花影・・無くした言葉・・せっせっせ^^

2005年04月28日 07時29分49秒 | 花影
ある日主任さんが病室に来られてチョットお話が有るのですがと言われた、私の心臓はそれだけで早鐘のようにドキドキして今にも心臓が口から飛び出しそうでした。促されるままに「カンハァレンスルーム」にお供致しますと・・

お疲れでしょうと優しく労って下さいました。実はお願いがあると言う・・お話を伺えば私に一人のご婦人の
話し相手になって欲しいとのこと、夜だけでも少し相手をして貰えないだろうかと、そのご婦人の様態を詳しく話して下さいました。

その方は編み物の先生で買い物から帰って来て玄関で倒れて居る所をお勤めから帰ったご主人さまが、見付けて病院に運ばれてきたのだそうです。私より5.6歳は年上でしょうか優しい感じの人の良さそうな方でした。

ベットが開いていてその方は六人部屋に一人でおりました。馴れない看病で疲れ切っている私に対する主任さんの心配りも有ったのだろうと思います。夜はベットで休んで下さいねと言って下さいましたから・・

病人の下で休んでいたのでは、どんなに疲れていても熟睡することは出来ないのです。あのぼんぼんベットでは、寝返りすら打てません夜ベットに寝られることは天国に
行ったような感じでした。

編み物の先生は、手術が出来て命が助かったのですが、言葉が出てきません失語症になってしまったのです。所が素晴らしい折り紙を折られるのです。言葉を失っただけで、ご自分のことは何でも出来ました。

お仕事が忙しいご主人さまはお見えになってもお洗濯物だけ取りに見えるだけで、奥様とお話し出来ないのが寂しかったのでしょう直ぐに帰ってしまうそうです。主任さんは誰か話し相手がいれば、言葉が戻ってくると言われました。主人が昏睡状態で為す術が無い私を気の毒に思われたのかも知れません。

主人の身の回りの用事を済ませると時間を作っては、私はその方のお話相手にお部屋に伺いました。言葉を失った方との会話は一方通行で私ばかりがお喋りをしているだけでした。

何か二人して楽しい遊びはないのもかと考えたのが、「せっせっせ」でした。幸いに手が使えましたので・これは良いリハビリになりました。私一人が歌っておりましても不
自然ではないのが良かったと思います。

不思議なことに少しづつですが声が出てきた時は嬉しかったです。完全な発音では無いのですが吃音が出始めたのです。お天気の話、子供の話、私のこと彼女は楽しそうに聞いていて下さいました。私も無理の無いところで仲良くして頂きました。

ある日知らない男の方が私を訪ねてきました。待合室でお話を伺いますと彼女のご主人様でした。目には涙が浮かんでおりました、私の手を取りましてぎゅうと握られたときはビックリ致しました。

彼女がご主人を見て「お。と。う。さ。ん」と言われたのだそうです。その目からは涙が溢れておりました。

私も胸が一杯でした。リハビリのM先生もとても喜んで下さいました。普通にお話になるのには・・まだまだ時間が掛かりましたが・・病院のリハビリだけでは時間が足らないのが現実なのです。

専門の語学療法士の先生がおりますから・・私は相変わらずお話相手をさせて頂いておりました少しずつ言葉が戻って来る気配が見えてきました。

普通に話せるのには時間が掛かるのか退院は出来ませんでした。私達は幼児向けの童話を買ってきて頂いて二人して読みました。

チョットした切っ掛けで「言葉」を取り戻した患者さんのお話でした。つづく

「人は皆支えられつつ生きている言の葉紡ぐ手だてとなって」



大工殺すにゃぁ・・刃物は要らぬ・・雨の三日も降ればいい(>_<)

2005年04月27日 07時55分37秒 | つぶやき・・
朝早くに息子から電話が有った。雨が降っているという此方は今にも泣き出しそうだが降る気配はなさそうだと返事をする曇ってはいるけれども・・息子の方は降り方が夕立のようだという。困っている様子だがどうしてやることも出来ない。

昔から「大工殺すにゃぁ刃物は要らぬ雨の三日も降ればいい」と言われているように、材木を運んで来ないと仕事にならないらしい・・お昼頃には晴れてきたらしく怒って電話を掛けてきたが私が雨を降らせたわけではないので返事に困る。

トラックの手配が旨くいかないらしい、雨なので違う現場に貸し出してしまったら晴れてきたので怒っているのだ。男の子は難しいからこんな時にウッカリした返事はしない方が賢いのだ。

