hideyukiさんの、令和もみんなガンバってますね!笑み字も!Webにも愛と光を!

日々の楽しい話、成長の糧などを綴ります。
楽しさ、感動、知恵が学べる。
(^_^)私はとっても普通の人です。

心をつくるもの②

2017-06-30 14:46:16 | お話
🌸🌸心をつくるもの🌸🌸②


「私たちの心は、これまでの自分が体験・経験したことでできている」

というお話をしました。

そこで皆さんに

「心はどこにありますか?」

と質問すると、

ある人は頭を指したり、胸を指したりするんですね。

実は心というのは、そういう体の一部にあるわけではありません。

「自分という存在そのもの」

が心なのです。

だから今日の四つ目のキーワードは「自分」です。

心は自分全部なのです。


ある老人ホームの職員の方から、こんな話を聞きました。

1人のおばあちゃんが夜になると、トイレにあるトイレットペーパーをガシャガシャして、

全部引っ張り出してしまうというんです。

そんなことされたら困るので、

そのおばあちゃんが、それを始めると職員の方が押さえつけるわけです。

すると、おばあちゃんが狂ったように暴れるんだそうです。

それが毎晩続くので、精神科医の先生に相談しました。

先生は

「おばあちゃんの過去を調べてください」

と言いました。

調べてみると、そのおばあちゃんは東北の貧しい漁村でワカメ採りを生業としていた人でした。

終戦直後は貧しく、自分が必死で働かないと家族を養いきれなかったそうです。

おばあちゃんは脳に軽い障がいがあって、

夜になるとトイレットペーパーがワカメに見えてしまうらしいのです。

体の中に

「一生懸命働かないと、生きていけない」

ということが経験上染み付いているので、

頭ではなく、体が勝手に動くんです。

それで、一生懸命「働いちゃう」わけです。

そのことがわかってから職員は、

おばあちゃんがトイレットペーパーをガシャガシャ出し始めると、こう言うようにしました。

「〇〇さん、今日も一生懸命働いたね。

今日は、大漁だから安心してね」

と。

すると、おとなしくなって部屋に帰って寝るそうです。


人間は、頭で考えているように思いますが、

頭はあまり大したことないみたいです。

それまでの経験で身についているものが、その人の心をつくり、その人自身をつくっているのです。


また別の話です。

ある老人ホームで講演した時、熱心に私の話を聞いてくださる車いすのおじいちゃんがいました。

そのおじいちゃんがいるすぐ横に、出入り口がありました。

1人の看護師さんが入ってきた時、

おじいちゃんの体は前を向いているのに、

右手がにゅーっと動いて、

看護師さんのお尻を触ったんです(笑)。


講演の後、お尻を触られたあの看護師さんがいたので、

「看護師さんも大変ですね」

と言ったら、

彼女はニコニコしながら一言こう言いました。

「あのおじちゃんね、この町の教育長だったんですよ」

と(笑)。


なるほど、現役の頃は

「自分は教育者である」

ということで、自分を律して生きていた。

しかし、脳に少し障がいが出てきた途端、

今までずっと抑えつけてきた

「もう1人の自分」

が顔を出してきたんですね。

皆さんも、気をつけたほうが、いいですよ(笑)。


(「みやざき中央新聞」H29.6.26 大谷徹奘さんより)

