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管理人のうちなーライフかりゆし日記

管理人てぃんがーらが沖縄の生活を綴ります。

読谷の戦跡 鉄血勤皇農林隊 牧原の壕

2011年08月29日 | 博士の研究日記

 過日、読谷の戦跡を訪ね歩きました。沖縄戦で米軍が本島上陸した読谷から嘉手納にかけては、今でも多くの戦争遺跡が残ります。戦跡というと南部戦跡(摩文仁やひめゆりの塔など)が有名ですが、中部の戦跡も少しずつご紹介していきたいと思います。 
 嘉手納ロータリーを池武当方面に行くと左手に道の駅嘉手納があります。4階の展望台からは嘉手納基地が一望できる、観光名所ともなっている道の駅です。この道の駅の交差点を左折、しばらく行くと嘉手納野球場前を通り、久得橋を渡ります。そのすぐ左手に公園駐車場があります。そこから比謝川沿いに送電線の下の農道を下っていきますと、突き当たりに岩肌にくぼみがみえる一帯があります。ここが鉄血勤皇農林隊の構築壕です。

 崖下に高さ50cm位の壕口がいくつも開いています。半分以上土砂で埋まっている様です。足元が非常に悪く、近づくことができません。今回は壕内部の撮影はあきらめました。

戦前、嘉手納には沖縄県立農林学校があり、近隣の町村から優秀な学生が通っていました。あこがれの学校生活も戦争の影が色濃くなり、座喜味城跡の高射砲陣地の構築、楚辺から波平に至る海岸沿いの戦車壕掘り、防空壕掘り、軍事教練等であけくれるようになりました。
 1945年(昭和20)3月26日、何の法的根拠も無いまま現地召集兵として動員され、鉄血勤皇隊農林隊が編成されたのです。最終的に学徒130名(本隊110名、斬込隊20名)が動員されました。
 第19航空地区司令部に入隊した本隊110名は、ここ比謝川沿いに構築した牧原の壕に配置されました。沖縄戦による農林生の戦死者は124人にのぼりました。


シークレットビーチ 都屋

2011年08月27日 | 博士の研究日記

 台風11号が近づいています。30日に台北付近を通過しそうです。今回は本島は進路から外れそうですが、八重山地方は暴風域に入る恐れがあります。
 さて、ご紹介したい私のシークレットビーチ・シリーズ、今回は読谷村都屋のビーチです。都屋漁港に車を停め、西の方向にビーチを進むと、岩に挟まれたビーチがあります。

 ここは訪れる人も少なく、たまに犬の散歩に近所の人が来るくらい。適当な木陰もあり、ピクニックにもってこいの場所ですねえ。読谷の海は遠浅で、造礁珊瑚がリーフの中にあり、七色に変化する海の色が楽しめます。

 


ストレリチア

2011年08月26日 | 博士の研究日記

 台風が近づいています。フィリピンの東にある11号は台湾に向けてゆっくりと北上しています。29日ごろには先島に影響が出そうです。また台風12号ははるか日本の南海上にあって本土に向かって北上しています。十分な注意が必要です。
 さて、今、南部ではストレリチアが花盛りです。極楽鳥花ともよばれる南アフリカ原産のバショウ科の花です。苞の中から橙色と青い花びらが次々と立ち上がりまさに極楽鳥を思わせる、南国にぴったりの情熱的な花です。生け花に人気で、私も好きな花の一つです。栽培する農家も多く、農連市場などでよく見かけます。

 


Aサイン

2011年08月21日 | 博士の研究日記

 Aサインのお話です。皆さん、Aサインってご存じでしょうか?
 沖縄が米軍に占領されていた時代に、米軍が認めた飲食店やバー、食品会社などに発行した、今で言うISO認定証みたいなものです。米兵の健康に問題が出ないように、軍はAサインを掲げた店にのみ兵が行くように指導したわけですな。逆に言うとそれだけ当時の沖縄の衛生状態は悪かったわけです。
 認定の条件としては、店舗はコンクリート造り、トイレはタイル張り、店舗の前は舗装道路、従業員の週1回の健康検査とかなり厳しいものだったようです。
 この制度は復帰前に廃止されましたが、まだこのサインを掲げている店を見ることができます。

