ウサギとカメ

貧乏田舎暮らしをしつつ、何とか普通の水準の生活を目指しております。

熊野古道 小辺路 2泊3日 初心者〜中級者が行く!

2022-06-11 14:36:54 | 自然
 小辺路は昔1920年代までは普通に庶民や商人に使われていて、3泊4日で通るのが標準だったそう。昔はたぶんもっと活気があって、行き交う人も居たりして楽しかったかもしれないけど、1000mの峠が4つあるんだよ?昔の道具で、商品背負って歩いてたの?それも日常的に?偉大すぎる。自分は歩き終えた瞬間、もう二度と歩きたくない!って思ったよ。でも得たモノもあったのは事実。2日後には良い経験になっていて、楽しかったな、また違うコースで行きたいな、なんて思うように。人間の記憶って美化されるってのは本当だな。
 
まえがき
 
本当は以前撤退した大峰奥駆道にもう一度行こうと思っていたのですが、シュラフの不安、靴の不安、体力が持つか、荷物は本当に足りるのか、など悩みが生じたので、前日の夜に計画を変更し、小辺路を歩き、自信をつけ、改善点を見つけてから大峰奥駆道の事は考えることにしました。
 
1日目
4月28日 晴れ 暖かい
 泊まっていた漫画喫茶を出て松ヶ崎駅から新宮駅へ向かう。新宮駅の徐福寿司でサンマ姿寿司を食べ、バスに乗り換え熊野本宮へ。サンマ寿司は押し寿司で、美味しい。秋の方が油がノっていると思うが、十分美味しく、丁度いい酢と塩の具合でパクパク食べられる。本宮に着いたらバス停の前にあるインフォメーションセンターで地図をもらい12時30分頃、熊野本宮前から高野山へ歩き出す。
 境内から祓殿王子が見つからず早速迷い、少し時間をロスするが正しい道へなんとか戻る。八木尾バス停まではアスファルトの道、熊野川沿いをひたすら歩く。綺麗な川、空も山最高に綺麗。川幅も広くていい感じ。あんまりギリギリまで護岸されてる川は人工的であんまり好かんね。水の中の魚が見える、釣り人が糸を垂らす、そんな風景を写真を取りながら意気揚々進む。
 果無峠の看板が出る。急にハードモード。最初から割ときつい坂。でもまだ気力があり、これこれ!このキツさがいいんだよな!と進む。途中なだらかになり、またキツくなり、しながら進むが、すれ違う人との挨拶を力に進んでいく。三十三観音の番号がまだ5番な事と、観音様の間が結構空いている事が気にかかる。まさか一番下までに33体いらっしゃるのだろうか・・・だとしたら頂上は17番目くらいなはず・・・まだ半分も来てないのか、、まさかな、など不安がよぎる。まぁその不安は的中なんだけどね。。
途中、観音様に榊をお供えするために山を越えて戻ってきた地元のおじちゃん、おばちゃんにすれ違う。挨拶し、話していると、もっと時間に余裕を持ちな、と言われてしまう。間違いない。でもこのスケジュールで強引に行くしかなかったんだよねぇ。そして、朝切り出した杖を2本もらう。振り返るともう2人の姿は見えない。めっちゃ足が速いか、或いは神様かい?それにしてもこの杖には最後までとてもお世話になった。本当に助かった。
 ほとんど休まずに力で峠までたどり着く。強引に歩いたせいか右足首、アキレス腱の付け根あたりが痛む。時間は15:45分頃だが峠は吹き上げる風があり少し寒い。反対から来た男性と天気と道なりについて話す。16時頃から雨があるかも、との事で急いで下る。時間はもう16時前。雨は霧雨程度、次の日のためにもなるべく先へ進みたいので、どんどん降りる。峠のすぐ下、観音堂はテント泊には良い。トイレ、水場、あり。ただ、まだすでに混んでいるし、17時にもなっていないのでここはスルー。予定していたのは最低でも果無集落。結局集落のすぐ手前、少し行くとトイレや水もある場所に17:30テントを張る。大体予定通り。ここは自分以外にも2張りあり、寂しくない。この日はよく寝れた。
 
