芳野星司 はじめはgoo!

童謡・唱歌や文学・歴史等の知られざる物語や逸話を写真付でエッセイ風に表現。

志士と経済

2016年03月26日 | エッセイ
                              

 古い文庫本でも読み直そうと、積み重なった上のほうから取り上げたのが服部之総の「黒船前後・志士と経済」であった。三十年ほど前に読んだはずだが、その内容を完全に失念しているので、初めて手にするに等しい。
「志士と経済」の中に「讃岐琴平の日柳燕石(これは思想家で博徒の親分だった)」という記述を見つけた。さて初めて聞く名前である。「思想家で博徒の親分」とは面白い。日柳燕石は「くさなぎえんせき」と読む。インターネットで調べると、司馬遼太郎の「世に棲む日日」にも登場するとある。この作品もかなり以前に読んでいるのだが、全く記憶に残っていなかったわけである。

 燕石は文化十四年(1817年)、讃岐国琴平、現香川県仲多度津郡琴平町の生まれである。父は加島屋惣兵衛で、おそらく当時の豪農・豪商であったろう。幼童期から「気が鋭く」、叔父の石崎近潔や医師の三井雪航らに詩文や儒学、国学や歌学、書画を学んだ。天稟豊かな人だったらしい。加島屋の家は江戸や上方から金比羅詣でのおりの訪客が多く、情報や政治に敏感になる下地があった。彼は多くの文人たちと交遊した。
 父母の死で二十一歳で家督を継いだが、仁義、信義と侠気に篤く、三十三歳頃まで仁侠の世界に身を置き、優に千人を超す郷党や浮浪の徒や博徒たちを束ねたという。大親分である。
 燕石は勤王の志に厚く、幕吏に追われる土佐や長州の志士らを匿い、庇護していた。高杉晋作を潜匿し逃亡させ、その身代わりとして四年間高松の獄に繋がれて病を得た。
 時代を下り、官軍方の越後口総督として出陣し、慶応四年(1868年)、高松獄で罹患した病がもとで、柏崎で病没した。

 かつて侠客、博徒の親分で私が興味を抱いた人物に「田代栄助」がいた。田代栄助は思想家ではなかったが、「強きをくじき弱きを助くを好む」侠気の人であった。秩父の百姓であり、侠客であった。浮浪者や借金に追われた人々を家に住まわせ、役所や債権者と掛け合い、仲裁に奔走し、裁判では困民たちの代言人を務めた。彼を慕う者、子分たちは二百人を超えた。彼はついに秩父の困民党の総理として担がれ、自由民権と困民救済のため、明治政府との戦争を指揮したのである。無論、秩父困民党の戦は数日で潰走し、彼は捉えられて刑死している。…「我ら暴徒にあらず、国事犯である」

 さて「志士と経済」は梅田雲浜(うめだうんぴん)について記述の多くを割いている。
 若くして儒学者として高名だったが、妻子を餓死病死させてしまうほどに貧しかった。当時、雲浜は学者として、尊皇攘夷の指導者として象徴的な人物だったのだ。かの吉田松陰も彼に私淑し、敬慕していた。松陰は、尊皇攘夷を建白して牢に繋がれた雲浜を奪うべく、大挙軍を率いて牢破りを企図し、そのあまりの過激さと現実離れした計画で、長州の家老らを慌てさせ、松門の弟子たちからも諫められた。もともと松陰は軽忽(きょうこつ)の人である。軽忽とは軽薄でおっちょこちょいと言うほどの意味である。
 しかし松陰はほどなく、あれほど敬慕した雲浜を唾棄するほどに痛罵している。それは、かつて妻子を養うこともできないほど貧窮していた雲浜が、やがて結構裕福な暮らしぶりに変じたからである。噂では富商たちから大金を巻き上げているというのだ。儒者・志士が金儲けに走ることに、純粋な松陰は裏切られたのであろう。
 実際、雲浜の暮らし向きはかなり裕福なものだったらしい。地方の豪農豪商と、都市部の富商たちが彼に師事し、また彼を支持したからである。金は商売から得たのである。
 梅田雲浜は、地方の生産と、都市部の消費を繋ぐ二点交易、三点交易、国内貿易を進めるべく、彼等を相互に結びつけたのである。この高名な尊皇攘夷思想のリーダーは、外国との通商によらぬ、国内交易や内需の活性化と振興を考え、実践しようとしていたのであろう。
 志士のリーダーで儒者・雲浜には、松陰が理解できぬ「経済」思想があったのである。雲浜は、後年の渋沢栄一の「論語と算盤」と同じく、儒学と経済が矛盾なく両立していたのだろう。やがて雲浜は、安政の大獄で獄に繋がれて刑死した。

 服部之総は、雲浜と松陰を比較している。二人はまるで大人と子どもである。二人は格が違うというのだ。無論雲浜が大人であり、松陰が子どもなのだ。何によらず雲浜が人物としてもずっと格上で、松陰は格下なのである。
 私にとって、歴史上偉いとされる人物で、その偉さが全く理解できない人物がいる。その双璧は吉田松陰と西郷隆盛である。以前から松陰をあまり評価していない私には、まさに我が意を得たりである。
 今、梅田雲浜を研究する人など幾人もおるまいが、たまにこんな歴史随想の名著を読み返すのも楽しいものだ。さて日柳燕石について、もう少し調べてみようか。


                 

