hideyukiさんの、令和もみんなガンバってますね!笑み字も!Webにも愛と光を!

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ファン💕

2020-02-17 18:31:00 | お話

💕ファン💕


ファンが必要なのはビジネスでも同じ。


投資してくれる人。

ビジネスパートナー。

社内であれば部下でも同僚でも上司でもいい。


単純に仕事ができるということだけではなく、

「人間としてのこの人を応援したい」と思ってもらえるような存在になること。

ファンになってもらうこと。


万が一失敗したとしても、

「この失敗を彼は必ず次に生かしてくれる」

「これはまだまだ途中経過だ」と信じてくれるのがファン。


結果を出すこともそこに執着することも勿論大事。


そのためにできることはなんでもしなきゃならない。


ファンを作るということは、

期待に応え続けるということでもあるのだから。


ビジネスの場でファンを作ろう


と考える人がもっと増えれば、

その職場や交渉の場での

人間関係や仕事の結果は

ガラリと変わる。


ボクの人生もそんなファンの

おかげで変わったのだから。


GACKTは、常に自分がやると言ったことをやる


そんな彼らにも、

「自分もできるかも」と思わせる。


生み出した曲を聞いてそうなってくれてもいいし、

ボクが発信した言葉でもいい。


ボクを信じてもらうために、

その結果を出すために努力し続ける。


その言葉で道を示し、

その1番前をGACKTが歩く。


GACKTはファンのメンターであるべきなのと同時に、

GACKTは二歩先を歩く

ボク自身のメンターでもある。


もし何かを諦めてしまいそうな、

オマエのファンがいるなら、


その子の代わりに、

まずはオマエがやってみせろ。


(「GACKTの勝ち方」GACKT著、発行NORTH VILLAGE、発売サンクチュアリィ出版)


