MS「多発性硬化症」と共に生きる

難病の「多発性硬化症」患者です。家での映画鑑賞とガーデニングが趣味でです。薔薇が好きになり信仰に支えらながらの毎日です。

退院して

2024-02-27 16:32:00 | 入院
退院の荷物の整理は看護助手さんがしてくださって、とても助かった。

そして退院は甥が来てくれて、荷物運びから何から何まで手伝ってくれて有り難かった。
ひとりで入院は出来たけど、こんな状態で帰るなど思ってもなかったから、退院はひとりでは無理だ。

家に帰ると、家の中でのかかと歩きが、リハビリ室とは違って難しかった。

シャワーを浴びることと、何か口に入れること、あとはシーネという添木のようなものと足を包帯で巻きつけて寝るだけで精一杯だった。

動くのが嫌だからTVばかり見ていた。録画していた「おっさんずラブ
金曜ナイトドラマ『おっさんずラブ-リターンズ-』|テレビ朝日

金曜ナイトドラマ『おっさんずラブ-リターンズ-』|テレビ朝日

テレビ朝日『おっさんずラブ-リターンズ-』番組サイト。2024年1月5日スタート!【毎週金曜】よる11時15分放送!(※一部地域を除く)ついに帰ってくるー!世界中で社会現象を...

 
」を観て心癒されていた。
変なドラマだが、色んな賞を取ったり海外でも面白いと言われているそうだ。

お庭に出たのは一回だけ、よく見ると春が近づいていた。











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ささやかな贅沢

2024-02-22 16:35:00 | 入院
リハビリに行けるようになって、この部屋を飛び出して行けることに喜びを感じている。

特に、車椅子は自分で漕げます、とリハビリの先生に言ってカルテに書いてもらって一人で行動できるようになってから、羽の生えた鳥みたいな気分だった。

このテントで囲まれた部屋は一向に変わらず、ここを出ることが忍耐から解放されるようであった。

帰りにはドトールのアイスコーヒーを買って帰るのが常になった。
家では毎日、ホットだけど飲んでいたから…。

K大病院に入院していた時は、個室だったので、毎日朝と昼、サブウェイでコーヒーを持ち帰っていたので、顔を覚えられた。

それと母の調子が少し悪かったので、毎日葉書か手紙を出していた。

懐かしい思い出である。

何かをしていなければならない性格、出来るだけ有意義にしたい性格らしい。

そうだ。投書も汚い字で書いた。あとは出すだけだ。

今日は朝、足のピンを抜いた。
夕方、また傷を見に来られると言う。だから荷物の整理も出来ない。

ボストンバックをベッドの上に置くことになるから…。

ここを去る時間がどんどん迫って来る。







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退院を決める

2024-02-20 17:52:00 | 入院

来週の月曜日がKK病院野の神経内科の予約が入っている。

それでそれまでに退院出来ますか?と先生に尋ねたら出来るよ、と言われてホッとした。

最初土曜日に退院しようかと思ったが、金曜日が祭日で病院が休みだから、何も機能してない。

売店も数時間開いているだけで、ドトールコーヒーも休みだ。
何よりリハビリが休みなのが致命的だ。

入院していても、三度のご飯を食べ、寝ているのが関の山だ。

そう考えると金曜日に退院するのがベストだと思われた。

木曜日に足のピンが外れる。
でも先生はしばらくはかかと歩きだからね、と言われちょっと(かなり?)ショックだった。

ピンがあるから、何かにぶつけたりしないようにかかと歩きをしているとばかり思っていた。

一体何の為にかかと歩きをしているのだろう…と分からなくなってきた。

足の裏には傷がない。足の横や上には傷がある。

足をいきなり床につけたら、傷が開く可能性があるからだろうか?

月曜日はKK病院にかかと歩きで行かなければならない。

なぜかかと歩きをしなければならないのかと、気になってネットで調べてみたら、骨が完全に付くまでだということが分かった。

なるほど…とやっと腑に落ちた。それが分かれば、頑張れる。

先生は毎日朝と夕方に大丈夫かね、とひとり一人に声をかけるし、休みの日も一度は顔を出される。

でも、肝心な「コミュニケーション」
医師と患者のコミュニケーションに関する調査 - NTTコム リサーチ 調査結果

医師と患者のコミュニケーションに関する調査 - NTTコム リサーチ 調査結果

診療満足度で両者に意識差があり、診察時間含めた医療環境の改善が望まれる~医師から患者への病気や治療方法、薬に関する情報提供については、医師が4~5割は伝えている認...