楽しい終末

2016年03月25日 | エッセイ

 池澤夏樹の「楽しい終末」は、十五年ほど前に文春文庫に収められたなかなかの名著である。彼は小説作品より、「母なる自然のおっぱい」や「楽しい終末」のような地球・自然・環境・科学と人類の愚かさ等について書き綴った随想集において、その素晴らしい才能を突出させる。
「楽しい終末」は、今思えば予言的で象徴的である。「序-あるいは、この時代の色調」に続く「核と暮らす日々」「核と暮らす日々(続き)」を是非お読みいただきたい。「楽しい終末」は現代の黙示録なのだ。
 そう言えば、だいぶ以前に紹介したマーク・ハーツガードの、「世界の環境危険地帯を往く」(草思社刊)も、読んでいて、そのアポリアと人類の愚かさに、どうにも気分が悪くなる(暗くなる)終末の黙示録であった。

 日本中が放射能に過敏になり、国民的放射能汚染ヒステリーに陥っている。子どもたちに線量計を持たせたり、父母たちが毎日家の周辺や通学路を自ら計り、それをブログで公開し、またそれらをとりまとめたセシウムマップをインターネットに公開している。
 そもそも、原発事故がなくても自然界には放射能があるのだ。海外では、周辺に原発も存在せず過去に核実験も行われなかったにも関わらず、福島第一原発周辺の市町村のホットスポットよりも高い線量を計測する所が多々ある。ただし、誰も放射能など意識もせず、神経質に線量計で常時計測することもなく、みんな屋外で遊び、海水浴や日光浴を楽しんでいる。もちろん、それが徒となって癌などを発症して亡くなるのかもしれないが。

 そもそも、市販の線量計は、その精度において、どうも極めていかがわしいものらしい。たまたま、ある民放の報道もどき番組の実験を見た。直径2メートルくらいの円形状に、市販の各種線量計を並べ、その円の真ん中に試験用セシウム容器を置く。すると線量計の数字は全て異なるではないか。あるものは0.01であり、あるものは1.03であり、あるものは0.50という具合である。もっと可笑しいのは、それらの線量計を試験用セシウムの隣に置いても、0.01のものは0.01前後で揺らぎ、1.03のものは1.01になり、0.50のもは0.50を指したまま動かない。無論、数字が跳びはね9.00を示すものもある。父母たちはこんな線量計をてんでに購入し、放射能汚染マップを作成し、公開しているわけである。その信頼性は疑わしいと言われてもしかたあるまい。しかし彼等は政府、行政、東電を全く信用できないため、自ら線量計を購入して計り始めたのだろう。これもまた、政府、行政、東電が、まったく信用されていないことが原因だろう。彼らは不都合なものを何か隠蔽しているのではないか。

 最初に汚染野菜とされたのは、ホウレンソウであった。その放射能レベルは、一人で一年間に500トン食べると危険な摂取レベルになるというものだった。それなら、農薬、メタミドホスがたっぷり振りかけられた中国産のホウレンソウのほうが、よっぽど危険だろう。
 そもそも、かのポパイだって一人で年間500トンのホウレンソウは食べられまい。それなら出荷制限や、出荷停止すべきでなかったのだ。人体に影響がないレベルなら、なぜ出荷を禁止するのか。風評は政府発だったわけである。汚染された稲藁を飼料として与えられた牛も内部被爆が認められ、出荷を禁止された。その放射能レベルは、一人で一年間に250頭分食べると危険な摂取レベルになるというものだった。それなら、抗生物質や肥育ホルモン薬漬けで飼育されたアメリカ牛肉のほうがずっと不気味だろう。そっちのほうを輸入禁止にしたほうが、よほど国民の健康のためである。
 そもそも、聖書に出てくるかの巨人ゴリアテだって、一人で年間250頭の牛は食べられまい。それなら出荷制限や、出荷停止すべきでなかったのだ。風評は政府発だったわけである。

 政府、行政、東電は全く信用できないことは無論である。私はかつて役所や東電の仕事を請けていたから、彼等の嘘つき体質、隠蔽体質は身に染みている。小泉時代のタウンミーティングだって、パネラーや講演者は、広告代理店が政府に都合のよい意見の人を選んで提案し受注、彼等は関係省庁担当者と計らって味方市民を動員し、その意見はことごとく台本ありの「やらせ」だった。東電主催のシンポジウムも同様である。九電の知事がらみ、原子力安全保安院がらみの「やらせ」は当たり前のことだったのだ。
 そもそも、このような激甚災害が発生すると、政府首脳やキャリア官僚どもは、なぜ現場にも行かぬくせに「作業服」に着替えるのだ。作業服は報道向けの「演出的」衣装だろう。全ての演出は「やらせ」なのである。ところで小沢一郎は、あまりにも菅おろしに忙しくて現地視察に行くこともままならず、この夏の猛暑の日々もスーツに身を固めて、冷房の利いた部屋で秘謀を重ねていたのである。政治家ならすぐにでも地元の岩手に飛ぶべきだったろう。

