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日蓮宗の聖地であり、日蓮聖人の魂が棲まう~日蓮宗総本山 身延山久遠寺(part1三門~本堂編)@山梨県南巨摩郡身延町身延

2024-06-05 17:15:11 | 磐座・巨石・神社・仏閣
先日久しぶりに遠出をして以前から訪れてみたかった日蓮宗の総本山「身延山久遠寺」へと参詣して参りました。
身延山へは、自宅から中央自動車道~中部横断自動車道を使って1時間ちょっとで訪れることが出来ます。
迷ったのが車の駐車場です。一般的には山頂行きロープウェーに近い「せいしん駐車場(有料)」が便利なのですが三門周辺も散策したかったので三門の隣にある無料駐車場を利用させて頂きました。
三門 仏教では「空」「無相」「無願」の三つの境地から解脱して覚り(涅槃)に至るという教えがあります。久遠寺は本堂を涅槃の世界と位置付けているため、本堂の正面に立つこの門は三解脱を経て涅槃に至る意味合いから「三門」と呼ばれます。間口23m、奥行き9m、高さ21m、総ケヤキ造りの堂々たる門は、京都の南禅寺、東福寺と並んで「日本三大三門」の一つに数えられています。 (引用:こちら
菩提梯(ぼだいてい)三門と本堂を一直線に結ぶ急勾配の石段は、1632(寛永9)年に起工、完成したものです。「菩提梯」とは「覚りに至る階段」の意味。287段の階段は「南無妙法蓮華経」の7文字に因んで7区画に分かれています。この石段を登ると、「涅槃」とされる本堂に到着することから、法華経の信者は題目を唱えながらこの階段を登っていきます。 (引用:こちら)
上から覗いた菩提提 我々はさすがに、この急こう配を見て登るのをあきらめ女坂から登りました。
女坂途中にある文殊稲荷
文殊稲荷 ここでは狐が僧侶に化けて法華経を学んだと伝わる面白いエピソードがあります。
下記リンク「柿の葉の書籍」参照
 
女坂を登ると「甘露門」と「時の鐘」の前に出ます。

時の鐘 元々は1877年(明治10年)に 建てられたもので1952年(昭和27年)に焼失してしまいました。その後平成25年11月 大映の社長・映画プロデューサーとして名をはせ、熱心な日蓮宗信者でもあった永田雅一氏によって再建されたものだそうです。
※案内には出ていないのですが、車で来られるならこちら側の時の鐘の手前にある駐車場が穴場かと思われます。境内を横切る形にはなりますがそのまま本堂へ行くことが出来ます。(無料)

御真骨堂拝殿 背後には八角堂があり日蓮聖人の御真骨を奉安しています。
祖師堂 日蓮聖人の神霊を祀る堂閣で「棲神閣」と称しています。日蓮聖人の像とその左右には直弟子六老僧の像が祀られています。
江戸時代に廃寺となった感応寺のお堂を、明治14年に移築・再建したもの。 

本堂 1985年(昭和60年)に再建された本堂 
荘厳な天蓋と吊り灯篭で飾られた堂内

墨龍 お堂の天井に描かれた戦後を代表する日本画家である加山又造画伯によるもの。11メートル四方、23,500枚の金箔に墨で描かれているそうです。
 「八方睨み」の龍としてお堂内のどこからでも視線があいます。

日蓮宗の総本山として広く知られる身延山久遠寺。その歴史は、鎌倉時代に始まりました。
地震、洪水、飢餓、疫病、騒乱など、禍が相次ぐ世にあって、「法華経」の教えで人々を救おうとした日蓮聖人。三度にわたり幕府に諫言するも届かず、流罪の身となります。
その後流罪赦免された日蓮聖人は、「三度聞き入られずば山林に身をかくせ」の故事に従い、信徒である甲斐国波木井郷 南部実長公の招きを受けて、1274年に身延山に入山。以後9年にわたり、西谷に結んだ草庵で法華経の講義や唱題修行に精進し、弟子の教育や曼荼羅本尊などの執筆に没頭しました。
1282年、療養と両親の墓参のため常陸国(茨城県)に向かった日蓮聖人は、道中の武蔵国池上(東京都大田区)で病に倒れ、帰らぬ人となります。しかし、日蓮聖人の教えと人々を思う気持ちは絶えることなく、多くの弟子や信徒たちによって連綿と受け継がれてきました。
こちらの記事より転載)

五重塔 江戸時代初期に創建され、明治の大火で焼失し、2008年に133年ぶりに再建されたもの。 高さ39mで、国指定文化財の木造五重塔の中でも国内4番目の高さ

part2 山頂奥の院へ続く
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