『地獄の1年間』★★
文字起こし
みなさんこんにちは生活防衛ラボ研究員な米田 です
都市で電気ガス水道などライフラインがすべて途切れてしまったらまたそれが1年続いたら一体どうなってしまうのでしょう
実際そんなことが起こった年がありました
今日はそんな年で1年間過酷なサバイバルをくぐり抜けた男性の話をご紹介します
とても重たい話になるのでそういう話が苦手だという方は動画をストップして
ください
米田自身もこの話を聞いた日の夜は気持ちがとても暗くなってしまいいろんな悪いことを考えてしまいました。しかしこれは全てのプレッパー備える人々が知っておくべき話だと思います
歴史から学ぶ事は多いからです
備えに対して前向きの方はどうぞ続きを聞きになってください
皆様はボスニアヘルツェゴビナ戦争をご存知でしょうか
それは1992年3月のボスニアヘルツェゴビナの独立を機に勃発した国外に居住するモスリムセルビア人クロアチア人の3民族による武力衝突です
独立に賛成するムスリムクロアチア人勢力とそれに反対するセルビア人勢力とが衝突しましたが次第にムスリムとクロアチア人勢力も対立し三つ巴の内戦となりました
民族浄化の名のもとに3勢力が他民族を追放虐殺を行うなど凄惨を極めた戦いでした
最終的に死者20万人難民に250万人を出す大戦争に発展しました
1995年11月アメリカ合衆国主導で紛争の当事者三国がアメリカのデイトン
空軍基地に集まりデイトン平和声明が成立し3年半にもわたる長い戦争が終結を迎えました
そんなボスニアヘルツェゴビナ戦争の最中フランスに近いユーゴスラビアのとある町が敵軍に囲まれてに包囲されて孤立しました
電気ガス水道ありとあらゆるライフラインが寸断されたうえ政府は全く機能せず敵軍やギャングの脅威にさらされるという実に過酷な生活が始まったのです
そこに一人の18歳のセルコベゴビッチという名前の少年がいました
現在セルコはこの戦争の体験を本やセミナーで語っています
今日はそのセルコがどのように戦火をかいくぐり、ライフラインのない生活を生き残ってきたかをご紹介します
なお前と同じ身ではありますが米田を英語があまり得意ではありません
しかしどこを探してもせるこの話の日本語が付けられなかったのでまたまた
google 翻訳様に頼りながら日本語に翻訳しました
翻訳の間違いなどはご容赦下さい
正確に内容知りたい方はせるこのオンラインスクールや英語版の本のリンクを
貼っておきますのでぜひご覧になってみてください
地獄の1年間
私はボスニア出身です
1992年から1995年の間はまるで地獄でした
私は1年間みずでんきガソリン医療支援軍隊の支援流通その他開いたあらゆる
サービスが断たれ無法地帯となった人口6千人の町で過ごしました
私たちの街は敵軍によって封鎖され1年間町での生活は過酷を極めました
この街には軍隊も警察もいませんでした
私たちは自ら武装し自分の家と家族を守りました
街が封鎖されたとき私たちには少しの蓄えがありました
しかし町のほとんどの住人は全く蓄えがなくほんの数日間しか食料を持っていませんでした
中にはピストルや ak 47ショットガンなどを持っている人もいました
1、2ヶ月経つとギャングが台頭してきました
そして街を破壊し始めたのです
取り締まる警察はいませんでした
病院は食肉処理場となり病院スタッフの約80%は殺されました
ラッキーなことに大家族の我が家には大きな家に15人が集まりピストルが六丁ak 3が3丁あったためほとんどの家族が生き残ることができました
アメリカはこの封鎖された街を助けるために10日ごとに 緊急食糧物資を落としてくれました
しかしこれは決して十分ではありませんでした
この街は建物ばかりで庭を持っている人はほとんどいませんでした
飢えと寒さで亡くなった男性の傘を最初に聞いたのは3か月が経ったころです
私たちは廃屋からすべてのドアとを木枠窓枠床をはがし家具に至るまで暖を取るために全て燃やしました
多くの人が病気で亡くなりました
汚染水による死亡が群を抜いていて私たちの家族2人もそれでなくなりました
ほとんどの水は雨水からいました
食料は鳩やネズミを食べました
現金はすぐに価値がなくなり物々交換が主流となりました
女性はスパムの缶6缶で体を売りました
とてもつらいことですが現実に起きていました
そして体を売った女性のほとんどは生きる糧を失った母親たちでした
武器弾薬
ろうそく
ライター
抗生物質
ガソリン
電池食品
そんなもののために私たちは野獣のように戦いました
極限の状況ではすべてが変わります