 福島第一原発では、炉に冷却水を送るための外部電源が全て失われた第一日目、早くも高レベルの放射能が検出され、最悪のメルトダウンが懸念され、職員の一斉避難を検討していた。しかし、かつて東海村村長が「まるで関東軍みたいだ」と言ったことを想い出して、退避命令すんでのところで思いとどまったのだろう。二日目から三日目には溶融が起こったことも確認しているが、会見では「溶融は認められない」と発表した。
 枝野官房長官も「念のため、十キロ圏、二十キロ圏区域の住民の圏外への退避の検討」に触れたが、その口調はさほどシリアスなものではなかった。しかし、官邸サイドは茨城交通に大型バスを大挙チャーターすべく電話を入れていた。翌朝早く、バスは現地に到着していた。官邸はパニックを恐れて、情報を小出しにしようとしていたのだろう。
 三日目以降、NHKの科学部の記者や専門家は、すでに水素爆発の恐れがあると報道し、解説していた。しかし福島第一原発の現場では、誰も水素爆発の恐れを想定した者はいなかったそうである。あまりにもお粗末ではないか。政府発の風評のことも含め、誰も政府行政、東電を信用していない。皆が疑心暗鬼になっているのだ。

 福島の子どもたちの代表が、大人の官僚たちに質問した。「私たちは何歳まで生きられますか?」
 ところで放射能を浴びると命が短くなるのだろうか。癌を発症するのだろうか。ヒロシマやナガサキでは、毎年8月の原爆記念日に、「多数の」新たに亡くなった被爆者が、犠牲者名簿にその名を書き加えられ、黙祷が捧げられる。彼等は享年89歳であったり、79歳やら84歳だったりする。当然、みな高齢者なのだ。直接の死亡原因は癌なのだろうが、被爆者でなくともその年齢にもなれば、誰でも癌を発症しやすくなる。またその年齢まで生きてこられたことは、嘉みすべきことに、なかなかの長寿と言ってよい。もちろん若い頃でも、体がだるい、突然鼻血が出るなどの症状に苦しんだのであろうが。
 子どもたちに言ってやりたい。交通事故や通り魔や異常性犯罪者に気をつけて、苛めにあっても死ぬなんて思わず、毎日朝ご飯をきちんと摂り、ゲームに耽らず、あまりコーラなんか飲まず、防腐剤液に浸されたアメリカ産グレープフルーツや中国産メタミドホス野菜を避け、夕食が塾の前後のスナック菓子だなんて生活をせず、あまり神経質にならず、外で元気に遊ぶがよい。そして大きくなっても煙草なんか吸わず、酒に溺れず、イケメンの俳優に勧められても合成麻薬や覚醒剤なんかに手を出さず、不規則な生活を送らず、適度な運動をし、よく笑い、楽天的な思考を持ち続けること。そうすればきっと79歳、84歳、89歳と長生きできるよ。

「楽しい終末」の「序」に次の言葉がある。「世論操作によって人に危機感をつのらせるのが簡単なように、事実を糊塗してなにごともなかったかのように装うのも難しくない。一定量の脅威の雰囲気だけが事実だ。」

                                      

桜と鳥

2016年03月24日 | エッセイ
                                                 

 いつもの年より早く、桜がちらほらと開花した。一羽のヒヨドリが咲いたばかりの花を食べていた。ヒヨドリやムクドリは桜の花や蕾が大好物なのだ。その樹にカラスがやってくるとヒヨドリは鋭い声を立てて逃げた。カラスも花を食べるのかと見ていると、一二輪の花の付いた小枝を器用に折り、それを咥えると電線に移動した。カラスはその桜の小枝を咥え直すと、どこかへ飛び去っていった。巣作りをしているのだろう。巣に桜の花を飾るとは、なんと風流な烏(やつ)だろう。

 ベランダにお釜を洗った際に出る米粒を撒いている。近頃は十数羽のスズメと二羽のヒヨドリがやってくる。最初はムクドリかと思ったが、インターネットで調べたところではヒヨドリだろう。
 時々ヒヨドリがスズメを虐める。近づき過ぎたスズメの頭や背を突いたりするのだ。虐められたスズメは驚くほどの大きな声で鳴き喚いて逃げ去る。ヒヨドリはときどきベランダを自分のテリトリーとして雀たちに宣言する。彼がベランダを見張っている間、雀は近くの木の枝からその様子を見ている。ヒヨドリがいなくなると雀たちが飛んできて、残った米粒がないかと探す。やがて草木が一斉に芽吹き、花開き、昆虫たちが増えると、ヒヨドリは来なくなる。そちらの餌がお口に合っているのだろう。

 ある朝、スズメの群れの中に羽根の色が異なる小鳥を見つけた。スズメと共に夢中で米粒を啄んでいる。スズメより一回り小さく、動きも俊敏である。羽根の色はくすんだ黄緑色である。おそらくヒワだろう。
「くすんだ黄緑色」はその小鳥に失礼であろうか。「鶸(ひわ)色」は鎌倉時代からの日本の伝統色なのだ。武士が礼服としてまとう狩衣に用いられた、実に日本的な渋い色なのである。
「鶯(うぐいす)色」という伝統色もある。ヒワは羽根色も姿もウグイスに似ている。私には容易に区別がつかない。強いて挙げれば、ウグイスはヒワより一回り大きいと覚えた。

 私の子どもの頃、小さな田舎町でも、一二軒の「小鳥屋さん」があった。決してペットショップではない。小鳥の専門店なのだ。学校帰りによく立ち寄って、小鳥を眺めて飽くことがなかった。十姉妹、文鳥、錦華鳥、セキセイインコ、九官鳥、カナリアなどが目当てである。小鳥屋のオジサンやオバサンから、 小鳥の飼 い方や性質などを教えてもらった。店には、メジロやウグイス、ヒワもいた。ヒワはウグイスに似ているが、カナリアの仲間なのだとも教えてもらっ た。ヒワとカナリアはあまり似ていない。古くから日本人はメジロやウグイスを愛玩したが、ヒワもずいぶん飼われていたらしい。…ちなみに私はその小鳥屋さんから十姉妹を買った。文鳥や錦華鳥に比し、丈夫で子育ても上手いという理由だった。私は手乗り文鳥ならぬ、手乗り十姉妹に飼い慣らしたものである。