 Aサインの「A」とは、APPROVED FOR US FORCES の頭文字から来ています。赤いAはレストラン、青いAはバーと色分けされていました。店はこのAサインを店舗に掲げ、米軍公認の店です、衛生的な店です、と米兵にアピールしたのですね。四隅は米4軍(陸軍、空軍、海軍、海兵隊)のマークがあしらわれています。

 このAサイン時代の雰囲気を色濃く残しているのが、冒頭の画像のUSレストラン。石川の329号線沿いにあります。

 


ゴーヤーカレー

2011年08月16日 | 博士の研究日記

 夏ばてなどしてはいませんか?夏の食欲が無い時にはカレーが一番です。そこでゴーヤーカレーを作りました。
 タマネギ、ニンジン、ジャガイモと一緒に厚めに切ったゴーヤーを炒めてルーの中に。最後に薄くスライスしたゴーヤーをトッピング。
 辛味と苦みのコラボですねえ。食欲が無い時でも食が進みます。もっとも私ゃいつでも食欲はありますが。

 


ウークイ

2011年08月15日 | 博士の研究日記

 昨日はウークイ。お盆にこの世に帰ってきたご先祖様達をお送りする日でした。ご先祖様達が迷わず帰れるようにエイサーで送り出すのですね。地元の青年会の若者が、「道ジュネー」といって街の中を練り歩き、路地裏や軒先で演舞します。この時期、遠くで太鼓の音が聞こえるとわくわくします。

 


米軍ヘリが降った日

2011年08月14日 | 博士の研究日記

 今から7年前の昨日、2004年8月13日は、普天間基地の米軍輸送ヘリCH53Dが、沖縄国際大学に墜落した日でした。
 ヘリは沖国大1号館の壁にローターを衝突させ、墜落炎上しました。広範囲に部本をまき散らし、一部はマンションのガラスを破り室内にまで飛んできました。
 米軍は直ちに非常線を張り、大学関係者はもちろんのこと、県警察、消防も立ち入り禁止とし、証拠品を全て回収しました。大学の所有地にフェンスを張り、残骸搬出のため校内の樹木を伐採しました。住民が撮るカメラも没収したといいます。いまだに乗組員の名前さえ分かっていません。ローターの制御部品として使われた放射性物質ストロンチウムのカプセルの一つが発見できずにいます。
 県警は沖縄県警察は航空危険行為等処罰法違反で操縦していた米兵を容疑者不明のまま書類送検しましたが、それもうやむやの中、不起訴処分となっています。これが植民地沖縄の実態です。
 幸い、死傷者は出ませんでしたが、周囲は住宅地で、現場に行くと偶然が重なりたまたま負傷者が無かっただけのことがよく分かります。
 画像は墜落一週間後の沖国大1号館。現在は、国によって建て替えられ、1号館はありません。この壁は現場にモニュメントとして残そうと学生達が運動をしていましたが、人目に付くような所に残すのであれば建て替え費用は出さないと防衛局から言われ、今は焦げたアカギの幹が1本残るのみです。
 沖国大8・13周回の様子を伝える沖縄タイムス紙はこちら


ウンケー

2011年08月13日 | 博士の研究日記

 昨日はお盆の入り「ウンケー」でした。お盆でグソー(あの世)から帰ってくるご先祖様たちをお迎えする日です。お盆が近づくと、スーパーにはお盆用品が並びます。ご先祖が杖として使うサトウキビの茎や、仏壇にスイカを供える時に敷く「ガンシナ」(おばぁがたらいを頭の上に載せて運ぶ時に使うワラ製の輪)など、およそ内地では見られないもので売り場は賑わいます。
 画像は仏壇で使う「ウチカビ」と線香。ウチカビとはあの世で使うお金で、燃やしてあの世に送金します。黒いのはお線香。縦すじの入った板ガムみたいな形をしています。
 お盆の時はトートーメー(仏壇)のある家の奥さん(長男嫁)は料理や訪れる親類相手に大忙しです。仏壇の無い家でも、お中元を持って親戚回りで大忙し。ですからお盆が終わるとヘトヘトになるのですね。お盆が「お休み」というのは内地だけです。
 こういう行事で親戚一同の絆を深めるわけですな。