エーデルワイス④

2017-06-29 12:49:17 | お話
🍰🍰エーデルワイス🍰🍰④


🔹比屋根、とにかく繁盛する店、魂の入ったお店というのは、街を歩いていてもすぐ分かりますね。

それはいま言ったオーナーの姿勢や、商品のよさ、サービスなど、

いろんな要素が絡み合ってトータルで伝わってくるものだけれども、

僕ももう80近くになって、物事を少しは冷静に見られるようになってきたから、

そういうのはもうすぐ分かるようになりましたね。

人間は年齢を重ねるにつれて、その年相応の知恵を身につけていくという話を聞いたことがあるけれども、

本当にそのとおりだと思う。

いまのような冷静な判断力が、10年前、20年前にあったと思わんでもないけれども、

逆にそういうものが身についたこれからが楽しみです。

この頃では社員のため、社会のためにという思いをこれまで以上に抱くようになりました。

商売をやっているんだから、もちろん儲けは大切です。

でもいまは、できるだけ社会のために奉仕していきたいという思いのほうが強い。

そのためにも、あなたのような優れた職人をこれからも育てていきたいと思うね。

🔸牧野、私はその域にはまだ遠く及びませんが、

店づくりにおいては会長から教わったように、

人間が持っている五感を刺激することを常に意識していました。

例えば、よそのお店で花が綺麗だなと思ったら、

自分の店でも花を飾って視覚や嗅覚に訴えてみる。

そういうことを意図的にやっているかやっていないかで、差がついてくると思うんです。

それを分かっていてやっているお店はやっぱり繁盛しています。

人間の五感のうち、三つに訴えかけているお店は、まぁまぁ流行っているし、

五感すべてに訴えるものを持っているお店は行列ができていますね。

🔹比屋根、そのとおりだと思うよ。

🔸牧野、ですから私はスタッフに、

「商品をつくるんじゃない、毎日店をつくることが我われの仕事や」

と言っているんです。

店をつくることを意識していると、その店に必要な商品も自ずと生まれてくるんだと。

昔は会長から商品開発をやれと言われても、

正直、商品のことしか頭になかったですよ。

ヒット商品をつくれと盛んに言われて、よそにないお菓子、いままでにないお菓子をつくることばかり一所懸命考えていました。

だから、なかなか会長に満足していただけるものができなかったのかなぁと思うんです。

それである時、お店をつくるという視点で考えていったら、必然的にその店が必要とする商品が見えてきたわけです。

ケーキ屋さんだからショートケーキがいる、
シュークリームがいるという発想ではなくて、

そのお店が必要としているからプリンを開発するんだと。

会長の前でおこがましいんですけど、そういうことが何となく感覚的に分かってきたんです。

こんな話をするのは初めてですけれども、いまになってようやく、

あの頃の会長の不満が何となく分かるんですよ。

🔹比屋根、突き詰めて言えば、どれだけ心を込めて、妥協せずに、

最高の味を追い求めていくかということだね。

やっぱりその執念、信念をなくしたらダメです。

だから僕は毎日会社の各ポジションを回って、

少し気の抜けているスタッフがいたら、

「目が死んでいるぞ。

もっと頑張らなければいかん」

と励ます。

逆にイキイキ頑張っている子を見ると、

「そうだ、お菓子はそうやって喜びを持ってつくることが大事だ」

と応援する。

