那覇から豊見城バイパスを南下、瀬長の交差点を左に入ります。
この道はバイパスがまだ無かったころ、瀬長島に通じる唯一の道でした。旧道(県道231号線)にぶつかる少し手前、字田頭(たがみ)に崩れかけた石彫りのシーサーがあります。シーサーは、村落に入り込む魔物や厄の反し として、集落の入り口に置かれました。
県の文化財にもなっているこのシーサー、こんな謂れがあります。
この田頭のに米軍が迫った時、戦車の行く手をシーサーが阻み、住民たちは森の中に逃げのびることができたというのです。
大きな口のチブル(頭)シーサー、立派に厄を払ってくれたのですね。
の背後の森。この森自体が御嶽であり、ガジュマルの大木があります。
そんなことはないかぁ~そもそも視点がずれてますねぇ。
面白い言い伝えですね。
戦車が止められたとは思えないのですが、何かあったのでしょうねえ。
稗島さん、
シーサーはの守り神として、の周囲に配置されました。
屋根の上に置かれたのは瓦が普及した明治時代、門柱に対で置かれたのは戦後です。
最古の石彫りシーサーは1689年ですから、この石彫シーサーは1700年~1800年位に作られたものではないでしょうか。残念ながら作者は分かりません。
これまで、伝説に残るもの、謂れのあるものは、その製作した人の力があるようなのですが、(思いを作品に盛り込むので)素晴らしい働きをしたシ-サ-の作り手まで、資料に残されていますか?本来ならば、私の方から調べないといけないことなのですが、ご存知ならば教えて頂けないでしょうか?
悲惨な、残酷な壕を訪ねた後の、シ-サ‐のお話に少し救われますね。
お1人で、道なき道の壕を訪ねて…。胸が痛みますが、訪ねないとよけいに身体の調子がおかしんですよね。何に見込まれてしまったのでしょう!ただただ感謝あるのみです。
このシーサーに泡盛を飲ませてあげたいです。
私の知る限りこの言い伝えの書籍は無いと思います。埋蔵文化センターの戦跡の資料には解説が載っていますが。
応援団no2さん、
だいたい一人ですね。家族は付いて来ないし・・・。
体調はぼちぼちです。ご心配かけました。
osakakenさん、
厄返しの守り神シーサー、頑張ってますよ。
こんな姿になっても 頑張ったんですね。
それとも、何人かで行動されているのでしょうか?
少しは良くなられたのでしょうか?
どうか、お身体大切に。
いなければ、素敵なお話が書けますね。
戦車を遮って、人々を助け、自分の原型が無くなってしまったシ-サ-の姿は、存在感がありますね。背後の御嶽の精が乗り移ったのかも…。沖縄は厳しい中にもファンタスティク!
ぜひ、訪ねてみます。