男性は怪物に成り果てました
吐き気を覚えました
数が強さでした
一人暮らしの男からいくら武装しても殺されたり盗まれたりするのは時間の問題でした
今日私と家族はよく備えています
自分自身の経験から備える方法を知っています
地震
戦争
津波エイリアン
テロリスト経済危機一揆
何が起こるのか重要ではありません
これから何かが起こるということが問題なのです
これから私のサバイバルの経験を伝えします
一人では生き残ることはできません
家族の絆を強め一緒に準備をし、そして信頼できる友人と仲間になりましょう
1都市で安全に移動する方法
町は通りに沿ってコミュニティを形成しました
私たちの街路にはここから20軒の家がありギャングと敵を監視するために毎週5人の武装した男性がパトロールをしました
物々交換を通りで行いました
約5キロ離れた所に物々交換するための通りが出来ました
しかしそこに行くまでには狙撃 に狙われたり強盗に襲われる危険性がありました
本当に必要なものがあるときのみにしか行かなかったので私自身も薬,
特に抗生物質を入手するために2回行っただけです
通りは爆撃によるがれきと放棄された車によって塞がれていました
ガソリンは非常に高価でした
もしどこかに行く必要があるときは夜間に行動しました
移動は絶対単独または大人数で行ってはいけません
常に2、3人の武装した男性のみで迅速に建物の中を移動してください
開いた通りに沿ってではなく廃墟を通り抜けて通りを横断しなくてはいけませ
ん
町には屈強な男が10人から15人の所属するギャンググループがたくさんいました
中には50人以上所属する大きなグループもありました
もちろん私あなたあなたの父親やおじいさんのように普通の男性が殺したり奪ったりすることもたくさんありました
善人も悪人もいませんでした
ほとんどの人が良くもあり悪くもあり最悪の事態に備えていました
2 燃料
町にはあまり木が植えてありませんでした
とても発展していてレストラン映画館学校そして空港までありました
市内の公園とすべての木は最初の2ヶ月すべて伐採され燃料となりました
電気とガスがないのでも燃えるものは何でも燃やしました
家具とはフローリング、木はすぐに燃えてしまいます
街に農場はなく敵は郊外にいたので私たちは町を出ることができませんでした
街の中では誰が敵で誰が味方か全くわかりませんでした
3 知識
どんな知識が役に立ったのかというと石器時代の生活を知っておくことは助けになると思います
例えば私は調理用ガス缶を持っていました
がそれを調理には使用しませんでした。もったいなかったからです
自分で作ったノズルを取り付けてライターに充填していました
ライターは当時とても貴重でした
私は誰かが空のライターを持ってくると食べ物の代わりに缶ににガスを充填してあげました
また私は救命救急士だったのでこのような状況において私の知識は何よりも大変に役に立ち生活を支えてくれました
ありとあらゆることに好奇心を持ちスキルを磨いてください
このような条件下ではスキルが何よりもものをいうのです
消耗品はいつかなくなってしまいますがスキルはなくなることがなくあなたを常に助ける道具となります
3 物、靴
人を治す方法を学んでください
ちなみに私の隣人はランプ用の灯油の作り方を知っていたので食べるものに困ることはありませんでした
危機が訪れた時すべてが本当に早くなし崩しになることを私は知っています
そこで私は6ヶ月間持ちこたえるに十分な食料衛星用品電池を備蓄しています
現在私は非常に安全な作りのアパートに住んでいますが、5キロ離れた村に避難できる家を所有しています
そしてそこにもさらに6ヶ月分の物資を蓄えています
そこは小さな村ですがそこに住んでいるほとんどの人は戦争に鍛えられた備えのできている人々です
さらに私は4つの銃とそれぞれ2千発の玉を持っています
家には庭があり家庭菜園も学んでいます
また直感も大切にしています
たとえ周りのみんなが大丈夫と言っても私は自分の直感を信じます
家族を守るために必要なことは全て行うようにしています
誰であろうと危機が訪れても子どもと家族を守る準備をしておく必要があります
私は自分ひとりで生き残ることは不可能だと思っています
たとえ私が完全に武装したとしていても一人だったらいつか死んでしまうでしょう
私はそんな人を何度も見ました
様々な分野のスキルと知識を備えた十分に準備された家族やグループに所属
することが生存率を引き上げます
5 備蓄品
備蓄品は状況によって異なります
