MS「多発性硬化症」と共に生きる

難病の「多発性硬化症」患者です。家での映画鑑賞とガーデニングが趣味でです。薔薇が好きになり信仰に支えらながらの毎日です。

神様からの贈り物

2023-10-27 10:32:34 | 多発性硬化症

ステロイド・パルス療法(3日間で3000㎎を点滴)を行ってから、次の日からステロイド30㎎の内服に移った。

歩行はほぼ依然と同じように回復、それどころか臀部の痛みを先生に訴えていたけれど、何故かそれが無くなった。

立っていられなくなって、何度も中断して臀部の筋肉を拳かマッサージ器でほぐしていた。

それと、腰が少し伸びたように感じている。でも身体を支えるには相変わらず力がいる。

以前にもパルスをすると、そのついでに眼の感度がよくなったことがある。(フリッカー検査

毎日毎日、重い身体を引きずってというか、思い鎧を被っているような生活の私を憐れんで神様がちょっと手を加えてくれたのかも知れない、なんて思っている。

ああ、こんなぼろな身体早く脱ぎ捨てたいな、という思いが天に届いたのだろうか。

それでも眼の不自由さや排尿障害や体の痛さなど、その他もろもろは残っている。

でも、一つでも軽くなることはよいことだ。大いに感謝すべきなのだ。

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やっぱり再発

2023-10-21 17:22:47 | 多発性硬化症

10月12日に足の違和感を感じ、夕方にかけて足が前に出にくくなった。

翌朝、まだ治っていなかったら病院に電話しようと思い翌朝を待った。

翌朝病院に電話すると午前中に来たくださいというので、丁度来ていたヘルパーさんと一緒に病院に行った。

車椅子を押してもらって診察室に入ると、パルスしましょうか?と言われたのでそうすることにした。

ステロイド・パルス療法はステロイド1,000㎎を3日間点滴する。計3,000㎎だ。

院長が外科系のせいか、内科系は入院させてくれないので、金、土、日と3日間病院に通った。

これで元に戻って欲しいと思いながら、内服の30㎎を2週間飲むことにしている。

以前は1週間だったような気がしたが、2週間では副作用が心配だ。

でも、主治医の先生が産休に入っているので、代替えの先生だから仕方がない。

今のところ安定している。精神的に少しナーバスになっているような気もするが、何も考えないように録画した映画やドラマをひたすら観る。

今日は気温が下がってガーデニング日和、少し外に出て草をむしる。

ああ、やっと薔薇たちが喜ぶ気温になった。

草ぼうぼうだけれど、少しずつ1mmでも庭が元気になっていったら、私も元気になるような気がする。

           

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再発かも・・・。

2023-10-12 21:51:43 | 多発性硬化症

朝起きて歩いたら、何だか足に力が入り難いように感じた。

すぐそこの郵便局まで歩いて行ったが、いつもと足取りが違う。

それから、段々足の歩幅が狭くなって痺れも酷くなってきた。

取り敢えず病院には明日連絡するとして、色々考えるのが面倒で録画していた映画を観ることにした。邦画の方が楽なので選んでいたが、字幕の映画しか無くなった。

今年の4月に再発して、ステロイドがやっと6.5㎎になったというのに…。

又一からやり直しと思うと何とかしてくださいと思う。

       

       

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起立運動

2023-10-06 11:21:10 | この頃

少し涼しくなって、身体が動かし易くなった気がする。

暑かった頃はゴロゴロしていることが多く、足の力が弱くなってしまった。床から立ち上がるのも、床に両手を着いて立ち上がることが多い。

それで「起立運動」をすることにした。

「起立運動」はゆっくり立ってゆっくり座る、という行為をただ繰り返すだけの単純な運動だ。1セットが50回。5分で終わると思えばする気になる。実際5分かは確かめてないが…。

この運動は「浅木病院」という病院が取り入れている運動で、脳卒中の患者さんが200回、300回、毎日することで社会復帰することが出来る。リハビリの方も意識が高く、遠くは関東からも患者さんがきているという話も聞いた。

実は私も歩けなくなるかもしれない、という思いから自ら入院した。勿論診察の結果入院が決まるのだが。

朝から夕方まで午前中は作業療法、午後は理学療法で機械を使った運動やこの「起立運動」をする。気分的には食事以外はリハビリをしている感じだった。ついに段々苦しくなってきて、気が滅入るようになり、主治医に全部マスターしました!と言って退院させてもらった。

つまり根を上げたというのが本当のところだろう。

「起立運動」のCDがあるので買って帰って、毎日するつもりだったがずっとさぼっていた。

CDは子供の声で「1,2,3,4,5」で椅子からゆっくり立ち上がり、次の「1,2,3,4,5」で椅子に座る。メロディにのって繰り返し、50回すると深呼吸をすることになっている。

やっと動ける季節になった今、50回でもいいので何とか続けたいと思っている。

キーワードは5分だ!そう思うと続けられそうだ。

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お金の心配

2023-10-02 10:49:44 | これまでのこと

働いている時、何時辞めることになるかが心配の種だった。

病気が酷くなって辞めたら障害年金はいくら出るのだろうと計算してみても、本当のところが分からなかった。

私はそれまでお金で苦労したことが無かったので、お金のない暮らしが恐怖だった。

「神様、お金の苦労はさせないでください」と祈ってはいたものの不安は付き纏った。結局神様はそうはさせられなかった…主は凄いの言葉に尽きる。

たとえ辞めてもなんとか暮らしてはいけたと思うが、母には苦労を掛けてくなかった。

私は夜遊びに行くことは出来なかったから、職場と家との往復の暮らしだった。

お給料は確実に貯まっていった。ある程度まとまったお金が貯まると、私はそれを個人年金に割り当てた。前納すれば安くて済むし、10年後には自分に年金として降りてくる。

それをいくつも積み立て、40歳、43歳、46歳とお金が貯まればそれをした。年金が降りれば更にお金が貯まるのが早いので、次々やって、気がついたら無意識に利殖をしていたのだった。

こうして不安は少しずつ軽減された。定年より前に退職したが、お金に困ることはなかった。

よく働けたと思う。と言っても年に3回位3週間位の入院をしていた。「治験コーディネーター」という特殊な職業に就いていたこともあるが、職場は寛容であったから助かった。

嫌味も言われたこともあったが、タクシー通勤をしながら働いた。

他の職場に「球脊髄萎縮症」の方がいて、彼も車椅子になっても特別に車椅子用トイレを作ってもらったりして働いたから、職場の寛容さが窺がえる。

よい職場に恵まれて感謝している。

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