ともに生きる

2020-02-05 20:53:00 | お話

🍀🍀ともに生きる🌸🌸


動物🐶は多細胞生物🍀である。

動物🐶は多数の細胞から構成されており、
その多数の細胞が協調🌸して活🍀動している。

動物の進化⚡️は、一部の細胞が自ら独立性🌸を下げ、

「全体の一部」として機能🌸することを選んだ時から始まった。☀️

単細胞から多細胞への進化は、
歴史上、何度か起きている。

そのうちの一度が動物🐶とつながった。

植物や菌類、さまざま海藻へとつながった進化⚡️もある。

その他、あまり知られておらず、
注目👀もされない生物へとつながった進化⚡️もある。

それぞれが単独で海🌊の中を漂っていた単細胞生物がいつかの時点🌟で出会い、

結合して多細胞になり、それがやがて動物になったのではないか、とつい考えたくなるが、

おそらくそうではないだろう。😊

単細胞生物🍀の細胞は分裂⚡️をする。

通常は細胞が起きると、母細胞🌸と分裂💢に生じた娘細胞🌟は完全に別れて生きることになる。

ところがある時、細胞分裂が起きたのに母細胞🌸と娘細胞🌟が完全に分かれない、ということがあった。

これが動物🐶の起源🌟だと思われる。

現在でも、単細胞生物が分裂したのに、

その後、母細胞🌸と娘細胞🌟が完全に独立しないということは時々起きる。😊🎵

仮に、分裂が何度か繰り返されたにもかかわらず、

新たに生じた細胞🍀がどれも独立しなかったとしよう。

独立せずに、すべての細胞がともに生きるようになったのだ。😊🎵

この集団を構成する細胞🍀たちは、ともに海🌊を漂い、ときには細菌🌸など食べるだろう。

だが、この細胞集団が次にどういう進化をしたのかは、

今のところよくわかっていない。

いくつかの説があり、それぞれに一応の証拠🍀はあるが、

どれを正しいと判断⚡️すればいいかはわからない。

現状、最も有力とされる説では、

この細胞集団がどこかの時点⭐️で海🌊の中を漂うのをやめた🚫、とされている。

漂う☁️のではなく、海底に定住🍀する生き方を選んだということだ。😊🌟

定住した細胞集団はやがて進化して、身体の穴から海水💧を取り入れ、

その中から栄養分🌸を吸収した後、水を吐き出す💨、という生き方をするようになった。

つまり、海綿動物🌱が生まれたというわけだ。😊

これは海綿動物が私たちの祖先だと言っていることになる。

「カイメンだって? ありえない。

もっと先祖らしい生物🍀がいるんじゃないのか」

と思う人が多いだろう。

何しろ、カイメンは動くことができないのだ。😊

先祖というよりは、進化の袋小路のようにも思える。

だが、実は動かないのは大人のカイメン(成体)だけである。

カイメンの幼生🌸となるとまた事情が違う。

幼生は泳ぐ🏊🏻‍♂️ことができる。

泳いで定住の場所🍀を探す。

そして、ここと決めた場所で大人のカイメンになる。😊

幼生に脳🧠はない。

だが、その身体には外界の様子を知るセンサー📡が備わっている。

その幼生の中に、泳ぎ続け🏊🏻‍♂️、定住しないものがいたのではないか、

と考えられている。

運動機能を維持🌸し、海の中で泳ぎ続けたまま性的に成熟するようになり、

また新たな生き方を始めた。⭐️

この変わったカイメンが、

他のすべての動物の母🌸になったというわけである。😊☀️

海底に定住する従来のカイメンとの枝分かれが起きたと考える。🍀


この説を唱える人がいるのは、1つにはカイメンが私たち人間🍀とこれ以上ないほどかけ離れた生物だからだろう。

だが、注意⚠️すべきなのは、私たちとどれだけかけ離れていても、

その生物が「古い」わけではないということである。

現代のカイメンもやはり、私たち人間🍀と同様、長い進化の歴史の産物である。

だが、カイメンが進化の歴史の早い段階で人間🍀の祖先と枝分かれしたことは事実⭐️だ。

だから、カイメンを観察🔎すれば、初期の動物がどのようなものだったかを知る手がかりは得られる。✊

最近の研究🔬では、海綿動物は人間🍀から「最も」かけ離れた動物ではないことがわかっている。

最もかけ離れた動物は、おそらく有櫛動物だと今は考えられている。

有櫛動物はクシクラゲ類とも呼ばれており、

いわゆる「クラゲ」に外観は似ているが、実は進化的には大きく異なっている。

クシクラゲは非常に繊細な生物🍀である。

ほぼ透明で、丸みを帯びた形をしており、身体には色鮮やかな髪の毛のような線が何本も走っている。

クシクラゲは、カイメンよりも早く私たちの祖先と枝分かれしたと考えられる。🌟

枝分かれをした時点での生物が、現在のクシクラブに似ていたかどうかはわからない。

クシクラゲと人間🍀の共通祖先は、そのどちらとも違った生物だからだ。

だが、多細胞になったばかりの動物の祖先が、
現在のクシクラゲのようなものだとすれば、また別のシナリオ📖が浮かびあがる。

運動能力を持った初期の細胞集団は、現在のカイメンの幼生🌸のようなものだったのではなく、

クシクラゲのような薄い膜に覆われた丸みを帯びた生物🍀だったと考えるのだ。

クシクラゲに似た姿をしていて、原始的なものではあるが、水中を泳ぐための運動機能を有していた。

定住を拒否し動き続けたカイメンではなく、

この水中を漂うように動くだけの幽霊のような生物が、

すべての動物の母🌸なのかもしれない。


多細胞生物が誕生🌟すると、それまではめいめい自分勝手に生きていた細胞が、

大きな生物🍀全体の一部として機能🌸するようになった。

ただ細胞が集まっただけの塊ではなくなるためには、

細胞間の協調🌸が不可欠になったのだ。

単細胞細胞生物であっても、互いの存在を感知💓し、それに反応することがあるというのはすでに書いた通りである。

多細胞生物🍀の場合、細胞間のそうしたやりとりは、より複雑になる。

そして多細胞生物の身体全体が、

その細胞間のコミニケーション🎵能力に依存して生きている。

単細胞生物🌸の場合は、外にいる他の個体とのコミニケーション🎵だったが、

多細胞生物🍀だと、体内の他の細胞とのコミニケーション🎵になる。

単細胞生物🌸であれば、1つの個体だけが機能すれば個体は生きられるが、

多細胞生物🍀では、複数の細胞が協調🌸しあって初めて1つの個体が生きられる。

動物の細胞間の協調🌸には、いくつかの種類がある。

1つは、細胞間で情報⚡️を伝達し合うという種類の協調🌸だ。

植物など他の多細胞生物🍀の細胞間にも見られる。

このおかげで、多細胞生物は成り立つ、つまり全体として1つの個体として存在✨できる。

もう一つは、より歴史の浅い協調🌸で、動物に特有のものだと言っていい。

動物は少数の例外を除き、規模の大小に違いはあるが、

ほぼ全て神経系⚡️を持っている。

神経系は、個体を構成する1番の特殊な細胞間で、

ある特定の物質🌸がやりとりされることを基礎として機能🍀する。

動物の中には、この特殊な細胞が1カ所に大量に集まって、

特異な情報伝達⚡️を行う電気⚡️科学的信号🚥を飛びかわす

「脳🧠」と呼ばれる器官になっているものがある。😊🎵


(「タコの心身問題」(みすず書房)ピーター・ゴドフリー=スミス、夏目大訳)

