平蔵日記

クサガメ平蔵の日記。他に徒然なるまま気の向くまま・・・

またまた散歩中

2006年05月11日 19時46分13秒 | カメ
平蔵元気に散歩中です
今日もたくさん餌を食べたし、自分も心に余裕がでできて、安心して見てられます
それにしても平蔵、一体何をじっと見てるんでしょうか?
テクテク歩いては立ち止まり、首を伸ばして何かを見ています。

亀は意外と目がいい(色の認識とか空間の把握能力とかに優れる、と本に書いてましたが・・・)らしいですが、あの横長の瞳で、何を見つめてるんでしょうね

「真田太平記(九)二条城」 池波正太郎

2006年05月11日 19時37分15秒 | 読書
加藤清正、浅野幸長の必死の工作により、豊臣秀頼が徳川家康の上洛要請に応え、ようやく秀頼、家康の対面がかないます。
形的には家康の実力に、秀頼(というか豊臣家)が屈服したということになるはずなんですが・・・
豊臣家の人たちってのは、苦労知らずというか、世間知らずというか・・・秀吉ってのはそんなに立派な人間か?
何が「太閤の威光」なんだか(これでも自分太閤贔屓です)。
その後も徳川政権に、表だって対抗しないくせに、かといって臣従もしません。
ちなみに本巻の裏表紙の作品説明には、「立派に成長した秀頼の姿は、あらてめて家康に豊臣家取潰しの決意を固めさせ・・・」と書いてありますが、何を言ってるんだか
世間知らずの坊ちゃんが、怖い物知らずでボケボケしてたのを、周りが勝手に堂々としている、と勘違いしただけですよ(本文読んでたら、そういう書き方をしてると思うんですけどね)。
確かにその後の家康のやり方ってのは、ますます強引にえげつなくなっていくわけですが・・・加藤清正を暗殺するし、浅野幸長も・・・
そして方広寺鐘銘事件。
これで家康の腹黒い、薄汚いイメージが決定されたんではないでしょうか。
けど、まともにその罠にかかってしまうんですから、豊臣家には家名を残すって考えはまったく無かったんでしょう。
所詮秀吉一代の成り上がりですから。
秀頼の取り巻き、淀君を中心とした馬鹿(あえてそう言わせてもらいますが)共達は、次巻と次々でますます炸裂していきます。
西暦では1611年から1614年の夏ごろか。
そういう世間の情勢の中、九度山の真田昌幸、幸村親子にとっては、そんな大坂の馬鹿っぷりは大歓迎な訳で、一日も早く徳川と豊臣との戦いが実現することを心待ちにしております。
配下である草の物達の間で、ちょっとした仲間割れが起こってしまいますが、こちらもその時にそなえ、準備に怠りはありません。
しかし時の流れというのは残酷なもので、とうとう真田昌幸は「関ヶ原の仕直し」が実現しないまま、帰らぬ人となってしまいます
その後起こった方広寺鐘銘事件。
大坂もいよいよ腹をくくり、いよいよ幸村のもとへも、大坂から密使が訪れます。

次巻よりいよいよ終盤の最大の見所、大坂の陣へ!

真田太平記〈9〉二条城

新潮社

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