で伸びた無精髭もワイルドでかっこいいが、ぼくはできれば髭を剃りたい派。

ホテルのアメニティの剃刀は思ったより切れ味が悪い。ぼくは肌が弱いので100%剃刀負けをする。そして翌日、肌のヒリヒリに苦しむことになる。それくらいなら電動シェーバーを持参したほうがいい。プレシェーブローションを使えばさらに剃り味爽快だ。

13)スマホ用三脚

旅先で星空をスマホで撮影したいなら必須アイテム。長時間露光の設定でもレンズがブレないようにスマホを固定する。三脚と併せて星空を綺麗に撮影できる無料アプリもインストールしておくといい。

東京などの大都市にいると想像もできないが、地方の星空は息を呑む美しさだ。

14)Bluetoothイヤホンと充電器

ぼくはだいたいの走行ルートを頭に入れてから走る方だが、初めての土地を走るとき、GoogleMapのナビはやっぱり便利だ。オートバイのハンドルにスマホを装着して、USBで充電しながら走れば電池切れのリスクも少ない。

ただし、走行中にスマホのGoogleMap画面をチラ見するのは自殺行為なのでBluetoothでイヤホンに音声ガイドを飛ばして聴きながら走る。安全のためイヤホンは片耳だけに。

片耳ずつイヤホンを付ければもう一方のイヤホンを充電できるから1日使い続けても「Battery Low」「Power Off」というあの悲しい音声案内を聞かずに済む。

15)鼻毛カッター

笑っちゃいそうだが意外に必需品。ぼくは電動のものを使っているけれど、昔ながらの小さな鼻毛切狭でもいい。

バイクで走っていると自分で思っている以上に鼻毛が伸びる。車の排気ガスや粉塵を吸い込み続けているから身体の防御機能が働くんだろう。

特に女性ライダーの方には是非お勧めしたい。

サービスエリアにバイクを停めて、ヘルメットを脱ぐとサラサラの、まるで洗ったばかりのような髪がふわっと風になびいた。真っ青な空を見上げて両手を広げると、うーんと伸びをして、彼女はにっこりと微笑んだ。彼女の美しく整った顔の真ん中の、可愛らしく盛り上がった鼻の両穴から何本かの鼻毛が髪と一緒に風になびいていた、というのでは幻滅だ。

16)タオル(大小各1枚)

突然の雨に降られたとき、防寒対策に、けがをした時の止血用に、用途は幅広い。

17)耳かき

これも意外な必需品。

耳って、ある時、ある瞬間、何の前触れもなく無性に痒くならない?そんな時、小さな耳かきが1本あると便利だ。耳の奥のむず痒さを我慢して走ることほど残念なストレスはない。

18)綿棒

お風呂上りに耳の水分を取る。備え付けていないホテルも意外に多い。

19)着替え用下着(パンツ・Tシャツ・靴下各3日分程度)

3日分の着替えがあれば、1週間のツーリングでも中日に一度洗濯すれば済む。

最近のコインランドリーの洗濯機は洗剤自動投入タイプが多いので洗濯用洗剤は不要。

ホテルのバスユニットに干しておいも一晩で乾かないこともあるので、面倒くさがらず乾燥機を使おう。

20)替えのズボン1着

ホテルで旅装を解いて街をぶらぶらするときはライダーズパンツやジーンズよりチノパンの方が楽だ。汚れてしまったジーンズを洗濯しなければならないときにも着用できる。1本は持って行くべき。

21)長袖・厚手のトレーナーかラグビージャージ1着

標高の高い山や北国など、真夏でも腕が痺れるほど寒いエリアは多い。特にオートバイは全身が風圧にさらされている。ややこしい計算式は省略するが、たとえば時速60km、気温7度、湿度30%、風速17m/sなら体感温度はマイナス6.5度まで下がるという。

真冬に限らず真夏でも最低1着はライダーズ・ジャケットの下に着る長袖の(できれば厚手の)服をバッグに入れておく。

22)レインウェア(上下)

