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MS「多発性硬化症」と共に生きる

難病の「多発性硬化症」患者です。家での映画鑑賞とガーデニングが趣味でです。薔薇が好きになり信仰に支えらながらの毎日です。

イギリスのついでに

2023-08-22 11:29:03 | これまでのこと

KK病院の血液内科にS先生という医師がいた。当然私のいる研究室のような所にも出入りしていたが、いつも苦虫を嚙み潰したような表情で必要なこと以外何も喋らないから、私も黙っていた。

そのS先生が1年間イギリスに留学に行ったのだ。以後3年間は勤めるという条件で。

KK病院はそういう意味では職員に優しい病院だったと言える。

そのS先生が留学から帰ってきて、私にウエッジウッドのコーヒーカップをお土産にくださった。

それはともかく、S先生に笑顔が見られたのだ。とても感じがよくなっていた。先生が言うにはイギリスではエレベーターで二人になった時は、黙っていないで必ず何らかの会話をするそうだ。沈黙は許されない。そんな環境に1年間いたものだからすっかりそういう習慣が身についていた。

凄い効果だ。イギリスは夏はいいけど冬は耐えられないと言っていた。巻き寿司ののりをこのラップは何だい?と聞かれたという。家でパーティーをしたのだろう。よく喋るようになっていた。

でも、私は元々病気であまり喋れなかったのと、前の印象の方が強くて自分からは積極的には話さなかった。今頃どうしているだろうな?

                                 

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初めての海外

2023-08-18 16:18:44 | これまでのこと

研究室のようなところにいた時、上司がイギリスに約1か月の短期留学をしたので、私も1週間位休みを取って途中から行くことにした。

その頃はロシアではなくソ連で、冷戦状態だったから、領空を通ることは許されず、成田からアンカレへ飛び、アンカレジで乗り継いでロンドンに入った。

ロンドンでは中華料理店やスペイン料理店などに行った。なんせイギリス料理なるものは無いに等しかったから。

有名デパートのハロッズの前に立っている衛兵さんは、まるでマネキンのように美しくて見とれてしまった。その頃はお店は土日はどこもお休みだった。

とにかくお土産(自分の)を買いまくって、トランクはぎゅうぎゅうになった。

あとはグリニッジ天文台やオックスフォードに行ったのを覚えている。それとウォータールー橋。母が好きな映画「哀愁」の舞台となった橋だ。

イギリスに行って一番印象に残っていることは、人々がすれ違うたびにSorry Sorry と言う(ぶつかってもないのに)、ドアを開けると後ろに人がいないか必ず振り向いて確認する、お年寄りが大きな荷物を上に揚げようとしていると若者が飛んできて手伝う。なんて美しい光景だろうと思った。親切で優しいイギリスが大好きになった。

あっという間に5日位が経ち、帰路につき航空機の中で窓際の席だったので身体が冷えて酷い膀胱炎になった。隣の方が日本航空の方でとても親切にしてくださった。

その後国内の高速バスに乗り、降りる時重たい荷物を必死で降ろそうとするのだが、乗っている男性は皆ふんぞり返って助けようとする素振りもなく、かなりのカルチャーショックを受けた。あ~あ、これが日本なんだ!

   アラスカ*キーナイ半島+バンフ -3日目- ~アラスカ編~』アラスカ州(アメリカ)の旅行記・ブログ by mitchanさん【フォートラベル】 

     アンカレジの巨大な北極ぐま            持ち帰ったイギリスのお家の置物

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うずらちゃん事件

2023-07-25 21:02:25 | これまでのこと

研究室のようなところで働いていた時、検査室の人がウズラのつがいを上司に持ってきた。

ペットのような感じで飼うことになった。食堂で昼食の残りを少しナプキンに入れて持ち帰り、与えていた。多分専用のエサもあったのだろう。

ある朝出勤してみると、ざわざわと大騒ぎになっていた。婦長さんが、朝方首を絞められるような悲鳴を聞いて目が覚めたと騒いでいたのだ。

犯人はウズラだった。つがいだとばかり思っていたのが実は雄同士だった。覇権争いか知らないが喧嘩をして悲鳴をあげていたのだった。

研究室のような所の隣に小さな部屋があり、その隣にトイレがあり、その隣が婦長さんの当直室だった。

婦長さんに怒られて謝るしかないので取り敢えず謝り、ウズラは元の持ち主に返された。

何もあんなに大げさにしなくとも…とも思ったが、逆の立場だったら何事かと驚いたに違いない。ウズラは雄雌の区別が難しいらしい。可愛がったつもりだったが、それ以前の問題だった。

          ウズラ - 鳥 - ペット - Y!きっず図鑑

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研究室のような所

2023-07-16 16:57:30 | これまでのこと

究室のようなところで私は臨床検査技師兼研究助手として一人で働いていた。そこには一人のDr.がいて、その指示で動いていた。

部屋には細胞培養のためのふ卵器、冷蔵庫、細胞保存用の液体窒素、蛍光顕微鏡などが所狭しと置かれていた。

Dr.の下では秘書的なこともしていた。文献探しに図書室に行ったり、血液学の本の注文、整理をしたり、電話の応対もそうだった。

電話は恐怖だった。相手が簡単なことを伝えたい場合はいいが、一つでなく二つ、三つのことを言われると、頭がついて行かなくてせいぜい一つのことを覚えるので精一杯だった。今になって思うとそれでよく事無きを得たなぁと思う。

この地方は海岸線に近く、ATL(成人T細胞白血病)が多かったため、京大に検体を送ったり、京大の先生方が来られたりしていた。ATLは有名な高月先生が一つの疾患と提唱し、先生も来られたことがあった。

仕事はマイペースで出来たので、京大と同レベルの検査が出来た。特に染色体は分からない場合は京大に送り添削してもらい、染色体専門の先生(講師)に褒められたりして嬉しかった。

しかし、検査技師長から〇〇さんは黙っているから何考えているか分からないと皆が言ってたよ、と嫌味を言われたり、隣の化学検査室の次長から私が一人で一部屋を与えられているから妬まれたりと嫌な思いをした。喋れないから弁明することが出来なかった。

でも、これらは小さな世界ならどこででも起こりうる事で、今となってはどうでもいいことだと思っている。

           

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母の想い

2023-07-09 12:40:54 | これまでのこと

少し遡るが、話を二十代の頃に戻そう。

母としては、私に幸せな結婚をしてもらいたかったんだと思う。

せっせと私の着物を次から次と作っては嬉しそうにしていた。

お見合いもさせられた。

私はお見合いというものが好きになれなかった。まるで品定めをされるように思えたから。

20代の頃は高学歴の方からの話が結構来たが、30代になるとこうも違うのかと思う程、相手方の経歴にかなりの差があった。

それでも趣味が合いそうだなぁという方が一人いて、絵や芸術が好きで美術館に行くことにした。美術館は小高い所にあって、行くまでが大変、そして絵画を観るから歩いて回るのが大変、最後にお茶をしたがその時には私は疲れ切って言葉を発することが出来なかった。

何らかの病気があるということを伝えようと思っても会話にはならなかった。その後彼からの返事は無いままで終わった。

私は結婚しても、何時も疲れている状態を説明するのは不可能だし、結局分かってもらえずに自分が苦しんで離婚する羽目になることが分かっていた。だから、結婚しないのは正しい判断だと思った。

父母にはお母さんたちを見ていても幸せそうじゃないから…と言い訳をした。

私はこれまで結婚しなかったことで後悔したことはないし、これでよかったのだと思っている。

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