そうやって毎日皆の肩を叩きながら、一緒にものづくりに打ち込むことが生きがいなんです。

今年も新入社員が38名入ってきたけど、

入社して2週間も経つと、もう顔つきが違ってきている。

お店に入ればさらに目がイキイキしてくる。

そうやって若い子が育っていく姿を見ていると、

我が子の成長を見つめる親のような気持ちにさせられて、

とても嬉しくなるものですよ。

そして彼らの成長を促すことによって、

会社もさらに成長するし、業界の発展にもつながっていくんだね。

先ほど、全員に一時金を支給したら、社員からお礼の電話がかかってきて鳴りやまなくなったという話をしたけれども、

そういう機会に社員一人ひとりと言葉を交わすのは本当に楽しいものだよ。

「今期はこんな目標を立てているから、皆で勝ち取ろうな」

「ゴールデンウィーク中も働いてくれてすまんな。

しかし、我われが頑張ることで、多くの人に喜びと感動を与えられるんだから、

笑顔を忘れるなよ」

「常に衛生面に気をつけて、絶対に気を抜くんじゃないよ」

と。

そんなちょっとした言葉を掛けてあげることで、

また社員も喜んでお店に立ってくれるんです。


🔸牧野、いまの会長のお話には、弟子と向き合う師のあり方を教えられる思いがします。

🔹比屋根、皆と向き合う時はいつも自然体で、あまりこう接しなければいけないと考えたことはないけれどもね。

ただ師と弟子とある一定の距離を保ちながら、

すべてにおいて愛情を持って見つめてあげることが大切だと思います。

いつも我が子を見るような気持ちで接していると、

最近いい顔になってきたなとか、何か心配事でもあるのかとか、そういうのはよく見えるものです。


🔸牧野、父親のいない私にとって、会長は父親代わりでしたし、

世間でよく言うよな、師を越えてやろうとか、少しでも近づこうなんていうことを、私は会長に対して思ったことはありません。

私にとっての会長は、そういうものを通り越した存在ですからね、

たぶん私のどこを切っても、会長と同じ血が出ると思いますよ(笑)。

だから、もし会長が将来ボケてしまって、私の顔も名前も忘れてしまわれるようなことがあったとしても、

私の中では最後まで師なんですわ。

🔹比屋根、弟子からそこまで言ってもらえると、師として冥利に尽きるね(笑)。

僕がどうしてここまで会社を大きくしてこられたのかというと、

常に弟子たちにしっかりした、

いい後ろ姿を見せていたいという思いと、

子である弟子たちに何かあった時に、親としてしっかり面倒を見てあげられるだけの力を持っていなければならないという思いがあったからです。

会社にしっかりした力をつけて、

どんな時でも弟子たちを応援してあげられるようにしておくことは、いつも意識してきました。

アメリカの鉄鋼王、アンドリュー・カーネギーは、自分の墓碑に

「己より賢き者を近づける術を知りたる者、ここに眠る」

という言葉を刻ませています。

僕はこの言葉がとても好きでね。

苦労をともにしてきた弟子たちとは、

死んでも一緒にいたいと思っているんです。

🔸牧野、会長には、まだまだ頑張っていただけないと困りますよ(笑)。

🔹比屋根、それくらい育ててきた君たちには愛情を持っているということだよ。

これからも君たちと切磋琢磨して、

さらにお菓子づくりの道を極めていきたいものですね。


(おしまい)


(「致知」7月号、比屋根 毅さん牧野眞一さん対談より)