少しくらいの雨ならツーリング途中で雨に降られても、雨雲エリアを抜けてしまえば(特に真夏なら)服もすぐに乾いてしまう。

しかし、常にそういう状況下で走れるとは限らない。次の宿泊場所との関係で雨が降っているのに出発しなければならないときもある。

また長袖のトレーナーを重ね着してもなお寒いときはレインウェアを着てしまうに限る。オートバイ用のレインウェアでなくても必要な耐水圧が確保されていれば十分だと思う。ぼくはゴルフ用のレインウェアを流用しているが特に不都合なことはない。

23)ウォーキング・シューズ1足

旅先の街を散策するとき、オートバイ用のブーツでは歩きにくいし疲れる。そもそもオートバイ用のブーツは「長い距離を歩く」ということを前提に作られてはいないからだ。

ウォーキング・シューズが1足あれば旅先の行動範囲はぐんと広がる。

24)ビニール袋・レジ袋(数枚)

あると意外に便利。コンビニで買った弁当やおにぎりのゴミを入れるのに、小物類をまとめて入れておくのに、着替えた衣類を洗濯するときまで入れておくのに、ウォーキング・シューズを入れておくのに。

25)(紙の)地図帳

スマホでGoogleMapが常に見られるとは限らない。バッテリー切れ、破損、紛失、アプリの不具合。

スマホは便利だが、スマホが使えなくなったとたんに前にも後ろにも進めなくなるようではオートバイ乗りとしては失格だ。

アナログで野暮ったいけれど、結局、最後に頼りになるのは紙の地図帳。ぼくが愛用しているのはJAF発行の全頁20万分の1の同一縮尺の全国地図帳。サイドバッグの中に保険として1冊放り込んでおいて損はない。

26)ホテルの予約確認メールのプリントアウト

出発前にWEBでホテルを予約したときは、必ず予約確認メールをプリントアウトして持って行く。

ごくまれに予約サイトからホテルへの宿泊情報がちゃんと流れていないときがある。そういう時はフロントの前でおたおたとスマホを開いて時間をかけるより、プリントアウトした予約確認メールを見せよう。

27)マスク(日程+2~3枚程度)

旅先で購入してもいいけれど、自宅から持って行けば済む。こういう時世なのでマスクは必携品になってしまった。

28)大きめのハンカチかバンダナ(1枚)

手を拭く、という基本的な用途以外にも、簡単な小物を縛って固定する、自分の荷物の持ち手に縛り付けて目印にする、熱いものを持つときに手に巻きつけて火傷を防ぐ、メガネやヘルメットのシールドに着いた雨滴を拭き取る、マスクの耳掛け紐が取れてしまったようなときに緊急避難的に鼻と口を覆う、使い方はいろいろだ。

29)ポケットティッシュ(数パック)

鼻水垂らしながらオートバイに乗るのはあまりカッコいいものではない。

30)運転用の眼鏡

まだ若いはずなのに(←しつこい)、老眼が進んできたぼくの普段使いの眼鏡は遠近両用レンズだ。

しかし、街中を走るときや夜空を見るときは、道路標識の文字や星がクリアに見える近視だけを強めに矯正してある運転用眼鏡の方がいい。

31)眼鏡拭き・眼鏡洗浄剤(メガネブク)

1日オートバイで走り続けるとメガネは思った以上に汚れる。

眼鏡拭きはもちろんだけど、眼鏡洗浄剤で1週間に1度は眼鏡を洗浄したほうがいい。視界が悪いと事故も起こしやすい。

32)目薬(アレルギー用、疲れ目用)

花粉や埃のアレルギーがある人はアレルギー用の目薬が必須。アレルギーのない人も疲れ目用の目薬を1本持って行くといい。

33)マウスピースとマウスピース洗浄剤

ぼくは眠っているときの歯ぎしりがひどいので(そのせいで奥歯3本が割れてしまった)、睡眠時に装着するマウスピースは必需品だ。

口の中に入れる物なので基本的に毎日、専用の洗浄剤で洗浄する。

 

