花の候 時代創りし 人をたづぬる
花曇り 何故に供物の 多き広元
広元:大江広元
急石段 端に菫や 墓守るごと
菫:すみれ
鎌倉には花曇りの昼過ぎに着きました。若桜の段葛(だんかずら)並木から生気と元気をいただきながら鶴岡八幡宮にお参りし、そこから東に大蔵幕府跡、白旗神社と頼朝のお墓、義時のお墓があったとされる法華堂跡に歩いていきました。いずれも寂れた感じの雰囲気が漂う時空間でした。日も暮れ始めて訪れる人もほとんどおられなかったので、ゆっくりと、約一千年前、この地で命を懸け、試行錯誤を繰り返しながら日々を生き、結果として新しい時代の先駆けを作った人々とその生活に思いを巡らしました。彼らがいて、今の日本があり、今の私があることの不可思議さを改めて思いました。
法華堂跡の近くに毛利季光、大江広元、島津忠久の3氏の墓が並び、またその近くに三浦泰村一族の墓やぐらがあります。大江広元と島津忠久は鎌倉幕府草創期に頼朝を共に支えた重臣です。毛利季光は大江広元の4男で長州毛利氏の祖。島津忠久は薩摩島津氏の初代。この4つのお墓の中で、大江広元の墓前の供物が他のお墓と比べて圧倒的に多い、何故か・・・???
帰りがけ、急石段の端に咲いている菫(すみれ)に気が付きました。この花を始めとし、野の小さな花は本当にかわゆく逞しいといつも思いますが、この時は、人訪れぬこのお墓を静やかに、且つけなげに守っているように思えてなりませんでした。