2日目
4月29日 晴れ→16時頃より小雨。18時頃より本格的な雨・強風、モヤ(ガスって言うのかな)。
 6:30頃出発。果無集落から昴の郷までの道のりは、意外と下りが長く残っておりきつい。右足首は治らず痛い。とりあえず川合のバス停まで歩いてみて決めることにした。昴の郷へは吊り橋を渡った後右に少し進み、左手のトンネルに入るが、周辺が工事中で標識がよく見えず少し戸惑う。昴の郷でトイレに入り、三浦峠入り口までのアスファルトの道をひたすら進む。水場は時折あり、水には困らない。途中集落の人々とのふれ合いがある。手を振ってくれるおばあちゃん、挨拶をくれるおじいさん、その中の一人のおばちゃんと会話をする。(山桜の写真を見せてくれる。熊は99%大丈夫だが、養蜂しているハチの巣を壊されたり、村営バスの前に出てきたりする、と言う話しをしてくれる。)途中には白い柴犬一匹と鶏数羽が飼われている柵がある。かわいい犬。でも少し寂しそう。誰か周辺の人が飼っているようだが、庭が無いのかな?
三浦峠の入り口に着く頃には両足首が痛む。靴の中に靴下やパンツなど詰め物をして、カカトが少し高く浮くようにしたら多少楽になった。足の裏の痛みは明らかに慣れないことから生じるモノで、我慢するほかどうしようも無い。2日目は序盤からコースタイムをオーバー。このタイム設定おかしいのでは・・・?元気で荷物も背負って無ければ行けるけど。。
 三浦峠は地元では一番きついと言われているらしく、確かにきつかったが、途中の記憶があまりない。同日に伯母子峠の小屋まで行きたかったので急いでいたせいもあるだろう。頂上の簡易休憩所で軽食を取り、すぐに下り始めてしまったが、風景は良かったように思う。電線が見えないと、本当に自然だなぁと思う。少し下った所で整備をしてくれている地元の夫婦に出会う。まむし殺しの旦那さんは、「さっきそこでマムシを退治しておいたぞ。」と言う。それを聞いて少し探しながら進んでみたが見つからない。マムシかー!見てみたかった・・何なら食べてみたかったな。。その代わりと言っては何だが、奥さんが特大のヒトヨシテンナンショウを見せてくれた。近縁にマムシグサのいる植物なのである意味マムシを見たと言えないかな・・・言えないか。
 さて、どんどん下っていくと三十丁の水がある。ここの水が個人的には一番好み。おいし。足首も麻痺しだしており、あまり痛みを感じない、ような気がする。三浦峠の出口から伯母子峠の入り口は元気であれば20分程で着きそうであるが、間違えて旧道に入らないように注意。公衆トイレもあり、体力が限界ならばトイレの前にテントを張って一晩過ごしても良いかもしれない。しかし、私には時間が無いので嫌がる足を引きずりながら進む。
 そういえば私が出発した日の真夜中12時。熊野速玉大社から京都の敦賀まで走るレースがスタートしたらしく、途中で数名のレーサー達に抜かれた。この中で早い人は本当に化け物。荷物も極限まで少なく軽くしているようで5キロも無いように見える。レインウェアとかもってないんじゃないかな?まぁでも食料は買っても良いルールらしいのでそこは軽量化しやすそう。調理道具いらないし。とにかく早く走って町に行ってゴハンを食べて、どうしても山の中で寝るならツェルトよりも簡易の装備で寝ているらしい。すごい人たちもいるもんだ。モヤで雨の夜中も走っていたのだろうか・・。
 伯母子峠入り口。時刻は確か15:40分頃。いきなり割と急な登りから入る。でももうこんなモノでは怯まない。何度も見たからね。ただこの山もきつい。個人的には三浦峠に登ったときよりもきつく感じる。あれか、三浦峠登ってそのまま登ってるからそう感じるのかな?時間が迫っているのでとにかく急いで登るが体力も無く休憩を挟まなくてはならず、距離もあり思うように進まない。