 百鬼園先生こと内田百﨤はたくさんの小鳥を飼っていた。彼の書斎からその縁側まで、竹製の鳥籠を何段も重ねていた。それらへの給餌や水替え、掃除などで、一日の半分が費やされただろう。それほどたくさんの小鳥を飼いながら、ノラという猫を飼うことにした。
先生はノラに向かって書斎の敷居を指さし、恐ろしい顔で厳粛に告げたに違いない。「猫の方は、そこから先に入ってはいけないことになっております」…ノラ は先生の指さす敷居を見、首を左右に傾げ、書斎に積まれたおびただしい書物と、おびただしい鳥籠を見たに違いない。そしてノラは聞き分けがよく、 決して先生の書斎に入らなかった。先生は「ノラは可愛い顔をしていて、とてもお利口なのである」と言って溺愛した。おそらくノラ失踪後に飼われたクルツも、聞き分けがよく、お利口だったのだろう。あるいはノラもクルツも、先生の顔がよほど恐ろしかったに違いない。

 彼の師、夏目漱石も文鳥を飼っていた。あるとき、鈴木三重吉が突然訪ねてきて、「先生、小鳥を飼いなさい。文鳥がよろしいと思います」と言ったの だ。漱石 は気乗りのしないような、面倒くさいような、ムニャムニャと言を濁したにも関わらず、三重吉は「ぜひ、そうなさい。私にお任せ下さい」と言って、さっさと 帰ってしまった。何日かしてまた彼は訪ねてきた。「先生、とても良い鳥籠を見つけました。素晴らしい掘り出し物の鳥籠です」と言った。値段を訊くとえらく高価なものであった。漱石は、たかが小鳥を入れる籠に…ムニャムニャと言ったのだが、三重吉はニヤニヤして「私にお任せ下さい」と言ってさっさと帰ってしまっ た。強引な奴だと、漱石はムニャムニャと言った。
 しかし文鳥も鳥籠もなかなかやって来なかった。三重吉も忘れたのだろうと漱石は思った。やがて漱石も忘れた。  
 それから一月か二月遅れで、三重吉が弟分の小宮豊隆をともなってやってきた。三重吉は職人が腕によりをかけて作ったと思われる竹の鳥籠が安く手に入ったと漱石に言った。漱石は文鳥を見た。「きれいだね」と漱石は言った。  
 漱石はムニャムニャと不機嫌に文句を言いながら、かいがいしく文鳥の給餌をし、水替えをし、鳥籠の掃除をした。執筆の手を休めて文鳥を眺めた。思えば微笑ましい姿である。文句を言いながらも、漱石は文鳥にずいぶん癒やされたのに違いない。

 今朝見た桜と烏から、最近見たヒワのことなど、とりとめもなく書き連ねた。


        (ちょうど3年前の2013年3月20日に書いた一文です。)
                                    

植民地

2016年03月23日 | エッセイ
以下の一文は、ほぼ3年前に書いたものである。無論3年余の時間のズレはあるものの、自分の思考や、日本と世界の状況の変化、世間の空気の変化を改めて感じ、これから時代はどのような情況に向かうのかを考えたい。EUは間もなく崩壊するだろう。中国はますます軍事大国化するだろう。そして憲法無視の安倍政権下で、日本は異常事態に入ってしまった。


 今から二十年以上も前のこと、古書店で鈴木主税が訳した本を手に取った。翻訳の職人だな。ふと、いったいこの人は年に何冊の本を翻訳しているのだろう、もしかしたら五十冊を超えるのではないかと思ったのである。
 その本はラビ・バトラという初めて見る著者名だった。ラビ? ユダヤの宗教指導者か?「貿易は国を滅ぼす」という常識に背いた書名が気に入った。世間の常識では「貿易はよいこと」「貿易は国を富ますもの」だからである。早速買って読んだ。実に面白かった。
 彼はアメリカの経済学者である。生まれはパキスタンで、インドの大学を出てアメリカの大学院に入り、その後国籍を取得し、アメリカの大学で経済学の教授となった。主流の新自由主義的「新古典派経済学」とは全く違う、異端中の異端の経済学者なのである。その後私は何冊かのラビ・バトラの本を読んだ。 まるでトンデモ本のごとき印象のものもある。
 バトラは経済学者というより、まるで予言者のようであった。彼のインド時代の師は、サーカという、それこそ予言者のような哲学者だったのである。 バトラはサーカ尊師の思想と手法を継承していたのだ。今から思えば、ラビ・バトラの経済予測(予言)は、ほぼ的中し続けているのではないか。彼はすでにソ連の崩壊と共産主義の終焉を予言していたし、二千年代のアメリカの住宅バブルとその崩壊・世界的大恐慌(それがリーマン・ショックだったのだ)を予言し、 原油バブ ル(投機マネーの暴走)も予言していた。そして彼によれば、資本主義も崩壊するのである。それは「富の過剰な集中」と「自由貿易」がもたらす自壊である。