ちなみに以上はツーリング中の宿泊場所にホテルや旅館等を使う場合の持ち物。

最近、流行りのキャンプなら以上に加えて簡易テントとキャンプマット、それに寝袋が最低限、必要だ。

ただ、若くて(ぼくも若いが)、体力に自信があって、キャンプが大好き、という人以外は3日以上のツーリングならホテルや旅館、少なくともライダーハウスの利用を勧める。

キャンプ場には有料の所もあり、必ずしも「テント泊だから安く済む」という訳ではないし、なによりその日の身体の疲れをできる限り解消して翌日の行程に臨むのにキャンプマットと寝袋では限界がある。今は各種のホテル比較サイトを使えば安くてきれいなホテルを簡単に見つけることができる。

「寝袋にくるまって満天の星の下で眠る」というのは考えただけでもワクワクするが、ツーリングの最大の目的は無事に家に帰ることだ。

そのためには身体を休ませることにお金を惜しむべきではない、とぼくは思う。

もう、若くはないので(白旗を上げた)。


ビーナスラインにて

2022-07-28 15:41:00 | 晴れた日は仕事を休んで

前回の投稿からあっという間に1か月。

早いもんですな。時が経つのは。

この1か月、ぼくは神奈川県の道の駅に続いて栃木県→群馬県の一部→茨城県の一部と道の駅を巡り続けている。

スタンプ帳にも順調にスタンプが溜まってきた。

そして、先週末。

これまで雨天順延を続けてきたビーナスラインを〇津〇男(仮名。以下「大津」)と2日間かけて走ってきた。

道の駅美ヶ原高原はあいにく雲の中で絶景は望めなかったけれど、それ以外は快晴で(ただし、標高が1500mを超えたあたりからは寒い)、ぼくらは真夏の信州を満喫してきた。こんな感じだ。






お見合いの終わった愛車ボルティと大津のGB350も仲睦まじい。




大津のライディングは落ち着いていて、安心そのもの。

僕のミラーにときおり映る、カーブを抜けて来る大津の姿は綺麗なリーン・ウィズだった。

 

初日、美ヶ原高原から下界の諏訪湖まで一気に下りおりてきて、いきあたりばったりで今夜の宿を探そうとしたらことごとく満室。

おーい、みんな。外出自粛はどうした?

 

ようやくホテルルートイン諏訪インターにチェックインして、夜は近所のホルモン屋に繰り出した。

アルバイトの女の子は二人ともとても可愛くて、料理はすこぶる旨く、大津はしこたま日本酒を飲み続けた。

大津とぼくは三郷幼稚園~東栄小学校~東中学校~旭野高校と実に15年間も同じ幼稚園・学校に通っていたのだけれど、同じクラスになったことは遂に一度もなかった。

ぎりぎりの距離を取りながら平行して走り続けてきた二人の中年男の人生が、それぞれのオートバイに乗って、真夏の信州路を並走し、前後し、交差して、今はホルモン焼き屋のテーブルで飲んだくれている。

吉田拓郎さんに歌にしてほしいような風景だ。

 

日本酒を7合飲んでべろべろになった大津は、

「今日の道を走るのはやっぱりバイクだよな。車じゃないよな」

とホルモン焼き屋で3回繰り返した。

同感だ。

なぜ、夏のビーナスライン(に限らないが)を走るのには車でじゃなくバイクじゃないとダメなんだろう? 少なくともぼくらにとっては。

それはきっと、この世の乗り物の中で唯一バイクだけが、移動とともに刻一刻と変化する大地と風と太陽を全身で感じることができる乗り物だからだろう。

車とか電車とか飛行機には「出発地」と「目的地」と「車内」の3つの空間だけしかない。車や電車や飛行機はバイクより遥かに早くて快適で便利な移動手段ではあるけれど、コンマ1秒ごとに変化し続ける風の強さ、土地の匂いを感じられない。

「ある場所から別の場所に移動する過程で、変化し続ける空気や土の匂い、木々の香りや風を全身で感じて、自分の身体にふんだんに取り込むことこそが旅なのだ」と信じているぼくや大津のようなアナログ人間にとって、「ビーナスラインは車で走ってはいけない」という結論は旅の根幹にかかわるルールのようなものだ。

