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ヒロシカ

日々のことを。

手術後7日目

2021年07月13日 13時33分09秒 | IBD/クローン病/潰瘍性大腸炎

この日からは便が柔らかいですが、水っぽさはなくなってきました。まだ食事の半分はエレンタールなので、徐々に普通になっていくのだろうと思いました。

午前中に看護師さんが書類を持ってきました。手術中に輸血を行ったので、3か月後を目安に肝炎ウィルスなどの検査をしてください、というものでした。自分はそのときまで輸血をされたことを聞いていなかったので、少し驚きました。手術前の主治医の説明では出血は50~100cc程度だろうという話だったのですが、念のため輸血の同意書も署名して提出していました。妻には輸血のことを説明していたようで、直腸周辺の炎症がひどくて1.2リットルほど出血があったそうです。おそらく瘻孔付近に膿がたまっていたこともあり、炎症部分を取り除こうとすると出血が多くなったのではないかと思います。手術中に予想の10倍以上の出血があったとなると、主治医や看護師さんたちも結構焦ったりしたのかなと思いましたが、手術後は涼しい顔して話をしていたので、こういう場面には慣れていて、落ち着いて対応してもらえたんだろうと思います。とにかく、念のためでも輸血に同意しておいてよかったです。

主治医が回診に来た時も特に輸血については聞きませんでした。もう終わったことですし、とくに貧血になったようなこともないので、自分としてもそれでよかったと思っていました。若い担当医さんが開腹部の傷口を確認したところ、もうテープをはがしてもよいと言われました。しかし、くっついているものをはがすのは痛いかもしれないので、自然にはがれるのを待つか、傷の痛みがもっとなくなるまで待ってはがすことにしました。実際のところ、テープがあるから傷口がふさがっているというわけではないので、ほとんど役に立っていなかったとは思いますが、まだ傷口を触るのはこわかったです。

1週間ほどでドレンが取れると聞いていたのですが、ドレンの液の色はまだ赤いままでした。ネットでは黄色く透明になってくると状態が良くなっている証拠と書いてあったので、抜くのはまだまだ先かなと思いました。色は赤いですが、膿が出ていることはなく、良い色だということだったので、もうしばらくドレンをつけたままの入院生活になりました。


手術後6日目

2021年07月12日 08時50分02秒 | IBD/クローン病/潰瘍性大腸炎

硬膜外麻酔が昨日のうちに空になったので、背中の針を抜いて管を止めていたテープもすべて外してもらいました。背中の管を外してもらったことで、ベッドから起き上がる際に管をまとめる手間が減ったので良かったです。まだ起き上がるときや咳やくしゃみをするとズキンとした痛みが走りますが、それ以外のときはほとんど痛みは感じません。ただ、体温は37.5℃ほどあるのでまだ傷口の熱は残っているようです。痛み止めの点滴を続けるか聞かれたのですが、それほど痛みは強くないのでロキソニンを4日間飲んでいくことにしました。6時間を空けて1日3錠ずつでしたが、自分にはロキソニンがよく効くので、継続して飲んでいると痛みは抑えられました。

排尿時の痛みも最初に比べればよくなってきましたが、まだジンジンとした痛みは出ました。やはりドレンの入っている右側が痛みます。

このドレンは毎日朝、昼、夜とたまった液を看護師さんが計量カップに取り出しています。手術から1週間たつのですが、まだ50cc以上あるので、主治医にも、もう少ししてから取り外すと言われました。

このドレンがあるので、まだシャワーに入れず、体は毎日看護師さんに拭いてもらって、頭も3日に1回風呂場の洗面台で洗ったもらいます。ベッドの布団が少し厚いので夜中に汗をかくこともあり、拭いてもらって病衣も着替えることで清潔にしていました。

ストーマ用品の販売業者さんからパウチのサンプルが3種類届けられたので、この日の午後にパウチの交換をしました。まだ自分では手順が分からないので、ほとんどを看護師さんにやってもらいました。

パウチ交換も臭いの問題があるので、処置室で行います。パックに入った剥離剤入りコットンを使って、パウチの接着をはがしていきます。接着力は結構強かったのですが、剥離剤を使うとスルスルとはがれていきました。はがれた後で、初めて自分のストーマを見ました。まだ周りから少し出血しているところがあり、ストーマ自体も赤くなっていました。ストーマ増設のときに腸を動かしたためか、まだストーマ周辺は膨らんでいるような感じがして、触ると張りがありました。