 18時15分頃、ようやく上西家跡に到着。しかし誰も止まっておらず寂しい。一つ前の水ヶ元茶屋跡には近くに水場もあり、テントが一張りあったのでそこにすれば良かったか・・・でもそうすると翌日距離が残ってきついし、そこはトイレもないし、何より看板に山姥伝説が書かれていてちょっと怖かったし・・・。後悔しても仕方ない。そこで進むかどうか悩んでいるところに反対側から来た登山者が来たので峠の小屋まで実際どれくらいかかりそうか話しを聞く。すると「途中が崩れており頂上を迂回していかないと行けない」、「頂上を迂回するので1時間30分~2時間かかる」と言う。「うーん、最大で20時30分到着予定か・・・」と思う。現在の状況は小雨→普通の雨、強風→山頂に行けば行くほどさらに強風、モヤ→気温が下がるにつれてさらにモヤ、と言いう環境。一応ヘッドライトは持ってきているので暗闇を歩くことも想定していたが、まさかこの環境で山頂を目指すとは思っていなかった・・・。でも当初の予定通り小屋を目指すことにした。なぜならこのタイミングで2人のレーサーが私を追い抜いて先に進んでいったから。でも後でよく考えると相手はランニング、こっちは亀さん歩き、でスピードが全然違うのね。たぶんレーサーの方々は完全に日が落ちる前に山頂を下ってある程度道がはっきりしている所まで降りれたんじゃ無いかな。誤算でした。
 私は気合いを入れ直して踏み跡がうっすらと見える山頂に向かう登山道へと足を進めた。雨で滑る、モヤが邪魔、割と急、それでも時に手も使いながら登る。そういえば山頂への道に入ってから休んでいない。休んでる暇も無いのだが、疲れを感じない。アドレナリンかな?ただ腹だけが減り、ポケットにいくつか入れていた普段は食べない飴を食べる。ラスト一つを食べ終わる前に山頂に着きたい。さっきまでうっすらと奥に見えていた山頂らしき影が眼前に。「やった・・・」と思うがなんの標識も無い。とりあえず記念写真を撮り、下る、が、どう考えてもまた登りに入っている。フェイクの頂上でした。先はもう3~8mしか見えない(モヤの濃い所と薄い所で違ったり、風が吹くと一部遠くまで見える)。この登りで山頂に着いてほしいなぁ・・・。もう暗さとモヤで踏み跡が見えないのでヘッドライト着用。モヤは光が乱反射してしまいほとんど何も見えない事をこの時知る。やばいなこれ。ワクワク楽しいけど恐怖も感じる。そしてやっと尾根に出る。吹き上げる風のとんでもない音。尾根の左右は切り立っているのかなだらかなのか、周囲の風景がよく見えないだけに怖い。でも不思議と高揚感もある。ついに標識が見える。伯母子岳山頂。やっと着いた・・・写真を撮ろうとするが、寒さもあり携帯のバッテリーが無い。かろうじてデジカメのバッテリーが残っていたので撮影し、急ぎ下りに入る。お化けも怖いなぁ・・・と思っていたが、それどころでは無く、とにかく踏み跡を踏み外さないように、見落とさないようにし、ピンクテープを探して下る。この時間違えて大股方面に下る。本来、山頂から小屋までは600mだが、大股方面からまわって行くと1500m程かかる。風が吹くとモヤがとぶのでそのタイミングで道を先まで確認して、安全にかつ最速で進んでいくと、ようやく三つ叉にでる。小屋まで残り1キロの看板がある。休まずに進むが左の崖が危険なのでそこにだけ気をつけて歩いていたら、水たまりを踏み、ズボン濡れる。レインウェアの下も来ておけば良かった!面倒で上しか来てなかったからね。まだ着かないのか、モヤもあって相変わらず見にくいし。ちょっとツラく心細くなってきた。そんな時、ひたすら歩数を数える!と言う方法で正気を保った。1000歩歩いたらきっとたどり着くはず、と信じて。
