🍀般若心経の解説🍀49
🌸🌸「波羅僧羯諦(はらそうぎゃてい)」🌸🌸
私たちは、ことがすこぶる順調🍀に運び、
ときには他の人たちに抜きんでて注目👀✨されるようになりますと、
「自分ほど偉いものはいない」と思い、
とかく慢心😏が生ずるものです。
また、若さのまっただなかにいるときや、身体の調子🌸がよいときには、
年老いた人👴👵や病気で苦しんでいる人への心くばりを欠きがちになります。🙀
さらに、私たちは生身の人間でもありますから、
自分の立場をよくするためにときにはウソ😈をいってみたり、
お酒を飲みすぎてつい大言壮語🎵をすることもあります。
ささいなことに腹をたてて😠、荒々しい言葉⚡️☔️を発することもあります。
自分を偉く👑みせることをいい、また他人をけなす👎こともあります。
しかし、ひとたび逆境に陥ったとき、
あるいは身の老いを感じるようになり、健康🍀が損なわれはじめますと、
私たちは、誰しも心が沈み☁️☁️、苦悩が頭をもたげてきます。⛅️
思いわずらうことが重なりますと、
正常な判断🌸ができなくなり、ついに迷い🌀がちになります。
迷いは、この世は「もちつもたれつ」なのに、
自分中心⭐️に考えようとすることに起因するといわれています。
このような自分中心⭐️の迷いの生存を、
仏教🌸では「生死(しょうじ)」といいます。
生死を離れて☁️☁️、心💓の安らぎ(成仏)を得るにはどうすれば良いか。
道元禅師は、
「正法眼蔵」の「生死」の巻でこのように説かれています。🎵
心をもてはかることなかれ。
ことばをもていうことなかれ。
ただわが身をも心をも、
はなちわすれて、
仏のいえになげいれて、
仏のかたよりおこなわれて、
これにしたがいもてゆくとき、
ちからをもいれず、
こころをもついやさずして、
生死をはなれて仏となる。
と。
大いなるもの☀️、つまり、ほとけ🌸に、身も心もすべてまかせてしまうことだといわれるのです。😄☀️
「波羅僧羯諦」
(彼岸に全く往ける者よ)
は、苦悩し😵、まよう🌀、わたしたち凡夫の、大いなるほとけ🌸に対する、
身心(しんじん)のはからいを捨てた
呼びかけ🎵であると見ることができるでしょう。😄💓
(「あなただけの般若心経」より)
🌸🌸「波羅僧羯諦(はらそうぎゃてい)」🌸🌸
私たちは、ことがすこぶる順調🍀に運び、
ときには他の人たちに抜きんでて注目👀✨されるようになりますと、
「自分ほど偉いものはいない」と思い、
とかく慢心😏が生ずるものです。
また、若さのまっただなかにいるときや、身体の調子🌸がよいときには、
年老いた人👴👵や病気で苦しんでいる人への心くばりを欠きがちになります。🙀
さらに、私たちは生身の人間でもありますから、
自分の立場をよくするためにときにはウソ😈をいってみたり、
お酒を飲みすぎてつい大言壮語🎵をすることもあります。
ささいなことに腹をたてて😠、荒々しい言葉⚡️☔️を発することもあります。
自分を偉く👑みせることをいい、また他人をけなす👎こともあります。
しかし、ひとたび逆境に陥ったとき、
あるいは身の老いを感じるようになり、健康🍀が損なわれはじめますと、
私たちは、誰しも心が沈み☁️☁️、苦悩が頭をもたげてきます。⛅️
思いわずらうことが重なりますと、
正常な判断🌸ができなくなり、ついに迷い🌀がちになります。
迷いは、この世は「もちつもたれつ」なのに、
自分中心⭐️に考えようとすることに起因するといわれています。
このような自分中心⭐️の迷いの生存を、
仏教🌸では「生死(しょうじ)」といいます。
生死を離れて☁️☁️、心💓の安らぎ(成仏)を得るにはどうすれば良いか。
道元禅師は、
「正法眼蔵」の「生死」の巻でこのように説かれています。🎵
心をもてはかることなかれ。
ことばをもていうことなかれ。
ただわが身をも心をも、
はなちわすれて、
仏のいえになげいれて、
仏のかたよりおこなわれて、
これにしたがいもてゆくとき、
ちからをもいれず、
こころをもついやさずして、
生死をはなれて仏となる。
と。
大いなるもの☀️、つまり、ほとけ🌸に、身も心もすべてまかせてしまうことだといわれるのです。😄☀️
「波羅僧羯諦」
(彼岸に全く往ける者よ)
は、苦悩し😵、まよう🌀、わたしたち凡夫の、大いなるほとけ🌸に対する、
身心(しんじん)のはからいを捨てた
呼びかけ🎵であると見ることができるでしょう。😄💓
(「あなただけの般若心経」より)
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