ボディーソープの泡をつけたガーゼでストーマ周りを洗い、パウチの接着成分を落としていきます。ストーマの下のほうを看護師さんに診てもらうために、姿勢をまっすぐにしていたのですが、これが結構疲れました。ストーマのあたりで膨らみがあるため、無理やり皮膚を伸ばしている感じがしました。ストーマの形は自分ではよく見えないので、パウチの穴は看護師さんに合わせてもらい、次回以降は面板のシートを使って自分で切っていくことにしました。新しいパウチを張り付けた後は手で温めてくっつくようにします。きれいになったパウチを見ていると、すぐに便が出始めました。意識せずに出てくるのですが、交換中は緊張のためか便が止まっていたようです。

この日も重湯と野菜と魚のおかずが出ました。食べるとおならのような音が出て便も出てきます。ストーマの悩みに音が出ることを聞いていたのですが、たしかに映画館とか静かな環境では気になってしまうかもしれません。ただ、まだ手術から1週間なので、今後の経過次第で少し良くなるだろうと思っていました。


手術後5日目

2021年07月05日 13時11分17秒 | IBD/クローン病/潰瘍性大腸炎

この日は昼から食事が出ることになっていて、どんなものが食べられるのか期待していました。

朝は体調チェックをしてからエレンタールをつくり、主治医の回診で痛みもあまりなく問題ないことを伝えました。

その後、ある程度動けるようになったことをメールで会社に伝えました。大部屋なので電話対応は無理だが、携帯メールであれば対応できるので、自分が入院中に他の人に代理をお願いしていることで分からないことがあれば聞いてほしいことをを書きました。ただ、一日のほとんどは横になっている状態で、起き上がるのも電動ベッドで状態を起こしてからでないとできないため、持ってきたパソコンを開くことは体力的にも無理な状態でした。なので、メールを返す程度でしばらくやり取りしていました。

この日もガーゼ交換を担当医がしてくれましたが、開腹部の傷は何もつかなくなったので、ドレンが入っている部分のガーゼのみになりました。

手術後に開腹部を初めてみましたが、縫われている感じでもなく、短い半透明のテープが10枚ぐらい上から下まで貼られていました。入院前にもらった計画では術後2週~3週で抜糸となっていたのですが、テープ以外には糸があるようには見えません。傷口はぴったりとくっついているので、抜糸が必要ないように縫ってくれたのかなと思いました。

昼食の時間になると、入院してから初めて自分のところに食事が運ばれてきました。起き上がって座るだけでもまだつらかったですが、食べることができる喜びが大きくて、フタをされた皿と椀をすべて開け、写真を撮りました。重湯と豆腐のあんかけ、キャベツと人参のの細切れの煮物だけでしたが、久しぶりの塩味のある食事でした。そして、一番うれしかったことはトイレのことを気にせずに食べることができたことです。

潰瘍性大腸炎になってから食べた後にすぐトイレに行きたくなることは常に悩みでした。食後は2~3回はトイレに行きたくなるので、外での食事は不安との隣り合わせで、家族以外と食事をとることをできるだけ控えてきました。それが、この食事は何も気にせず食べることができ、本当にうれしくて涙が出ました。今後ずっとストーマの管理は必要ですが、外での食事とトイレの不安がこれからはほとんどなくなるんだということにとても感動し、主治医や看護師さん、自分の決断を受け入れてくれた家族に感謝の思いが溢れました。

食事をとることで腸が活発に動き出すということは聞いていましたが、ストーマになるとそれがよくわかります。食べているそばから、ガスや便が出てきました。手術後すぐのためか、音は結構大きかったです。パウチを上から抑えて音を小さくできると看護師さんから聞いていましたが、それほど効果もなく、おならをしているような音は食事中2回ほどありました。

午後にはトイレで自分で便を排泄しました。まだ水様便でしたが、水分を取り始めてから量は多くなっているようです。

夜の食事も重湯に野菜の煮物、リンゴジュースでした。基本的にはクローン病食なので、普通の人よりは油を少なくしたものになっていました。

この日は夜に談話室まで歩いていき、家にテレビ電話をしました。自分ではわからなかったのですが、首筋などがげっそりしていて、老人のように見えたようです。点滴で栄養を補給しているだけでほとんど動かなかったので、筋肉も衰え、脂肪がさらに減ったためだと思います。