 実際には750歩程でうっすらテント越しにランタンの光が見え、800歩程でたどり着いた。はじめ数えてなかったからね。山の反対側では聞いたことのない風のうねり。ぐぁぁぁぁぐぉぉぉぉ!!と叫んでいる。小屋は当然満室で、雨の中テントを張り、暖かいものが食べたいがテントの中では調理できないので、しかたなく和式便所の中でインスタントラーメンを作り食べる。独り和式トイレラーメン。あんまり経験者はいないだろう。ただ、外の暴風と雨をしのげる環境、ほっとする。落ち着いてみそラーメンを食べた。トイレからの帰り道、2m先も見えず自分のテントを一瞬見落とす。テントの中は設営時の雨で濡れ、寝袋も少し濡れている。あるだけ着て寝るが寒いし、雨音、風の音がすごくて寝付けない。恐らくずっとウトウトし、うまい寝方を発見した3~5時の間、何とか寝れた。
 
3日目
4月29日 雨→小雨→曇
 あまり寝れなかったので5時過ぎに起き、6:00頃出発。峠の小屋の人たちと少し話し、自分と同じ向きで歩いている人が一人いる事を知る。もっと雨と風が止んでから出ても良いが、計画上そうもいかない。標準タイムよりも時間がかかる事は目に見えているので、小屋で少し休んでいくように言われるも先を目指すこととした。朝の山を下るのは、足は痛むがさわやかで神聖。写真も撮りながら楽しく進むが早く次の避難小屋で足にテーピングをしたい。足首だけでなく、指も痛む。これはおそらく靴擦れだろう。
 次の避難小屋の手前はすごい下りだった。歩きにくい。下りの苦手な自分にはきつい。恐らく7時頃避難小屋到着。薪ストーブもある素敵な小屋。ただすきま風もあるらしい。こちら個人の方の土地に個人の方が作ったそうなので私的な小屋と言うことを忘れずに使用しましょう。水がもう無くなりかけていたので、小屋のとなりのイモリの入っている水を汲む。まぁイモリが生きていけるくらいきれいな水なら大丈夫だろう、と信じるようにしている。イモリ水、少し元気出そうだけど、抵抗もあるな・・・まぁ300mlくらいは飲んだけど大丈夫でした。小屋は快適で、雨が止んだので荷物を整えながら休憩する。すると後から先ほどの峠の小屋にいた、同じ方向に進んでいた人がやってくる。雑談をし、あまりのんびりもしていられないので出発する。同じ方面に行く人がいると少し張り合いがでる。相手は下りが得意、自分は登りが得意、抜きつ抜かれつ進む。山の下の方、急なアスファルトではもう足首と指が痛くて真っ直ぐ下れない。仕方が無いから横向きになりながら下る。
 そのうちに下りきり、大股に着く。トイレ、自販機があるが、水場が無く自販機で補給するしかない。“町に戻るまでは炭酸は飲まない”と決めていたのでダカラ500mlを3口で飲み干し、もう一本買い先に進む。ここを登り切れば地図上では残りはたいした標高差はない!と気持ちの上ではポジティブだが、疲れから足が進まず少し進んでは足が止まる。登りは良いのだが、ゆるい登りの傾斜や平坦、下りはてきめんに進めない。何とか進むとアスファルトの道に出る。アスファルトはあまり得意ではない。足が痛む気がする。アスファルトの道を進み山頂を目指す。山頂は割とすぐ近くにあり、見晴らしの良い、石碑のある所で長めの休憩を取る。身体も気持ちも疲れているが、こんな時に食べる間食はとても美味しい。さらに自分の歩いてきただろう山が遠くに見えるのは爽快なもんだ。同じ方向に進んでいるもう一人と話しながら休む。彼は四国のお遍路も行ってきたそうで金剛杖を携えているが、お遍路は山ではないので同じ時間でのきつさは小辺路の方が上、と話す。
