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ユア・ハイハート、自らの神聖さと共に。

心や魂のこと。生きる勇気と希望。
世界はいつも儚く光に溢れてる。誰もが強くて優しい。No worries, 大丈夫。

プラスマイナス、ゼロ。

2014-03-02 00:41:20 | 日記
映画『永遠の0』がまだ上映されている。
昨日は1日で映画の日、1000円で鑑賞できる日だったが、休息の時間に充てた。

「必ず帰ってきます」「死んでも帰ってきます」
私は、この台詞と、このシーンと、向き合える自信がない。原作は読んだけれど、この映画を観てどんな思いが湧き起るのか・・想像もつかない。とても怖い。しかし、いつか観ると思う。


0・・ゼロ。

数秘では「霊的素数」と言われる、最も強い数字。存在そのもの、Being、無限を指すものだ。 
他の数字を強調する働きを持つ数字でもある。

何故、最も強いのか。何故、それが、他を強調する働きをするのか。
それは、プラスマイナスゼロだからだと、ふと思った。
正負も、良いも悪いも、認め合えば、プラスマイナスゼロ。

それだけで充分じゃないか。いや、それが、あるべき姿ではないのか?
けれども、私たちは、プラス、プラスと、積み重ねることばかりを考える。

マイナスを嫌って、嫌って。いつしか出来上がったのは、ひずみの姿。


傷も悲しみも、憎しみも惨めさも、力に変わる。
プラスマイナス、ゼロ。

傷も悲しみも、憎しみも惨めさも、見つめているのは愛だ。
それを受け入れたとき、姿を変える。力に・・もしかしたら、翼、もしかしたら、夕日、もしかしたら月・・
共通しているのは、温かさと、まろやかさと、優しさ。


そのとき、プラスを積み重ねることが力の増強で、正義で平和だなんてこと、幻想に過ぎないと気付く。
怖れていただけだ。プラスを重ねることで、安全パイを増やし、着膨れしていただけじゃないんだろうか。

ゼロは無限。尽きることない泉。そこに全てがある。
ゼロで在れば、すべてが自分に向かってくる。



今日も最後まで読んで下さってありがとうございました。

今日も皆さんの愉しく健やかな1日でありますように。


昨日が、過去になる。

2013-10-23 01:21:11 | 日記
一昨日・・・10月21日、朝、目覚めたとき、こんな言葉が頭をよぎりました。

「昨日が、過去になった」

当たり前と言えば、こんなに当たり前のこともないのですが、その時から今に至るまで、あるイメージがずっと続いています。
それは、過去(過ぎたこと、一秒あとのことも過去です)が真っ暗だということです。

タイムライン≒一直線上に、現在、過去、未来を表すなら、
今いる位置(現在)から後ろ、もしくは今回の私の場合は右(通常、過去は左側と言われます)が真っ暗闇なのです。しかし、これは、通説通り、未来が真っ暗闇なのかもしれません。まぁ、どちらでも良いです。

ただ、私は、これを悪いようには捉えてなくて、どちらかと言えば反対。
今までの思い込みや、記憶の蓄積による判断から自由になって(これが真っ暗闇という形で現れたのだと思います)、これからは自分で選んでいく、その行為と、それにより起こる現実を自分で引き受けていくんだ。。それを象徴しているのだと思いました。自分でも気付いていないところで(潜在意識下とも言えるかもしれません)、これをコミット(宣誓)していたんでしょうね。具体的に分るような形で現れてくれたのは、そのためじゃないのかな。正確なところは分りませんけど。



今日も最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました。
今日も、皆さんのすべてが慈しまれる一日でありますように。


影も闇も

2013-09-03 16:53:47 | 日記
影や闇とよく言うけれど、星は、夜空という黒い背景があってきらめきが見える。夜空込みで、星が奇麗なのだ。

宇宙も、黒く見える宇宙空間があって、惑星や星雲に神秘を感じる。黒い色の宇宙空間込みで、感動するのだ。


そう思うと、
影や闇って、何だろう?と思う。

何で、悪しきものの代名詞としてこの単語を使い、また、そのように意味付けするんだろう。

また「悪しきもの」とは思っていなくても、
「嫌いなもの」「上手くいかないこと」「許せていないこと」「忘れ難いこと」「辛く悲しいこと」「癒されていないこと」「どうしようもないこと」「出来れば触れたくないこと」を意味するときに、ついこの言葉を用いてしまうのは何故だろう。


