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続いて高山市上野町にある『垣内遺跡三ツ岩』と『黒岩(弁慶岩)』の紹介です。ここは、好事家の間では『世界の神都 飛騨高山』の著書“上原清二”がそれぞれ「平面太陽神神殿」と「太陽石」と呼称している場所でも有名です。
【垣内遺跡三ツ岩】
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畑の中にポツンとひとつ
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畑と民家の生垣との境に2つ
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ポツンと畑の中にひとつ。畑の脇に2つ注連縄が巻かれ神聖視された石があります。触れると祟られる(病気になる)という地元の伝承があった そうです。
見た目はなんて事は無い石ではありますが、実はここに平成元年、2年に発掘調査が入って縄文中期の住居跡48基、後期前半の住居跡10基がみつかっています。
住居跡は環状をなしていて内側には環状列石(ストーンサークル)があった事が判明しておりこの三ツ岩は当時あったその一部分だったそうです。
また、ここからは埋甕、土偶、ミニチュア土器、動物形土製品、彩色耳栓 、石棒などほか多数の遺物がみつかっており縄文中期後半から後期前半の時期のもと推定されており、この形態を各地の類似例と比較してみると有名な秋田県大湯環状列石(万座・野中堂遺跡)に、近い規模のものではないかと考えられているそうです。
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解説碑
昔からこの地に住む人々は、これらの遺構が何であるのか疑問を呈していた所に前述の上原清二は、昭和9年9月に日本ピラミッドの提唱者「酒井勝軍」をこここへ招き「太陽神神殿である」と断言されたのだそうです。
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出典:世界の神都 飛騨高山より
上原によれば、当時既に現地には4つほどしか石は残っていなかったそうですが、村人たちの記憶を頼りに推測したところ円型に石が配置されていたそうでその径は54尺(16m)ほどだったそうです。
そのひとつは正北を指しもうひとつは正東に位置していたそうです。
また、酒井のピラミッド理論では中央に太陽石があるはずですが現地には既に存在せずここから700m南西に「黒岩(弁慶岩)」と言う名称の巨石がそうだと伝えています。
【黒岩・弁慶岩】
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黒岩・弁慶岩 この巨石には「弁慶が力尽きてこの地に落とした(「黒い大きな岩だったので力自慢で弁慶が投げたらここに落ちた」という説もあり)」と言う伝承があります。
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酒井の言うには「太陽石」は太陽神の御霊代(みたましろ)であって磐座であるのだそうです。神の依り代であるならば確かに磐座ではありますが古代から祭祀対象であったのかどうかは甚だ疑問が残ります。
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高さは165㎝ほど幅3mほど
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背面に回ると特徴的な節理面があります。
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上部には、やはり特徴的な杯状穴がみられます。(並びから楔の跡とも言えなくも無いですが…。)
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巨石文化の伝説太古の世にヒダの上野平を平面ピラミッドとして此の巨石を中心に神々が太陽神殿として安置され祈願行事が行われた時代が永く続いたこの事を記した「太古の日本」と云う古文書を昭和二十三年頃拝見した事を思い出し、其の後三十年近く忘れておりましたが、 昭和五十七年六月十五日明方突然此の巨石が夢に現われ玉砂利を惹き〆縄を掛け法にて、石のトビラを開けとの暗示を受けたので早速その日のうちに洗い清め上野町の方々に御相談をした処、心良く御理解と協力を頂き玉砂利を敷き〆縄を掛ける事が出来ましたことを此処にお伝えし、古代文化を大事に保存して頂く事を願い巨石の伝説をお伝えさせて頂きます
昭和五十七年八月吉日謹巨石の声拝 峰仙
(以上は案内板より文字起こし)
【松森神社】
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垣内遺跡三ツ岩より300m西に松森神社が鎮座しています。
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社号碑の社号「枩森神社」の上の部分が故意に消されているのが気になります。
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祭神:天照大三神
明治四十一年十二月に 境内社だった無格社道祖神、八幡宮、清正神社 を合祀し、松森神明神社と言う社号になりその後現在の社号になったとの事です。
境内にストーンサークルから運びだされた巨石があったという情報があったのですが、存在は確認出来なかった記憶があります。
(撮影:2000年8月)
お断り:2000年当時の情報となります。当時とは異なる事が想定されますので訪れる際には、事前に調べて頂き記事は参考程度とお考え下さい。
お断り:2000年当時の情報となります。当時とは異なる事が想定されますので訪れる際には、事前に調べて頂き記事は参考程度とお考え下さい。
【マップ】
垣内遺跡三ツ岩・松森神社
※同じ場所をGoogleストリートビューで見ると畑の中央にあったひとつが無くなって、畑の脇に移動されていました。畑の中にあった写真は貴重な一枚かも知れません。
黒岩・弁慶岩
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