 

2日目は映画「君の名は」のシーンのモデルとして有名になった立石公園から高ボッチ高原に回るはずが、土砂崩れで高ボッチ高原への道は通行止め。

まぁ、仕方ない。ツーリングに予測不能なトラブルはつきものだ。




こちらは立石公園。カップルの後ろ姿はどんな場所でも絵になると思う。

 

岡谷市まで戻って昼食を取り、大津とはここで別れて彼は名古屋に、ぼくは東京に。

一人で走り始めたとたんに、何とも言えない違和感というか不安感に襲われる。寂しいのか、俺?

いや違う。

そういうんじゃなくて、なんというか、こう、なんか忘れ物でもしたような・・・

バイクを路肩に停めて背負っていたリュックの中を確かめてみる。

ない!

命の次の次の次の次の次の次の次の次くらいに大切と言えないこともない道の駅スタンプ帳がない!

昼食を食べた店でリュックから取り出して東京への帰り道に立ち寄れそうな山梨県の道の駅を確認したことは覚えている。

さてはあの店に忘れて来たか!

店に引き返して「道の駅のスタンプ帳、忘れてなかったですか?」と聞いてみるも、初老の店主は「いや、お忘れ物はありませんでしたよ」と一言。

そんな馬鹿なとクラクラしながらバイクを停めた場所まで戻ろうと歩道を歩いていると。

ん?



なんだ、あれ?



あれーーーー?



 

なんでぼくの道の駅スタンプ帳がこんなとこに落ちてるんだ?

いつのまに?

誰の仕業だ?

甲斐の国、武田の手の者か?忍びか?謙信を、謙信を呼べーい!

と馬鹿なボケをかましているけど、お店まで戻って「店にはない」と言われたときはこの2ヶ月くらいのツーリングが無に帰したと思ったわ。マヂで。

道の駅のスタンプ帳も戻ってきたところで、小淵沢、南きよさと、韮崎、甲斐大和と4カ所の道の駅を周って帰宅。

家に着いたのは大河ドラマも終わった21時だった。

 

さて。

来週は8月3日から少し早めの夏休みを頂いて東北から北海道を巡るソロツーリングだ。

予定走行距離4082.4km。

尻の皮がもつかな。


神奈川県の道の駅全4駅

2022-06-27 14:17:22 | 晴れた日は仕事を休んで

神奈川県の道の駅巡りをしてきた。

昨日(6月26日)。

え?なんで昨日なの?土曜日じゃないの?だって金曜日(6月24日)のブログの最後に

「さて、明日は神奈川」

って書いてあったじゃん。

と思った方はちゃんとこのブログを読んでくださっている優良読者の方だ。

そう。行こうと思ってましたよ。土曜日に。

6月25日土曜日午前8時。

財布持って、ヘルメット持って、グローブ持って、着替えのTシャツ持って、タオル持って、携帯の充電用バッテリー持って、もちろん忘れずに関東道の駅スタンプBookも持って。

お気に入りのオートバイ用のブーツに履き替えて。

よし、完璧。

・・・と思ったら、あれ、オートバイのキーがない?

なんでだ?

探すこと15分。

キーは1週間前に埼玉県道の駅巡りから帰宅したときのまま、しっかり愛車BOLTYのキー・シリンダーに差し込まれておりました。

問題はそのキーの位置。

「ON⁉︎

思わず立ち眩(くら)みに襲われた。

スターター・スイッチを押しても、950cc空冷2気筒のエンジンはうんともすんとも言わない。

あぁ、どうしたBOLTY!

・・・って、1週間、ONのまま放置しといたんだ。バッテリーも上がっとるわ。完全に。


JAF呼ぶか?