 これも十年以上も前のことだ。NHKのニュースを見ていたら、確かWTOに関する報道になった。「経済成長には自由貿易が欠かせないことから…」 と三宅アナが原稿を読み上げた。私は思わずテレビに向かって「ちょっと待て!」と声を上げてしまった。それは誰の見解なのか。経産省のか、外務省のか自民党のか、 三宅個人の意見か記者か解説委員のか。世間の常識なるものの形成へ誘導するでない。ちなみに私のテレビはインタラクティブではないので、三宅アナはさっさと次の下らないニュースを読み上げていた。
 ほぼ同じ頃、日経新聞に名前は忘失したが東大の経済学教授の小論が掲載された。彼は新自由主義・新古典派経済学の学者である。そこには「自由貿易が経済成長をもたらす」という一文があった。しかし、主流の新古典派経済学とは一線を画す欧米の経済学者たちの地道な研究では、自由貿易が経済成長をもたらすという因果関係は、事実として判然としないのである。ただ経済成長すれば、それに比例して貿易が増えることはあるのだ。
 ちなみに世間が常識なるもの、印象として思い込んでいることに、次のものがある。日本は貿易立国である。日本は輸出依存度も、貿易依存度も高い国である。 日本の関税は高い。日本は農業を保護し過ぎる。特に高い関税をかけて農産品を保護している。日本は閉鎖的だから開国しなければならない。日本の公務員数は多過ぎる。日本は道路や橋などの無駄な公共事業が多過ぎる。日本は借金大国である。日本は債務危機である。…これらは誘導されたか、印象・空気としてある常識だが、実は全て誤りか、単なる思い込みにすぎない。

 WTOを強力に推進する思想も、新古典派経済学であり、利潤に貪欲強欲な新自由主義・市場原理主義である。百五十数ケ国という多くの国が参加しているがゆえに、先進国と開発途上国が激しく対立したり、アメリカがISD条項を入れようと主張しても、フランスやブラジルが激しく反対したり、なかなか進展しな い。世界の99%の人にとって幸せなことに、とは言ってもすでにかなり不幸になっているのだが、それでもまだ致命的になっていない。しかしTPPはWTOよりずっと危険な、貪欲強欲資本主義による植民地化条約なのである。
 関岡英之が明らかにしたように、TPPは日米構造協議、年次改革要望書の延長線上にある。アメリカが日本に押しつけてきた「日米構造協議」は、日 本がアメリカの無茶苦茶な要望を聞き、多少の抵抗を試みる協議の場だった。「年次改革要望書」は、あくまで「要望」であった。小泉政権はその要望に応えるための政権だった。しかしTPPは「条約」で、国内法の上位にくる。年次改革要望書を事実上作成していたのは、アメリカの戦略国際問題研究所(CSIS) だったと される。小泉進次郎が在籍していたシンクタンクである。
 ちなみに日米構造協議からアメリカに要求され続けた国際会計基準としての時価会計を、日本は小泉政権時に実行した。これがそれまで伝統的に取得原価会計を採ってきた日本企業の基礎体力を、激しく毀損したのである。欧州の多くの国はこれを拒否、もしくは採用しない道を取った。当のアメリカは自ら時価会計が不都合な事態となるや、平気で取得原価会計に戻した。日本のみが押しつけられた時価会計のままなのである。まさに売国奴たちが日本を毀損したのだ。
※ 含み益、含み損、含み資産についてはだいぶ以前のエッセイに書いた。少年時代、新聞の株式欄や経済欄で読んだ経営不振の映画会社「松竹」の「含み資産」評価が、極めて強く印象に残ったという話である。帳簿に載らない含み資産というものがあるのだ。つまり取得原価会計と時間が蓄積し作り出したお宝だ。含み資産が企業を救う基礎体力なのだ。

 菅直人が唐突にTPP、開国宣言をした。大新聞や放送局は一斉に賛意を示した。TPP推進派のほとんどは新自由主義者・市場原理主義者・構造改革論者であ る。彼等は農業問題として矮小化した。政府は「開国フォーラム」を開催して民意を聞いたというアリバイづくりをしようとした。中野剛志、東谷暁、 関岡英之、藤井聡、藤井厳喜らが論文・書籍を通じてTPPの危険性を伝え、反対を表明した。マスコミはそれらを無視した。ごくごく一部の少数意見だからである。 本当は彼等の反対論のほうが正論だと分かっているのだが、一度出た社の方針は、ジャーナリズムの面子にかけても変えられないのだ。
 しかし開国フォーラムの参加者たちは、聞けば聞くほど反対意見に傾いた。アンケートを取ると八割が反対だったのだ。政府は開国フォーラムを中止した。そして大震災が起 こった。 TPP推進派が勢いづいた。「被災から復興するためにもTPP!」…まさにナオミ・クラインが糾弾した新自由主義・市場原理主義者たちの「ショック・ドクトリン」 そのままである。
 それでも民主党議員の半数がTPP反対に傾きつつあった。慎重派や懐疑派を入れると七割近くに及んだ。しかし昨年師走の総選挙で民主党は当然のご とく大敗した。当選したのは推進派ばかりで、反対派、懐疑派は全て落選し壊滅した。維新も、みんなの党も推進派である。公明党は賛否を明言していない。大勝した自民党は選挙前は反対としたが、政権に返り咲くと「慎重」を装ったが、経済財政諮問会議、産業競争力会議、規制改革会議のメンバーを見ればTPP推進派の売国奴ばかりである。
 民放各局は雪の中、被災地を視察する小泉進次郎に密着した。まるで天皇・皇后陛下の被災地訪問に密着するように。そして小泉進次郎はたちまち最大派閥を形成しつつあるという。勝ち馬に乗る、これが日本の国会議員や、マスコミなのだ。TPPは、議会において批准の段階で否決することが一縷の望みだったのだが、こ れでもう無理なのか、奇蹟は起きないのか。…これが日本の選挙民の選択だったのだ。かつて小泉政権の郵政民営化に、自民党の九割が反対していた。しかし、 守旧派・ 抵抗勢力のレッテル貼り、公認外し、刺客候補擁立、ワンフレーズのスローガン選挙というヤクザかナチスのようなやり方で、あっという間に郵政民営 化賛成が 大多数を占めた。そもそも選挙制度がおかしいのだが、かつて選挙制度を「改革」の名で改悪した日本の政治家と、彼等を選んだ選挙民の民度、知性の限界を露呈しているのだ。