エーデルワイス③

2017-06-28 14:18:45 | お話
🍰🍰エーデルワイス🍰🍰③


🔸牧野、最近は随分時代も変わって、菓子づくりを巡る環境も様変わりしましたね。

いま私の会社には16人の社員が働いていますけども、

彼らを昔の我われと同じように扱ったら、もう3日も持ちませんよ。

3割くらいの厳しさで、ちょうどですわ(笑)。

🔹比屋根、確かに、いまの人に昔のような辛抱強さはなかなか求められない。

だからいま言ったように、社員には夢を与えなければならないと僕は思います。

一所懸命頑張ったら、こないことがあるよという夢を与えながら、ともに進んでいくことが大事だと思う。

🔸牧野、社員にはたまに話して聞かせるんです。

俺らの時代はこんな修業をしたんやと。

悪いけど、君らのやってることはホントの修業じゃない。

ただの研修だって。

🔹比屋根、だから可哀想なんだ、いまの子らは。

一流になろうと思ったら、やっぱり血の滲むような努力というのは不可欠だけども、

いまはそれが否定される風潮があるからね。

🔸牧野、私も、いまの子は逆に可哀想だと思いますよ。

🔹比屋根、うちも随分やり方は変わったけども、

それでも創業の頃の血は、いまの社員の中にも確実に流れている。

お店が終わった後も、コンテストに向けた作品づくりに皆で何時間も没頭しているし、

それで労働時間のことを問題にする人間は1人もいない。

そこまで頑張っているからこそ、うちでつくるお菓子はお客様に高く評価していただけるし、

コンテストでもきちんと結果を出せているのだと思っています。

🔸牧野、本当にそのとおりだと思います。

私は会長の下で働いている時、

どんなに労働時間が長かろうが、休みがなかろうが、

そのことで辛いと思ったことは1度もありません。

何が1番辛かったと言ったら、

自分でイメージするもの、納得いくものが提供できない時でした。

🔹比屋根、最近はそういう意欲のある子、コンテストでいい結果を出した子を順番に海外へ派遣しています。

一ヶ月して帰って来たら、また次の子を行かせる。

それがまた彼らの励みになるんです。

🔸牧野、そうやって創業時から培ってこられたDNAに、プラスアルファで新しい感覚も養われていくわけですね。

🔹比屋根、そうですね。

最近は優れた職人がどんどん少なくなっているから、

うちには海外も含めて、デパートからの出店要請が非常に多いんです。

その上うちのお店を営業させていただいている各デパートからは、

毎月のように優秀店や優秀社員に選ばれて表彰されています。


🔸牧野、私自身が人を育てる立場になってみると、

どんどん伸びていく子もいれば、

せっかくいいにセンスを持っているのに途中で伸び悩む子もいます。

やっぱり自分がいまやっている仕事がどれだけ好きか、

天職と思えるかどうか、

そこに大きな違いがあると私は思うんですけど、

会長はどう思われますか。

🔹比屋根、確かにあなたの言うとおり、

自分の仕事を神様から与えられた本当に素晴らしい職業だと思うことはとても大事だと思う。

そういう思いがあるからこそ頑張れるし、

人様に喜びを与えるような素晴らしい仕事ができると思います。

それから、やっぱり伸び悩む子は、素直さがないというのかな、

苦言を呈する人を避ける子はなかなか成長できないだろうね。

苦言を呈する人に、しっかり耳を傾けて、自分を失わないようにすることが大切なのに、

残念ながらそういう人を避けてしまうようだと、行き詰まってしまうのは確かだと思いますね。

あなたのように僕のところから独立していた弟子、

さらにその人のもとから独り立ちした孫弟子は、

もう全国で100人くらいいるけれども、

お店を繁盛させている人は、やっぱり素直だね。

もう立派な成功者になって、苦言を呈する人は僕くらいしかいないから、

結構厳しいことも言うんだけれども、

「分かりました、気をつけます」

「言っていただいて、ありがとうございます」

とすごく素直に受け止めてくれて、

お店をますます立派にしていく。

中には、俺に何を言うんだ、みたいな態度を取る人もいるけれども、

そういう人には、もう二度と言わないです。


(つづく)

(「致知」7月号、比屋根 毅さん牧野眞一さん対談より)