いや待て、俺。

我が家の近くにいつも点検でお世話になっているレッドバロンさんがあるじゃないか。

よし。そこまで押して行こう!15分もかからないだろう。JAF呼ぶより早いかも。

というわけで、押して行きました。車両重量252kg(ガソリンや付属パーツの重量を除く)の愛車を。

靭帯(じんたい)損傷して車椅子に乗った小錦関を一人で押して病院に連れて行く付き人の気分だ。小錦は古い。最近なら山本山か。

力士の喩(たと)えはどうでもいいが、自宅から900mのレッドバロンさんまで45分かかった。

気温は既に32℃超え。容赦なく照りつけて来る太陽。たまにある緩やかな登りのスロープ。

ゴルゴダの丘に向かう磔刑(たっけい)のキリストもこんな気持ちだったのか?

死ぬかと思ったわ。まじで。

まだ両脚の太ももは筋肉痛だ。


汗だくになって息も絶え絶えに開店前のレッドバロンさんに辿り着き、開店準備で忙しそうなスタッフさんに頼み込んで見てもらったところ、バッテリー自体が古くなってるのと(既に交換目安の3年を過ぎている)、古いバッテリーを完全放電してしまうと、その後、充電してもまたすぐに上がってしまう危険があるとのことなので新しいバッテリーに交換することに。箱根の山中でバッテリー上がったりしたらシャレにならないので。

しめて22,000円なり。

まぁ、当分、バッテリーの心配はしなくてよくなったのでよしと・・・、できるか~い!


神奈川県の道の駅はわずか4駅なので、朝から出かけて1日で周りきってしまおうと計画を立てていたところにまさかのバッテリー死(殺したのは他ならぬ私だが)。

BOLTYのバッテリー交換が終わったとレッドバロンさんから私の携帯に連絡が来たときは既に正午前。もう、その日のうちに4駅周りきるのは無理だ。

というわけで1日、遅れての神奈川道の駅一周ツーリングである。

 

さて、この艱難辛苦(かんなんしんく)を乗り越えた神奈川県道の駅ツーリングの記録。たっぷりご堪能(たんのう)ください。

あと、バイク乗りの皆さん。

キーの抜き忘れには注意しましょう。

 

道の駅清川



 

道の駅山北

トイレではいろんなことをする人がいるらしい(カバー写真)



 

道の駅足柄・金太郎のふるさと



 

箱根峠(看板の写真を撮り忘れた)



 

箱根峠は100m先を走る先行のオートバイのテールランプも見えないくらいの深い霧だ。





おまけに寒い。

Tシャツの上に夏用のメッシュのオートバイ用ジャケットを羽織っていたのだがそれだけでは凍えるほどに寒い。

下界の暑さが嘘のようだ。

ところが、箱根スカイラインを金時神社まで下りてくると一気に夏の空が戻ってきた。





 

帰り道。

藤沢に立ち寄った後、東京に向かう246号に出ようとして道に迷う。

正面には沈みゆく夕陽。息を呑むほど美しいが、眩(まぶ)しくて目を開けていられない。



くっそー、危ねーなぁ。早く沈み切れよ、太陽!とぶつぶつ言いながら走っていて、ふと気づいた。

え?藤沢から東京に向かってるのに、正面に夕陽?

東京から遠ざかっとるわ、俺。


というわけで、予定より遅れること1日(バッテリーあがり)と1時間(藤沢から迷子)。無事、神奈川県道の駅巡りは終わりました。

次は山梨か?千葉か?

いやいや、梅雨の晴れ間を待っていたのに梅雨自体が明けてしまった。

次こそは、延び延びになっているOとのビーナスラインか。


道の駅。現在、全国で1194カ所

2022-06-24 11:31:48 | 晴れた日は仕事を休んで

ビーナスライン・ツーリングの約束が延び延びになっているOは「道の駅」巡りをしているという。もちろんHONDA GB350で。

「道の駅はスタンプラリーも開催しとって、各エリアごとにスタンプ帳も売っとるぞ!」

と名古屋弁で写真まで送ってきた。 



ほうほう。

ちなみに「道の駅」は、

①24時間利用可能な一定数を受け入れられる駐車スペースが確保できていること

②24時間利用可能なトイレと電話が設置されていること

③情報提供施設を備えていること

が登録の最低条件で、これに加えて地域振興目的施設として、その地域の特産物を格安で購入できる農産物直売所とか売店とかレストランを併設したりすることも多いから、必然的に地方に数が多くなる。