 我々は、IMFのエコノミストが対象国に対して行ったワンパターンの処方箋が、招き続けたものを目撃してきた。彼等が約束したグローバリズムの恩恵がほとんど空手形で、巨大多国籍企業と対象国の独裁者をのみ利したことを目撃してきたのだ。構造改革、民営化、自由化は罠であった。「公正な取引」は収奪者の不公正を守るための論理と仕組みだった。対象国の国民は緊縮財政、失業、飢えに泣いたのである。国家(ステート)は維持されたが、共同体・国民 (ネーション)は分断されたのである。世界銀行のエコノミストであったジョセフ・ステグリッツは、それを激しく批判した(「世界を不幸にしたグ ローバリズムの正体」)。
 スーザン・ジョージは「債務危機の真実」や「世界銀行は地球を救えるか」等で、IMFと世界銀行のワンパターン政策・処方箋を斬って捨て、「ルガノ秘密報 告 グローバル市場経済生き残り戦略」でグローバリズムを推進する巨大多国籍企業・投資家たちの貪欲強欲の策謀を描き出した。

 このワンパターン・エコノミストの多くが、新古典派経済学、新自由主義、市場原理主義を信仰する人たちなのである。彼等はフリードリッヒ・ハイエ クを祭り 上げたミルトン・フリードマンの主義・思想から生まれ出た。ハイエクは病的なほど国家を嫌った自由主義者、リバタリアンである。経済における国家の介入を極度に嫌い、これらは最終的に 社会主義、共産主義、ファシズムなどの集産主義に行き着くと信じていた。当然、必要時の国家による財政出動や規制等を主張するケインズ的な政策に よる介入を激しく論難した。 それを都合良く戴いたのがシカゴ大学のフリードマンだった。しかしハイエクには「徳」があったがフリードマンはそれを欠き、「欲」しかなかった。 欲は徳より強い影響力を持つのである。しかもインフルエンザや熱病のウィルスのように。
「下らない規制さえなければ大金が稼げるのに。規制は不合理だ、規制を緩和せよ、 いや撤廃せよ」「人間は自分の利益のために合理的に動くのだ。全て市場にまかせなさい。市場は合理的で民主的だ」「強者をより強くする。一部の者 が大きな 富を手にしていいじゃないか。やがてその富が下へ下へと滴り落ち、社会全体が豊かになるのだ。これをトリクルダウンと言うのです」「弱者はその道 を自ら選 択したのだ」「弱者は淘汰されるべきだ、自己責任だ」「合理的に、努力した者が報われる社会」「お金儲けは、いけないことですか?」…どこかで聞 いたセリフだな。…彼等を、ノーベル経済学賞を受賞したインド人の哲学者・経済学者アマルティア・センは、「合理的な愚か者」と呼んだ。

 フリードマンの弟子たちはシカゴボーイと呼ばれた。巨大多国籍企業や連邦政府の行政府にはいる。またIMFや世銀などのアメリカが影響力を持つ国際機関に 入り、エコノミストとして開発途上国に乗り込み、財政指導や構造改革を指導して回って、国営企業や公的事業体の民営化、公務員の削減、給与カットを提言する。各大学に散り、MBA(Master of Businness)の指導教授となり、学生たちに経営、管理、財務、効率と利潤の徹底追求、市場原理、競争原理、選択と集中、コストカット、非効率部門 のカット等を教える。全ては数字だ。数字を素早く分析し、速やかに決断することを教える。…そしてMBAの取得者たちは、経営者となる「有資格者」として散っていく。その業態が金融だろうが、自動車だろうが、病院だろうが、教育だろうが、ファスト・フードだろうが、出版だろうが、放送事業だろうが、産業 廃棄物処理業だろうが、使う手法は同じだ。型を持ったワンパターンは強いのだ。コストカットだ、緊縮だ無駄を省け。人員を削減すれば株価が上がる。株価は企業価値だ。株主・投資家を優先せよ。当然ショートタームのリターンを求めて金が飛び回る。長期の投資より短期の投機だ。金だ利潤だ、利潤だ金だ。…まる で添田唖蝉坊の唄みたいだな。…こうして強欲貪欲ウィルスはウォール街に蔓延し、ワシントンに蔓延し、世界に蔓延した。強欲貪欲グローバリズムの グローバ ル化なのだ。
 アメリカの新古典派経済学、新自由主義の学校は、多くの留学生を受け入れた。そしてカルト宗教のマントラのように新古典派経済学、新自由主義、市 場原理主 義を吹き込んだ。やがてその留学生たちは祖国に帰り、学生に自らが学んだマントラを教え唱え続け、政府や行政機関の政策立案者となり、企業の中枢に入り込む。こうして竹中屁蔵も三十年間、プライマリー・バランス(財政均衡)、緊縮財政、官から民へ、市場原理、競争原理、自己責任、国際競争力、構造改革でワクワクすると言い続けている。「痛みを伴う改革」に耐えろだと。彼等には大きな利益が伴うのだろう。金だお金だこの世は金だァ…やっぱり唖蝉坊の演歌の通りだなァ。