ウッカリしたことを言えば火に油を注ぐような物で余計に怒るだろうから・・いつまで経っても親には言いたいことばかり言ってくる。オイオイ・・もういい加減にしてよ・・良いおじさんなんだからと思うけれども・・

聞いて揚げるだけで気持ちが治まるのなら聞くくらいは幾らでも聞いて揚げられるから・・親は死ぬまで親を辞められないのだとしみじみ思うのでした。何時になったら
大人になるのやらと思いながらも、性格を知っているだけに可哀想にもなってくる。

キチントしないと嫌で、几帳面で予定通りに行かないのが嫌なのだが、自然が相手ではこれはもう致し方ないのだが、昨晩徹夜で図面を書いたのに・・と・・話している内に気持ちが治まったのかご免と言って電話を切った。

暫くぶりで、親元に来たので、子供に戻ったようだこんな事は普段はないのにと可笑しいやら可愛いやら変な気分の一日でした。

「世知辛い世を背に働く男達こぼせる愚痴は吐き出せばいい」



福知山線の事故に思う・・何を信じたらよいのでしょうか。。

2005年04月26日 15時17分55秒 | 私とパソコン
いつもの様に何も考えることなく、信じて乗っていたのでしょうに・・
家を出るときには数分後にこの様な事故に遭遇するとは誰が
思っていたでしょうか・・

家の前の方も義弟さんと連絡が取れずに一日気を揉んで過ごし
ていた方がおりました。夜遅くに連絡が取れてホットしたそうです。

普段当たり前に疑うことなく身を委ねて乗っております乗り物が
こんな恐ろしい事故を起こすことを誰が想像したでしょうか。

あの忌まわしい「サリン」事件の時我が家のお婿さんがあの電車に乗っておりました。
あの日に限って、運動のために一駅歩こうと思い一つ手前の駅で降りたために難を
逃れることが出来ました。

事故に遭われた方達を紙一重の運命の悪戯として片づけて仕舞うにはお気の毒すぎます。ニュースを見ておりますと、拙い知識ではありますが、人災のような気がして成りません。

お怪我をなさいました方々の一日も早いご回復をお祈りすると共に、不幸にして尊い
命を落とされた方達のご冥福を心よりお祈り致します・・合掌







病棟風景・・様々な人・・困惑の日々(‥;)

2005年04月26日 06時38分52秒 | 花影
脳神経外科と形成外科の混合病棟だったこの病棟には、色々な
人が入院しておりました。元気なときは感じないで済むことも、
身体も心も疲れておりますと些細なことに神経がビリビリして
おります。

同じようにご主人の看病をしている奥さんで長い入院生活らしく
看護婦さん始め先生方と親しく話せる方が何かと良く教えて下さるのですが、優しいのか意地悪されているのか此方が困惑するばかりで困りました。

重傷患者が多い為に家政婦さんが沢山付き添いさんとして働いていた病棟でしたので、何かにつけて意地悪をされて悲しい思いを致しました。

まして重傷患者でしたから、家政婦さん達が良く覗きに来ました。彼女達はみんな個室の付き添いさんですから綺麗な部屋にテレビが付いてロングのソファーが有って何時でも横になれますし、一通りの事をやってしまえば後は呑気な物でした。

リカバリ室でしたので、此処にいる限りは座る事は出来ないのよと古くから居る人に言われますと一日立ち通しで足は棒のように腫れ上がり夕方には、歩く気力もなくなるほど、重たい足を引きずっておりました。

主人の看病に慣れない上にこんなに凄い人と同じ部屋になってしまって果たしてやっ
ていけるのかしらと心細くなるばかりでした。余りの酷さに主任さんが気が付いて下
さいまして。よその病室にその方を移して下さいました。

彼女も脳腫瘍のご主人を抱えて何年も入退院を繰り返している気の毒な方でしたから。ストレスから来る意地悪だったのでしょう。人間は何処かではけ口を見付けないと
身が滅んでしまいますから、それにしても私でなくても良いのに・・

所がお部屋が変わると人が変わったように優しく良い人に変身したのです。やはりカ
ーテンも引く事も出来ない丸見えの部屋にいることの辛さが耐えられなかったようす。

何かと良く教えて下さいましたし良く面倒を見て下さいましたので、私も看護のノウハウを身に付けることが出来ました。今私が元気な身体でしたら看護のお仕事が充分出来ると思います。つづく

「安らげく時を持てない悲しさに心ないことしてみたくなる」