動物の始まり

2020-02-04 13:42:00 | お話

🐁🐁動物の始まり🐁🐁


地球は現在、約46億歳と言われている。
生物の歴史は約38億年前に始まったとされる。

そして、いわゆる「動物」が誕生したのはずっと後のことだいわ。

動物の誕生は約10億年前か、それより後と言われている。

つまり、地球の歴史の大半は、

生物はいても、動物はまったくいないという時代だったわけだ。

海の中に単細胞の生物だけがいる、という時代が非常に長く続いた。

実は、現在でも、生物のかなりの部分を遠い過去とあまり変わらない単細胞生物が占めている。

動物以前の長い時代の様子を絵に描くときには、単細胞生物をそれぞれ孤立した存在にしがちである。

小さな単細胞生物が無数にいるが、どれもが孤立して、海の中を漂う以外のことはほとんどしない。

せいぜい、食べ物(果たしてそう呼ぶべきかはわからないが)を取り入れ、

時々2つに分裂するくらいで、あとは何もせずにただそこにいるだけ、というふうに描かれる。

しかし、実際の単細胞生物はそれほど単純なものではないし、

孤立してもいない。

多くは互いにもっと複雑に関係しあっている。

少なくとも現在はそうだし、過去もおそらくそうだっただろう。

ただそばにいて、共存しているだけのものもいるが、協調し合って生きているものも多い。

協調の中には非常に緊密なものもある。

その緊密な協調が、生物が単細胞から多細胞へと変化する第一歩だったのかもしれない。

ただし、単細胞生物の協調と、動物を構成する細胞どうしの協調とでは大きく違っている。

私たちはつい行動や感覚など動物のものだと考えがちなので、

動物がいない世界には行動も感覚もないように思ってしまう。

だが、実際にはそうではない。

単細胞生物にも感覚はあるし、感覚刺激に反応を示す。

その反応、多くの人が思う「行動」に含めて良いかは判断が難しい。

それでも、周囲の出来事を察知し、それに反応して動いたり、

対応に必要な化学物質をつくったりということはできる。

そのためには、必ず細胞の一部は外からの情報を取り入れられる仕組みになっていなくてはいけない。

光、臭い、音などを取り入れられる必要がある。

そしてまた別の部分には、外の世界に能動的にはたらきかけられる仕組みが必要だ。

当然、2つの部分はつながっていて、互いに連絡が取れるようになっていなくてはならない。


たとえば、私たちの身近に多く存在する大腸菌は、研究の進んでいる単細胞生物だが、

確かにそうした2つの部分を持っている。

大腸菌には味や匂いを感じ取る部分がある。

自分にとって好ましい物質とそうでない物を区別することができるし、

好ましい物質であればその濃度の高い方に移動するし、

逆に好ましくない物質であれば濃度の低い方に移動する。

大腸菌の外面には、そうした「感覚器」が並んでいる。

この「感覚器」は正確には、大腸菌の外膜を構成する分子である。

この分子が外から情報を取り入れる装置として機能する。

一方、外の世界に働きかける出力装置には、たとえば鞭毛などがある。

鞭毛は長い繊維で、このおかげで大腸菌は移動することができる。

大腸菌の移動には大きく分けて2つの種類がある。

一つは直線的な移動である。

そしてもう一つは、無作為に進む方向を変える移動だ。

移動の種類を次々に切り替えることも可能である。

ただし、自分の今いる位置で食物になる物質の濃度が高まっていると判断すれば、運動の速度は低下する。

大腸菌のような細菌はあまりに小さいので、そのセンサーには、良い物質にしろ悪い物質にしろ、

どこから来るのかまで知らせる機能はない。

この問題を解決するため、細菌は「時間」を道具として利用する。

細菌は、今、この瞬間、その場所にどの物質がどのくらいの量存在するかには関心を示さない。

関心があるのは、特定の物質の量が、今、増えつつあるのか、減りつつあるのか、ということだけだ。

細胞は、自分にとって好ましい物質の濃度が高まっていることを察知すると、

まずは直線的な移動をする。

方向はデタラメなので、移動することで、

好ましい物質の濃度がより高いほうに進めるかもしれないが、

反対にかえって濃度の低い方へ進んでしまうかもしれない。

