今回の新選組Walkingの京阪七条駅のゴール手前の高瀬川を渡るところまでやってきました。高瀬川は、二条通りから木屋町通りに沿って南下して伏見に至る人口の川で、角倉了以が大阪の物資を伏見経由で京都に運ぶために作った運河です。運河を就航する舟は浅い川用の平底の高瀬舟を用いたため運河も高瀬川と呼ばれました。また江戸中期には沿岸に700人からの船頭・船子が住み大変栄えたらしく、材木屋や薪炭の店が多いことから一帯を木屋町と言うようになったそうです。
幕末には、諸藩の京都屋敷がこの辺りに多く、維新の志士達もこの川の近くに住んでいました。坂本龍馬の寓居跡、佐久間象山遭難の地など、史跡があります。
今回京都市内を新選組の観点でぐるりと歩いて分かったこと・・・13kmは結構歩き甲斐がありましたが、幕末の動乱期に相反するグループ(新選組vs勤王の志士)が意外と近くに住んでいたんだ!ということを身をもって体感したことですね。特に西本願寺の屯所以降は高瀬川までほんの目と鼻の先。日常的に新選組と龍馬・桂小五郎たちはひょっとしてニアミスを繰り返してたんじゃないかな~?きっとそうだったのでしょう。毎日が一触即発・・・それが幕末の京都・・・今回の私の感想です。
朝に三条京阪を出発して約13km…冬の寒空のもと歩いてゴール到着まで約5時間あまり。こんな距離歩くのはほんとに久しぶりでしたが、関東からやってきた近藤・土方たち、西からやってきた勤王の志士たちが故郷を離れたこの京の町で歴史を刻んだ日々を少しでも共有できた気がして達成感を味わうことができました。
"新選組は永遠です!”またいつか機会があれば新選組の足跡をたどってみます。
幕末には、諸藩の京都屋敷がこの辺りに多く、維新の志士達もこの川の近くに住んでいました。坂本龍馬の寓居跡、佐久間象山遭難の地など、史跡があります。
今回京都市内を新選組の観点でぐるりと歩いて分かったこと・・・13kmは結構歩き甲斐がありましたが、幕末の動乱期に相反するグループ(新選組vs勤王の志士)が意外と近くに住んでいたんだ!ということを身をもって体感したことですね。特に西本願寺の屯所以降は高瀬川までほんの目と鼻の先。日常的に新選組と龍馬・桂小五郎たちはひょっとしてニアミスを繰り返してたんじゃないかな~?きっとそうだったのでしょう。毎日が一触即発・・・それが幕末の京都・・・今回の私の感想です。
朝に三条京阪を出発して約13km…冬の寒空のもと歩いてゴール到着まで約5時間あまり。こんな距離歩くのはほんとに久しぶりでしたが、関東からやってきた近藤・土方たち、西からやってきた勤王の志士たちが故郷を離れたこの京の町で歴史を刻んだ日々を少しでも共有できた気がして達成感を味わうことができました。
"新選組は永遠です!”またいつか機会があれば新選組の足跡をたどってみます。