🍀般若心経の解説🍀17
🌸🌸「無色声香味触法(むしきしょうこうみそくほう)」🌸🌸
「色・声・香・味・触・法も無く」
これもやはり、「空の中には」
つまり
「空の究極の境地からするならば」という、ただし書きがつくことは、
前の
「眼・耳・鼻・舌・身・意も無く」
の理解のしかたと全く同様です。
ここで少し、説明をほどこしましょう。
👀眼・耳👂・鼻👃・舌👅・身🚶・意💗とは、
わたしたちの認識の主観的能力を
六種類🍀に分けていったもので、
仏教の専門用語🌸では、
まとめて、
「六根🌲(ろっこん)」とも、
「六内処🌷(ろくないしょ)」とも呼びます。
この六の、それぞれに対応するのが、
色🌈(いろかたちあるもの)、
声🎵(こえやおと)、
香🌸(かおりやにおい)、
味🍙(あじ)、
触✋(ふれられる対象)、
法☁️(こころの対象)
です。
これらは、
私たちが認識🍀するときの客観的対象🌸ですから、
「六境🗻(ろっきょう)」
とか
「六外処🌅(ろくげしょ)」
と、まとめて称されます。😄
「根」とは、
あたかも草🌱や木🌲の根が成長させる能力✊を持っていて
幹や枝を生じさせるように、
私たちの感覚🌸をおこさせる器官👀👃のことです。
「境(きょう)」とは、
感覚作用をおこす対象🌟のことです。
また、
「処🌟(しょ)」は、
感覚🌸あるいは認識🍀がおこるための場所を意味します。🎵
つまり、
私たちの感覚(認識)を、
内なる感覚器官🍀と、
外なる対象🌟に分けて、
それぞれ
「六根🌲」(六内処)、
「六境🗻」(六外処)と呼ぶのです。
両者を合わせて、「十二処🎵(じゅうにしょ)」といいます。
ややかたい説明🍀になったかもしれませんが、
いちおう、このことだけは押さえて👍おいてください。😄
さて、
私たちは、ややもすれば、見るもの・聞くものに、つい心💓がひかれます。👀🌟
香水🌹のにおい👃や美味しいもの😍に心乱れる🌀こともあります。
そして、
本心を失う😵ことすらあります。
「無☁️」の一字には、
それらへの反省が込められているとも見ることができるでしょう。😄🎵
ただし、そのことをふまえて、
道元禅師☀️が、
峰の色 溪(たに)の響も みなながら
我が釈迦牟尼(しゃかむに=お釈迦様)の 聲(こえ)と姿と
と、詠われていることも味わってみてください。😄🎵
(「あなただけの般若心経」より)
🌸🌸「無色声香味触法(むしきしょうこうみそくほう)」🌸🌸
「色・声・香・味・触・法も無く」
これもやはり、「空の中には」
つまり
「空の究極の境地からするならば」という、ただし書きがつくことは、
前の
「眼・耳・鼻・舌・身・意も無く」
の理解のしかたと全く同様です。
ここで少し、説明をほどこしましょう。
👀眼・耳👂・鼻👃・舌👅・身🚶・意💗とは、
わたしたちの認識の主観的能力を
六種類🍀に分けていったもので、
仏教の専門用語🌸では、
まとめて、
「六根🌲(ろっこん)」とも、
「六内処🌷(ろくないしょ)」とも呼びます。
この六の、それぞれに対応するのが、
色🌈(いろかたちあるもの)、
声🎵(こえやおと)、
香🌸(かおりやにおい)、
味🍙(あじ)、
触✋(ふれられる対象)、
法☁️(こころの対象)
です。
これらは、
私たちが認識🍀するときの客観的対象🌸ですから、
「六境🗻(ろっきょう)」
とか
「六外処🌅(ろくげしょ)」
と、まとめて称されます。😄
「根」とは、
あたかも草🌱や木🌲の根が成長させる能力✊を持っていて
幹や枝を生じさせるように、
私たちの感覚🌸をおこさせる器官👀👃のことです。
「境(きょう)」とは、
感覚作用をおこす対象🌟のことです。
また、
「処🌟(しょ)」は、
感覚🌸あるいは認識🍀がおこるための場所を意味します。🎵
つまり、
私たちの感覚(認識)を、
内なる感覚器官🍀と、
外なる対象🌟に分けて、
それぞれ
「六根🌲」(六内処)、
「六境🗻」(六外処)と呼ぶのです。
両者を合わせて、「十二処🎵(じゅうにしょ)」といいます。
ややかたい説明🍀になったかもしれませんが、
いちおう、このことだけは押さえて👍おいてください。😄
さて、
私たちは、ややもすれば、見るもの・聞くものに、つい心💓がひかれます。👀🌟
香水🌹のにおい👃や美味しいもの😍に心乱れる🌀こともあります。
そして、
本心を失う😵ことすらあります。
「無☁️」の一字には、
それらへの反省が込められているとも見ることができるでしょう。😄🎵
ただし、そのことをふまえて、
道元禅師☀️が、
峰の色 溪(たに)の響も みなながら
我が釈迦牟尼(しゃかむに=お釈迦様)の 聲(こえ)と姿と
と、詠われていることも味わってみてください。😄🎵
(「あなただけの般若心経」より)
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