この問題を最近は秀逸なやり方で解決している。

彼らが外界を感じ取るとき、一つの仕組みで現在の状況を感知しつつ、

もう一つの仕組みで少し前にどうゆう状況だったかを記録するのだ。

好ましい物が直前よりも増えているようなら、そのままの方向に進み続ける。

逆に減るようなら方向変えたほうがいいだろう。

単細胞生物にも多くの種類があり、細菌はそのうちの1つに過ぎない。

また、細菌は単純な構造の生物である。

動物も含む「真核生物」を構成する細胞(真核細胞)に比べれば、

多くの面で単純なつくりになっていると言える。

真核細胞は細菌よりも大きく、内部の構造も複雑だ。

真核細胞が生まれたのは今から約15億年前だ。

細菌のような小さな細胞が、他の種類の細胞を飲み込んで自らの一部にしたことがきっかけで生まれたとされる。

たとえば単細胞の真核細胞であっても、その機能は細菌などよりも複雑で洗練されていることが多い。

外界の情報取り入れる能力も、移動する能力も複雑になっている。

また重要なのは、「視覚」という重要な感覚に非常に近いものを持っているということだ。


光は生物にとって2つの意味で大切なものだ。

まず、光は大多数の生物にとって、直接、間接にエネルギー源となっている。

そして、光は情報源にもなり得る。

自分以外の何かが存在することを知るうえで光は非常に役に立つ。

情報源としての光の役割は、もちろん私たちには馴染み深いものだ。

しかし、ごく小さな生物にとって、光を情報源にす?ことはそう簡単ではない。

単細胞生物のほとんどは、エネルギー源としてのみ光を利用している。

そうした単細胞生物は、植物と同様、太陽の光を浴びることで生きている。

細菌の中には、光を感じ取り、光の存在に反応できるものもいる。

単細胞生物は小さすぎるため、通常、光のやってくる方向を見極める機能までは持つことは難しい。

ましてや光を利用して像を結ぶなどということは極めて困難だ。

しかし驚いたことに、単細胞の真核細胞のうちの一部のもの、

およびごく数種の特筆すべき細菌もおそらく、

原始的ではあるが物を「見る」能力を備えている。

たとえば、ある種の真核細胞には、「眼点」と呼ばれる光を感じる斑点がある。

眼点で感じ取った光を何らかの方法で遮る、あるいは光を絞り込む仕組みを持つ生物もいる。

そうした仕組みがあれば、光源についてより有益な情報が得られることになるだろう。

真核細胞の中には光を追い求めるものもいれば、反対に光を避けるものもいる。

また、状況によって両者のどちらにも変わり得るものがいる。

たとえば、エネルギーを取り入れたいときには光を追い求め、

エネルギーが十分に得られたあとは光を避ける生物がいる。

かと思えば、光が強すぎないときには追い求め、

強すぎて危険な状況になれば避けるという生物もいる。

いずれの生物も、眼点と運動機能と結びつける制御システムを持っている。

小さな生物が感覚器を持つ目的は、ほとんどの場合、食物を見つけ、毒を避けることである。

だが、大腸菌に関する最も初期の研究を見ても、単にそれだけではないことがわかる。

大腸菌は、食物にならない物質であっても、その存在を感知し、反応することがある。

だから、大腸菌を主に研究している生物学者たちの間では、

細菌の感覚は必ずしも食べ物の有無を知るためのものではないという見方がますます強まっている。

むしろ細菌の感覚は、自分の周囲にどのような細胞があり、

またその細胞がどのような運動しているかを知るためにある、という見方だ。

細菌の細胞表面の受容器官は、さまざまなな物質の存在を感知する。

感知する物質の中には、その細菌自身の排泄によって出てくる物質も含まれる。

細菌は、いろいろな理由で化学物質を排出する。

たとえば、代謝処理が追いつかず、オーバーフローを起こした場合などには、

余った物質を排泄することになる。

同種の細菌の排泄物を感知する機能は、
それ自体、さほどたいしたものには思えないかもしれない。

だが、実はこれが重要な意味を持つのだ。

この機能があれば、同種の生物がそばにいることを察知できる可能性があるからだ。

同種の生物がそばにいることが察知できれば、お互いに協調できる可能性も生まれる。