生活する場合必要なのは武器と弾薬だけです
とにかくたくさんの弾薬です
そうでない場合はより多くの食品衛生用品電池、アキュムレータ、ナイフ、ライター、ファイアースターター、スープなど小さな物々交換用の品が必要です
また小瓶のアルコール、最も安いウイスキーなんか最適です
すべての人が不衛生な状態でなくなりました
基本的なアイテムがたくさん必要になります
例えばゴミ袋そしてトイレットペーパー、紙皿や紙コップがたくさんあったら助かります
当時私も思っていたらどんなに良かったかと何度も思いました
もしかしたら食品よりも衛生用品の備蓄の方が重要かもしれません
食品は鳩や野草で賄えるかもしれませんが、洗剤を拾ったり銃で撃って入手することはできません
消毒剤洗剤漂白剤石鹸
手袋マスク
こんなものが本当に必要です。傷や火傷で最初にやらなければならないのが傷口の戦場です
医者はいても対価を払うことができないので自分でやるしかありません
抗生物質をどのように使用するのか学んでください
抗生物質を備蓄しておくのも大切です
所持する武器はシンプルなものにしましょう
私はクローク45を所持しています
しかしクローク45を扱いづらいのでピストルを持っています
ここでは皆所持しています
銃の所持は決して良いことではないかもしれませんがみんな持っているので持たざるを得ません
またサバイバルギアは目立たないものを持つようにしましょう
例えば発電機があったら助かることが多いのですが千個のライターの方がこのようなサバイバルには優れています
発電機を人の目を引いてしまいトラブルの元となります
逆に千個のライターはコンパクトで安価なのでいつでも交換に使えます
私たちは雨水を4つの大きな樽に集め沸騰させて使いました
近くに小さな川もありましたがみんなが使うので川の水はとても汚れていました。なので水のためのバケツやタンクを用意することも重要です
6 金と銀
金はこのような状況でも価値がありました
私は家の中のすべての金を代役と交換しました
地元のお金はすぐに無価値になりました
最初は生活に必要なもの米ドルやドイツマルクで買っていましたが
価格は天文学的なものとなり飴1缶が30ドルか40ドルまで高騰したため必要なものはすべて物々交換で入手するようになりました
塩も高価になりましたがコーヒーとタバコはさらに高値がつきました
私はお酒をたくさん持っていたので物々交換に使えました
アルコール消費量は平時と比較して10倍以上に増加しました
おそらく現在ではタバコ、ライター、バッテリーを備蓄する方が便利でしょう
アルコールよりずっと少ないスペースで備蓄できます
当時私はサバイバリストではなかったため蓄えはほとんどありませんでした
街が攻撃を受ける数日前政治家たちは全てが計画通りに進んでいるので心配ないとテレビで繰り返していました
爆撃音が聞こえた時そうでなかったと悟りました
8 武器
戦後すべての家には銃がありました
戦争が勃発した時警察は武器の回収に努めました
しかし私たちは武器を隠してもち続けました
今私は免許をとって合法的に銃を所持しています
現法律下では一時的なコレクションといわれています
何かあれば政府は登録された銃をすべて押収します
ご存知のように合法的な銃を持っている人はたくさんいますが
違法な銃を所持している人もたくさんいます
もしあなたに良い取引相手がいるならどんな状況でも銃を手にすることはできるかもしれません
しかし最も困難な時期は事が起きた直後なのです
何かが起きた直後に家族を守るための武器を準備しようとしてもおそらくはできないでしょう
混乱とパニックの最中に武器が無いのは致命的です
私の場合ラジオ使うのに車のバッテリーが必要な男性がいました
彼は散弾銃を持っていました
アキュムレータとバッテリーを銃に交換しました
それから時より私は弾薬を食べものと交換し数週間後には食べ物を弾薬と交換しました
必ず家の外で交換しました
私が家に何をどれだけ保管しているのか知っている人はほとんどいません
最も重要なことはスペースとお金が許す限りできるだけ多くの物を所持することです
最終的にあなたはそれが正しかったということがわかるでしょう
私はまず武器と弾薬
2番目にガスマスクとフィルターを備えます
9 セキュリティ
セキュリティはあってないようなものでした
繰り返しになりますが私たちに備えがなかったので使えるものを全てを使いました
爆撃の後と窓は粉々になりました
屋根はひどい状態になりました
窓は土のうでふさいだりしました