食事をとれるようになったので、これからは見た目も元気に見えるようになるよと伝えて、消灯時間にはベッドに戻りました。

この日から昼間に睡眠をとると夜はすぐに眠れなくなりました。傷が回復してきたことと麻酔が切れてきたためか、体がそれほど眠らなくてもよくなて来たのかもしれません。仕方ないので、消灯後にプライムビデオを見て時間をつぶして23時ごろまで起きているようになりました。


手術後4日目

2021年07月02日 13時29分37秒 | IBD/クローン病/潰瘍性大腸炎

この日も朝は体温・血圧・酸素濃度の検査、腹部傷口とドレンのガーゼ交換をしてもらいました。体温はまだ37℃以上ありました。背中の麻酔も弱くなったため、痛み止めの点滴を追加してもらいました。

朝食はエレンタールを作って時間をかけて飲みます。前日に栄養士さんが来て、普段どのような食事をしていたのか聞かれたので、朝食はいつもエレンタールのみ、昼と夜はうどん半分とかおにぎり1個程度でエレンタールで補うようにしていた、と伝えました。そのためか、朝はエレンタールを飲むことになったようです。クローン病になってからも、直腸の炎症が悪化するまでは普通に朝ご飯を食べていたので、その状態に戻れると思ったのですが、これまでの食習慣を継続することを重要視されたようです。

まだベッドから起き上がるのは下腹に響きます。歩くのも姿勢をまっすぐにできないので、少し背中を丸めてゆっくり進む程度でした。微熱があるためか、痰がでやすく、むせて咳をするとドレンの近くを中心に痛みが出ます。排尿後のジンジンとした痛みもまだありました。

昼食は前日同様、液体ものだけで、紙パックの栄養補給剤(ヨーグルト味)が出されました。まだ塩味のものは食べれません。1階のコンビニで、塩味の飴でも買ってきたいのですが、そこまで歩く体力もないので、もう少しがまんします。

午後からはパウチにたまった便の排泄の仕方を看護師さんに教えてもらいました。まだ流動食なので水様便が少したまっているだけですが、トイレに行ってパウチの開け方、排泄後にトイレットペーパーでパウチの口を掃除して閉じる方法を一通り教わりました。午前中までは大部屋で排泄をしてもらっていたのですが、他の患者さんへの臭いが問題となるようで、早めに自分で処置ができるようにしてほしかった感じです。それほど難しいことでもないので、これ以降は自分で対応できました。

開腹部の傷とドレンの傷は毎日2回ほど確認されて、出血もなく化膿もしていなことを主治医も看護師さんも確認するのですが、お尻の傷についてはこれまで一切確認していません。とくにガーゼが当てられている感じもないのですが、病院貸し出しの白いパンツを交換するときに、小さな点々とした出血痕があるのは確認していました。そのため、肛門切除の傷はすっかり治っているのだと思っていました。

この日の夕食は、紅茶とポカリスエットが一杯ずつという組み合わせでした。これはただの水分補給ではないか、と驚きましたが、明日の昼からはおもゆとおかずが出ることになっていたので、最後の流動食だと思って、飲み干しました。

昼間は歩けるようになったといっても、まだ体力も不足しているので、この日は就寝後にトイレに行きたくなった時は、尿器を使わせてもらうことにしました。立ち上がって管をまとめてトイレまで行くのも大変だったので、楽ではありましたが、使ったことがなかったので、トイレ以外で尿を出すという行為に意識がブロックをかけてしまうようで、最初はなかなか出ませんでした。これも慣れてしまえば、2回目以降はすんなりできるようになりました。


手術後3日目

2021年07月01日 16時43分08秒 | IBD/クローン病/潰瘍性大腸炎

この日には水分制限はないので、お茶もエレンタールも飲んでもよいことになっていました。食事は昼から出るとのことでしたが、流動食が少しということで、栄養はエレンタールと点滴が中心です。

午前中に開腹傷と盲腸付近から出ているドレンについているガーゼ交換をしてもらいました。どちらもほとんど血がついていなくてきれいな状態でした。肛門も切除したので、そこにもガーゼがついているのですが、そちらはなぜか交換はしませんでした。