つまり、「社会的行動」が芽生えるところまで行くわけだ。

たとえば細菌の中には、「クオラムセンシング」と呼ばれる能力を持ったものがいる。

自分と同種の細菌がだす物質を感知し、

周囲にどれくらいの数の仲間がいるかを知ることができる。

そのため、一定の数以上の仲間が周囲にいて一斉に化学物質をつくらないと意味がない場合、

条件に満たないときに物質を無意味に作らなくて済む。

はじめのうち、クオラムセンシングは海で観察されることが多く、

また、本書のテーマである頭足類が関わっていることが多かった。

ハワイヒカリダンゴイカの体内で生きる細菌は、化学反応によって光を発することができる。

ただし、光を発するのは、周囲に存在する同種の細菌が十分な数に達した場合だけである。

この細菌は、同種の細菌がつくる誘導物質の濃度を感知できる。

周囲に誘導物質分子がどの程度存在するかを感知し、

それに基づいて自らの照明を制御するのだ。

つまり、細菌の個体にはそれぞれ、周囲にどれぐらいの発行減が存在するかを知る能力があるということになる。

ただ光を発するだけではなく、

「周囲に発光源が多いほど、光を明るくする」というルールに従って行動できるのである。

発せられる光が十分に明るくなれば、細菌の宿主であるイカには大きな利益になる。

外敵から身を隠すのに有利になるからである。

ハワイヒカリダンゴイカを狙う捕食者は夜に狩りをする。

通常、夜は、月の光が差し、その光によってイカの身体の影ができる。

影ができると、その存在を、下にいる捕食者たちに知らせることになってしまう。

だが、イカの身体が発光すれば、その影を打ち消すことができる。

影が消えれば存在を捕食者に気づかれにくい。

一方、細菌のほうも、宿主であるイカが安全であれば、自らも安全にその中で生きることができる。


生命の歴史の初期について考察するうえでは、こうした細菌は非常に役に立つ。

もちろん、あくまで細菌なので、進化の段階としては、頭足類などが誕生するよりかなり前ということになる。

まず言えることは、生物の中での化学反応には、水が大きく関わっているということだ。

初期の生物は全て海の中にいたからだ。

生物が陸上に進出するには、相当な量の「海水」を自らの体内に抱え込む必要があった。

海水を持って陸に上がったということだ。

初期における生物の進化の大半は海の中で起きた。

初期の段階では、生物の感覚、行動、協調などはすべて、物質が自由に水の中を漂う海という環境に依存していた。

今のところ、私たちの知っている細胞はすべて、

何らかのかたちで外部の状況を感知する能力を持っている。

なかには、他の生物(自身と同種の生物も含む)の存在を察知する特別な感覚を持つ細胞もある。

またその中には、他の生物が単に何かの副産物としてつくる物質ではなく、

自らの存在を知覚させるためにつくる物質を感知する能力を持つ細胞もある。


何らかの物質をつくることで自らの存在を知らせると、他者がそれに対して反応する。

これはもう、ごく簡単ではあるが、一種のシグナリング、あるいはコミニュケーションと呼んでいいだろう。

これには、生物の個体と個体のコミュニケーションが可能になる、という以上の意味がある。

水中の単細胞生物の個体どうしが、ある種の物質を媒介にして互いの存在を知らせ合う例があることはすでに書いた。

だが、これは単細胞生物から多細胞生物の進化の足がかりでもあるのだ。

多細胞への移行が起きれば、細胞どうし情報を伝え合うことが、

生まれつつある多細胞生物の体内の細胞のコミニュケーションの基礎にもなるからだ。

つまり、生物にとってのまた新たな能力がそこから生み出されるということだ。

個体間のコミニケーションの場合、細胞は、外部の環境を感知してそれに反応していた。

だが、個体内の細胞間コミニケーションでは、

主として体内の環境を感知してそれに反応することになる。

多細胞生物の場合、細胞の「環境」とほぼ「同じ個体内の他の細胞」と考えていい。

多細胞生物という、比較的新しく、大きな生物が生き残れるかどうかは、

その生物を構成する細胞どうしの協調、連携に依存することになる。


(「タコの心身問題」(みすず書房)ピーター・ゴドフリー=スミス、夏目大訳より)