外から家に帰るときは家の中の誰かにはしごを降ろしてもらっていました
中には家に完全なバリケードを築いていた
人もいました
彼は壁に穴を開け隣人の会や廃墟へ続く秘密の通路を作っていました
これは奇妙に思えるかもしれませんが堅固に守られた家が最初に略奪され破壊されました
町には高い壁や犬、警報器鉄格子の窓のある素晴らしい家がありましたが人々は最初にその家々を攻撃しました
持ちこたえた家もあればなされるがままになった家もあります
住民が武器を持っていたかいなかったかが生死を分けたのです
自己防衛は非常に重要ではありますが目立たないようにしなければなりません
もしあなたの都市が非常事態に陥ったら、たくさんの銃と弾薬を装備した決して目立たないありふれた警官の家に住むことが大切です
私の家は現在鋼鉄のドアを取り付けていますがそれは最初の混乱を乗り切るためです
一度時代が落ち着けば私は町を離れ他の家族や親しいプレッパー仲間と合流する予定です
街の戦況はコロコロと変わりました常にどこかで銃声が響いていたので常に誰かが見張っていました
ギャングが襲撃してくることもあるのでできるだけ質の高い自衛団の組織と運営が必要とされました
すべての出入り口やバリケードで固め隙間はほとんどありませんでした
内部はいつでも戦闘の準備ができている人が少なくとも5人家族を守り見張り役が1人通りに隠れていました
狙撃への射撃を避けるために私たちは一日中家の中にいました
日中は狙撃 の銃撃を恐れ通りには誰もいませんでした
情報を収集するために出かけた場合でも銃撃 ok 多くの人が亡くなりました
テレビもラジオもなかったので唯一の情報源は噂だけでした
町には組織化された軍隊がなかったのですべての人が戦いました
これは仕方がないことでした
誰もが武装して身を守るために戦ったのです
高価な装備を身につけてはいけません
目をつけられて殺されてしまいます
決して目立たないように周囲に紛れるのです
もし非常事態が明日訪れたとします
私は周りの人と同じように嘆き悲しみ時には大声で叫びなくでしょう
服装にも気をつけるべきです
戦闘服を着ようものなら私を打ってくださいと言ってるようなものです
決して目立たぬようを武装して準備をし親友や兄弟と一緒に生き残る道を探ります
派手な武器は絶対に持ってはいけません
あなたが資産を持っていると強盗に知らせるようなものです
銃と弾丸の数がそろっていれば十分なのです
10 トイレ
トイレはシャベルを土で掘って用足しました
とても不衛生でした
彼はで洗うこともありましたがとても危険だったのでほとんどは雨水を使用しました
トイレットペーパーはありませんでした
あったとしても私は物々交換に使用していたと思います
何度も言いますが生き残る為には銃と弾薬がまず必要です
第二にその他全てのものです
文字通り全て、スペースとお金が許す限り全ての物を所持しましょう
もし足りないものがあっても必要なものを交換してくれる人が必ずいます
しかし武器や弾薬を持っていないと安全の取引ができません
大家族はいろんな面で消費が多くなります
しかし反対に大家族なりの強さがあります
より多くの銃と人員的な強さがあります
11 病気やケガ
ほとんどのケガは銃撃によるものでした
資材も設備もない状況で誰かが負傷した場合たとえ医者がいたとしても生存率はたったの30パーセントでした
これは映画ではありません
現実です
たくさんの人々がなくなりました
多くは傷に入り込んだ菌による感染症でなくなりました
私は抗生物質を家族用に2、3個は持つようにしていました
本当に些細なことで人々は命を落としました
単純な傷でも不衛生の水しかない状況では3日で命を落とします
皮膚病や食中毒で倒れる人も大勢いました
最初は地元の植物と純粋なアルコールを使用していました
ショートタイムには十分ですが長期的には役に立ちませんでした
英製品の備えは非常に重要です
できるだけ多くの薬、特に抗生物質の確保を忘れてはいけません
いかがでしたか
セルコの話は他にもまだまだたくさんありますが
戦時下のヨーロッパと日本では文化も前提も何もかもが異なります
銃の所持は現在日本では認められていません
セルコは銃と弾薬の入手を何にもまして優先的にするべきだと言っていましたが日本では絶対に弾丸や銃を入手しようとをしないでください
このお話を伝えさせていただいたのは恐怖を煽るためでも中や弾丸の備蓄を進めるためでもありません
心の準備をするためです
そしてできることなら最悪の事態を想定し、どのようにそれを回避できるか日頃からシミュレーションをしていくことです