 さぁのんびりしていられない。ここからは標高差のあまりないアスファルトの道が龍神スカイラインまで延びているので、足に合わない、人からもらった登山靴を脱ぎ、二枚重ねにした靴下のみでがしがし進む。ただ歩くのも暇なのでどうしたら一番良い歩き方が出来るか、左右対称に歩けるのか試しながら歩いていました。
 龍神スカイラインまでは車もほとんどなく、道の歩きやすい所を進めば良かったけど、龍神スカイラインは車が割ととばして走っている道。しかもクネクネ曲がりくねっていてブラインドコーナーもあるので、一人で歩く場合には気をつけないと目立たないために事故に巻き込まれる可能性もある。みんな気をつけて。自分は龍神スカイラインに出て本来右に行くところを左に少し進んでお店で休憩。お茶を買い、気づかないうちに冷えていた体と足をストーブで暖めさせてもらいました。汚い格好だったのに受け入れていただいたお店の方には感謝です。一回座ってしまうとなかなか立てない。結構疲れてるんだな、でもここまで来たらもう少し!と気持ちを作り直し、お店の方にお礼を言い、お土産のシイタケを買い、出発。
 龍神スカイラインは緩やかな下り。小走りの方が進みやすかったので小走りで進む。ただし、靴下なので足下に気をつけるため視線は時々周りを見回す以外は足下に集中。これがいけなかった。龍神スカイラインを少し行くとまた車道とは違う古道に入るようだったのですが、その道を見落とし(下向いてたからね!)そのままかなり下ってしまった。おかしいな、まだ古道入り口がない・・?と思って見直してみると2~3キロ前に入るところがあったよう。ここから引き返す気力も時間も無いので仕方なくもう少し下った所に“大滝”という看板があったので看板にしたがって左に曲がり進む。地図を見る限り、ここから赤い橋、丁石、薄峠、といける。古道に戻るには下って登ってと少し道を探しながら進んだ。が、普通に一本道なので古道への入り口の看板を見落とさなければ迷う事は無いだろう。
 ここからはとんでもない下り。もうモモやら足首やら足指やら耐えられないので横向きになりながら下る。すると赤い橋が川に架かっている。地図通り。安心し先を目指すが、予想していなかった登り道が続く。いつまで続くのか。終盤にこの登りは結構きつい。
 途中の階段にでかいおじいさんが座っている。外国の方で一人のよう。時間も15時を回っており、小雨も降りしきる中なので大丈夫かと声をかけた。すると日本語は全く、英語もほとんど話せない、フレンチマンだった。コミュニケーションのほとんどとれない中、おじいさんを励ますと、手が回らないからポンチョを着せてくれ、とジェスチャーをするので、着せてあげる(でかいバックパックの上から着ているのでパツパツなのだ)。このおじいさん、登りは苦手なようでちょっとなめていたけど、下りや平坦な道にはめっぽう強く、速い。そもそも180cm近い俺よりも二回りくらい大きいんだから歩幅が違う。それに俺は登りが割と得意だから下りでは勝ち目は無い。薄峠までは俺が少し先を歩き、峠で二人でもう少しだから頑張ろう、と日本語、英語、フランス語で話していたが、下りに入ってからは完全において行かれた。
 しかしおじいさんはポイントで俺を待っていた。最初は律儀だなぁと思っていたけど、水を分けてくれ、と俺の最後の水を(イモリのいた水溜の水)おいしそうに飲む。手帳にスタンプを押したり座るために脱いだ、自分で着れないポンチョを着るのを毎回手伝わせるために待っていたのかな、とも思う。最後の方はもうお互い疲れて相手はフランス語、俺は日本語で「袖はどこだ?手をそこに案内してくれ!(フランス語)」「ここ、ここ!袖ここにあるよ!(日本語)」のような会話をしていた。