手術時から開始した硬膜外麻酔がなくなったので、交換してもらいました。交換後の麻酔は医療用麻薬が入っていないため、痛み止めとしては弱いという説明がありました。医療用麻薬というとモルヒネなどかなと思います。モルヒネといえば、映画プライベートライアンで重傷を負った衛生兵が苦しさを消すために仲間の兵士に注射してもらっていたのを思い出しました。自分への投与量はもっと少ないとは思いますが、瀕死の重傷の痛みすら消してしまうほどの薬なので、手術後の痛みもだいぶ緩和されていたのだと思います。交換後の麻酔はやはり効き目が弱いようで、それまでほとんど感じなかった下腹部の痛みが出てきました。看護師さんには追加の痛み止めを点滴してもらって、傷が回復していくのを待ちました。

エレンタールを作るために、洗面台に行ったりして歩くことができるようになったので、尿道カテーテルが抜かれました。カテーテルには返しがついているので、その後少し出血がありました。これでトイレまで歩かなくてはいけなくなったのですが、直腸がなくなったことにより、膀胱がいままでより広がるようになったためか、しばらく尿意を感じませんでした。とりあえず、練習のためにトイレに行ってみたのですが、尿は普通にできました。ただ、ドレンが入っている右の下腹部は排尿後にジンジンとした痛みがでました。膨らんでいた膀胱が一気に縮むことで、手術でできた傷のあたりを刺激していたのかもしれません。夕方、主治医が見に来てくれた時にそのことを話したのですが、「膀胱周りには神経が結構あるので、痛みが出るとは思うが、排尿に問題ないのであれば、そのうち治るでしょう」と言われました。以前、肛門周囲膿瘍になったときも排尿時の痛みがありましたが、あのときの激痛に比べれば軽いので、自分もそこは気にしないことにしました。

昼食と夕食は流動食と聞いていたのですが、出されたのはリンゴジュースなど液体でした。せめて塩味のものを飲みたかったのですが、仕方ありません。パウチにたまる便もほぼ液体です。腸の古くなった粘膜などがはがれて排泄されるものもあると思うのですが、ほぼ点滴で栄養を取っているので、消化管自体が休んでいたのかもしれません。

最初にトイレに行くまではあまり尿意を感じなかったのですが、24時間点滴を受けているためか、夜になるとトイレが近くなってきました。寝ているときも2~3時間おきにトイレに行っていました。腕に入っている点滴のほかに、まだ硬膜外麻酔とドレンがついているので、ベッドから起き上がるたびに管を絡まないようにまとめて、それから歩き始めます。大部屋からトイレに行って、帰ってくるだけで結構大変でした。ベッドに寝る前にまた管が絡まないように確認してから横になります。浴衣のような病衣を来ていたので、夜中に歩き時に自分の足が目に入るのですが、太ももあたりはなんだか筋肉も落ちて、老人のような雰囲気になっていました。とにかく早く栄養のある食事をして筋肉と体力をつけたいなぁと思いながら、睡眠をとっていました。


手術後2日目

2021年06月28日 16時54分46秒 | IBD/クローン病/潰瘍性大腸炎

手術後2日目の朝は5時半ぐらいに目が覚めていました。

少しだけ寝返りをしようとすると、背中の上のほうが引っ張られる感覚があり、手でその場所を触ると管がテープで貼ってありました。テープは背中の下に向かって貼られていたことから、硬膜外麻酔の管だとわかりました。寝返りするとこの管がどこかに引っかかって引っ張られるため、目が覚めてしまったのでした。

この日も6時半ごろに照明がつけられ、体温や血中酸素の確認が行われました。11時ごろに一般病棟に戻る予定であると聞かされたのですが、まだ寝返りもしっかりできない状態で大丈夫か不安ではありました。

この日は、朝からテレビをつけてもらってある程度時間が分かるようにしておきました。

何も食べていないのですが、歯磨きをしました。右手はプロテクターのようなものがついているので、左手でハブラシをもって歯磨きをし、寝たままの状態でうがいをしました。あとでわかったのですが、右手のプロテクターのようなものは、手術中に動脈の血圧を測るために親指側の手首に刺した針があるため、手首を曲げないようにするためでした。動脈は静脈とちがって体の内部を通っていることは知っていましたが、どうやって動脈を探り当てて針を刺すのか不思議でした。