千年語られる言葉

2020-01-31 22:17:00 | お話

🌸🌸千年語られる言葉🌸🌸


歌詠み🎵として、世界各地に言葉🍀探しの旅✈️に出かけるようになり30年近くが経ちます。

現在は国学院大学🏫で短歌の授業🌸を持っていますが、

そこで私が学生🍀に伝えているのは

「言葉🍀は一人の人間🌸より遥かに長生きである」

という言わずもがなの事実🌟です。

近年頻繁に「人生🍀100年時代」が話題に上がります。

しかし、言葉🍀の世界は100年、200年単位🌸ではなく、

1000年☀️生きて初めて "一人前の言葉🍀" として認められるようになる。

世界を回る中でそう実感💓しています。

インターネット🌐が発達した昨今、言葉🍀が生まれては消えてゆくスピード⚡️が一段と速くなりました。

その代表例が毎年年末に公表🌸される「流行語大賞👑」でしょう。

もちろん、それを否定🚫するつもりはありませんが、
1000年、2000年と生き続けている言葉🍀には、

脈々と受け継がれる人類🌸の叡智☀️やダイナミズム⚡️があることをお伝えしたいのです。

ユネスコは自然や歴史的建造物に対して、 "世界遺産認定🌟" を行っていますが、

長年語り継がれている言葉🍀についても、 "言葉の世界遺産" というニュージャンルがあっても良いのではないか。😆

それほど1000年語り継がれている言葉🍀には国境や時代を超えて共通🌟する価値👑があると思うのです。

日本最古の歌集🌸と言われる『万葉集』が編纂された八世紀以降、

日本🇯🇵には文字✏️を書き残す文化🌸が根づいています。

私が教えることができただけでも、『万葉集』には40種類の「緑色🍀」に関する表現🌸がありました。

例えば、葉っぱ🍃の表と裏の色の違いを見分けて
「裏葉色」という渋くくすんだ色を生み出しました。

その一点🌟だけを見ても、昔の日本人が持っていた言葉🍀や自然🌲に対する情緒🌸を感じずにはいられません。

一方世界を旅していると、今なお口伝(くでん)で1000年近くも前の言葉🍀が語り継がれている地域が数多く残っています。

一世代一世代、親👨🏻‍🦱👩🏻‍🦱から子👦🏻🧒🏻へと思いを込めて語り継がれてきた言葉🍀に出逢う度に、深い感動💓を覚えます。


私が "言葉🍀" の魅力🌸に引き込まれたのは高校生🏫の頃でした。

当時一大ブームを起こした『サラダ日記』を読み、
国語の教科書📖で習う短歌🌸とは異なる俵万智さんの感性🌸に影響☁️を受けたのです。

そこから短歌の世界を探求し、大学1年で第36回角川短歌賞👑を受賞。

まだ若かった私は、
「短歌1400年の歴史の中で、まだ誰もやったことのないことをやりたい✊」

と情熱🔥を燃やして日本🇯🇵を飛び出し、

世界の「歌枕(うたまくら)」を巡りながら言葉🍀を探す旅🌸に出たのでした。

歌枕とは「富士を見るなら田子の浦」に代表🌸されるように、

多くの人が和歌🎵に詠み込んだ名所を指した言葉🍀です。

松尾芭蕉は『奥の細道』を編纂するにあたり、

歌枕を求めて日本各地を歩き回り🔄ました。

それから三百数十年の時を経て、

今度は私が世界版『奥の細道』をつくるべく、

世界各国の名所🌸に赴いて短歌🎵を詠もうと思い立ったのでした。

ところが、世界に飛び出してまず出遭ったのは、

美しい言葉🍀ではなく各地で起きている悲惨😵な現実🌸でした。

かつて肥沃な大地と呼ばれていた地域は川が干上り、周辺住民は貧困にあえいでいる。😵

政治的紛争💢が絶えず起こり、多くの一般人が命を落とす。

こうした事実🌟を目の当たりにしたのです。

そこから地球環境🍀と貧困問題🌸に強い関心💓を抱くようになり、

途上国がさらされている危機⚠️を短歌の三十一文字でありのままに伝えるようになりました。😊🌟

その活動が国際機関🏛の関係者の目👀に留まり、

世界各地から8名のみが選出🌸された国連WAFUNIF親善大使のアジア代表🍀に就任したり、

ワールドユースピースサミットの平和大使を仰せつかるなど、

任務を通じて各国を訪れる機会🌸に恵まれました。

それからの活動🍀を通じて、世界には1000年以上も前から語り継がれている言葉🍀が今なお残っている事実🌟に出会い、

その言葉🍀が持つエネルギー⚡️に感動💓しました。

そこで、その国のトップリーダー🌟や学校🏫の校長先生、

そして村の子供たちまで、出逢った人々に、

その土地で長年語り継がれている言葉🍀を聞いて👂回るようになったのでした。


まずご紹介🌸したいのが、ドイツ🇩🇪に伝わる言葉🍀です。


「一つの平和☀️は、十の勝利✊にも優る」(ドイツ)