関東エリアでは、群馬県に32カ所、千葉県に29カ所、栃木県に25カ所、山梨県に21カ所、埼玉県に20カ所、茨城県に15カ所、神奈川県に4カ所。※長野県は全52カ所中、北部の34カ所が関東エリアに所属

東京都はなんと1箇所だけだ。ここ八王子滝山。




埼玉県の20カ所とは、

川口・あんぎょう



庄和



アグリパークゆめすぎと



童謡のふる里おおとね



かぞわたらせ



はにゅう



めぬま



おかべ



かわもと



いちごの里よしみ



おがわまち



和紙の里ひがしちちぶ



ちちぶ


 

果樹公園あしがくぼ



あらかわ



大滝温泉



両神温泉薬師の湯



龍勢会館



みなの



はなぞの



 

ということで、旭野高校ラグビー部キャプテン(だった)Oに勧められ、道の駅周りを始めてみた。

ラガーマンとしては、ひとたびグランドに出た以上、キャプテンの指示は絶対だ。

埼玉県の秩父エリアは首都圏とは思えない絶景の連続だった。








 

さて。明日は神奈川。


キャベツ畑は遥か遠く2

2022-06-22 01:39:00 | 日記
新聞奨学生の生活は過酷だ。
きっと今でも同じはずだ

毎日午前4時起床。
寮から歩いて5分の新聞販売所に行って、その日の折込チラシを手作業で新聞に挟み込んで、午前5時くらいから配達が始まる。
雨が降ろうと雪が降ろうと。

12時間後には夕刊の配達がある。
朝刊と違って折込チラシもないし、朝刊購読だけの家もあるので朝に比べれば楽なのだけれど、これまた配達は猛暑日だろうとなんだろうと関係ない。
なので、学校の授業が終わって友人たちとちょっとお茶でも・・・ということすら新聞奨学生には許されない。

そんな生活をしつつ、東京に出てきて最初の夏。僕は中型二輪の免許を取った。
同じ寮の2階にいた1年上の新聞奨学生の平山さん(下の名前は忘れてしまった。たしか中央大学法学部を目指している浪人生だった)は大のバイク好きで、ヤマハだかカワサキだか忘れてしまったけれど愛車はいつも丁寧に磨きあげられた400ccだった。たまに横浜や茅ヶ崎までタンデムで連れて行ってもらったりもした。
中学、高校と読み続けていた片岡義男は相変わらず僕のバイブルだった。
金があるとかないとかじゃなくて、あの当時の僕が中型二輪の免許を取ったのは、もう必然以外のなにものでもなかった。
金がないので公認の(つまりそこを卒業すれば運転免許試験場での実技試験が免除される)教習所には行けない。
平山さんが教えてくれた未公認の教習所に行って練習した。KM自動車教習所という名前だった。
鮫洲の運転免許試験場と全く同じに作られた荒川の河川敷の練習コースで、1時間2500円くらいの練習料を払って実技試験の練習をする(正確な金額は忘れた。もっと安かったかもしれない)。20回練習に通っても1回2500円なら50000円だから公認の教習所に行くよりは安い(ちなみに僕はその後、限定解除の免許も同じKM自動車教習所で練習して取った)。
2度目の試験で合格して、無理をしてローンを組みヤマハのXJ400を買った。嬉しくて毎晩、平山さんと都内を走り回っていた。

入学した専門学校(※日本ジャーナリスト専門学校=ジャナ専)の授業はつまらなくて三日で飽きてしまった。最低限の単位を取るためにしか顔を出さなくなった僕にとっては、平山さんとXJ400だけが友だちだった。
当時のXJ400はいくらだったのだろう。
今、ネットの中古車サイトを見てみたら200万とかで売られているらしい。確かに名車の部類に入るバイクだけれど、キチガイじみた値段だとしか思えない。少なくともあの頃の僕のような、ただただオートバイが好きなだけの貧乏青年がおいそれと手を出せるような値段ではなくなってしまった。