 今、新自由主義、市場原理主義のグローバリズムが何をもたらしたか明らかである。それはリーマン・ショックを引き起こし、グローバル化の象徴だっ たEUを 間もなく崩壊させるだろう。新古典派経済学、新自由主義、市場原理主義は間違いだったのだ。早くからグローバリズムに警鐘を鳴らし、批判していた フランス の歴史学者・家族人類学者エマニュエル・トッド(「経済幻想」)や、イギリスの自由主義哲学者・政治学者ジョン・グレイ(「グローバリズムという 妄 想」)、かつて開発途上国で指導に当たっていたアメリカのデビッド・コーテン(「グローバル経済という怪物」)等が、論じ、見立てたことは正しかったのだ。
 ウォール街は貪欲・強欲資本主義、金融資本主義の象徴だ。「ウォール街を占拠せよ」と集まった人々のプラカードに、次のものがあったと藤井厳喜は伝えている。「TPP= DEATH 」「TPP= POVERTY 」「 No New NAFTA 」
 アメリカの若者たちも分かったのだ。TPPのような自由貿易は、多国籍大企業の利潤になっても、国民には全く裨益しないのだ。大企業の利益と国民の利益は大きく乖離したのだ。
 TPPは確かに死、破滅を意味する。日本は世界で進む温暖化や水の枯渇、砂漠化の中で、食糧の安全保障を巨大アグリビジネスに握られるのだ。地域共同体や同業者組合が培った農協や漁協は解体、民営化に追い込まれ、共済(助け合いの仕組み)は巨大グローバル金融資本、保険資本に飲み込まれるだろう。
 やがて韓国で、軍隊が鎮圧するほどの暴動が起こるかも知れない。一方的な不平等条約である米韓FTAによって、植民地化、窮乏化が進み、それに対する激しい憤怒と反米デモが予想されるのだ。
 ラビ・バトラが予言したように、資本主義も崩壊するのである。まさに「富の過剰な集中」と「自由貿易」がもたらす結果である。
 ちなみにラビ・バトラは、かつての日本の一億総中流、賃金格差の少なさや終身雇用、環境保護、銀行規制などを高く評価していた。そして新しい資本 主義、新しい経済主義(プラウト主義経済)の黎明は、かつてそのような経済習慣や思想を持っていた日本から始まるかも知れないと予言しているのだ。でも彼の予言は外れるだろう。
 TPPに入り、条約が発効すれば巨大多国籍企業の植民地と化することは間違いなく、そんな経済文化の記憶も風土も失うだろう。そして温和しい日本人は、予想される韓国の人々のような激しいデモも行動も起こさないだろう。そもそもTPPってなに? という民度の国なのだから。その程度の国なのに「船中ハッサクそのイチ・首相公選」だァ! 船中のヨタ話で船頭が選ばれるというなら笑えるが、煽動者(デマゴーグ)が選ばれるのは目に見えている。危ない危ない、危なくてしょうがない。

光陰、馬のごとし グスタフ

2016年03月22日 | 競馬エッセイ

 メキシコ湾岸で発生した「グスタフ」と名付けられた巨大ハリケーンが、またニューオリンズなどのアメリカ南西部を襲おうとしている。ルイジアナ州をはじめ、湾岸地域に避難命令が出された。三年前に巨大ハリケーン「カトリーナ」が襲った直後、私は以下のようなことを書いた。
「ニューオリンズの被災者たちは、車社会のアメリカに暮らしながら、貧しさ故に車を所有していなかった人々らしい。ハリケーンの上陸前に避難勧告を出されても逃げ出す手段を持たなかったのである。アメリカ国内の所謂貧困層は3500万人に達するという。イギリスのサッチャリズム、アメリカのレーガノミクスと称される新自由主義が、競争原理・市場原理主義を謳いはじめてから、その数は年々増え続けている。新自由主義は金持ちと大企業を優遇した。アメリカの上位1%世帯の所得は倍増し、彼らには数度にわたり大幅な減税措置がとられた。それは彼らの富がアメリカより税の低い国に逃げない措置とされた。一方80%の世帯の所得は減少した。その減少幅は、特に下層の世帯ほど大きかった。国は「小さな政府」を目指すとして、国による公共サービスを減らし続けた。公共サービスを必要としているのは金持ちではない。公共サービスは中間層や貧困層に必要なのだ。公共サービスの一部は民営化された。こうして医療費や福祉・介護費、教育費、水道費等の負担は倍となった。民間企業は利益第一、株主第一だからである。貧困層は切り捨てられたのである。現行の経済システムの下では、貧困は貧困を再生産する。貧困層は拡大し続けるのだ。それが市場原理主義というものである。世界的に見ても、この30年間に於いて、上位5分の1と下位5分の1の所得格差は倍に広がっている。」

 カトリーナが明らかにしたのは、現行の世界経済システム、市場原理主義の猛威であった。また年々巨大化するハリケーンは地球温暖化がもたらす恐怖である。神よ、環境問題や温暖化対策より経済成長の方が大事だという大国(アメリカ、ロシア、中国、インド、ブラジル等)に、憤怒の鉄槌を下したまえ。私の定義ではこれらの国は大国であり、日本は小国なのである。国土は狭く、資源もなく、食糧自給率も極めて低い、小国なのである。経済大国と言っても所有しているのはアメリカの国債ばかりである。

