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MS「多発性硬化症」と共に生きる

難病の「多発性硬化症」患者です。家での映画鑑賞とガーデニングが趣味でです。薔薇が好きになり信仰に支えらながらの毎日です。

当直に入らない訳を聞かれて

2024-05-19 15:24:00 | これまでのこと
(これまでのこと)
当直の話が出たついでに、あることを思い出した。

何かの打ち上げで、検査室の希望者で飲みに行った。
斜め向かいに最初の頃一緒に働いていた彼がいた。彼は酒癖が悪く、Drに向かって名前を呼び捨てにした事があった。それで出世は見込めなかった。おまけに自損事故で片眼を失明し、眼帯をしたままだった。

最初は取り止めのないことを喋っていたが、ビールの量が増えてきたところで、私に向かって「◯◯さん、なんで当直に入らんの」と聞いてきた。
私が「技師長に聞いてみて」と言うとそんなのダメ、だと言う。

「◯◯さん、家を建てたやろ」と言うから、「建てたよ」と答える。何やらそれが気にくわないらしい。
私が「じゃあ私、乳癌になったの知ってる?」と問うと「知らない。◯◯さんも大変やったんやねぇ。」と急に言葉が和らいだ。元々優しい人だった。

どうも家の話は噂になっていて、癌の話は伝わってなかったらしい。

彼は正直な人だったから言ってくれた。彼も酷い高血圧を持っていて、当直に入らなければならないことに合点が行かなかったのだろう。私は申し訳ない気持ちだった。

彼はそこで席を立ち、帰ろうとしたので、咄嗟に持っていたMSのパンフレットを渡し、「私、この病気も持っているの。よかったら読んで!」と言った。

彼は去って行った。

羨ましい話には羽がはえたように広がり、どうでも良い話は広がらない。世の常かも知れない。

彼が正直だったから、皆んなが何を思っているかが分かった。
でもそんな噂はどうでもいい。

家を建てることは自由だし、私は病気があるから建てることに踏み切れたのかも知れない。

無責任な人の噂、そんなのを気にしていたら生きていけない。

向かいの優しい人が、「◯◯さんの病気のことは、こっち(検査室が離れている)の人はよく知ってるんよ。だから気にしなくていいんよ。」と言われた途端、私の目から涙がとめどなく流れて、止まらなくなった。優しい言葉を掛けられると緊張が取れるのか感情を制御出来なくなる。
「もうやめて、お願い、ありがとう」と必死でそれを遮った。








あちこちに回されて

2024-05-11 18:57:00 | これまでのこと
(これまでのこと)
化学検査室は数ヶ月で、次は血液検査室に回された。

慣れない凝固系の検査をさせられたが、ちっちゃなパチンコ玉のようなものに血液を触れさせて、ぐるぐる回し、玉が止まった時間を測るという検査だったと思う。玉が止まるということは、血液が凝固したことになる。

私は目が回るような気がして、この検査は無理だと思った。親切な人が助けてくれた。

この検査も、結局数週間で器械が自動測定するようになったと思う。

午後からは採血の練習、お互い検査技師同士で採血しあった。
採血は学生の時以来だ。すぐに出来る筈がない。ただでさえ病気で手が震えるのに、その手を如何に固定するかが私の密かな秘策になった。

本当に採血させられたのは、のちに受付業務に配属させられた時だった。

血液検査のあとは、輸血検査に回された。血液型を試薬で調べること、
クロスマッチといって、患者の血清や血球を使って輸血する血液と混合し、軽く遠心して凝固がないか確認する。凝固があれば輸血には使えない。

私はこの検査が試験管を使って行う検査だったので、昔免疫検査室でやっていたことを思い出し、好きだった。

しかし、輸血検査をマスターしたと看做された途端、当直業務に入らされた。眠れないと翌朝は、頭がふらふらして仕事にならなかった。早退したのだったろうか…?

とにかく、人使いの荒い検査室だった。皆んなが悪いのではなく、上に立つ人の一声だった。

そういえば、急に検診センターの心電図室にも行かされたこともあった。
そこは2つベッドがあって、片方の人が服を脱ぐと電極を付け測定し、測定中にもう1人が服を脱ぐと電極を付け測定するという、常に電極を付けている状態が続き、私にとっては拷問に近かった。

腰椎すべり症があったからだ。身体がガタガタになるようで、医者に診断書を書いてもらい、切り抜けた。
口でいくらしんどいと言っても通じない。だから診断書だと思った。

私は身体が疲れ易く、退職すれば再就職は無理だと思ったから、耐えるしかなかった。その力を神様が与えてくれたような気がした。

その後、受付業務と採血業務に就くこととなる。
そして受付業務の時、乳癌になり、北野病院に行って道が開かれ、「治験コーディネーター」にもなることが出来た。

話が前後して申し訳ない。








化学検査室

2024-05-10 21:57:00 | これまでのこと
(これまでのこと)
一般検査室のあとは、確か化学検査室に行かされた。

今でこそ、オートメーション化されて、検査技師が1人か2人でどこにいるかわからない感じだが、その頃は人海戦術で10人以上はいただろうか?

