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管理人のうちなーライフかりゆし日記

管理人てぃんがーらが沖縄の生活を綴ります。

サーバー

2011年08月06日 | 博士の研究日記

平成23年8月5日17時02分 沖縄気象台発表
 沖縄本島地方では、引き続き暴風やうねりを伴った高波、高潮に厳重に警戒してください。また、本島中南部、本島北部では、低地の浸水、河川の増水、はん濫、土砂災害に警戒してください。
 非常に強い台風第9号の影響で、沖縄本島に最も接近しており、沖縄地方は大荒れの天気となっています。また、大東島地方や先島諸島では荒れた天気となっています。

 今年は台風の当たり年でしょうか。東の方では台風10号も発生しています。大風(うふかじ)の日はレンタルビデオが繁盛します。みんなお家でビデオ見ながら過ごすんですね。
 さて、先週、酒のサーバーを購入しました。小さなサーバーですが、それでも1升入ります。紙パック愛用者でしたが、これでずいぶんと雰囲気が出ますね。実はこれ、骨董屋で500円でした。1つしかなかったのでしたが、本当は4つ5つ買って並べたかったです。銘柄別に酒を入れて、その日の気分で飲む、みたいな・・・。
 台風の日にはお家でおとなしく酒を飲みましょうかねえ。

 


多良川 芸能フェスタin南城ボトル

2011年07月31日 | 博士の研究日記

 多良川というとブラウンや琉球王朝など宮古の酒のイメージですが、玉城にも工場がありブラックボトルを生産しています。その多良川ブラックから9月に行われる「第6回芸能フェスタin南城」ボトルが発売されています。
 このボトル、実は芸能フェスタを主催する南城市の青年会への資金造成ボトルで、売り上げの一部が青年会に入る仕組み。島酒飲んで、南城市青年会を応援します。
 ちなみに昨年度のフェスタの様子はこちらです。

 


730

2011年07月30日 | 博士の研究日記

 7月30日は730(ナナサンマル)とよばれ沖縄の人にとって忘れられない日です。1978年の今日、県内全域において交通方式が変更になり、右側通行から左側通行になった日です。
 前日の29日の午後10時に全ての道路の交通が禁止され、標識の掛け替え、信号機の変更などを行い、30日午前6時に左側通行がスタートしました。作業は人海戦術で、新しい標識にかけてあった黒いカバーを外し、古い標識に掛けていくという形で切り替えが行われました。私の先輩はこのアルバイトに参加し、夜中に作業して結構なバイトだったと話してくれました。
 その後、古い標識が撤去されるまで、田舎の方では手が回らないのか、しばらく画像の様な標識が残っていました。また、車線はずいぶんと後まで残っている部分があり、道路の中央に「左折車線」があったりしてました。729車(左ハンドルの国産車)もしばらくはよく見かけました。
 一番苦労したのはバス・タクシーのプロドライバーだったと思います。直前まで右側通行で仕事をして、突然逆で運行しなければならないわけで、特にバスは停留所も逆、扉も逆ということもあり、事故も頻発しました。
 私的には無理して変えることも無かったのではと思いますが・・・。右側通行を観光客にアピールできたかも。
(画像はイメージです)

 


沖縄の味 その11

2011年07月24日 | 博士の研究日記

 沖縄の物ではないのに沖縄の味、第11弾です。今回はキャンベルスープ、アメリカ製。
 なぜにキャンベルスープか、というと、沖縄のスーパーに行けば分かります。缶詰売り場に大量陳列、さらに通路に特売で並びます。価格も100円から160円位。
 内地でもいくらか売ってはいますが、良く見るとラベルが違う様ですな。わが家でも常に数缶は常備しております。

 

 


地球温暖化を加速する原発

2011年07月23日 | 博士の研究日記

 内地では放射能汚染された牛肉が市場に出回ったとか。政府の対策も後手後手に回っていますなあ。「直ちに健康被害は出ない」らしいですが、放射能は微量であっても染色体に影響を及ぼすらしい。直ちに出なくても、後々になって出るのですな。
 ところで、昨今海水の温度が上昇し、珊瑚が危ないという話はお聞きかと思いますが、海水温度の上昇に原発が一役買っているのはご存じですか?
 原発って海沿いに造られていますね。それは大量の海水で炉を冷却するためなのです。効率の良い原発とはいえ、核燃料のエネルギーの1/3しか電気として取り出せず、残りの2/3は熱として捨てているわけです。7℃~10℃温度が上昇した海水が、再び海に捨てられる量は1秒あたり70トン。日本に54基の原発がありますがその総量は年間約1000億トン。ちなみに全国の河川から海に流れる水量は年間約4000億トンだそうです。この量、ハンパ無い。これだけの温められた海水を捨てているのですから、海水温も上昇するわけです。しかも海水を取り込む時、薬剤を投入します。船の底に毒素の入った塗料を塗るのと同じで、機械設備の中にフジツボなどが付着するのを防ぐためです。
 だいたいCO2の最大の発生源は海です。海は巨大なガス貯蔵庫であり、水温の変化によりCO2を始めたくさんのガスを吸ったり吐いたりしています。温まったコーラのように水温が上がると、海は温暖化ガスを放出します。
 原発が温暖化の切り札みたいなこと言われていますが、電力会社に洗脳されているわけですな。原発はめっちゃ海を温めているのです。しかも放射能ばらまくし。
 また原発が無ければ電力不足になるというのも大嘘で、休止している火力発電を整備すれば事足ります。それでも電力会社が「やらせメール」までして原発を推進したいのは、原発は儲かるからです。簡単に言うと電力料金は電力会社の資産と利益から決められます。普通、会社の利益は、売り上げから経費を引いた残りですが、電力会社の場合あらかじめ利益を決めちゃうわけですな。だから資産である原発を造れば造るほど儲かる。その結果、世界一高い電気代を日本国民は支払っているわけです。

