ああいうことばかりやっているけれど、実はオレ自身については「右」とか「左」とか
言う「こだわり」はあんまなかったりする。親からは右だと思われ、菊地とかには左だと
思われ、「中道!」と罵倒されたこともあるけれど、オレにとっては「思想厨」とでも
言える人間を「現実に還す」ことには興味があっても、その思想周りのことについて
○×をつけていくことには正直関心は余り無い(個人的な考えは勿論あるけれども)。
結局アレは肯定でアレは否定ということにただこだわっていっても、その先には結局
ナニもないんじゃないのかと言うのがオレの中にはどうしてもあります。だから、
ある意味「ニヒリスト」や「リアリスト(これが罵倒文句になるのかオレには分からない)」
と言う指摘はある意味当たっています。
オレが興味があることは
・何故、思想にヒトは魅了され
・その中の一部のヒトは社会との接点を絶って思想に引きこもってしまうのか
・また彼らを「現実に戻す」ことは可能なのか
と言う三点に要約されます。だからホントーにオレは政治思想板出身とは言えども、
感覚的には「ウォッチャー」と言う血の方が強いのだと思います。まあ、左右問わず
十人以上の「思想厨」とでも言える連中とつきあってきた過去があるからそういう
異色のスタンス(卑怯とも言える)を維持できるのかも知れないけれど。
だからオレにとって小熊も香山も荷宮も「手ぬるい」存在だったりするんだけど
(あと、三浦展も)、そのことは多分民間の研究者が学者先生に対して思うことと
大差ないと思うのであえて深くは突っ込みませんが「彼ら(その中には勿論オレも
含む)」の正直な感情、と言うかある種の「怨念」とでも言えるような感情は
扱い方・処理の仕方によっては恐ろしい化け方をしかねない存在であること(勿論、
それは従来のウヨサヨではありえない)は指摘しておきたいと思う。
いやね、ホワイトトラッシュとかKKKとかネオナチについても一応一時期調べてみたんですわ、
あと、戦前のいわゆる「国士」についても。
全く彼らは後者はおろか前者の水準にも達していないんですよ。本当に
あと、林間君について指摘するなら、「パトリ」だと必死にナショナルから逃走していますがw
(ホント、オレから言わせればただの逃走にしか見えない)、「パトリ」でくくるにしては
「護るべき者達」の存在が全く見えない。例えば姜サンジュンが「コスモポリタン」を
名乗れるのはやはり在日という本人の資質によるモノだろうし、普通の人にとって
「地球市民」的な発想が実感として湧かないのはやはり「見て触れる範囲」にしか
「護るべき者達」がいないからだろうと私には思われる。ナショナリズムにしても
パトリオティズムにしてもそういう「身近なヒトを守りたい」というような素朴な感情から
発生しているとオレは思うんだけどどうだろうか?
少なくとも、オレにとって彼は「護るべき者達」が見えない「信頼できない人間」という
印象が拭えない。