 さて「グスタフ」と聞けば、音楽ファンならグスタフ・マーラーを、美術ファンならグスタフ・クリムトを思い出すだろう。西洋史に詳しい方なら、十七世紀のスウェーデン王グスタフ二世と十八世紀のグスタフ三世を思い起こすことだろう。
 競馬ファンの私は、当然グスタフという種牡馬を思い起こす。このグスタフという馬の名の由来は、無論スウェーデンのグスタフ王から取られている。
 グスタフはイギリス産の芦毛馬で、千メートルと千二百メートルの短距離ばかりを走って7戦3勝、ミドルパークSとシャンペンSの重賞を勝った。この毛色と短距離専用とも言うべきスピードは、父のグレイソヴリンから受け継いでいる。グレイソヴリンは種牡馬として、数多くの芦毛の名スプリンターを輩出した。彼の父はナスルーラと言い、短距離から中距離で10戦5勝した。ナスルーラは短距離馬(スプリンター)も長距離馬(ステイヤー)も輩出した。ナスルーラの子供たちは、その優れたスピードやスタミナと共に、度しがたいほどの気性の悪さも受け継いだ。ナスルーラの父は、イタリアのフェデリコ・テシオ(ドルメロの魔術師と呼ばれた)が生産したネアルコである。ネアルコは伊・仏で走った14戦無敗のオールマイティの名馬であり、今日のサラブレッドでこの血を受け継いでいない馬は存在しないだろう。

 さてグスタフは、あまりよい子を出さなかった。その子供たちはスピードのない短距離馬が多かったのである。これはスタミナのない長距離馬同様、勝ち上がることは難しい。グスタフは不人気種牡馬だった。しかし偶然からサンピュローという牝馬に種付けする機会があって、プレストウコウという芦毛馬が生まれた。この毛色は短距離血統グスタフから受け継がれたものである。
 プレストウコウは兄ノボルトウコウがそこそこ活躍していたことから、多少期待はされたのだが、「短距離血統」でありながら距離の短い新馬戦を取りこぼした。しかし三戦目の未勝利戦から条件特別の楓賞、ひいらぎ賞と三連勝した。ひいらぎ賞で敗った相手はラッキールーラだった。距離が伸びはじめた皐月賞トライアルや皐月賞(二千メートル)は敗れた。早くも距離の壁かとも思われた。
 だが続くダービートライアルのNHK杯(2000)を勝ったのである。日本の軽い芝の馬場では、短距離馬でも2000メートルぐらいまでは充分持つのだ。だからダービーはさして人気にもならず(彼にはダービーの2400の距離は長過ぎると、誰もが思った)、そして惨敗した。ダービー馬となったのはラッキールーラである。

 この「短距離馬」が瞠目されたのは秋以降である。セントライト記念(2000)を勝ち、続く菊花賞トライアルの京都新聞杯(2000)をレコード勝ちし、あげく長距離レースの菊花賞(3000)を驚異的なレコードで制したのだ。この菊花賞レコードはその後しばらく破られなかった。何とプレストウコウはスピード豊かなステイヤーだったのだ。
 このステイヤーとしてのスタミナ、そしてクラシックレースを勝つ底力はグスタフのものではない。母サンピュローの父はシーフュリューと言う。シーフュリュー自身は大した馬ではなかったが、その父シカンブルはフランスの至宝と呼ばれた馬である。シカンブルはスタミナ豊かな長距離血統、典型的な底力血統、クラシック血統なのである。
 このシーフュリューから「三本脚のダービー馬」アサデンコウや、女傑ジョセツが出ている。また母の父としてはこのプレストウコウの他、ダービー馬クライムカイザーが出た。クライムカイザーの父もマイラーのヴェンチアであった。ちなみに他の輸入されたシカンブル系種牡馬としてはムーティエ(皐月賞・ダービー馬タニノムーティエ、菊花賞馬ニホンピロムーテー、天皇賞馬カミノテシオ)、ファラモンド(皐月賞・ダービー馬カブラヤオー、南関東公営三冠馬ゴールデンリボー、東京ダービー馬トキワタイヨウ、サンコーモンド、ダイエイモンド)、ダイアトム(天皇賞馬クシロキング)がいる。まさに底力血統なのである。
 その後のプレストウコウは3200の天皇賞で、鼻差でテンメイの2着となった。このレースはゲートが開いて800メートルくらい走った後に、「カンパイ」と呼ばれる発走のやり直しがあったのである。プレストウコウにとっては 4000メートルに匹敵するレースであった。テンメイは、距離が伸びれば伸びるほど持ち味が出る典型的なステイヤーである。ちなみにその母は「トウメイ高速道路」と異名をとった女傑トウメイであった。

 プレストウコウは種牡馬として殆ど人気がなかった。やがて彼は韓国の馬産振興のため、かの地に寄贈されて行った。晩年のプレストウコウの写真がある。彼は斉州島の小さな牧場にいた。風が強いのだろうか、すっかり真っ白になった彼の毛はボサボサに逆立っていた。空バケツを銜えたり振り回したりして無心に遊んでいる写真である。
 彼が日本に残した数少ない産駒から、東京ダービーを勝ったウインドミルが出た。

 私にとって「グスタフ」とは、先ずプレストウコウの父の名前なのである。

           (この一文は2008年9月1日に書かれたものです。)