一般病棟に行く前に、足のフットマッサージと左腕の血圧計が外されました。「戻ってからトイレまで歩けるようなら、尿道カテーテルもはずせるので、一度立ってみましょう」と、少し無茶な提案をされました。電動ベッドの上半身を起こして、そこから足を右側に出し、スリッパをはいて立ち上がってみました。立ち上がるまでは看護師さんがいろんな管を点滴の棒にまとめてくれていました。立ち上がることはできましたが、体を起こしておくだけでも疲れました。小さな歩幅で入口までの3mほどを歩きましたが、この状態で一般病棟の大部屋からトイレまで歩くのはまだ無理でした。自分の病室はトイレから一番遠い部屋なので、こんな状態で尿道カテーテルを抜かれるなら、オムツが必要です。そのあたりを看護師さんもわかってくれて、尿道カテーテルはつけたまま移動することになりました。

同じ経路をゆっくり歩いてベッドに戻り、しばらくすると一般病棟までは車いすでも大丈夫か聞かれましたが、上体を起こしているだけでもつかれてしまうので、ベッドに寝たまま移動させてもらうことになりました。

移動の時間は看護師さんたちが忙しくなったため、午後2時に変更になりました。それまでの時間は初めてのパウチ交換をしてもらったり、ミルクコーヒー味の栄養補給剤をもらって飲んだりしていました。手術から2日間でパウチの便(ほとんど液状)の排出は6回ぐらいはしてもらったと思います。パウチ交換はベテラン看護師さんが新人看護師さんに教えながら行っていました。手術後は横向きにつけていたパウチを、今後は起き上がることが多くなるので、縦向きに取り付けてもらいました。

右手首の動脈の針も不要になったので抜いてもらい、しっかりと抑えて止血したあとにプロテクターも外しました。

午後2時を少し過ぎてから、ベッドに乗ったまま一般病棟に移動しました。ICUのベッドから一般のベッドへは4人がかりで移してもらい、そのまま手術前にいた部屋へと運ばれました。スマートフォンなどの貴重品は、ベッドのそばのテレビの下の引き出しに入れてもらいました。

看護師さんたちがいなくなってからしばらくして、その日はラグビー日本選手権の決勝の日だったことを思い出し、NHKを見るためのテレビ用イヤホンを探そうとしましたが、かばんは少し離れたところにあるため、あきらめ、スマートフォンのNHKプラスで見ることにしました。スマートフォンをとるために体を起こして、立ち上がり、引き出しまで近づいてなんとか取り出しました。ICUで歩くところまではできていたので、立つところまではなんとかなるだろうという自信はありました。

試合は後半の残り20分ほどしかみれませんでしたが、好きなものを見ることでストレスも減って回復も早くなるのではないかと思います。

そのまま午後は寝たままで過ごし、夕食の時間になりました。自分はまだお茶しか飲めないので、他の患者さんが食べている音を聞きながら、もう少しで自分も食べられるようになるんだから、起き上がるだけの体力はつけておこうと思っていました。

この日の夜でもまだ体温は38℃近くありました。看護師さんからは「1週間ほどは熱が上がりやすいので、普通ですよ」と言われましたが、熱があると痰が出やすく、咳払いが必要になるので、そのたびに下腹にひびく痛みがつらかったです。

その日は尿道カテーテルのおかげでトイレに行くこともなく、そのまま眠りにつきました。

 


手術後1日目

2021年06月25日 09時49分29秒 | IBD/クローン病/潰瘍性大腸炎

6時半ごろに照明がつけられ、検温が行われました。体温は38.0℃ほどで、手術後の発熱は普通とのことでした。1年ほど前から炎症が強くなって熱が上がると痰がのどに絡みやすくなるといったことがよく起こっていたので、この時も少し喉に違和感が出てきていました。

しばらくして、栄養補給の点滴が交換され、「テレビをつけますか?」と聞かれましたが、メガネをかけるのも煩わしく感じたので「つけなくても大丈夫です」と答えて、ただじっとしていました。

まだ水は飲めないのですが、「口をゆすぎましょう」と言われ、ストローでコップの水を少し口に入れて、医療用の湾曲した器に吐き出しました。

それから胸部と腹部のレントゲンを寝たまま撮ってもらいました。レントゲンの機械をベッドがベッドの横まで運ばれ、2人がかりで体を少し浮かせてもらって、レントゲン撮影用の板を入れて撮影しました。手術後に体を動かしたのはそのときが初めてでしたが、下腹部が少し響くかな、という程度で痛みはほぼありませんでした。