ヨーロッパの中心💓に位置するドイツ🇩🇪は、帝政🏛だった時代もあれば、南北に分かれて争って💢いた時もあり、

その肥沃な土壌🍀は常に戦禍に見舞われました。

そんな土地で、1000年以上も前から十回戦いに勝つ✊よりも一度平和☀️になる方が尊い👑、

と語り継がれていることに衝撃😵を受けました。

この言葉🍀は現代に暮らす我々こそが尊び、世界で大事に共有しなければならないと思っています。😊🎵

同じヨーロッパ🌍のスペイン🇪🇸にはこんな言葉🍀があります。

「多く持っていない人が貧しいのではなく、

多く欲しがる人が貧しい」(スペイン)

大航海時代🚢に突入した16世紀以降、スペイン🇪🇸は着実に領土を拡大し、

一時は南アメリカ大陸🌎の大半を支配🌸していました。

多くの富💰や土地🍀を所有していた歴史を持つスペインに、

それとは正反対の意味を持つ言葉🍀が古くから存在🌸し使用されていたことに驚き😵ました。

これも忘れてはならない言葉🍀の一つです。☀️


アジア🌏に視点を移してみます。

「知り合いがいるのは、そこに草原🍀があるのと同じだ」(モンゴル国)

モンゴルの遊牧民🌸はゲルと呼ばれる円形の移動式住居に住み、

広大な砂漠に点在🌟する草原🍀を移動しながら暮らしています。

草原とはそこに生態系がある証で、人々の暮らしを象徴した言葉🍀です。

モンゴルで一人知り合いがいることは、生命💓の源である草原があるのと同じ。

それほど仲間🍀は貴重👑な存在✨であると表現🌸しているのです。

友人のありがたさを草原に譬えたのは、広漠な土地を持つモンゴル人ならではの発想で、

こうした地域ごとの言葉🍀に出会えるたびに感動💓を覚えます。

感動といえば、

エジプトのナイル川💧を下っていた時に見上げた夜空🌌の星🌟の美しさも忘れられません。

日本の川とは異なり、広大で深くゆったりした流れに身を任せながら、

大自然🍀の恵みを存分🌸に味わいました。

ナイル川はアフリカ大陸🌍最長の川として全世界に知られていますが、

果たして源流がどこにあるか知っている人は、どの程度🌸いるでしょうか?

ナイル川はそんなことを一切気に留めず、
自身がもたらしている富💰を誇らず、何千年もの歴史の中で悠然と流れ続けています。🍀

そんなナイル川💧にまつわる言葉🍀があります。

「成し遂げた善🌸は隠せ。源を隠すナイル川のように」(エジプト)

ナイル川💧が自らの美徳を誇らないように、
我々も善行を誇るべきではないと諌めた至言です。

この言葉🍀は1000年、2000年といったスパンではなく、

古代エジプトが栄えた5000年☀️以上も前から、この地で先祖🌸代々語り継がれてきました。☁️


日本🇯🇵で1000年生きる言葉🍀も紹介したいと思います。

「天から役目なしに降ろされたものは、世界に一つもない」(北海道、アイヌ)

「十の指が、同じ長さではないのと同じように、
人にはそれぞれ持って生まれた個性🌸や特徴がある」(沖縄)

北と南で遠く離れてはいるものの、共に人間🍀一人ひとりが尊い存在✨であることを語っています。

1000年語り継がれる言葉🍀の根底には、民族性🌸や地域性🍀を越えて、

人類🌸に共通した「根」があるように思います。

他にも興味深いのは同じ言葉🍀に関する表現🌸です。

塩や水💧など人間🍀に欠かすことのできないものにまつわる名言🌸は時代や国境を越えて多数見つかっています。

ここではサラリー(給料)の語源にもらった塩についての言葉🍀を集めてみました。

「塩を入れるなら溶けるまで、仕事🍀をするなら終わりまで」(モンゴル国)