エーデルワイス②

2017-06-27 14:51:45 | お話
🍰🍰エーデルワイス🍰🍰②


🔸牧野、会長のもとには約20年させてもらいましたけど、私はその間、会社で働いたという意識はありませんでした。

会社員としてひと月働いて給料もらうとか、そんなことは1度も思ったことがない。

ですから、仮に給料がよその半分しかなくても、気にもならなかったでしょう。

もう気持ちは会長にベッタリで、会長が長期間ヨーロッパに出張に行かれたりして不在になると、

どうも調子が狂うんですわ(笑)。

もっとも、海外には他のスタッフよりもたくさん連れて行ってもらいましたけども。

🔹比屋根、あなたからその話を聞くのは初めてだ(笑)。

🔸牧野、とにかく、きょうもまた会長に会える、きょうは会長からどんなことを言っていただけるんやろうかと、

それが、楽しみで毎日お店に出ていました。

もちろん叱られるかも分からんけど、

それも含めて、楽しみだったんです。

だけどいま振り返ると、

会長がおっしゃることは滅茶苦茶でしたね。

普通の人だったら「えっ?」て顔をしかめるようなことを平気でおっしゃる(笑)。

でも弟子の私らとしては、会長が白いものを「これ、黒だよな」とおっしゃったら、

明日の朝までに黒にしたければあかんわけでしょう。

会長はどういうことを求めていらっしゃるんだろう、と自分自身で懸命に考える。

そこからいい知恵が出たり、創意工夫が生まれたりしてくるんですね。

だから私はいまだに、会長から

「これ、黒だよな」

と言われて

「いや会長、これは白ですよ」

ということはありません。

会長があえて黒とおっしゃるからには、

意味があるに違いないと考えるんです。

こちらからは

「いつまでにご用意すればよろしいですか?」

と確認するだけ。

「2、3日中にな」

と言われれば、それまでに何としても黒にする。

グレーでは、決して許していただけないでしょう。

会長がいまもそういう妥協を絶対許されないのは、すごいことだと思います。


🔹比屋根、牧野君が一回り大きくなったと感じたのは、

やっぱりヴィタメール(ベルギー発祥の洋菓子ブランド)に研修に行ってからだったと思う。

ヴィタメールと業務提携が決まり、あなたを10ヶ月ほどヨーロッパに派遣して、

ヴィタメールやヨーロッパ各地の洋菓子店で勉強してもらったけど、

向こうの空気に触れて一皮むけたし、

人間としてもさらに大きくなり、

ずいぶん自信をつけて帰って来たね。

🔸牧野、ベルギーに行った時はもう衝撃で、

人生もお菓子に対する見方も随分変わりました。

30代に入った頃でしたけれども、

会長から指名されて海外へ行くのは初めてでしたし、

「向こうのすべてを持ち帰って来い」

と指示をいただきましたから、とにかく真剣でした。

レシピはもちろん、作業台の高さとか、

引き出しがどこにいくつあって、どんなものを入れているかまで確認しましたし、

厨房の什器の寸法を紐で測って、

仕事が終わってから部屋でそれをまとめたりもしました。

とにかく3日に1回は会長に報告しなければいけませんでしたから、

とても向こうの名所を観光する余裕なんかありませんでした(笑)。

🔹比屋根、せめてお店が休みの日にはということで、

息抜きも兼ねてドイツやスイスの工場にも行ってもらったけれども、

本当によく頑張ってくれました。

ヴィタメールには、牧野君を最高責任者に何人も技術者を送り込んだけれども、

あなたのように根性もあり、

本物の腕を持っているいる技術者たちが、向こうでさらに自分の腕を磨きながら、

ヨーロッパでも負けないという自信をつけて帰って来たのは、

本当に大きな収穫だった。

だから我われが日本で立ち上げたのは、中途半端なヴィタメールじゃないんだね。

おかげでいまヴィタメールだけで年商55億円に達しているけども、

そうやって海外ブランドの導入に成功したことで、

いまはヨーロッパ中の有名ブランドが、うちとジョイントしたいと言ってきてるんです。


🔸牧野、ヴィタメールの立ち上げに携わっらせていただいた頃、周りの同世代の人間はもう自分の店を持ち始めていました。

正直焦りもありましたけど、ヴィタメールという新しいブランドにすごく興味があったので、

自分の独立もそっちのけで夢中になって取り組んでいました。

会長から「もうええぞ」と独立を認めていただいたのは、

ヴィタメールを無事軌道に乗せることができてからでした。

🔹比屋根、確か40を過ぎた頃だったね。

🔸牧野、42歳でした。

それまで約20年間、会長のもとで修業させていただいた間には、

語り尽くせないほど思い出がありますけれども、