午前中のうちに主治医とサポートに入った若手の先生2人が様子を見に来られて、傷口を見てから、「きれいですね」と問題ないことを確認してもらいました。

発熱しているためか、汗も出ているようで、看護師さんに体をふいてもらい、手術用に履いていたオムツも交換してもらいました。オムツ交換のときに右の盲腸あたりに少し痛みがあり、以前大腸内視鏡検査で盲腸付近も炎症があると言われたことを思い出し、「ついでに盲腸付近も切除されたんだろうか」と考えていました。しかし、主治医からは何も聞いていないし、傷口付近を見るのも怖いので、そのまま聞くこともせず、放っておきました。後で分かったのですが、盲腸近くからは直腸切除後の内部の出血を吸い出すドレンがつけられていたのでした。ドレンは抜けないように糸で縫い付けられているので、痛みが出ていたのだと思います。

午後になると足のフットポンプと血圧計の動く間隔が長くなり、静かになる時間が増え、昨夜の睡眠不足を解消するように気が付けば寝ているという状態になりました。

夕方からは水を100cc飲めるようになり、看護師さんにストローを口元まで近づけてもらって、少しずつ飲みました。

このころになるとずっと寝ていても、尿道カテーテルとストーマのおかげで、便意を催すということが全くなく、不思議な感覚を覚えました。まだストーマの状態や傷口を見る勇気もないので、どんな状態か確認していませんでしたが、パウチにたまった水様便を排泄してもらうときに、正常な色をしていることを教えてもらい、出血はほとんどないんだなと安心しました。

硬膜外麻酔のほかに痛み止めの点滴も使われていたのですが、その副作用で吐き気が出ることがありました。吐き気止めも一緒に点滴してもらったのですが、間に合わないときは、顔の横に用意してもらったビニール袋に胃液を吐き出してしまうことが2回ほどありました。さすがに吐き出すときは腹筋を使うので、少し痛みが出てしまいます。しかし、痛みは吐くときの一瞬だけで、後にジンジンと続くということはなく、それほど辛いこともありませんでした。

夜間担当の看護師さんから、経過がいいので明日になると一般の病室にもどる予定であることを伝えられました。ICUではナースコールを押すとすぐに来てくれたのですが、一般病棟ではそこまで早くないので、吐き気が出た時とか大丈夫かな、と少し不安はありましたが、術後の経過が良いことはいいことでもあるので、早く食事ができるようになることを考えていました。

また21時ごろに消灯になりました。そのころにはなんとか体を斜めにする程度の寝返りをすることもできていたので、ベッドの手すりにつかまって、ゆっくりと体の向きを変えて眠りました。夜のうちに血圧計やフットマッサージで目を覚ました時にも、寝返りをして、眠りやすい姿勢を探しながらできるだけ眠るようにしました。

 


手術当日

2021年06月24日 11時50分28秒 | IBD/クローン病/潰瘍性大腸炎

手術当日は午前6時半に看護師さんが体温の確認に来られました。

前日はニフレックでおなかが張って辛かったのと、直腸からの瘻孔(尾てい骨近くにつながった皮膚瘻)に便が入ったため、熱が上がりそうな気配でした。これまで排便後には瘻孔に便が入り炎症が起こるため、手足が冷たくなるひどい寒気と発熱がほぼ毎回起こっていました。ニフレックでの排便でも同じようなことが起こりそうだったので、看護師さんには伝えずに持参していたタイレノールを1錠服用していたのです。本来は申告すべきことなのですが、手術前に発熱があると延期されてしまうことを心配して解熱剤を飲んでしまいました。ただ、バファリンなどの血液凝固作用を弱める薬は禁止とされていたので、アセトアミノフェン系のタイレノールにしていました。

解熱の効果もあったためか、朝の検温では37.0℃程度で問題ありませんでした。

朝からは絶飲となったので、水も飲まず、気管チューブをテープで止めやすいようにひげをそって手術に呼ばれるのを待ちます。その間に、手術後に必要になるものを持っていく準備をしました。ハブラシ、コップ、電気ひげそりなど。サイフやスマートフォンなど貴重品は貴重品袋に入れました。

手術から2日はICUに入ることになっていたのですが、その間は絶食なので、ハブラシが必要なのか疑問でしたが、名前を書いてビニール袋にまとめました。

手術用の服に着替え、8時45分になりいよいよ手術室に向かいます。手術室までは看護師さんが付き添います。

点滴の棒を持って自分で歩いてエレベーターにのり、手術室のフロアでおります。エレベーターをおりると広い空間になっていて、手術室がいくつもありました。自分の手術室の前で付き添いの看護師さんから手術担当の看護師さんに交代します。念のため、どこを手術するか確認されたので、直腸の切除です、と答え、手術室の中に入りました。

