手術当日は午前6時半に看護師さんが体温の確認に来られました。
前日はニフレックでおなかが張って辛かったのと、直腸からの瘻孔(尾てい骨近くにつながった皮膚瘻)に便が入ったため、熱が上がりそうな気配でした。これまで排便後には瘻孔に便が入り炎症が起こるため、手足が冷たくなるひどい寒気と発熱がほぼ毎回起こっていました。ニフレックでの排便でも同じようなことが起こりそうだったので、看護師さんには伝えずに持参していたタイレノールを1錠服用していたのです。本来は申告すべきことなのですが、手術前に発熱があると延期されてしまうことを心配して解熱剤を飲んでしまいました。ただ、バファリンなどの血液凝固作用を弱める薬は禁止とされていたので、アセトアミノフェン系のタイレノールにしていました。
解熱の効果もあったためか、朝の検温では37.0℃程度で問題ありませんでした。
朝からは絶飲となったので、水も飲まず、気管チューブをテープで止めやすいようにひげをそって手術に呼ばれるのを待ちます。その間に、手術後に必要になるものを持っていく準備をしました。ハブラシ、コップ、電気ひげそりなど。サイフやスマートフォンなど貴重品は貴重品袋に入れました。
手術から2日はICUに入ることになっていたのですが、その間は絶食なので、ハブラシが必要なのか疑問でしたが、名前を書いてビニール袋にまとめました。
手術用の服に着替え、8時45分になりいよいよ手術室に向かいます。手術室までは看護師さんが付き添います。
点滴の棒を持って自分で歩いてエレベーターにのり、手術室のフロアでおります。エレベーターをおりると広い空間になっていて、手術室がいくつもありました。自分の手術室の前で付き添いの看護師さんから手術担当の看護師さんに交代します。念のため、どこを手術するか確認されたので、直腸の切除です、と答え、手術室の中に入りました。
薄い手術用衣服では少し肌寒い室温でしたが、ベッドに寝た後に温かい毛布を掛けてもらいました。その後、麻酔科医の先生があいさつされ、すぐに硬膜外麻酔の管を取り付け始めました。横向きになって背骨の真ん中あたりに局所麻酔をしてから管を入れるので、局所麻酔はちくっとしますが、そのあとは背中を押される感覚があるくらいで痛みはありませんでした。
あおむけになると点滴の管から麻酔投与が開始されます。「麻酔を入れていきます」という言葉を聞いて瞬きをしたと思ったところから、意識がなくなったようです。
「終わりましたよー。ICUに移動しましたよー。」という声とともに、ライトの明かりが目に入ってきました。手術室が寒かったせいか、肩のあたりが冷たく感じ、第一声は「寒い」といったのを覚えています。すぐに毛布などを掛けてもらって、体を暖めてもらいました。
「いまは4時10分ですよ。家族の方に先生から電話してもらいますね。」と声をかけてもらいました。執刀した主治医の先生も、「大丈夫ですか?全部うまく終わりましたから」と言われて、安心しました。9時から16時なので7時間ほどかかったことになります。当初に聞いていた手術時間どおりだったので、特に手術も問題なかったんだなと思いました。
主治医から妻へ電話をかけている様子も聞こえてきました。妻はもう仕事から帰っているころでしたので、電話に出られたようです。
視界の下の部分が何やらぼんやりすると思って、見てみると、酸素吸入のマスクがつけられているのが分かりました。また、右手は何かをつかんでいる感覚があり、そっと見てみると、手首を保護するプロテクターのようなものがついていました。このプロテクターについては説明してもらったと思うのですが、その時は意識がはっきりしなかったためか理解できていませんでした。
手術後の開腹部の痛みや直腸・肛門切除の痛みはほとんどなく、硬膜外麻酔の威力を実感しました。その後は、何をしていたのか、何を考えていたのかはほとんど覚えていません。21時ごろに消灯となったのですが、ただ、足には血栓防止用のフットマッサージが動いており、ときどき左腕の血圧計も動くので、熟睡はできていませんでした。
アメリカドラマのERなどで見ていたICUは広いスペースにベッドがいくつかあるというものだったので、それをイメージしていたのですが、自分の入ったICUは個室のドアがついていないプライバシーが確保されたものでした。ただ、看護師さんはいつもそばにいて、血圧や尿袋(麻酔中に尿道カテーテルがつけられていた)などを頻繁に確認に来ていました。
そんな状態で、手術後はぼんやりと過ぎていきました。