大きな伝票に数字を振る人、番号や名前、測定項目をパソコンに入力する人、など分かれていた。パソコン入力はスピードが必要だから気性の激しい、女性主任がしていたような気がする。

それにチェックする人や、血糖値を測定する人など、あまり効率的ではなかったイメージがある。検体自体は器械が測定していた

私は何をしていたのだろうか?血沈の測定はしていた気がする。1時間後、2時間後に測定するが、本数が多い為、もたもたしていると、最後の検体は1時間半後になってしまう。もたもたしているつもりはないが、病気のせいで私はゆっくりしか出来にくく必死だった。

検体は1週間4℃で保管し、それを過ぎると1ヶ月間凍結して保存する。
データがおかしいと問い合わせがあって再検する必要があるからだ。

検体はチューブに入れて保管するが、私はチューブを持って細いチューブに番号を書くのが苦手だった。チューブを持つ手が不安定で支えられず、狭い所に細かい番号を書くのが出来にくいのだ。普通の人が簡単にやれることがどうしても出来ない自分が悔しかった。全く出来ない訳じゃないが、人より遅くなるのだ。

そんな私にも早出があって、朝皆んなより1時間くらい早く来て、機械の立ち上げ(スィッチを入れること)をして、測定する器械に検量線を描かせる為に試薬を入れなければならなかった。

これらは、小さなノートにすることを全部書いていたから失敗はなかった。でも、私がどんなにヒヤヒヤしながらしていたか知る由もないだろう。

そこにずっといる人は、何でもない事でも、私はいきなり行ってさせられるのは堪ったものじゃない。

そんな生活を数ヶ月は送った。
他の人には分からなかったかもしれないが、とにかく私は耐えた。













一般検査室へ

2024-04-17 16:35:00 | これまでのこと
(続き)
病理検査室を追い出されてから、一般検査室に移された。
一般検査室は主に尿検査を行う所で、テステープで糖や蛋白、比重など大体1分ぐらいで判定するものだ。


色んな項目を一挙に判定しなければならなかったから、私の様な少しハンディの(視神経炎で色覚がおかしい、スピードが遅い)ある者にとっては焦ったものだった。

1分で判定するもの、45秒で判定するものが入り組んでいた。
でも何でも慣れと要領だ。

それと尿沈渣といって、尿10ccをスピッツにとって遠心器で回して、底に残った沈殿物を顕微鏡でカウントする。
顕微鏡を観るのは好きだし、形態学には自信があった。ただ、現場では沢山の検体を処理しなければならなかったので大変だった。









I視野に何個、全視野に何個と表記し、最初は本を一冊買って家で必死で勉強した。

その結果を一般検査室にいた先輩(といってもかなり歳下)に見てもらって評価してもらった。

ちょっと癖のある彼女は、何度見てももう一回とOKが貰えなかった。今もなぜか年賀状を交換している彼女の場合は一発でOKだった。

形態学の不得手なAさんが見た後は、年賀状の彼女に主任が見てあげて、と指示をしていた。

尿検査をする所は、内科外来の横、健診センターの検尿室と分かれていて、1週間くらいで独り立ちさせられ、朝行くとここに行ってと言われた。1人でするのはいいけど、数が多いので慌てまくりながら何とかこなした。

検診センターはそんなに素早くしなくてもよかったが、内科外来では患者の診察までに結果を書かねばならず、尿はどんどん溜まり、遠心器にかけるタイミングが分からずに、結果が遅くなり、先生から「まだ、出んのか!」と怒鳴られたこともあった。

そんな一般検査室に3ヶ月位居ただろうか…次は「化学検査室」に行く様に言われた。

私は喋れなくて、誤解されて悪口を言われていた時期もあったが、形態学も出来るし、従順で検査もこなせる人間であることが証明された。
その陰には必死の努力と忍耐もあったことは否めないが…。


病理検査室

2024-04-07 14:46:00 | これまでのこと

昔に遡る。
免疫学の研究室のような所にいたが、上司が異動することになり、私は病理検査室に行くことになった。
仕事は今までと同じ、染色体の仕事や細胞保存の仕事をしていいことになった。
そのことはよかったが、ホルマリンの匂いが立ち込めているので気になった。
病理検査とはホルマリンに漬けた組織をパラフィンで固め、それを薄切して、スライドグラスに載せ、染色して、それを病理医が診断する。
それで癌かそうでないかが決まるので、重要な仕事だ。

スライドグラスはキシレンという有機溶媒に漬ける。
キシレンには慣れていたが、ある時病理医の意向でキシレンの代わりにヒストクリアという有機溶剤に替えることになった。

すると、私はその匂いで頭がぼーっとして眠くなるので、仕事にならなくて上司に訴えた。
上司は病理医に伝えると、自分に逆らう者がいると思ったのか、いきなり「出ていけ!」と私に向けて怒鳴った。
私はショックで涙がボロボロ出た。
皆んなも驚いて、どうして良いか
わからないようだった。
泣く泣く荷物をまとめて技師長の所に行き、一般検査室に配属された。
晴天の霹靂とはこのことか?

しかし後に、ヒスとクリアは安全性に問題があるということで回収された。
◯◯さんはすごいね、と言われたが、嬉しくも何ともなかった。
人生にこんな事があるなんて理不尽だと思った。

私が悪いことをした訳じゃない、身体が反応しただけだと私は毅然としていた。
病理医からは年賀状が届いた。悪いと思ったのだろうか…今も分からない。