薄い手術用衣服では少し肌寒い室温でしたが、ベッドに寝た後に温かい毛布を掛けてもらいました。その後、麻酔科医の先生があいさつされ、すぐに硬膜外麻酔の管を取り付け始めました。横向きになって背骨の真ん中あたりに局所麻酔をしてから管を入れるので、局所麻酔はちくっとしますが、そのあとは背中を押される感覚があるくらいで痛みはありませんでした。

あおむけになると点滴の管から麻酔投与が開始されます。「麻酔を入れていきます」という言葉を聞いて瞬きをしたと思ったところから、意識がなくなったようです。

「終わりましたよー。ICUに移動しましたよー。」という声とともに、ライトの明かりが目に入ってきました。手術室が寒かったせいか、肩のあたりが冷たく感じ、第一声は「寒い」といったのを覚えています。すぐに毛布などを掛けてもらって、体を暖めてもらいました。

「いまは4時10分ですよ。家族の方に先生から電話してもらいますね。」と声をかけてもらいました。執刀した主治医の先生も、「大丈夫ですか?全部うまく終わりましたから」と言われて、安心しました。9時から16時なので7時間ほどかかったことになります。当初に聞いていた手術時間どおりだったので、特に手術も問題なかったんだなと思いました。

主治医から妻へ電話をかけている様子も聞こえてきました。妻はもう仕事から帰っているころでしたので、電話に出られたようです。

視界の下の部分が何やらぼんやりすると思って、見てみると、酸素吸入のマスクがつけられているのが分かりました。また、右手は何かをつかんでいる感覚があり、そっと見てみると、手首を保護するプロテクターのようなものがついていました。このプロテクターについては説明してもらったと思うのですが、その時は意識がはっきりしなかったためか理解できていませんでした。

手術後の開腹部の痛みや直腸・肛門切除の痛みはほとんどなく、硬膜外麻酔の威力を実感しました。その後は、何をしていたのか、何を考えていたのかはほとんど覚えていません。21時ごろに消灯となったのですが、ただ、足には血栓防止用のフットマッサージが動いており、ときどき左腕の血圧計も動くので、熟睡はできていませんでした。

アメリカドラマのERなどで見ていたICUは広いスペースにベッドがいくつかあるというものだったので、それをイメージしていたのですが、自分の入ったICUは個室のドアがついていないプライバシーが確保されたものでした。ただ、看護師さんはいつもそばにいて、血圧や尿袋(麻酔中に尿道カテーテルがつけられていた)などを頻繁に確認に来ていました。

そんな状態で、手術後はぼんやりと過ぎていきました。


手術のための入院の日

2021年06月23日 10時56分22秒 | IBD/クローン病/潰瘍性大腸炎

手術は入院の翌日9時から行うことになっていたため、入院期間は3週間の予定でした。最初の1週間は手術後の回復や抗生剤の点滴など、2週目から3週目でストーマパウチの交換ができるように練習することなどが計画されていました。食事は手術後3日目から出ることになっていました。

病院まで妻に車で送ってもらいましたが、新型コロナの影響で家族は病室まで入ることはできず、入院中の面会もできないことになっており、入院するフロアのエレベータ前で帰ってもらいました。手術後の状態については主治医から電話で妻に伝えてもらえるとのことだったので、面会ができなくても問題ありませんでした。

午前中の入院だったので、病室に案内された後は手術や入院の同意書を看護師さんに渡し、持参したエレンタールの確認(入院期間3週間分)などを昼前に行いました。

午後になってから、病院のパジャマや下着を借りられるようになったので、それに着替えてから、へそ周りの剃毛のあと、点滴を開始しました。点滴は手術時の麻酔用針を使ったので、少し太くて痛いとのことでしたが、普段からレミケードや採血で刺されることが多いためか、それほど痛くは感じませんでした。その後、ニフレックを飲んで腸内をきれいにすることになったのですが、1リットルほど飲んだあたりから、おなかが張り出しました。直腸の狭窄があるため、しばらく大腸内視鏡検査をしていなかったこともあり、ニフレックを狭窄ができる前の検査と同じように飲んでいたのですが、さすがに今回は狭窄で便が出づらいようで、トイレに行っても少しずつしか出ませんでした。夕方に様子を見に来た主治医も「狭窄にニフレックはきつかったか」と言って、1.2リットル飲んだところで中止することになりました。結局その後も30分から1時間おきにトイレに行くことになり、日付が変わって午前2時ごろになってようやく収まってきました。