込みで奇麗で、込みで感動的なのにね。


・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・++・+・+・+・+

しんどいことが無くなるって、いいんだろうか。
愉しいことばかりって、いいんだろうか。
幸福しか感じないって、いいんだろうか。

何でも好きなことが出来て、何でも好きなものが買えて、いいんだろうか。

自分の「好きなこと」「好きなもの」「したいこと」が自分で分ってて、いいんだろうか。


ずっと探し求めていたものが、すでにあったことにオープンになれない。だから「いいんだろうか」と心身が疑問符で一杯になってしまう。すでにあるといういう喜びを受け取ることが出来ずに、戸惑うばかり・・・で、やっぱり、何か「苦」を作り上げて。何故なら、その環境の方が慣れているから。

でも、今度は、そちらを選ばない。また選ぶときも来るかもしれないけど、それも自分で決められる。

今は、上に書いた、「いいんだろうか」に Say YES した。



今日も最後まで読んで下さって、本当に有難うございました。

今日も皆さんのすべてが輝き、慈しまれる一日でありますように。


自分のフィルタと「本当の本当」

2013-08-09 23:30:12 | 日記
目の前の風景、目の前で起こっている事件、自分が属している組織や社会、今、自分が生きている時代、その他すべて・・・それをどういうものと思っているか、そのことについて、自分はどう思っているか、そして何を信念や譲れないものとするか・・・それらすべて、自分のフィルタを通した、自分が創造した世界だ。それが本当のところ何なのか、What's tthe truth of this ? それの本当の姿とは?誰にも分りはしない。

限りなくその純粋な姿に迫ることは可能かもしれないけれど、一人の人間のフィルタを通している以上、そのオリジナルのオリジナル・・・その完全に純粋な姿を捉えられる可能性は全く無い、と言っても良い思う。すべては、万人に相応する事実ではなく、意見によって生まれた、その人にとってのオリジナル(本当)だ。

でも、人は、そこにブライドを賭ける。
信念は、自分を支える、最後の支柱となる。それが、生きる意味となり、生き続ける目的となる。

そうでなければ、自分というオリジナル(唯一無二)の存在を生かし続けることはできない。そして、そうやって、一人ひとりが生きている。今日も、この一秒の間も。


そう考えると、オリジナルのオリジナル=本当の本当のところは何なのか、よりも、

その人の息が吹き込まれた(フィルタを通した)その人にとっての本当の方が、

実は、もしくは今さら言うまでもなく、断然に大切なことなのだ。


それは事実ではない、自分の意見でしかない、と自戒のツールになるときもあれば、
それこそを受け入れてもらっているのだと、注がれてきた愛に気付くときもあるのだろう。

何が正しいか、何が間違っているのか。それで決着がつくことであっても、それでも互いに歩み寄ってみたい。正しいから勝つ、間違っているから負かす、の先にある帰着点を求めることができる心を、何かのときに思い出す自分でありたい。



すべてを生かす力

2013-03-14 18:28:54 | 日記
今日、何となくビルの屋上に出たときに、ふと胸を衝いた言葉がありました。

「すべてを生かす力がある」と。

そして、私もその輪の中に入っている。生かされている輪の中に。


すべてが生かされて今があり、その今とは、連綿と、きっと何百、何千万年と続きてきたことで。。

しかし、全てを生かすその力への畏敬と感謝の気持ちを、私はずっと忘れていた。それ以前に、その存在を忘れていました。

その生かす力は、過去未来現在を貫いています。
そして、それは、決して単一の絶対的な存在ではないように感じました。
ご先祖様も、神界に於ける多くの眷属たち、お亡くなりになった沢山の方々も、その力に添っています。

また、過去の所業のために、切り開く未来のために、現在生かさないことも、その力の生かすことです。


そして、私だけが生かされる訳ではないのだから、
同じ生かされている、すべてのものの一員として、私もすべての命に命あれ、幸あれと祈ろうと思いました。

それが、自分のために祈ることでもあり、
自分の幸せを願うことであり、人生を実現していくことなのだと思いました。


ここにあるのは、ずっとあり続けたのは、すべてを生かす力なのだから、
すべての命に祈ることは、私も生かされることと同じ。






今日も最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました。

今日も皆さんのすべてが輝き、慈しまれる一日でありますように。