南城市大里字仲間1124-1南城市役所大里支所(旧大里村役場)の敷地内に、大里村農村環境改善センターがあります。
門を入ると正面の建物の左側に茶色に塗られた大砲が鎮座してます。
旧日本軍陸軍の十五糎加農砲です。1945年3月、大里の平川壕に二基配置され、那覇方面に砲口が向けられていましたが、5月に米軍の集中砲火に合い、壕は破壊され大砲は埋没しました。一基は掘り起こし移動させたものの、この砲は軍に放棄されました。
昭和4年に旧日本軍によって、制式化された大砲で開脚式装輪砲架を持ち、遠距離でも命中精度にすぐれていた。砲身車と砲架車をそれぞれ牽引車で牽引して移動し、陣地で組み立てて使用したが、準備に1時間程かかったそうである。
大里村内には、1945年3月に旧日本軍陸軍独立重砲兵第百大隊が布陣した際に、二門が配置された。しかし、沖縄戦においては、米軍とのあまりに大きな物量の差により、その効果は乏しく、一発撃つと何十、何百という反撃をうけたといわれている。 平成15年12月 大里村教育委員会
平成15年3月平川壕の発掘が行われ、このカノン砲は掘り出されました。発掘の際、平川壕の一部が破壊されたということです。砲は復元され、同年8月より展示されています。
現物の迫力が伝わります。
砲身。60年近く土中に眠っていたとは思えない保存状態です。
後部にある鋤鍬。矢板を地面に打ち込み、砲弾の発射時、反動による後退を防ぐものです。
車輪は写真で見た限り、鋳鋼のようです。
撃つと損するってことですかね?
まぁ物量の違いは仕方ないことです。
餓えていたあの頃、こんなもんにお金かけんでも…なんて思っちゃいました。
それにしても、南城市は、手間暇かけて、掘り起こし、きちんと保存し、いろいろな思いを私たちに 届けてくれることをされているんですねぇ。わが町は、ま~だ、何かしら延々と揉めておりまする。
一発打ったら百発返ってくるなんて……
兵隊さんがかわいそうです。
司令官はただ命令するだけだからいいけれど……
おがようございます。
遡って、ようやく最初のブログに辿りつく事が出来ました。何度か足を運んで頂いて、記事を投稿して下さっていたのですね。
それに、私が今だに見れない,イッペ-の満開、西原のサガリバナ、ご自宅近くのオオバナサルすべリ、などなど美しい映像も見せて頂きました。男の方はユ-モアのセンスを典型的に持って生まれるものだという事も、再認識させて頂きましたよ。読み応えがあり、うんと楽しませて頂きました。それでは、またの更新お待ちしております。
めっちゃ重いでしょうねえ。
最終的に人力で運んだのです。
撤退の途中で放棄したらしい。
アルファさん、
決定的な物量の差です。
首里が陥落したあとは、米軍に見つからないようにひたすらガマに隠れていたのですな。
稗島さん、
ブログを最初から見ていただいたのですか。
ありがとうございます。
途中でCURURUに行っていた時期が長くありまして、その間のgooブログが薄くなっています。