当時の値段は忘れてしまったけれど、僕は憧れのXJ400と引き換えに数十万円の借金も背負った。
前回の記事で書いたとおり所長は競馬狂い。
給料は遅れる。
親からの仕送りはない。
たまにキャベツやパンを盗んで飢えを凌ぐ。
焦っていたのだろう。
とにかく金が欲しかった。

そんな僕に小学校から高校まで一緒で、早稲田大学に入っていたSから連絡があった。
金になる話がある、という。
参加する人間は多いほどいいから、他にも声を掛けろ、という。
僕は同じジャナ専に通っていた、同じサンケイ新聞の新聞奨学生だったKちゃん(男)と、毎朝、配達途中の平和台の団地で顔を合わせていた朝日新聞の新聞奨学生のAちゃん(女)を誘った。
「俺の幼なじみの早稲田に行ってる信用できる奴の話だから」と声を掛けて、3人でSに連れられて新宿にある説明会場に行った。
会場には僕と同じようにSに誘われたのだろう、Sと同じく小学校から高校まで一緒だったHの姿もあった。仲の良かったHの顔を見て、さらに僕は安心した。

説明会場では高そうなスーツを着た男が、35万円の羽毛布団の購入を僕らに勧めてきた。
高級スーツを着た詐欺師が言った。

35万円で羽毛布団を買ってほしい。
分割払いを希望するなら信販会社もこちらで用意する。
羽毛布団を1セット買えば、君たちは「小売店」としての資格を手にできる。
「小売店」が誰かに羽毛布団を販売すれば、10%の売上手数料を貰える、という。
2人以上のカモに羽毛布団を売りつければ「小売店」は「代理店」に格上げされる、という。
「代理店」の売上手数料の率は8%に下がるけれど、自分が羽毛布団を売りつけた2人の「小売店」が、それぞれ新たな2名に羽毛布団を売りつければ、その「小売店」は「代理店」に昇格、「代理店」は「統括代理店」に昇格できる。
最初に自分が羽毛布団を売りつけた2名のその先の2名のそのまた先の2名の・・・、彼らが羽毛布団を誰かに売りつけるたびに君たちには売上手数料が支払われる。「統括代理店」「代理店」「小売店」の組織がうまく回り始めれば月収100万も夢ではない。

正確な金額と手数料のパーセンテージは忘れてしまったけれど、要するにマルチ商法の勧誘だった。

地方から出て来たばかりの、世間知らずで、貧乏で、頭の悪い僕らには、それがどれだけ破滅的な、馬鹿馬鹿しいくらいのインチキ商法なのかわからなかった。
小学校以来の幼なじみで、僕が大好きだった片岡義男の母校でもある早稲田に通っていたS。
彼が僕や僕の友だちを嵌(は)めるなんて考えもしなかった。

Sの実家は、母親が小学4年生だった僕を連れて親父と別居を始めたときに最初に住んだ三郷(さんごう)のボロ家の近くにあった。3階建ての立派な家だった。
3階にあったSの勉強部屋は8畳かそれ以上あって、僕と母親が寝ていた部屋より遥かに広く、そして綺麗だった。
家が近所ということもあって、Sはよく僕と遊んでくれた。
中学3年のときは同じクラスにもなったが、何故か、Sはヤンチャな不良少年グループのYやMから蛇蝎(だかつ)の如く嫌われていた。
不思議に思いつつも、寂しかった小学校時代にそばにいてくれたSを僕は友だちだと思い続けていた。
今から思えば、YやMは、鼻持ちならないSのインチキ臭さを不良少年の多くが備えている独特の嗅覚で感じ取っていたのだと思う。
僕はそんなYやMの嗅覚をこそ信じるべきだったのだ、とも思う。