下剤で少し苦しい間にも、ストーマの位置決め(マジックで●付け)や明日の手術担当看護師さんからの説明(手術室まで歩いていくこと、アレルギーがあるのでラテックスフリーの手術用具を使うことなど)がありました。

その日は夜から絶食となっていましたが、2週間ほど前からほとんどエレンタールのみの生活になっていたので、あまり気にならず、おなかが張る以外はいつもどおりでした。大部屋に入るのも久しぶりなので、どうなることかと思っていましたが、ニフレックのおかげでなかなか寝付けず、手術前の緊張というものも感じることもなく、Amazon Primeでダウンロードしておいたビデオを見て過ごしていました。手術前の不安よりも、狭窄による腹痛や食事がとれない生活ももう少しで終えることができるという希望のほうが強く、早く手術になってくれないかな、と期待が大きくなっていました。


手術までのこと

2021年06月22日 08時56分51秒 | IBD/クローン病/潰瘍性大腸炎

2021年2月に定期の診察とレミケード点滴があり、直腸狭窄によってエレンタールのみの食事を続けても排便後にはほぼ毎回発熱があること、便の漏れがあることなどから仕事もできない状態になってしまい、この生活を続けていくことは難しいため、手術を受けたいということをを主治医に伝えました。

主治医としては手術するとなると直腸から肛門までを切除して人工肛門になるため、レミケードで症状が抑えられるならそのほうが良いと判断しており、手術には慎重な考えでした。しかし、自分からの手術の希望をくみ取ってくれて、手術の準備を進めていくことになりました。

その日のうちに、直腸の最新の状態を確認するためのCT造影検査、肺活量検査などを行いました。以前にも見たことがありましたが、直腸は数ミリほどに細くなっていて、周辺には膿瘍がありました。

その2週間後には小腸造影の検査も行いました。自分のクローン病は大腸型であることは聞いていたのですが、もし小腸にも病変があれば手術時に対応するための検査です。

レントゲン撮影用のベッドに寝て、鼻から造影剤注入用カテーテルを挿入しました。鎮静剤は使用しなかったうえにカテーテルがスムーズに入らず、なんども嗚咽しながらなんとか十二指腸までたどり着きました。手術によって今の症状が改善するならという思いを持って、検査の辛さに耐えていました。十二指腸で造影剤逆流防止用バルーンを膨らまして空気と造影剤を流していきました。途中で何度かあおむけ、横向き、うつ伏せなど体勢を変えながら小腸のレントゲンを撮っていきました。検査終了時には注入した空気を吸い取ってもらい、カテーテルを抜き取られるときはつらくありませんでした。時間としては1時間近くかかっていたようです。このとき注入された造影剤は200ccほどで普通のバリュームよりも薄めたものでしたが、直腸の狭窄があるため、なかなか排泄できず、4日後でもまだ出てきていました。

検査の結果、小腸に病変はなく、切除は直腸と肛門のみとし、人工肛門造設を行うことになりました。その日は、主治医から手術の方法は開腹で行うこと、そのほか起こりうるリスクや輸血の可能性についての説明と看護師や栄養士の方から入院までに準備することや入院中のことについての説明がありました。腹腔鏡のほうが術後の回復が早いと聞いていたので、腹腔鏡でお願いしたかったのですが、これまで強い炎症が長年続いていたため、直腸周辺をしっかり触って確認しながら進めたほうが良いとのことで、開腹手術となりました。

直腸よりも肛門切除の痛みのほうが1~2か月続くということを聞いたので、さっそく円座を購入して、手術後の生活に備えました。

手術は早いほうがよかったのですが、自分の仕事の調整と心の準備のため1か月半後で予約をお願いしました。自分としてはレミケード直後はある程度症状が改善するので、手術への不安が大きくなってしまうのではないかということもあり、症状が悪化しているときのほうが手術で体が良くなるという希望が強くなって、不安が減るだろうなという考えもありました。

その後は手術について家族や会社への説明、入院中に必要なものをそろえるなどしながら、手術によって生活が改善した後のことを思い描きながら、入院の日を待ちました。