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MS「多発性硬化症」と共に生きる

難病の「多発性硬化症」患者です。家での映画鑑賞とガーデニングが趣味でです。薔薇が好きになり信仰に支えらながらの毎日です。

S医大受診

2023-06-27 12:17:36 | これまでのこと

その後、直行バスで約1時間程かかるS医大の眼科を受診した。

物が二重に見えるという症状で掛かったと思う。

教授の診察日を選んで受診した。若い私は教授とは偉くて何にでも詳しい先生だと思い込んでいたからだ。

私が物が二重に見えるんですと言うと、いきなり「なんで眼帯をしないんだ」と怒るように言った。私は仕事を続けたいからです(主に顕微鏡を見る仕事だったので)、と言おうとしたが言葉を発することが出来なかった。そしてショックで言葉の代わりに涙が溢れ出た。

待っている患者さん達が、何もあんな言い方をしないでもいいのにねぇと慰めてくれたのを覚えている。。

その一週間後、左眼に中心暗点が出た。一週間前のことが引き金となって出たと思ったので受診した。違うDr.だったが視神経炎だと診断した。でもツ反が陽性なので結核の疑いがあるから治療はしない、自分の病院で結核の薬を飲むように言われた。また突き放された感じがした。

大学病院だからレベルが高いと思って受診したが、思い違いだった。

もうこの病院には二度と来たくないと思った。

KK病院に戻って呼吸器内科を受診したが、よく知っているK先生から結核の所見は無いけどなぁと言われた。それでも結核の予防薬(イスコチン)を半年間飲んだ。

 

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中心性網膜炎

2023-06-24 18:23:23 | これまでのこと

研究室のようなところで働き出して比較的早い頃、左眼の中心部が歪んで見えるようになった。直ぐに眼科を受診した。確か蛍光眼底検査をして「中心性網膜炎」と診断された。中心部なのでレーザー治療は出来ず、2種類の飲み薬を処方された。

薬を飲んでも芳しくなく、時々経過観察で受診していた。

ある時、血管新生が起こっていると言われ、そこから出血しているのでレーザーで光凝固治療を行うことになった。その後別の2種類の薬が処方された。

私は最初から「中心性網膜炎」ではないのではないかと思っていた。その病気は働き盛りの男性、それも中年に多いと何かに書かれていたからだ。

目が痛いんです、と言っても「そんな筈はない」と言われ、眼科への不信感が募り、もう眼科に掛 かりたくないと思った。

その後、かなり長い間悩んだが、どう乗り越えたかは覚えていない。

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尿が出ない

2023-06-19 16:45:48 | これまでのこと

私が研究室のようなところで働くようになって、20代後半頃から尿が出にくくなった。物も二重に見えた。

ストレス、疲れ…からだろうか?

実際その頃の私は喋ることが出来にくく、黙っていたから誤解されることが多かった。

〇〇さん、一体何を考えているのか分からないってみんな言ってるよ、と言われたことがあったがそれにも黙って反論出来なかった。私は黙々と自分の仕事をするのみだった。

その頃、この地区ではいち早くKK病院に「神経内科」が出来た。先生はKY大から来た中堅の先生だった。

私はかかってみることにした。尿が出ないと言うことを告げると、重症筋無力症を疑い、テンシロンテストというのをしたが、陽性にはならなかった。それでも試しに「ウブレチド」という重症筋無力症の薬を出してくださった。飲んでみると、尿が勢いよく出だした。私はそれで満足し、以後その薬を出してもらうために受診した。しかし、筋電図やその他の検査はされないまま私の病名は「重症筋無力症」になった。

私は重症筋無力症に関する本を2冊購入し、この病気なら付き合っていけると思った。その本から必要な情報を享受し、すっかりその病気だと思い込んでいた。

しかし重症筋無力症友の会に入会してその会合に出席したが、参加されている皆を見て私はこの病気ではないと直感に確信した。

先生はいつも同じことを聞き、それをカルテに書き、また次の受診時に同じことを聞いた。尿が出、少し元気になるからウブレチド欲しさに受診した。それはかなりのストレスだったが、何でもいいから症状が改善すること、そして働ければいいやと思って働いた。

            外来の患者さん(若い女性)の問診をする医師のイラスト🎨【フリー素材】|看護roo![カンゴルー]

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「機能検査室」と「免疫細胞検査室」

2023-06-11 14:20:40 | これまでのこと

KK病院に入って「機能検査室」にいる時はよく遊んだが、5年半後に「心臓病センター」が出来ることになり、皆はバラバラになった。

私は新設された「免疫細胞検査室」というDr.一人とその元で働く研究室のようなところで働くことになった。それまで遊んでばかりだった反省もあって、全く違う分野に飛び込んだ。

そこでは白血病や悪性リンパ腫など血液の癌に関して研究するところだった。

丁度、免疫学が発展していた頃で遣り甲斐があった。

でも、新しい分野なので勉強しようとするが、本を読もうとすると直ぐ眠くなってしまう自分が情けなかった。

そこはKY大レベルの検査が出来ることを目標として、実際にKY大の先生方も訪れた。

その部屋は広さが鰻の寝床のように狭く、あまり歩かなくてよかったので私にとって幸いだった。蛍光顕微鏡というものを用いて、顕微鏡の中に見える世界に引き込まれていった。

            顕微鏡や化学薬品が並べられたテーブルの上で研究をしている、女性の科学者(臨床検査技師)のイラスト – 3つの顔を持つ男のブログ    

  フィラデルフィア染色体 CML(慢性骨髄性白血病)の確定診断に用いる

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卒業してから

2023-06-06 04:49:04 | これまでのこと

不甲斐なさを伴って受験した医療短大だったから、さぼってばかりの3年間、それでも無事卒業できた。卒業式には振袖を着せてもらって母に申し訳なかった。

そして就職となるのだが、区内の2か所の病院を受けて2か所とも受かった。私は子供の頃通ったことのある、より先進的な医療を行っているようにみえたKK病院を選んだ。給料が高いということもあったが…(笑)

実際就職してから、その病院は京大から来ている先生ばかりでレベルが高かった。

配属されたのは機能検査室(生理検査室)で、そこでは心電図、肺機能、ガス分析、脳波などを行っていた。ゆっくり仕事をして、3時頃には片付けに入って、4時半が就業終了だった。

だから終わるとテニスをしたり、Dr.に連れられて登山(北アルプスまで登った)、スキー、スケート、社交ダンスなど何でもした。母が若い頃に何でもしなさいと言ってくれたお蔭だ。母の時代には青春時代というものがなかったから。

でもテニスをすると、最初はいいのだが暫くするとグリップが下がってきて上手く打てなくなった。

スキーもかなり上手になっていたが、ある時急にエッジが効かなくなって人の行列に突っ込んでからは怖くなってやめてしまった。

自分の中でこの不可解な事象に怯えていた。

     

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