「自身🌸の善良さを守れ、塩が辛さを守るように」(タイ王国)

「どんな味つけも塩にまさるものはなく、
天下広しといえども母親🌸にまさるものはない」(中国)

「どんなに小さな鍋にも塩は入ることができる」(セネガル)

「人の料理に塩を入れるな(人のことにあれこれ口出しをするな)」(マケドニア)

塩というのは、いつの時代🌸でもどんなふうに調理されても、

常に自らの辛さをしっかり守り続けています。✊

ここで注目🌟すべきは、それぞれ土地や民族性に根ざした表現🌸という特徴があるものの、

等しく物事の本質☀️を突いているという点です。

誕生してから100年、200年程度しか経っていない言葉🍀の場合、

目先のことに注目した鋭敏な表現🌸が目立ちますが、

1000年という長い年月を経ると、
皆自然と同化し、角がとれて丸みを帯びた曲線的な表現🌸になってなっています。

それは角が立つ人間🍀が、社会の荒波🌊にもまれる中で、

いつしか性格が丸くなっていく様と似ているでしょう。

冒頭でもお話ししたように、言葉🍀の世界では1000年生きて初めて一人前🌸と言える所以(ゆえん)がここにあります。

たくさんの栄養🌸を与えられて咲いた高級な花々ではなく、

風雨に屈せず野に咲く一輪の花🌸のように、

自らを主張🌸することなく、しかし長年謙虚に人々の役に立っている。✊

そういう言葉🍀が千年☀️生き続けると感じています。

この長寿の言葉🍀が教えてくれる真理🌟に、我われは学ばなければなりません。✊


平成25年に「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録🌸されました。

これについて「和歌🎵」も文化遺産に登録しようとする流れ☁️があります。

和歌🎵というと、教科書で習う国文学という堅いイメージをお持ちの方々も多いようですが、

実際には歴史上の錚々(そうそう)たる人物らがライフワーク🍀として和歌🎵を嗜み、読んできました。

例えば、和歌🎵を熱心に勉強した歴史上の人物の一人として毛利元就が挙げられます。

彼は大和言葉🍀を使用した五七調のものをしっかり勉強しなければならないと語っています。

戦国武将や幕末の志士たちの中には、人生🍀の最期に三十一字を遺して亡くなった😇人が大勢🌸いました。

伊達政宗の「辞世の歌」で有名なのが

「曇りなき心の月を先だてて 浮世の闇を照らしてぞゆく」

です。

もし空に月🌛が見えなくとも、心💓の中に月を掲げてこの世を照らして🌟ゆこうと詠んだ歌ですが、

戦国時代という世の動乱期🌀を懸命に生きてきた伊達政宗🍀の気概が溢れています。

もう一首、紹介したいのが西郷隆盛🌸の歌🎵です。

「上衣(うらぎぬ)は さもあらばあれ 敷島の やまと錦は心💓にぞ着る」。

錦は上衣として着るものではなく、
心💓の中にこそ着るものだ、と語った西郷隆盛🌸。

その大和魂💓に学ぶものは多くあります。😊🍀

歴史的事実🌟だけを追っていては見ることのできない一面が、和歌🎵を読み解くことで見えてきます。


和歌🎵や世界各地の言葉🍀を勉強するにつれ、
長寿の言葉🍀には、 "漢方薬" のような効果🌸があると感じる💓ようになりました。

朝鮮人参など滋養に満ちた植物🍀は深く根を張り、栄養🌸を含んでいます。

同様に、長年人々の間で口ずさまれ、受け継がれてきた言葉🍀には
人々の生活🌸の中に深く根を張り、滋養に満ち溢れています。

近代の世界紛争💢の約9割は土地🍀や宗教⛪️🕋がらみだと言われています。

先述のように数百年単位の言葉🍀に注目すると、

宗派⛪️や民族性🌸を重視した表現🌸が目立ちますが、

1000年、2000年スパンになると、

お釈迦様もイエス・キリスト様も、言葉🍀や表現🌸こそ違えど、

同じ真理🌟を説いているのが分かります。

発酵食品🌸が月日を経て風味☁️を増すように、

言葉🍀も1000年の時を経る中で、

人類の叡智🌸が凝縮⚡️されています。

言葉🍀の流行り廃りのタームが速くなっている現代🌸だからこそ、

古くから語り継がれた言葉🍀に学び、

その叡智☀️を日々の暮らしに取り入れていきたいと思っています。😊🎵


(「致知」2月号 田中章義さんより)