僕とKちゃんとAちゃんとHに羽毛布団を売りつけたSにどれだけの「販売手数料」が入ったのかは知らない。興味もない。

そして僕とKちゃんとAちゃんは、羽毛布団のローンだけを背負(しょ)い込んだ。
「その日暮らし」を地で行くような貧乏な新聞奨学生たちが、だ。

昨年、ジャナ専の同期だったMさんから誘われて同期生の飲み会に初めて参加した。
まともに学校に行かなかった(卒業式の日でさえ、高田馬場の雀荘で麻雀を打っていた)僕は、正直、名前を名乗られても誰が誰やらさっぱりわからなかったけれど、Kちゃんの話題が出たとき、僕は凍りついた。

「そう言えばKちゃんてさ、ある時期から学校で狂ったようにみんなに羽毛布団売りつけようとしてたよね。あれ、ちょっとひいたわ」

「そのきっかけを作ったのは僕だ」と告白して、Kちゃんと今でも連絡を取っているのか、と飲み会に出ていたメンバーに聞いてみたが、誰もKちゃんが今、何処にいるのか、何をしているのか知らなかった。
そもそもジャナ専を卒業した後、Kちゃんが何処に行ったのかすら誰も知らなかった。

Sはその後、早稲田を卒業し、今では東海地方の某サッカー関係の団体のトップをつとめている。
故郷に帰って高校時代の仲間と会うと、みんなは口を揃えて「俺たちの同期の出世頭はやっぱりSだよなぁ」という。
「あいつ、この前、ポルシェに乗ってたぜ」とも聞いた。

しかし、僕にとってSは友だちだったが、彼にとって僕は金づるの一人に過ぎなかった。
自分が友だちだと思っていても、相手も自分のことを友だちと思ってくれているとは限らないこと。
世の中にうまい話などありはしないこと。
おいしい儲け話を持ちかけられたら、最初に「自分はそんな儲け話を教えてもらえるほどたいした人間なのか?」と必ず自問自答しなければならない、ということ。
それを怠って甘い餌(えさ)に食いついて地獄を見たとしても、それは全部、自分の責任なのだということ。
友情も、人間関係も、思い出も、平気で金に換算できる種類の人間が、自分のすぐ身近にもいるということ。
そういうことをすべてSは僕に教えてくれた。

いつかSを八つ裂きにしてKちゃんとAちゃんに謝らなければ、と思い続けてきた。
今もそう思っている。

僕は一生、Sという人間を許すことはない。

Kちゃん。達者でやってるかい?
あの時、よく調べもしないでSの口車に乗って説明会場に誘ったりして悪かったなぁ。

Kちゃんと一緒に説明会場に誘ってしまったAちゃんのその後も僕は知らない。
故郷の彼氏とは遠距離恋愛だと話していた。
月に一度だけデートをするんだと嬉しそうに話していた。
そして彼氏から貰ったというペンダントをいつも首にかけていた。
僕が知っている、これがAちゃんのすべてだ。
Aちゃん。あのときの彼氏とはちゃんと結婚できたかい?

僕は今、40年前に朝夕、サンケイ新聞を配達していたエリアのすぐ近くに住んでいる。
競馬狂いの所長のいた販売所はとっくに潰れた。
僕がパンを盗んだパン屋さんもとっくになくなった。
それでも。
散歩の途中で、僅かに残ったキャベツ畑を見るたびに、僕はKちゃんとAちゃんを思い出すのだ。
上州弁を直そうともせず、ジャナ専の学食で笑っていたKちゃんを思い出すのだ。
夏の日の早朝、健康的な身体をTシャツに包んで、「平岩さーん、おたがい頑張ろー」と手を振ってくれたAちゃんの声を思い出すのだ。
そして、早朝の、あるいは夕暮れの街を、自転車で走り抜けていく若い新聞配達を見るたびに、「どんなに貧乏で今が苦しくても、大切な友だちを不幸にするような取り返しのつかない失敗だけはするなよー」と声を掛けたくなってしまうのだ。

そんなことを言える立場ではないことは百も承知だけれど、僕が死ぬまでSを許さないように、KちゃんとAちゃんも僕を死ぬまで恨んで、けれど、忘れないで覚えていてくれるといいな、と思う。

どんなにキャベツ畑の記憶が遥か遠くに薄れようとも。