
今回は、2006年8月に催された宮城・山形・青森を巡る巨石探訪ツアーで訪れた宮城県伊具郡丸森町不動地区にある駒場瀧不動尊と公園内の巨石群の紹介です。
トップの写真は県道45号(丸森霊山線)沿い「野鳥の森」入口の駐車場にある巨石です。

この大迫力の巨石は、後ほど紹介する愛敬院(駒場瀧不動尊)の御本尊が祀られていたご神体岩と伝わります。ざっとですが高さ8メートルは、有にあります。


かつて御本尊が祀られていたと伝わる岩窟を探しましたが特にココという場所はみつかりませんでした。
ですが…。

それらしきちょっと怪しい場所を発見しました。ただ故意に壊されているようにも見えます。


公園内を横切る内川(阿武隈川の支流)

圧倒的な存在感があった巨石 唇の形をした窪み部分はちょっと不自然な感じがします。

壁の様に立ちはだかる巨石と光輝くオーブが出現(大きな口がオーブを吐き出す(吸い込む)様にも見えます。)

磐座の体裁(人為的に配置)を整えている巨石

公園内のシンボル的な巨石

良く見ると▢の部分に文字が彫られています。(文字部分を切り取り読みやすい様に加工してみました。)

ロボットの顔に見える巨石

御供え型の巨石

松が成長と共に巨石を割ったのでしょうか?

祠が祀られていた巨石 蔵王大権現・古峯原大権現・熊野大権 が祀られていました。

子安観世音菩薩堂
義民太兵衛かくれ跡 案内板(写真クリックで拡大)
江戸時代、天明年間には日本近世では最大の飢饉とされる「天明の大飢饉」が発生し、全国で数万人の餓死者が出たとされています。丸森町でもその後も阿武隈川の洪水による被害が続き、年貢の減免もなく、むしろ阿武隈川の改修工事などで農家から毎日1人以上の人夫を出さなければならない状態となっていました。このような状況の中で、竹谷地区の菊地多兵衛が農民の指導を引き受け、穏便に訴願を進めることを説得しました。しかし、直訴は正式な手続きを行わない不法行為であるため、多兵衛は牢獄へ捕らえられ、3年後に亡くなりました。(こちらのページをMS Copilotで要約)
続いて訪れたのが同じ公園内にある愛敬院(駒場瀧不動尊)へ。

寺院ですが鳥居があります。神仏習合の名残です。

仁王門
仁王門由来(写真クリックで拡大)


仁王像一対

本堂
御本尊:不動明王
縁起:
駒場瀧不動尊は約1100年前、天台座主の慈覚大師が奥州鎮護霊山寺を創建され、鬼門の守りとして浄地を選び、世の平和と人々の幸福を念じて激流岩をかこむ駒場ヶ瀧において自ら不動尊像を刻み滝上の岩窟の中に祀られました。
爾来、参詣者が絶えず、行者や山伏の修行の道場として栄えました。
源平時代 平泉の藤原氏をたよって留まっていた源義経主従が参詣の折り 主君の武運を祈って、弁慶が騎馬のまま滝を跳び越えたと伝えられる駒の蹄跡があります。 (駒場瀧不動尊公式ページより転載)
※縁起にある「駒の蹄跡」が気になります。訪れた時は気づきませんでしたがこちらのサイトに写真が掲載されていました。

霊山寺(福島県伊達市霊山町)との位置関係 縁起にもある様に確かに鬼門方向となります。

中尊堂(大日堂)

中尊堂案内

大日如来像

地蔵堂と大黒堂
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(撮影:2006-8)
お断り:2006年当時の情報となります。当時とは異なる事が想定されますので訪れる際には、事前に調べて頂き記事は参考程度とお考え下さい。
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