そうすれば事態が起きたときにもいち早くパニックから立ち直ることができる
でしょう
初動が大事だとセルコは語っていました
今の日本ではセルコのようなことが起こるかどうかは分かりません
ただ日本の歴史には何度も戦争があったことを忘れてはいけません
そしてセルコの話ではほとんどの人が備えがなかったと言っていました
これは今の日本でもまったく同じだと思います
たくさんの人は銀行預金やタンス預金をしていると思います
しかし有事にはお金はすぐに価値を失ってしまうのです
セルコも必要なものはすべて物々交換で入手しました
金でも物々交換が出来ましたが彼のオススメの交換アイテムは価格も安く収納
場所もとらない
ライター
タバコ
電池
そしてお酒でした
現在ではその他にも便利なものをたくさんありますが基本はおそらく変わらないと思います
そして物々交換できるようなスキルを磨いておくことです
好きなことをとことん極めていきましょう
それがものを直したり作り出したりすることだったらなおさら良いでしょう
また衛生用品と薬、特に抗生物質の備蓄の準備の重要性を語っていました
戦いや飢餓で死ぬよりもきれいな水が確保できないことからくる感染症により人々は死ぬのが普通でした
この事実は私たちに備えに関して大きな教訓を残してくれています
どんな時でも綺麗な水を確保し得る手段を探しておきましょう
高機能の携帯浄水器は必要です
また潮水機のフィルターの寿命を長くするためにも醸成する前にできるだけ水をきれいにするスキルも身につけておきましょう
そしてできるなら必要な医薬品も揃えておきましょう
飲み薬の抗生物質は処方薬となるので購入はできませんが抗生物質入りの軟膏なら薬局でも入手できます
セルコは不衛生な環境からくる皮膚トラブルも多かったと言っていたのでひとつ持っていても良いと思います
また汚い手で目をこすると眼病を患うこともあるかもしれません
抗菌目薬などもお勧めします
さらに助け合えるグループを作っていることの大切さをせる子を伝えていました
どんなに備えていようと一人でやれることには限界があります
日頃から家族と連絡を取り合ったり命を預けられる友人を作っておくこと、志が同じ同士を見つけることなどを心がけてみましょう
都市でのサバイバルは過酷を極めます
しかし備えていれば憂いも少なくなります
ただし未来の備えのために今を犠牲にしてはいけません
スペースや予算は人それぞれです
恐れや恐怖は理性を失わせます
急がば回れという言葉があるように効率的にバランスよく備えをするためには一度一歩後ろに下がって前向きな気持ちで客観的に多方面から物事を検討することが必要かと思います
明日来るかもしれない危機よりも今大切なこともたくさんあります
何事も自分の状況に合わせバランスよく行うことをお勧めします
それではまた次の動画でお会いしましょう
ワクチン接種者の死亡。ワクチンのシェディングで死亡。新型コロナで死亡。そして死なないまでも重傷で動けなくなった人たち。精神がおかしくなった生存者。公共施設は廃墟となり、電気ガス水道が止まり、ゴーストタウンが広がる街、村。原発や核廃棄物貯蔵庫からの放射能汚染。化学工場からの汚染。汚染された海、川、土地。食料の放射能汚染。モラルの崩壊による略奪。
生き残った人間は接種者とコロナ患者からのシュディングを恐れてピリピリしており、接触を極端に恐れる。結婚や子作りに慎重になる人間たち。飛行機電車は燃料、修理ができなくなり止まっていく。各地で孤立していく人間たち。そして電波が止まっていくため、シェイプシフトが解けて、正体を現すレプを始めとする人外たち。さらに2024年には氷河期が訪れると掲示板での書き込みもある。
そんな中でどう生きていくのか、この動画が参考になると思い文字起こししてみました。スキルと武器と食料とライターなどが必要ですね。やはり接種者以外の人間が集まってコミニティを作ることが必要ですね。周りを塀で囲った街とか。コロナ感染は多すぎするので、重症で将来助かりそうもない場合以外は薬の備蓄を見て移住OKにするとか。今年は青森は雪が多かった。まだ溶けてない雪がたくさんある。氷河期に近くなると南へ移住も必要ですね。掲示板で接種してない人たちが集まって、土地の候補地を選定するとか、備蓄やスキルの共有などを今のうちから初めておくことが大切ですね。人が大勢死んでからでは遅いから。武器のあるところは自衛隊、警察、ヤクザあたりでしょうか。でも宗教団体やお金持ちも持っているという噂はありますね。