 最後の1~2キロ。一番感動してくる。何故か涙が。辛かった日々から解放されるからか、達成感からか、痛みからか、わからない。でも時折涙がこみ上げる。到着したらさぞ感動するかと思っていた。けど、金剛院が見えてきて、寂れた脇道から金剛院に向かっていると、何故かもう平常心に。なぜだろう、日常に戻ってきたからかな。それとも金剛院の手前にじいさんが腰掛けて待っているからだろうか。今度は何を頼まれるのか・・。と思いながら金剛院に着く。
 
 俺が着くなりじいさんは焦った様子で話し始める。フランス語の地図を見せて、「ここに行きたい。四国から来る女と17時に会う約束をしてる。俺の電話日本で使えない。だから会う場所わからない。何とかしてくれ。」と言うのだ。無茶を言う・・・俺だってどうしたら良いかわかんないぜ。。フランス語の地図を見ているとインフォメーションセンターのような建物が目についたので、ここに行ったら良いと提案すると、「連れて行ってくれ」と言う。まじか、日本語の地図なら行けるけどフランス語じゃ目印がイマイチわからん。すると向こうから外国人の観光客親子が歩いてきた。俺は聞くしかない!と思い、英語で話しかけ、インフォメーションセンターを聞くと、「ちょうどそこで見かけた」、と言われ、それを英語と日本語でじいさんに説明していく。もう身体も疲れ切っているのでいつもだったら言葉遣いには気をつけるがそんな余裕も無く、単純な単語と強気な説明で伝え、じいさんを先導して連れて行く。俺だって17時までに金剛院に行かないと見学ができないんだ、急いでるんだよ!!
 大通りに出ると消防署の先にインフォメーションセンターがあった。あれだよ、と伝えると、「ありがとう、サンキュー、メルシー」と言い、握手をしてじいさんは去って行った。さてと、俺は今来た道を、一歩歩く度に痛む足と共に戻って行った。金剛院は閉まる直前で、「そこの国宝を見るだけならタダで良いからすぐ出てね」と言われ、2分程で見学は終わり、門の前で写真を撮り、一応最終目的地の千手院橋を探しに行く。千手院橋に橋は無く、千手院橋というバス停があるだけだったので盛り上がりには欠けたけど、とりあえずこれで目的地に到着。人にも“歩き切った”と言えるだろう。高野山駅行きのバスの時間まで少しあったので、少し休もうとインフォメーションセンターに行くとあのじいさんがいた。電話を借りれたようで電話している。そばにいた日本語も出来るフランス人の方から、「大分助けていただいたようで、ありがとうございます」と言われる。「そりゃもう大変でした」、と言いたいところだったけど、「全然大したことはありませんよ」、と伝えておいた。小辺路を歩いているのに見殺しにするのはなんか罰当たりだし、外国の登山道に一人でいるのは心細いじゃないか。声をかけるか躊躇したが、助けるに決まってる。
 高野山駅から極楽橋に行き、心に決めていた夕飯を食べに向かう。「二代目よなきや」のホルモンラーメンだ!!正直に言えば電車に乗っていた時の俺は臭かったろうし、周りの人には申し訳なかったな、と思う。それでもラーメンが食べたかったのだ。
 ホルモンラーメンは期待通り、期待以上においしく非常に満足。ただ、座敷に座ってしまったので俺の穴の空きまくった臭い靴下が丸見えになって少し恥ずかしい。
 余談だが、ラーメンは当時の彼女と食べに行った。食事中は「おいしい、臭い、きつかった、景色は綺麗」など楽しく話していたのだが、別れ際に別れを切り出された。このタイミングでは無いと思っていたんだけどな。熊野から山道を歩きいくつも峠を越えて会いに来て、フられるなんて経験をした人はそうはいないだろう。本当に“なんて日だ!!”。

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