
今では、その候補地60ヶ所を超える謂れを持つ元伊勢
その中でもレア度高めなのが今回ご紹介する二社です。
鎮座地は、京都府福知山市の郊外 京都タンゴ鉄道線と並走 県道9号(宮津街道)沿いに北側に内宮、南に外宮がありお互い直線距離3キロの位置にあります。
まずは、伊勢神宮の参拝順に習って外宮豊受大神社へ参拝しに参ります。

駐車場は、この写真奥右手側にあります。

石段を登って行きます。

樹皮がついたままの鳥居 希少な黒木鳥居がお出迎え

杉の木でしょうか。最近建て直したばかりの様です。朽ちてしまうのが早いので全国的に黒木鳥居は好まれません。希少な一基であると言えます。

拝殿


本殿
祭祀:豊受大神
[相殿]日子番能邇邇芸尊(瓊々杵尊)
[相殿]天児屋根命
[相殿]天太玉命
[相殿]天児屋根命
[相殿]天太玉命
由緒:
当社は旧号を与佐宮(よさのみや)と称し、豊受大神を主祭神として祀り、境内末社には全国の名神大社の神々が奉斎されている。元々、天照大御神が八咫鏡を写しとして降臨されて以降、宮中に奉斎されていたが、第10代崇神天皇の御代、あまりの霊位によって畏れ多いとの理由で神器を遷座することとなり、皇女豊鋤入姫命がその遷座地を求めるにあたり、当地にも33年間鎮座されてと言われている。また、これとは別に、大宮地を求めて鎮め祭れとの天照大御神の御神勅があったとされ、同39年に当地を大宮地と定め大和国笠縫邑より遷御されたという。そして、当地で初めて宮殿を建立され大御神を奉斎され、同時に豊受大神を合わせ祀られたのが当社の始まりと伝えられる。(こちらより引用)

境内社は 月宮、竈原、種木、瀧之、東羅、金刀比羅、蓬戸、神南、鹿嶋、繁昌、風宮 ほか 三十社ほど
ここを紹介している他の記事などを見ると現在は、至る部分に補修がされているようですが、訪れたこの日は、境内社などけっこうボロボロで、かなり荒廃感が漂う神社であまり長居をしたい気分には、なれなかったことを覚えています。
一説に社殿の裏手に京都タンゴ鉄道の軌道を引いたため龍脈が切れ境内に流れ込む気が枯れてしまったため。と、言った考察をされていた方がいました。
【マップ】
続いて元伊勢内宮へと参ります。
元伊勢内宮へは、元伊勢外宮より北へ車で4キロほどの位置に鎮座しています。

石段を登って行きます。


西日本では珍しい靖国鳥居です。

それなりに石段が続きます。

二の鳥居 到着です。ここも黒木鳥居でした。

こちらは、それなりに建ててから年数は過ぎている様です。

真名井の池

拝殿

本殿を望む

本殿
祭祀:天照皇大神
由緒:
当社も元伊勢のひとつとして、伝承を残す古社のひとつで、『倭姫命世記』において言い伝えられる。『崇神天皇39年(紀元前59年)に、豊鋤入姫命が鎮座地を求めて但波(丹波)国へ遷幸し、吉佐宮を築いて4年間奉斎した』とする記述が、当社であり、この吉佐宮の前身であるとしている。この為、籠神社と夫々が元伊勢を主張する結果を招いている。(こちらより引用)



境内社 八坂神社、與止日女神社、鹿児島神社、少童神社、三上神社、
出雲神社、浦嶋神社、玉依姫神社、籠守神社、松尾神社、 ほか六十八社
出雲神社、浦嶋神社、玉依姫神社、籠守神社、松尾神社、 ほか六十八社
元伊勢外宮と比べ内宮は、社務所に人が常駐されていて境内も掃き清められ手入れが行き届いていました。

こちらでも直線で結んだこんな看板が掲げてありました。
「冬至の日に太陽の登る方向に見事に並ぶ神秘なる神の宮処」
何を言いたのでしょう?Googleマップ上で各地点をプロットしてみましたが正確に一直線上に各ポイントが並ぶわけでも無いですし結局何の根拠もありませんでした(^^;
(撮影:2007-8)
お断り:2007年当時の情報となります。当時とは異なる事が想定されますので訪れる際には、事前に調べて頂き記事は参考程度とお考え下さい。
お断り:2007年当時の情報となります。当時とは異なる事が想定されますので訪れる際には、事前に調べて頂き記事は参考程度とお考え下さい。
【マップ】
まだまだ知らない事がたくさんありますね。
次回も楽しみにしています。
元伊勢の有名どころは、奈良の大神神社摂社「檜原神社」が有名ですが、現在の伊勢に落ち着く前にあっちこっちに遷座を繰り返していたのが元伊勢の所以です。
新たに記事にするあたって、改めて調べていると自分もまだまだ知らないことばかりで勉強させてもらってます。