日々是平穏

日々の雑多な話題と管理人の趣味中心の見聞記を紹介

【磐座・巨石・神社】神代の昔、大和国から天照大御神が初めて遷った~籠神社奥宮 眞名井神社@京都府宮津市中野

2023-08-16 12:37:22 | 磐座・巨石・社寺
籠神社より北へ徒歩で7分ほど行った場所に眞名井神社が鎮座しています。
籠神社の奥宮と言われていますが、別名を匏宮(よさのみや(吉佐宮・与謝宮とも)) ・ 久志濱宮(くしはまのみや) と言います。
眞名井神社へと至る参道途中にある靖国鳥居 社号標には「外宮大元宮吉佐宮」とありました。
眞名井神社へ到着です。

匏宮社号標
背面には、匏訓吉佐瓢也 比佐古之社 吉佐宮(瓢箪の形で括られている)
一名 豊受大神宮
一名 古社大明神
一名 真名井奥宮
一名 久志日野真名井原之奥宮
とありました。

こちらが以前より色々と物議を醸し出していた石碑です。三つ巴の紋の部分が、かつてダビデの六芒星になっていました。

絵馬に使われている籠神社の裏神紋
“籠神社・ユダヤ”で検索するといくらでも怪しい説が書かれていますが色々と騒がれたので1年足らずで紋の部分を三つ巴に変更されたのだそうです。
しかし、不思議でも何でもなくて六芒星はカゴメ紋として昔から日本でも使われていた紋であり魔除けの意味合いがあります。
そもそも今でこそ籠神社の神紋は三つ巴ですが裏神紋がこの籠目日月 (かごめにちげつ)でした。
△と▽のマークは、天界と地上をつなぐとされる天橋立の神話を表しており、△▽を重ねると籠の網目模様に見える。そして太陽と月は、天照大神と豊受大神を表現したものこちらから引用)
勝手な憶測であれこれと騒がれ、さぞ神社側も困惑された事でしょう。
境内に入るとすぐ左側に、「天の眞名井の水」があります。(現在こちらでのお水取りは禁止されている様です。)
籠神社海部家三代目の天村雲命が黄金の鉢(瓢箪型の鉢だったとの説も)に入れ、天上より持ち降った御神水とのことです。
その近くには、眞名井水神社が鎮座します。(御神水はこちらで頂きます)

波せき地蔵堂
昔大宝年間(約一三〇〇年程以前)大地震の大津波が押し寄せたのをここで切り返したと伝えられ以後天災地変から守る霊験と子育て病気よけの妙徳も聞こえる。又、日本の原点・真名井の神へのお取次もされると云う、あらたかなお地蔵さんである。
二千五百(ふたちいほ)鎮まる神の神はかり
(もも)の御生(みあ)れの時ぞ近づく
平成八年八月八日(境内案内板より)
大宝元年(701)3月26日に発生したとされる大宝地震の際、津波がここで切り返したとの伝承です。標高40mのこの地まで津波が押し寄せたと言う事です。
阿吽狛龍一対
以前あった神獣はこの二体だっとものと思われます。(右(下)のものは蛇に見えます。)
参道石段を登って行きます。
周囲は樹々で鬱蒼としています。

眞名井神社拝殿 現在はこの拝殿より左右に玉垣が設置され、これより奥は禁足地となって立ち入りが出来なくなってしまいました。
☞関連記事禁足地となったいきさつは以前記事にしています。