NTTコム リサーチ:IT動向や消費行動などトレンドな結果結果を公開中

 
は取れていない気がする。

外科の先生だからかもしれないけれど、神経内科の先生とはここよりはコミュニケーションが取れている。

医師と患者の間で最も重要なのは、コミュニケーションだと思っている。





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甥のお見舞い

2024-02-18 16:49:00 | 入院
昨日、甥がお見舞いに来てくれた
私は欲しいものがあって、彼に頼んでいた。
それはBifix
BifiX(ビフィックス)ヨーグルト | 江崎グリコ

BifiX(ビフィックス)ヨーグルト | 江崎グリコ

ビフィズス菌BifiXと食物繊維イヌリンによって短鎖脂肪酸を生み出すBifiX(ビフィックス)ヨーグルトのサイトです。

BifiX(ビフィックス)ヨーグルト | 江崎グリコ

 
というヨーグルトだ。
それを食べると毎日快便になる。
家では毎日食べていた。

入院したてはそれまでそのヨーグルトを食べていたので、食べなくても毎日便が出ていた。

手術後は高熱が出て、手が痺れて動きが悪くなったせいか、いつの間にかお粥になっていた。

味がなくてあまり食べられないので、海苔の佃煮を買って来てもらった。

辛いものだから菌は生えないと思い込んでいた。
そうしたら、下痢になってしまって、自分で動けない時期だったからとても困った。

下痢は3日くらい続いたが、その後も腸の調子が悪く、腹痛で暫く動けなくなって、それからトイレに行っていた。

海苔の瓶をよく見ると、開栓後は冷蔵庫に入れるように書いてあった。しまった!

それで昨日からそのヨーグルトを食べた。

すると今朝から腹痛がなくなって、以前のような便が少し出た。
今度は冷蔵庫を借りてその中に入れている。

MS(多発性硬化症)は、腸に問題があることが言われている。

健康人と比べて腸内細菌叢が極端に違うのだ。

だから一時便移植ということも
考えられた。
しかし、雑菌も一緒に入るのでその療法は無くなった。

だから私にとっては腸をきれいにすることは大事なことの一つだと思っている。

冷蔵庫を借りるのに、一階の売店が管理している。

何から何まで、危機管理かも知れないがややこしい。。

私はこのフロアから出られないから結局甥に手続きをしてもらった。

この病室に入るのもガラスの扉がある。あちこち扉だらけで、余程心配性の方が設計されたのかと思わされる。

来週の月曜日(26日)がKK病院の神経内科の予約が入っている。
すっかり忘れていた。

26日迄に退院出来るか先生に聞かなければならないが、何故もっと早く言わないんだと叱られたらどうしよう。
ヒヤヒヤものである。




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テント生活

2024-02-16 17:52:00 | 入院
今キャンプが流行っているが、ここは最初から一人ずつカーテンで囲まれていて、そういうのが 部屋に4個ある。
まるでテントだ。

入院した時からそうだから、どんな人が入院しているのか分からなかった。

翌日手術で部屋に戻って来た時は、酸素飽和度が低くて酸素マスクをしていたし、熱が高くて意識朦朧として、MSのせいか手に力が入らず、手も痺れていた。

その頃受け持ってくれていた看護師さんは大変そうだったよと言ってくれた。

1週間くらいで手の感覚が戻った頃、向かいの方と斜め向かいの方は私より以前から居たようだった。
だけど、その2人が互いに喋らないので、喋ったらいけないような雰囲気になってしまった。

隣の方は夜8時くらいに運ばれて来て、直ぐ手術、10時頃戻って来られたので私よりあとに入院したのだと分かる。

この方はこの病院の近くで、多分年齢も近く、素直な方で気が合いそうだが、部屋の雰囲気が前に言ったようだから話せない。

それに夫婦仲が良く、近いのもあってほぼ毎日ご主人が面会に来るので、喋るきっかけがない。

昔、K大病院に入院した時なんか、ご主人とよく喋ったり、MSで全盲になった奥さんのために毎日通って来ていたご主人と退院してからもずっとメール交換をしていたこともあった。

奥さんのことを自分の生き甲斐だといつも書いてあったように思う。そのご主人が程なく亡くなったことを、外来で彼女から聞いた。

その後彼女は、結局施設に入って、そこからK大病院に通っていた。
私と一緒に入院していた時は、数十年全盲が続いて変化なかったのが、足の動きが悪くなって入院していた。
ご主人が亡くなってからは、外来で言う度に車椅子になった、手が動かなくなった…と、どんどん症状が進んでいった。
それを見るにつけ、大変な病気だなぁと思った。

そんな風に入院する度に色んな人と出会って、友達になっていたから今回のような体験は初めてだ。

時代の流れだろうか。
寂しい世の中になったものだ。

私はあと1週間くらいこのテント生活を送らなければならない。

よく耐えてきたな、と思うが、英語のアプリでの勉強と、ブログを書くことで、結構充実した生活を送っているのではないかと思っている。








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