Graffiti Decorations

私の人生は、キャンパスいっぱいに描かれ続けている。
生まれてからずっと、らくがきのように。

新しい出発

2006-02-27 00:56:25 | 自分について
主観的な自分と、客観的な自分の違いに気づいたとき。

多分、だれもが通る道なんだろうけど、私もだいぶ悩んだ。

私の考える自分は、口げんかでは負けないし、音楽ではロックが好きだったし、納得できないことがあるととことん考えるし、登山とかアウトドアが好きだったし、映画といえばもっぱらアクション系しか見ないし、どちらかというと熱い心をもって人とかかわってきたと思う。

でも、私の他人にあたえる第一印象は、おとなしい、女の子らしい、ほんわかしてる、まぁもっと言えばひかえめで平凡でつまんないとか思われていたかも知れない。

このギャップに気づき始めた頃、私はとにかく本当の自分を知ってもらおうと
みんなの前では第一印象を裏切るようなことばかりしていた。

聞く音楽もヘヴィロック路線に拍車がかかり、今までかかわってこなかった遊びも、ファッションも、とにかくいろんなものを試して自分を飾り付けた。

でも、ふと気づいて省みると、
その「みんなの前のわたし」はどこか無理していて
形作るのは空っぽの自分で
外から見ると「似合わない」と思われても仕方ないような気がした。


そのときから、私は飾るのをやめた。

自分を客観的に見て
洋服も派手でない女の子っぽい格好にして
聴く音楽も嗜好を変え
最近の流行曲やフツウの女の子が聴いてそうな曲を探して
部屋にぬいぐるみを置き
キャラクターの小物も揃え
おそらく女の子っぽいであろうと考える趣味をことごとく試した。

はじめはこんなのいつまで続くかと思っていたが
それは案外すんなりと生活の中に入り
あっさりと新しい私を作り上げた。

そして、それからできた友達からは
「意外だね」といわれることもなくなり
表も裏もないフツーの女の子になった。

それからは前より人と接するのが楽になった。
「本当の私を見て」なんてあせらなくても
周りからは親しくする前に容易に想像がつくくらい
私は見た目どおりの女になったようだ。

それはそれはラクだった。
もう趣味が「似合わない」なんていわれないし
あとから作ったはずのスタイルにも違和感なく馴染み
私は生まれたときからこんな子だったかと
自分で錯覚してしまうくらいだ。
まったくの自然体だ。


そのかわり、私はなんも変わり映えのしない、
その辺にいるフツーの女の子になった。

もう周りと区別をつけれるほどのインパクトもなく
自分でも自己紹介のとき、好きなものや趣味に迷うくらいになった。

もう自分がわからなくなった。

そしてたまに出でくる「意地っ張り」な部分や「頑固」な私。
街角でふと昔聴いていたロックが流れたときや
自分がかつてなりたかった理想の女の人を見ると
懐かしいような、かなしいような、遠い昔の自分を思い出したような気がした。

たまに友達や彼氏とケンカっぽくなったり
胸のうちの深い部分を話すと、
「意外に熱いんだね」
「そんな行動的だとは思わなかった」
と、言われることもあったが、
それはそれでちょうどいい程度の「ギャップ」として
今までどおりの私と平行して通用するような気もした。

そして今、二十歳を迎えようとする今年。

やはり、このままではいけないと思った。
したいように生きないと、人生じゃない。
でも今の自分も自分だと思うし、否定はしない。

ただ、もっともっと自分を試したい。
自分をもっと好きになりたい。
人と違う自分自身の特徴がなんなのかを、もっと考えたい。

たぶん、今年行うであろう就職活動では
これが最大の課題である気がする。

いかに自分を分析し、アピールできるか。

でも就職活動に限らず、これから生きていくうえで、
やっぱり自分を知ることは大切だ。

主観と客観、このバランスを考えながら
ベストな自分にたどり着いたとき
自分で自分を世界で一番愛しているといえる。

人から好かれることよりも、まずは自分から。

そのとき、もっともっとすてきな恋愛ができるんじゃないかと思う。