 環境にも家計にも優しくない原発。しかも人間が制御できないシロモノとはそろそろ手を切った方がいいと思いますなあ。
 画像は沖縄電力牧港火力発電所。沖縄電力が原発を持つことの無いように祈ります。

 


久米島の久米仙

2011年07月20日 | 博士の研究日記

 台風6号はどこら辺をさまよっているのでしょうか?九州四国地方で相当雨を降らせているようで、洪水も起きているようです。進路にあたる地域の方は十分に警戒されてください。
 さて、台所を整理していたら、私が最初に沖縄に赴任した時に買った酒が出てきました。仲里酒造の久米島の久米仙40度です。

 私が初めて沖縄で暮らしたのが昭和56年、いまから30年ほど前のことです。詰め口年月日を記載するという自主規制ができた2004年6月以前のものは、詰め口年が分からないので、社名とか市外局番の表記などで製造年を推定していきます。合資会社仲里酒造が株式会社久米島の久米仙に変わったのが平成5年(1993年)、市外局番が098985から098になったのが平成2年(1990年)ですから、それ以前の酒と判断するわけです。
 ただし、この酒は自分で買ったものですから、どれくらい経っているのかは正確です。昭和56~57年ごろ購入していますから、間違いなく30年は経とうとする酒です。
 30年物の古酒を味わうこととしましょう。

 


タコライス

2011年07月18日 | 博士の研究日記

 これぞチャンプルー(ごちゃまぜ)料理の極み、タコライス。メキシコ料理の定番「タコス」の具をライスの上に載せちゃった料理です。
 発祥の地はキャンプハンセンの門前町、金武町と言われています。タコスは薄いトルティヤ(トウモロコシの粉で作った餃子の皮みたいなもの)を揚げて、その中にミート、レタス、トマト、チーズを詰めたもの。1個や2個ではとてもお腹いっぱいにはなりません。そこで腹を空かせた米兵のために、タコスの具を大盛りライスの上に載せたところ、これが大ヒット。今や、牛丼の吉野屋のメニューにも載るほどの沖縄料理の定番となりました。
 わが家でもオキハムのレトルト・タコライスの素は常備品。ご飯にレタスとトマトさえあれば夕食が出来上がります。

 このタコライス、何故かコーラとの相性がいいのですねえ。入ってくる文化を何でも受け入れ、ごちゃまぜにして自分達のものにする、チャンプルー文化の代表だと思っております。

 台風6号が九州方面に北上中です。十分にご注意ください。

 


ゴーヤーの花

2011年07月17日 | 博士の研究日記

 先月に始めたグリーンカーテン。もう2m以上伸びていますが、ゴーヤーが花を咲かせました。可愛い黄色の花です。苗を植えたのが6月25日、ネットを張ったのが7月2日。このときのブログはこちら。それから2週間で花が咲くとは、ゴーヤーの成長はずいぶんと早いですねえ。これ、チョメチョメしなければならないのかしら?

 


鉄の暴風雨

2011年07月16日 | 博士の研究日記

 大型で非常に強い台風6号は15日午後6時現在、小笠原諸島の近海にあり、勢力を強めながら時速20キロで西北西に進んでいる。中心の気圧は950ヘクトパスカル。中心付近の最大風速は45メートル、最大瞬間風速は60メートル。
 沖縄気象台によると、大東島地方は16日夜から強風域、17日午後から暴風域に入る見込み。台風は次第に北へ進路を変え、沖縄本島地方は17日午後から強風、18日には暴風の恐れもある。(沖縄タイムス)

 だいたいにおいて台風は週末に接近することが多いですな。6号は結構大型のようで、十分な注意が必要です。

 さて、本日ご紹介するのは西原町にある小波津邸の石塀です。1935年(昭和10年)小波津家の新築の際に造られた石塀にはたくさんの穴が空いています。

 戦時中、日本軍が駐留したため、米艦隊の艦砲射撃を受け被弾した痕です。西原町(当時は村)では住民の約半数が戦死した激戦地でした。石塀には多数の砲弾の破片が食い込んでいたということですが、戦後復興のスクラップブームで取り去られ、今では痕だけが残っています。
 この小波津家、今でも大きな家が建っていますが、当時も立派だったのでしょう。石塀も当時は7段あったそうですが、舗装や盛り土で今は下2段は埋もれています。
 この生々しい砲弾の痕がのこる塀の前に立つと身がすくむ想いがします。鉄の暴風雨と言われる様に、赤く焼けた鉄の固まりが豪雨となって降ってきたわけです。逃げる場所など無かったのでしょう。
 さらに思うのは、このような戦争の傷跡の中で今現在も住民の日常生活が営まれているわけで、人々はどう感じているのだろうかということです。こういうものを見るにつけ沖縄の戦後は終わっていないことを感じます。
 またいつも思うのですが、この物言わぬ証人をいつまで保存できるのか?ということ。この塀も個人宅のものです。家の建て替えで取り去られてしまうかもしれません。実際多くの戦争遺跡が家の新築や道路の拡張などによりいつのまにか消滅している現実があります。やはり行政による保存活動が望まれます。

 The BOOMが歌う「島唄」、ご存じのように、デイゴの花が咲き、戦局が悪くなるという風を呼び、米軍という嵐が来た、という沖縄戦の悲惨さを歌った唄です。今回来るのは本物の台風。鉄の暴風雨でなくてよかった。