信仰の対象は、裏手にある磐座となります。まずは、由緒からご紹介して参ります。
神代の昔、大和国から天照大御神が初めて遷ったのがここ眞名井神社と伝えられています。現在伊勢の内宮には天照大御神を祀り外宮に豊受大御神を祀り別々に祀られていますが初めてこちらに遷った時は、共にここに祀られていたのだそうです。
そもそもここが、元伊勢と言われる所以となった経緯が、分かりやすく書かれていたサイトがありましたので、転載して紹介させてもらいます。
伊勢神宮は大小のお社を併せて125社から構成されていますが、 その中心となるのは天照大神をお祀りする皇大神宮(内宮)と豊受大神をお祀りする豊受大神宮です。両大神は初めから伊勢の地でお祀りされていた神ではなく、他の場所から伊勢へお遷しされました。その起源を繙くと、天照大神は第十代崇神天皇六年の八月まで宮中でお祀りされていましたが、同年九月に皇女豊鋤入姫命によって初めて宮中の外でお祀りされることになりました。その後豊鋤入姫命は天照大神の御心に叶う御鎮座地を求め各地を御巡幸されましたが、途中で第十一代垂仁天皇の皇女倭姫命にその任務をお引き継ぎになり、最終的には倭姫命が伊勢の地に皇大神宮を創祀されました。 「元伊勢」とは、天照大神が宮中を出られてから伊勢の五十鈴川の河上に御鎮座されるまで皇女が天照大神の籠もられた御神鏡をお持ちになって各地を御巡幸になり、一時的に天照大神をお祀りした二十数カ所の宮々のことを云います。 また、それとは別に雄略天皇の御代に天照大神のお告げによって丹波国(現在の丹後)の与佐(よさ)の小見(おみ)の比沼(ひぬ)の魚井原(まないはら)にいる丹波道主(たにわのみちぬし)の娘・八乎止女(やおとめ)のお祀りする豊受大神が天照大神の食事を司る神として伊勢に迎えられました。この丹波の魚井原で豊受大神をお祀りしていたお宮のことも「元伊勢」と云います。「海部家は豊受大神を祀った彦火明命の血脈であり、丹波道主の子孫にも当たり、また海部家の直系の女性が「八乎止女」を襲名し、豊受大神をお祀りしていたことが伝えられています。」つまり、雄略天皇の御代、「丹波国の丹波道主の娘の八乎止女が祀っていた豊受大神」とは、奥宮真名井神社(古称 吉佐宮)の豊受大神であり、「元伊勢」としての由緒が明らかとなっています。 他にも「元伊勢」伝承を有する神社はありますが、天照大神・豊受大神をその血脈の子孫が宮司家となって一緒にお祀りしたのは籠神社だけで、特別の「元伊勢」として崇敬され続けています。 


眞名井神社縁起(クリックして拡大)
さて、いよいよ現在は禁足地となっている境内の磐座の紹介です。
※ 現在は立ち入りが出来ない様ですので貴重な写真だと思います。
まずは、社殿の真後ろにある磐座です。
磐座主座 向かって右手側にある磐座

祭祀:豊受大神
相殿:罔象女命・彦火火出見尊・神代五代神(天照大神・天忍穂耳尊・瓊瓊杵尊・火折尊・鸕鶿草葺不合尊 )

磐座西座 向かって左手側にある磐座

祭祀:天照大神
相殿:伊射奈岐大神・伊射奈美大神
磐座とご神木全容
 
眞名井神社(京都府宮津市)の磐座

更に奥にも磐座が点在しています。
(左)愛宕大神・(右)塩土老翁


産盥岩(アマテラスの産盥と伝わる)
熊野大神(須佐之男神)
宇迦之御魂(稲荷大神)
ロープで囲まれた中央にも巨石(詳細不明)
真名井原身体山のこの奥は禁足地になります。
(撮影:2007-8・2012-1)
お断り:2012年当時の情報となります。当時とは異なる事が想定されますので訪れる際には、事前に調べて頂き記事は参考程度とお考え下さい。
 【マップ】


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (umaonaosora3104)
2023-08-19 17:59:45
元伊勢の由来がよくわかりまして。また現在は禁足地の写真もとても興味深いです。とても神聖な雰囲気が伝わってきました。
あー京都に行きたいですね。
返信する
Unknown (ruribo)
2023-08-20 07:04:38
いつもコメントありがとうございます。

ここの磐座写真は、他ではあまり掲載されているのを見かけないので貴重だと思います。
まさに聖地と言った雰囲気でしたのに、残念です。
京都へは、昨年夏に行ったばかりでしたが、時間が無くて見逃したところが多くまた、再訪したいですね。
京都は、何度言っても飽きません。
返信する

コメントを投稿