世界洋菓子コンクールで会長とダブル受賞できたのは嬉しかったです。


🔹比屋根、自分の優勝よりも、教えた弟子が優勝したことのはうが嬉しいものです。

厳しく厳しく鍛えたけれども、期待に応えて優勝してくれたんだなと。

🔸牧野、本音を言いますとね、それはもうきつかった(笑)。

勉強させていただけるのはありがたいけれども、その結果は絶対に求められますから。

🔹比屋根、優勝しないとダメだというのがわ 、僕の条件だからね。

🔸牧野、2位から50位までは一緒やと。

だから、今回は2位でした、3位でしたといって帰って来たら、しばらくは口も聞いてもらえない(笑)。

駆け出しの子が一所懸命練習して、やっと5位に入賞して喜んでいるのをご覧になって、

「あいつは、もう伸びん」

とため息をついていらっしゃったこともありましたね。

「入賞しただけで喜んどるやつはもうダメや」

と。

そういう会長の姿からは、エーデルワイスを創業されて以来、

ずっと積み重ねてきた歴史を絶やしてしまうことが、我慢ならないというお気持ちが、

ひしひしと伝わってきました。

だからなおさら優勝しなければならない。

それは、ものすごくきつかったです。

🔹比屋根、そうやってこれまでに800以上も賞をいただいて、うちから次々と日本を代表する職人たちが育っていきました。

だからエーデルワイスのいまがあると思う。


🔸牧野、エーデルワイスが東京へ初めて進出した時は、まるでドラマみたいでしたね。

🔹比屋根、あれからもう35年か。

いまの本社の横にあった研究所に、牧野君をキャップに10人ほど技術者を集めたんだったな。

全体に鉢巻をさせて、

「これから東京に行きなさい」

といって、夜中の12時に杯を交わした。

🔸牧野、私も含めて家族を待っている人もいるのに、その1週間後には東京ですよ(笑)。

🔹比屋根、君たちは特攻隊だから、帰ってくるな。

命を懸けろと。

命を懸けてやれば絶対成功すると信じて行かせた。

だからいまの東京の店があるんです。

東京進出は、銀座三越様からぜひ出店してほしいという強い要請があって決断したわけだけれども、

銀行はどこも大反対で全部手を引いてしまった。

もしこれに失敗したら会社もダメになるから、

会社を潰すか潰さないかは君らの頑張り次第だ。

君らが発った翌日に僕も上京したけれども、

皆目の色を変えて頑張ってくれていたね。

🔸牧野、事情を伺って、もう家族がどうかと、それどころじゃなかったですよ。

最初に寝泊まりしていたのが、門前仲町に立ち上げた工場の向かいの3 LDKでしたね。

そこへ現地採用のスタッフと一緒に16人で押しかけたものですから、

毎日ジャンケンで横になる場所を決めていましたけど(笑)、

まぁ、寝る時間なんかほとんどなかった。

そういう中でも、会長に言われて毎朝近くの八幡神社を皆で掃除してから厨房に入っていました。

🔹比屋根、きっとご利益があると考えてね(笑)。

🔸牧野、いい所でしたね、いま思えば。

ちょうどいまの祥行社長が東京の大学に在学なさっていて、よく手伝いに来てくださいましたね。

結局東京にはそのまま8年いましたけど、

頑張った甲斐があって、多い時には年間で一気に4、5号店オープンするくらいの勢いでした。

🔹比屋根、君たちには随分苦労をかけたけれども、去っていった者が誰1人なかったのは本当にありがたかった。

あの時は、皆でゼロから出発するんだというロマンがあったね。

当時のスタッフたちと分かち合ったあの経験は、間違いなく今日に生きているし、

創業から50年、そうしたいろんな節を乗り越えて、

しっかり基礎、土台を積み重ねてきたから、

エーデルワイスは強い企業になることができました。

おかげさまで先日の決算でも計画以上の利益が出たので、契約社員も含めて全社員560名に決算一時金を支給したんです。

🔸牧野、あぁ560名の社員さん全員に一時金を。

それは素晴らしいですね。

🔹比屋根、皆とても喜んでくれて、しばらくは社員からのお礼の電話が鳴りっぱなしだったよ。

今期は利益目標を1億円オーバーしたら、

その1億円を全員に分配すると宣言してるけれども、

そうやって社員に夢を与えることが大事だと僕は思う。

創業から50年で会社に揺るぎない基礎ができたのも、支えてくれた社員のおかげ。

やっぱり何より大事なのは人だからね。


(つづく)

(「致知」7月号、比屋根 毅さん牧野眞一さん対談より)

エーデルワイス①

2017-06-26 11:11:08 | お話
🍰🍰エーデルワイス🍰🍰①(全④回)

(エーデルワイス 比屋根 毅さん、ムッシュマキノ牧野眞一さん対談より)


