国道58号線嘉手納ロータリーの手前、水釜の交差点を左折すると比謝川の河口に出ます。対岸は読谷村渡具地です。水辺に岩山があり、そのがけ下に洞窟がいくつも口を開けているのがよく見えます。これが日本海軍が構築した特攻艇秘匿壕です。ここには海上挺身隊第29戦隊第1中隊の17艘の特攻艇「震洋」が配備されていたと言われます。
特攻艇というのは排水量1.5トンのベニヤ製のボートで軍用トラックのエンジンを積み、当初は120kg機雷を2基積み密かに敵の船に近づき機雷を投下してから離脱する、という奇襲戦術の兵器でした。しかし、戦局が悪化するにつれ船首に250kgの爆薬を積んでそのまま敵艦に体当たりするという特攻作戦に切り換えられました。
本島では米軍の上陸が予想された糸満、北谷、読谷、本部などに秘匿壕が造られ、特攻艇が配備されました。
壕から海岸までレールが引かれ乗組員は自分で船を押し出し出陣したといいます。
ただし、この特攻艇もトーチカと同様、無血上陸を許す作戦に切り換えたため、実際には使用されることは無かったようです。
壕は立ち入れるもので4つ、崩壊しているものも数カ所確認できます。内部の保存状態は良く、レジャーボートなどが「秘匿」されていたりしてます。壁に縦の溝が刻まれているのが視認できますが、これは崩落防止のための柱を立てた跡です。
壕の内部から外を見ます。正面は比謝川の河口です。
今は釣り人の姿を見ることができますが、当時特攻隊員達はどんな風景を見ていたのでしょうか?
どこをとうすれば出てくるのか
私にはまったく分かりませんが、
当時はそういう狂気が軍隊には満ちていたのでしょう。
この辺りの事実は、
もっともっとたくさん語り継がなければいけないと思います。
でも今の日本はあまりにも平和ボケしてしまっているのも
残念な話です。
だれもが政治や経済に無関心になってしまって、、、
これからどうするんでしょうか?
それが心配です。