先日の桜紹介でアップした大覚寺の詳細説明編です。
「旧嵯峨御所大覚寺門跡」・・・宸殿前の庭園は玉砂利が敷き詰められ広々とした空間です。
回廊・・・宸殿をはじめ、正宸殿、御影堂、心経殿、霊明殿などの建物は、それぞれ個別に
建っており、回廊(渡り廊下)で結ばれています。この様式は『寝殿造り』と呼ばれ、
平安時代を代表する様式です。
大覚寺・・・最後に行ったのはいつかなあって思う位、ご無沙汰の地。もちろん本blogにも初登場。
貞観18年(876)に嵯峨天皇の離宮であった嵯峨院を寺院に改めたことがルーツ。
以降、天皇や皇族が住職を務める日本有数の門跡寺院として繁栄しました。朝廷が二分された
南北朝の時代には、南朝(大覚寺派)の中心として北朝(持明院)と争っており、その頃は天皇や
法皇が大覚寺で南朝の御所として政治が行われていたことから、別名嵯峨御所とも呼ばれています。
【正式名】旧嵯峨御所 大覚寺門跡 【別称】大覚寺門跡、旧嵯峨御所
【創建年】 貞観18年(876年) 【開基】 嵯峨天皇
■真言宗大覚寺派大本山の寺院 ■京都市右京区嵯峨大沢町4