🔸牧野、比屋根会長とこうして改まって語り合うことは滅多にないから、少々緊張しています。

私は、お菓子のことしか知りませんから、失礼なことを言うかもしれませんので…(笑)。

🔹比屋根、あはは。

そんなに肩肘を張らなくても、昔話でもするつもりで…。

君がエーデルワイスに入社してきたのはら何歳の頃だったかな。

🔸牧野、23歳でした。

その頃は会長もまだ現役でバリバリやっていらっしゃって、

こうして親しく言葉を交わすこともかないませんでしたけれども。

🔹比屋根、だけど、あなたも今では立派なオーナーシェフで、

あなたの立ち上げた "ムッシュマキノ" は、もう関西では知らない人がいない一流洋菓子店ですよ。

僕のところから独立したのは確か… 。

🔸牧野、42歳の時です。

独立させていただいて、もう20年以上になりますけど、

いまでもこうしてお声を掛けていただけるから幸せです。

私は、いまだに会長のところの社員のつもりでいますから。

🔹比屋根、独立して行った人から、僕の会社を我が家みたいに思ってもらえるのは嬉しい限りですよ。


🔸牧野、会長会長に初めてお目にかかった頃のことは、今でもよく覚えています。

会長は洋菓子のコンテストでも10回くらい連続優勝なさっていた第一人者でしょう。

それほどの方から、いきなり声を掛けられたのでビックリしました。

なんで私に? って(笑)。

🔹比屋根、コンテストや講習会の会場で、目の鋭い、すごくいい感性を持った子がおるなというのが僕の第一印象でね。

こう言っては今のあなたには失礼だけど、つくっているものは、まだ大したことはなかった。

けれどもセンスというのかな、

なかなか非凡なものが随所に垣間見えて、

この子はうまく育てたら大変な技術者になるなと思ったんです。

それで

「うちへ来てしっかり勉強したらどうだ」

と声を掛けたら、

すぐ飛んできたね。

🔸牧野、その時は他のお店でお世話になっていましたけど、迷いはありませんでした。

会長の持っていらっしゃるものはすべて吸収したいと思いましたから。

私は小さい頃から家庭に恵まれず、衣食住に飢えていたので、

とにかく早く学校を出て食べ物屋さんに入りたいと願っていました。

それでパン屋さんもいろいろ考えたんですけど、

ケーキはあの当時まだ珍しくて、貧乏人の自分でも職人になれば食べられるんじゃないかなと。

洋菓子の世界に入ったきっかけは、ただそれだけでしたけど、

比屋根会長と出会ったことで、私の人生は一変しました。


🔸牧野、だけど、比屋根会長のところは、それまでの職場とは全然環境が違っていましたね。

その当時からエーデルワイスというのは1つの軍団で、

経験別のコンテストでも全クラスで優勝さらっていたでしょう。

🔹比屋根、何度も完全制覇しました。

僕は10連勝した後、もうこれ以上出ないでくれと言われたものだから、

今度は後を託したうちの子たちがずっと優勝を続けていた。

その頃の弟子たちがいま、業界はトップに立って頑張ってくれているんです。

🔸牧野、私もそこそこ自信があって、あの軍団を打ち破るのは俺しかおらんやろ、と思って励んでいました(笑)。

でも実際にエーデルワイスに入ってみると、

各クラス10人ずつ、全部で30人ぐらい腕のいい若手が鎬(しのぎ)を削って、

その中で戦っていくわけですから大変でした。

🔹比屋根、一流揃いだから、いいと思う作品をつくってもそれほど目立たない。

ショックを受けて、もっと勉強しなしなければアカンなと気づいたろうね。

🔸牧野、いまでも鮮明に覚えていますが、いくらいい作品をつくっても、会長にポンと潰されてしまう。

何も言わずにね(笑)。

すぐにつくり直して、今度は大丈夫やろと思って持っていくんだけど、また潰される。

よそ予に持っていったら充分通用するレベルでしたけど、

会長は許してくださいませんでした。

🔹比屋根、コンテストに出るには、まず社内で勝ち残らなければいかんから、深刻だったろうね。

🔸牧野、後で分かったんですけど、去年つくったものは今年は絶対につくったらあかん、

二番煎じはダメだというのが会長の持論ですよね。

人の真似をするなら、オリジナリティーがないとあかん、

仮にそれで賞を逃すようなことがあっても構わん。

これまでの歴史や伝統が途絶えてもいいから、

新しいものをつくりなさいと。

いままでつくり上げてきたもの全部捨てて、

全く違うところからスタートしなければいけないわけですから、あれは強烈でした。


🔹比屋根、可哀想だと思うのは当然ある。

しかし、もっともっと伸びてほしいから、中途半端なレベルで認めるわけにはいかない。

そこで泣いて辞める者もたくさんおったけどね。


🔸牧野、いましたね。

🔹比屋根、本人にしてみたら、丹精を込めてつくり上げた絶対の自信作が、

ひと言の評価もなくバッと潰されるんだから、たまらないだろうな。

🔸牧野、1日、2日でできるものじゃありませんからね。

毎日仕事もしっかりこなしながら、睡眠時間を2、3時間くらいまで削って、

大体40日くらいかけてつくり上げていくわけでしょう。

やっとできあがっても一瞬でバーンだから、「ええっ!」と(笑)。

私も若い頃はショックでした。

それでも私が辞めなかったのは、そこでまたやり直すことで、

自分をもっと伸ばせることを学ばせていただいたからです。

そもそも、自分はもう会長のことを師と仰いでいるわけですから、

その師から「ダメや!」と言われたら、

やっぱりそれはダメなんですわ。


🔹比屋根、そういう素直さがないと、人間伸びないね。

素直さと根気、そして「こん畜生!」という思いが自分を高めるんじゃないかな。

これでいいやと妥協したら、もうそこで終わりですよ。

逆に、ダメ出しされても「こん畜生!」と発憤して、

魂のこもった作品をつくり上げたら、僕はものすごく褒めてあげる。

やれるじゃないかと。

これで自信を持って、しかし驕らずに、もっともっと頑張りなさいと。

そういうことを繰り返してコンテストで日本一になる頃には、

もう親子以上に深い繋がりができているから、

お互いに肩を抱き合い、涙を流しながら喜びを分かち合えるんです。

あの苦労があったから日本一になれたんやでと。

その度に、やっぱり厳しく教えてきてよかったなぁと実感するんですよ。


(つづく)


(「致知」7月号、比屋根 毅さん牧野眞一さん対談より)