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京都walker

「京都」の街を歩いて、歴史・文化を楽しむBLOGです。

新選組Walk…(5)蛤御門

2005-02-05 20:38:46 | 新選組
本当に久しぶりの京都新選組ネタ復活です。
またハプニングがない限りしばらく京都シリーズを紹介いたしますのでよろしくです!
この蛤御門はロケーションでいうと京都御所の西側(烏丸通り沿い)の中央辺りです。蛤御門の変(禁門の変)で有名な所です。
時は幕末、1864年7月19日、前年の「七卿落ち」で政局の中枢を追われ、「池田屋事件」で多くの同士を失った長州は、再び政局の主導権を握ろうと軍事行動に出て、新選組を含む会津・薩摩の幕府軍と戦い破れました。その戦場がここ「蛤御門」です。
 戦闘は1日で終わりましたが、この戦いの火の手が京都の町にまわり三日三晩燃え続き洛中の三分の二を焼け尽くしたそうです。たぶん洛中の文化財などにも大きな被害が出たんでしょう。
 この門には、今でもその時の鉄砲の弾の着弾した跡が残っているくらいです。この頃の京都は今の「イラクのバグダッド」という感じなのでしょうか?

新選組Walk…(4)京都御所

2005-01-16 00:13:14 | 新選組
京都はご存知のように794年に桓武天皇が都を遷されて以来明治初期までの1000年あまりの長期間天皇のお住まいがあったところです。それが京都御所で、現在のものは1855年に造営されたものということです。
 広いですね~。広大ですね~。私も全体を回ったことはなく断片的な観察しかしたことはありません。
 この歴史がある京都御所もまた幕末の時期には新選組のゆかりの地となったのです。当時「壬生浪士組」という名前で京都守護職配下の警察組織として市中の治安維持にあたっていましたが、「七卿落ち」の事件時の御所守備の働きによって「新選組」という隊名が正式に与えられたという事です。
 NHKの大河ドラマの新選組で確か「御所のお花畑を守備する」とか言っていたことなんでしょうか?
写真は建礼門の前辺りですが、このようにこの辺りまでは結構「新選組Walking」の参加者の方々の先頭集団も多かったですね!
★出発点からの距離=約3km・・・まだまだ元気!

(参考)宮内庁/京都御所のHP→ http://sankan.kunaicho.go.jp/guide/kyoto.html

新選組Walk…(3)梨木神社

2005-01-15 21:54:20 | 新選組
鴨川に架かる荒神橋の所で河川敷から上に上がり、府立医大病院の前を通って、寺町通りから京都御所の「清和院御門」に入る手前(右側)に、小さな神社ですが「梨木神社」があります。
 1885年(明治18年)に三条家の邸宅跡地に創建された「三条実万(さねつむ)」を祭神とした神社です。1915年(大正4年)に実美(さねとも)も祀られました。
 三条実万、実美親子は尊攘派公卿の中心人物で、歴史上有名な実美は、幕末の「七卿落ち(1863年の政変で長州藩に尊攘派公卿が逃れた事件」の一人で、王政復古後には新政府の副総裁になったそうです。

とても小さな神社ですが、有名な三条実美を祀ってあると聞くとなぜか緊張です。実はこの実美公は東京遷都の際、京都御所が廃止されようとしたとき明治天皇にかけ合って京都御所を残されたとのこと。市民に愛されている京都御所が今日あるのも実美公のおかげだったんですね。京都の恩人です。

新選組Walk…(2)鴨川

2005-01-10 21:18:57 | 新選組
池田屋跡の後は御池通りまで木屋町通りを北上して、そこから鴨川の河川敷に降りてさらに荒神橋まで川べりを北上です。鴨川の川面を渡る冷たい風が寒かったですねえ。中途半端じゃなかったです。くじけそうになりましたが写真のようにこんなたくさんの方と一緒ということで元気をだしました!
 今の時代はこんなのんびりした川辺ですが、幕末は大変だったのでしょう。新選組と薩摩・長州のぶつかりあいがあり、桂小五郎などは夜の闇にまぎれてこの辺も逃げ回ってたんだ~と思いました。

余談ですが、この川の名前「鴨川」?「賀茂川」?どちらでしょう?
正解は・・・
カモ川は出町柳(今出川橋)のところで高野川を合流して一本の流れになります。この合流地点より上流側を「賀茂川」、下流を「鴨川」と呼ぶそうです。但し河川法では「鴨川」で統一しているようです。

それにしても、この鴨川は市民のみなさんに愛されています。流れも綺麗です。先ほどの出町柳辺りまで行くと、夏は川遊びをしてろ子供達がたくさんいますよ。大都市の中の田舎を彷彿させる川ですね。

新選組Walk…(1)池田屋事件

2005-01-10 02:16:05 | 新選組
三条大橋をスタートして、一旦繁華街(三条河原町)に向かいます。
 高瀬川を越えてすぐ右側のパチンコ店の前にひっそりと「池田屋騒動之址の碑」が立っています。良く注意しないと素通りしてしまうサイズの碑です。1864年6月5日、祇園祭の宵宵山でにぎわう京都の街に火を放つ計画をたてる為に密会している尊攘派志士達を新選組が急襲したのがこの長州藩邸近くの長州藩定宿の「池田屋」。近藤隊の近藤、沖田、永倉、藤堂の4名が最初に突入し激戦を制しました。
「主人はおるか。ご用あらためであるぞ」という近藤の最初のセリフが有名ですね。
京都の町をテロから守ったということもあり、この事件が新選組が歴史の表舞台に立った瞬間でした。

(参考)HP「新選組(図解・池田屋事件)」
  → http://www.rbsaika.com/ikedaya/

新選組Walk…プロローグ:黒谷

2005-01-09 01:37:33 | 新選組
通勤で使ってる京阪電車主催の「新選組ウオーク 御所・壬生・島原を歩く」の企画を知ったのは、ちょうど1年前、NHK大河ドラマ「新選組」が始まったその頃でした。この機会にいっちょう京都を歩いてみようと心に決めたのですが、今日からぼちぼちと、この時のWalkingの話を思い出しながら特集してみたいと思います。新選組に興味ある方もない方もよろしゅう!
 
 2004年1月25日(日)早朝の集合は、東海道の始終点の京都三条大橋のたもと。スタート地点としては絶好のシチュエーションです。寒いですがそこそこの天気。受付場所はすごい人波です。何百人もっと多いですかね~?これが全員参加者?という感じです。参加者はぱっと見た感じ平均年齢少なくとも私より高そう。
 要領がわからないまま、受付するとA3サイズの地図とペットボトル飲料をいただいて・・・「さてと、どのように始めるのかな?」と周りをみると”皆さん三々五々スタートしてるではありませんか”・・・おーっと、そうだったんです!各自地図と道端の案内板を見ながら「13kmの行程」をWalkingするという企画だったんですよ。
 「まあ、京都はそこそこ地理も分かってるし、これだけの人がいるから迷うことないし~」と自分を励まして三条大橋をスタートするのでした!・・・少し先行き不安。・・・つづく

写真は、今回のWalkingのコースじゃありませんが、新選組が京都守護職の松平容保公に逢うため度々訪れた黒谷「金戒光明寺」です。この石段を近藤、土方、沖田達が駆け上がったのが、わずか140年前。ちなみに1868年の今の正月明けの時期は鳥羽伏見の戦いが始まり、5年間京都で活躍した新選組が敗走を始めた時です。